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ある質問でのやりとりの途中に思ったことです。
目指すべき人間像、理想とか、本心とか、言われる処のそれは、何処から湧き出るものでしょうか。人に内在するものでしょうか、それとも、人間関係の中から機を得て現れるものでしょうか、それともイデアのように、外に概念として存在するものでしょうか、或いは他の在り方であるでしょうか。
その、ありえべき人の姿と、その起源について、ご意見あればどうぞよろしくお願いします。

A 回答 (9件)

極論すれば内在かと思います。


きっかけは人間関係の中や外部の理論・概念の中にあるかもしれませんが、自分の中にその感受性がなければ気付けませんから…
どうしても数学が苦手とか、やっぱり肉が好きとか、そういうのと大差ない気がします。
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この回答へのお礼

確かに、あっても気づかなければ意味ないですし、それに気づく感性、立ち返る自分の感性かもしれません。

お礼日時:2014/03/22 00:12

内からです。



PCみたいに外から入れる事が出来れば、どんなに簡単か。
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この回答へのお礼

内からですか、ご自身を信頼してらっしゃるのだなと思いました。

お礼日時:2014/03/22 01:48

意識が脳にあるとして、脳がニューラルネットワークで結ばれたコンピュータであると


言う学説が正しいとします。

ニューラルネットワークの論理を知ると、
これの反復学習回数が大変だということがわかります。

12個くらいの素子を学習させて、1+1を覚えさせるのに1000回くらいは必要。
次に1+2を覚えさせると、1+1の学習結果がぼやけてしまう。

この段階で工学的には実用性が乏しいと思えるのですが、物凄いスピードで常時学習させ
れば確かに巨大な知性になることは間違いありません。

脳細胞は140億個ほどあると言われておりますから、全てを学習させることが出来れば
物凄いポテンシャルです。

学習のためにはデジタル入力での信号が必要になります。

まさに、好き嫌い、と言う感じで繰り返します。

あるときインスピレーションを得ました。

多数の情報量を持つデジタル信号を、多重(重ねて圧縮)してしまえば一度に多くの学習
をさせることができる。

そして、
デジタル信号を多重すると、アナログ信号に見えてしまいます。

次に、
脳がニューラルネットワークだとして、その学習情報源はどこなのだろう?

すぐに、脊椎神経と言う太いケーブルが見つかります。
ここには神経パルスが流れ込んでいます。
さきほどのデジタル多重がアナログに見えるという前置きをしたのは、これを解釈するため。

神経パルスはアナログに見えますが、脳を超効率で学習させるデジタル多重信号ではないか?

また、神経の作りは絶縁体を透過します。さらに虫歯等で分かると思いますが、隣接した神経
細胞が反応しますよね。一種の電波に近い。少なくとも生体的な電波?増幅器ですね。

ここまで考えてやっとひらめくのは、140億のニューラルネットワークを学習させている情報源
は、人体にある50兆の細胞です。

これらが活動する時の微弱な電界を受けて、神経が増幅し、多重して脳に送り込む。
波の性質について良く知っている人は、多くの情報が多重されると、同じ位相の同じ情報だけが
残り、その他の雑多な個性が消えていくことはわかりますよね。

つまり細胞の活動のうち、個々の差異をけした共通のものが録音(と言う表現にしました)され、
これが脳に送り込まれる。ニューラルネットワークは、微細な調整が得意であり、その性質の
最たるものが、等価回路(全く同じ入出力を出すエミュレータ)を作ることです。

つまり、脳と言うのは元は細胞が発生する電界を増幅しうけて、これと全く同じ電気信号を出す
巨大なコピー回路だといういことです。

私たちは、脳が複雑な回路であるため、感情や思考ができると思い込んでいます。
実際はニューラルネットワークのような単純なものは、そう言うことが出来ません。
脳は細胞の活動を真似て作られているのです。

次に例えですが、音楽CDなどで再生する電気信号をスピーカに送り込めば、音楽になります。
では、細胞が発している神経パルスは、人間の脳が再生するとどうなるのか?
それはおそらく、喜怒哀楽の感覚がするはずです。
人の喜怒哀楽の正体は、細胞が養分を取りエネルギーを発する時の電界変化であったり、
他の微生物の攻撃を受けて防御反応をしたり、死滅した細胞が発する情報であったりするので
はないでしょうか?

これらが喜び、怒り、恐怖、悲しみなどの感情として脳が複製回路を作り上げたのだと思います。
もしそうだとすると、私たちの意識の正体は、細胞が持つ意識の統合であると言えます。

私たちは、細胞のような小さなものには意識が無く、感情も無いと思っています。
しかしその活動に付随する電気変化は、まさしく私たちの感情や意識と同じもの。

ならば、人の意識が他に伝達したり、植物が感情を理解したり、虫のような脳が小さいものや
アメーバのような細胞そのものの生物が、何故だか人と同じ行動をするのが頷けます。

人間の人間らしい考えや感じ方のオリジナルが、細胞だからです。
人間の大脳は巨大であり、ニューラルネットワークは素子の数が多くなるほど鮮明にコピーする
事が出来ます。

と言う事は、人間くらいの脳があれば、本当の細胞が何を考え何を感じているのかを、巨大版と
して鮮明に再現できるのです。

不思議なのは、脳が大きい生物になればなるほど、その行動や感覚が人間に近いように思えます。
これは逆に考えて、脳が大きいほど、本来の細胞がどの様な個性をもっているのかを、
単体生物として上手に模倣できると捉え直します。

また、人間が思いつく組織構造や技術のアイデアが、なぜか体内の仕組みを模倣していることが
わかります。つまり、人は発想することができず、体内にある仕組みを時々認知するというのが
正しいのでしょう。

普通に考えれば、何も無いところから湧き出すほうが神秘的過ぎます。

単純な仕組みの連鎖で、一見して複雑なものに見えるようになっている。
これを説明するほうが真実味が増しますね。

だとすると、
私たちは、
50兆もの人そのものと変わらない意識価値を持つ同胞を体内に抱えた超巨大国であり、
その統合体として、彼らを守る政府の役割をしていると言えます。

また、
脳が無作為に飛んでくる神経パルスを受けて、等価回路を作る性質があるならば、
母親の胎内にいるときに、間違いなく学習を受けているはずです。

これは胎教と言う生ぬるいものではなく、母の神経パルスに多重された膨大なデータを受けている
ということです。(神経が電波のような通信をしているため、体内にある子供の脳も学習する)。
であるならば、確かに、生まれてから学習する以前に、胎内で基本OSソフトウェアを母親から
コピーしていることになります。こういう前提が無ければ、生まれてからの学習では説明がつかない
機構が脳に多数実装されていることに納得がいきません。

子馬が生まれてすぐにたつのは、遺伝子によりハード的な部分が作りこまれているだけではなく、
熟練した母から肉体の制御ソフトをコピーしているからでしょう。
人はこれを本能と呼びますが、実際はこういう仕組みではないかと思います。

これらは母の胎内奥深くにいるときに、母の体内の活動をうけ、更に生まれる前に作られた脳にきざ
まれています。と言う事は、そのあとに出来上がった脳にはインストールされていません。

深層催眠等で自意識(新しい脳にできるソフト)を一度とめて、
誕生以前の記憶を探らないといけません。

つまり、人には誕生以前の人格があり、体内で最初に出来上がった脳に刻まれていると思われます。

もしこれが正しければ、
母はその母の体内にいるとき。その母も。と先祖代々の思考と記憶が、
私たちが生まれる前に使用している(生まれた後は体調の制御などをしていると想像)に蓄積されて
いるはずです。

これが前世の記憶などと呼ばれているのではないかと思います。

奈須きのこさんの空の境界と言う小説に、体の人格と言うのが登場します。
仏教等の宗教でも、こうしたものを洞察しているようです。

では、私たちが理想とする人格、人物像はどこから来るのか?

50兆の細胞の活動と思考を受け、これらを統合して1世代分の個性が出来るとします。
しかし、さきほどの母体からソフトコピーを考えると、実はご先祖の肉体の細胞から出来た意識
をコピーし続けていることになります。
となると全世代の細胞の思考を総和し、共通項だけがセレクト
されて蓄積されて行っていることになります。
勿論これは、
胎内にいるときに複製されるわけですから、通常はそうした奥底の記憶は外に出ません。

しかし、
絶命の危機に達したり、生命活動の根幹に近い(強烈な運動をする、歌や音楽で酩酊する、
睡眠時の記憶を起きて持ち越す)などがあったとき、稀に外にもれ出るのだと思います。

私たちはこうした無意識の情報資産を直感的に知っており、
意識があるうちにこれを獲得したいと憧れるのだと思います。
ですので、この超人格は、必ず親、親族、先祖としての位置づけにあり、かつ指導的な意味を持ち、
大変懐かしく感じる対象であるわけです。

更に考えます。
実は細胞の内部構造がわかってきています。これを見ると、人の内臓にとても近いです。

では、細胞に意識があったとしたら、それはどこからくるのでしょう?

再帰構造がすぐに思いつきます。

つまり、細胞を構成するモット小さな何かの影響を受けているのでは?

途中の段階を飛ばし、極小を考えれば、最後は分子、原子、素粒子となるでしょう。

なぜか、こうした物理現象は、生命活動の単調な動きと似ています。
そして、
素粒子が既に宇宙の根幹を成す物理現象(物理的力、定数、宇宙の性質)に支配されている
ことがわかってきています。

こうなると、宇宙そのものの性質を極小から、拡大している自然現象に思えます。
ですので、人の理想、人格は、宗教的には神として位置づけられる唯一無二の統合人格であり、
細胞そのものの共通的な構造であり、
これらが形作られた元の衝動は、宇宙の性質であると思えます。

以上から、
人間の脳で感覚的に把握できないだけであり、宇宙の物理学上での性質がそのまま生物と
いうスピーカーでは感情や人格として再生されているのだと思います。
人が極小のものを拡大し、再生し、復元しているだけの存在ならば、
その根源がシンプルな宇宙の法則であるほうが論理がたちやすい。
故に宇宙の性質(気質)も、人とそっくりでなければ、おかしい。

なので人の理想は、人に内在し、宇宙に内在する。

以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

とても興味深く読ませて頂ました。とてもダイナミックな話ですね。超ミクロの世界に長大な宇宙の原図を読み解き、しかもそれが人格として人の脳に反映される、とても個性的なアイデアだと思いました。ありがとうございます。

お礼日時:2014/03/22 02:03

お礼ありがとうございます。



>内からですか、ご自身を信頼してらっしゃるのだなと思いました

成る程、いわれて気付きましたが、そうですね。

昔は幼い頃、自分の人生を呪い、自分をサイボーグの様にパーツ毎に交換やメンテナンスが出来ればいいのにと、よく考えていました。

結局、私は私を使って生きていくしかないのだと納得してからは、そういった考えは頭に浮かばなくなりましたが。

端的に表現していただきありがとうございました。
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この回答へのお礼

いえ、こちらこそご返答ありがとうございます。私は私を使って生きて行くしかない、その通りと思います。

お礼日時:2014/03/22 15:33

どんな手本でもなく、自分が自分らしくある事でしょう。


世界は、自己が成立するための必要として在る以上、
その「必要」を正しく認識すれば、あらゆる意志は予め
充たされ得る。

自分=肉体に付属した感覚器官に依存して発生する
ゆえに肉体的な自己チューに陥りがちな意識を、真の
自我の環境的延長(社会生命的助け合い~環境との
物質循環~自我仮説(時間軸)の相補としての時空仮
説(空間軸))を自覚化し得るように認識を深めれば、
その他我化(博愛=宇宙の自我化)に於て自由自在
(自らに由(よ)って自ら在る)、自然に生きられる。
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この回答へのお礼

自分らしく、大事なことですよね。
その方が伸び伸びと、羽を伸ばせるかもしれません。
博愛と自由について論じられた処は興味深いと思いました。
ありがとうございます。

お礼日時:2014/03/22 23:47

補足させて戴きます。



極論すれば内在です。
なんです。だって、人は自分の中を知っていますか?自分が気付いていなかった自分を何かが気付かせてくれる事もあります。ただ気付けなければスルーなので極論すれば内在、と言うしかないです。
本当の意味で人間が認識できる自分とは内在と外在の間に映る影のようなものだと思います。
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この回答へのお礼

内在と外在の間に映る影、とは微妙な表現と思いました。内在の僅かな投影が、自分の意識に浮上してくるのかもしれません。
再度のご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2014/03/23 11:40

> 目指すべき人間像は何処から湧出するか



一応、自己の魂という事になるんでしょうけど?、、た
だそれは外郭次元の普通の人達にとって、目指すべき物
と言えるのか?、、その時々の相応しい地点・状態にあ
る時だけ、ささやかな変化などとして与えられるだけで
、後は休眠状態のように仕舞い込まれてるような物なの
では?、、

> それともイデアのように、外に概念として存在するものでしょうか、或いは他の在り方であるでしょうか。

イデアは確か?、、天界との一体状態から、少し下位に
降りる時の、人という型の通過点で?、イデアを通過後
に人の魂が分離?し、外郭次元(5・4・3次元)に意
識体を放出するのは、分離した魂が確か?行う物で、、

目指すべき目標(それが多くの人にあるのかどうかは、
今の私には疑問ですが?)は魂が持つ物であって、、そ
れを潜在意識として抱き気付き始める、更には自覚ある
顕在意識として理解出来るのは、せめて秘教の素養があ
る者の、始めの段階レベルでないと、なかなか難しいの
では?、と思いますけど?、、どういう訳か色々と惑わ
す物で世の中は溢れてますし
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この回答へのお礼

魂という概念が出て参りましたが、これは、私達の内部に存在しているのでしょうか、それとも外部に、他律的に存在していて、その影のようなものとして私達の顕在意識があるのでしょうか。
興味深い世界観の回答、ありがとうございます。

お礼日時:2014/03/23 11:43

確かに「なりたい」は希望であり、現在は違うということになります。

現状を変えてみようですね。
欲望ベースですね。低次で原理的、水平移動とかほかの探索ともいえます。


おっしゃるものは「ありたい」というのは理想、美的倫理的意味も含めて高次のものになります。上を目指すわけです。

そこには心が関連しているように思えます。現在からより高いところを目指してということになり、現状否定ではないので、「内在」といえるかもしれないですね。
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この回答へのお礼

確かに心の有様の問題であるから内在であるというお答えはシンプルに導き出されるなと思いました。

お礼日時:2014/03/24 01:16

>イデアのように、外に概念として存在するものでしょうか



そういうことです。人間は学習する猿です。様々な外からの情報から多数の人間が理想とした形を順々に学び、自己の記憶に蓄えて、やがてそれらが香ばしく化学合成されて発酵できる良質の脳という畑を得てぱっと開花する、そういったものだと思います。

最初から内在するとかのはずはありませんね。原始人がすぐソクラテスになったとでも?
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この回答へのお礼

外在説ですね、ご回答ありがとうございます。
私は、原始人がソクラテスに劣っているとは考えないのですが、そのように見る尺度も持ち合わせているので、ご説明にあることは理解できました。学びにより人は理想を抱くということは、素直に納得の行くところです。しかしまた、何か自発性をもった起源もあるような、。

お礼日時:2014/03/24 01:19

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