哲学が科学だとすると、誰でも同じ結論に到達する客観性が必要になると思います。自然科学では実験を根拠として、社会科学でも統計データをもとに議論することである程度の客観性を保っています。
しかし、哲学がテーマとするのは、自由とは?、死とは?、善とは?のようなあいまいな事象が多いです。私はこう考えるということはいえるでしょうけど、どうやって客観性を保っているのか疑問に思いました。
1)哲学は科学でしょうか?あるいは文学や芸術のような主観の入るものと理解したほうがよいでしょうか?
2)科学だとしたら、どのような手段により客観性を確保しているのでしょうか?
No.9
- 回答日時:
哲学は科学です。
理由はどっちも主観的だからです。
まず、科学も哲学も真理を求めるという点では一緒です。
次に哲学は主観だが、科学はどうかというと。
科学も最初は仮定からはじまります。
シンプルに割り算のひっ算を想像してください。
7わる3の時、上にまず2って書きますよね?
なぜか。
3かける2=6で、7に近いと感じたからです。
このようにすべて「こういう物理現象なんじゃないか?」と想像したうえで、
式を作ってみるのです。
もちろん、それで解ける場合もあります。
しかし、ダークマターや素粒子、宇宙の誕生など、すべての根源であろうもの
についてはすべて仮定にすぎません。
いまだ、宇宙の誕生にも議論があります。
一方で哲学だって、「人間は考える葦である」みたいに
「そりゃそうだ。人ってのは動物と違って理性がある生き物だ」
みたいに明らかに真理(っぽいもの)があります。
結局、哲学も科学もひとつの答えを求めるが、複数の答えが出てくる。
そして、どれが正解とも言えない。
仮定である。
という点で共通しているのです。
回答ありがとうございます。
確かに科学にも主観的要素がありますね。仮説をたてるのはやはり主観的要素が重要ですね。ただ科学では最後に実験などの証拠で客観性を担保していると思います。
確かに科学では今でも未解明な問題はたくさんあります。そして仮説の設定だけで実験の証明がなされていないことも多いですね。でもそれは将来に新しい装置が発明されて、証明されるかもしれない。そうすれば客観性を持つようになるのではないですか?
No.8
- 回答日時:
こんにちは。
★ 1)哲学は科学でしょうか? あるいは文学や芸術のような主観の入るものと理解したほうがよいでしょうか?
☆ 哲学は 科学でありえますが 世界の認識よりも人間の意志をおもんじるかぎりで 自然科学とは別の行き方を採ります。
哲学が 科学であると言える範囲は 次のようです。
すなわち 定義を共有することで 主観を主観共同というかたちにおいて互いの接点をつくり そのことで――つまりは 共同主観とは コモンセンスのことでありこの前提において―― 客観性ないし普遍性を或る程度確保しようとします。
文学や芸術は 主観のみで突っ走ります。個人の想像力によって話をすすめます。その結果が どこまで共同の主観でありうるかを問うているかたちなのだと捉えます。
(芸術における美が 共同化されなくてもよいという見方は また別であるかも知れません。保留します)。
科学は 主観を仮説として提出しそれとして互いに受けつけているかたちを取る。これは 定義の共有を定義の新説から始める場合にひとしくおおむね哲学と同じことだと考えますが そのあとの実験による再現性が それとして客観性を確保すると見なすものと思われます。
言いかえると 個々の人間の意志いかんにかかわらず普遍性があるとみとめられたときに その世界認識は かなりの程度において客観性を持つと見なされるのだと考えます。
ところが 哲学は 認識を問うよりもむしろ人間の意志をおもんじ 世界を意志行為の錯綜するあつまりだと見るはずです。
ただし 意志の内容を じつはほかの人間が忖度することはあっても その主観を互いに押しつけることはあり得ません。それが 良心・信教の自由や表現の自由を公理とすることであると考えられます。自己表現ないし主観の自由という意味です。
それでも 世界は意志行為によって成り立っていると見るはずです。
その結果として得られる結論は ひとは互いに意志をおもんじ 自分の意志を・そして相手の意志をも踏みにじることはあり得ない・あったら 無効である。――となると考えます。
(世の中が シガラミによって成っている部分は 無効の意志行為が 社会力学的に有力となって言わば悪貨が良貨を駆逐するかのごとく それでも《現実》となっている。と見られます。人びとの有効な意志は 無効で有力な意志行為に対して 《くにゆづり》をしています)。
このように意志自由とそれの尊重をめぐって 出来るだけ普遍性(単純には合理的なあり方)を問い求める。主観の共同化をつうじて世界のウゴキのあり方についての普遍的な内容(つまりは 互いに合理的に了解しうる内容)を目指します。それによって意志疎通をつうじての互いの交通(まじわり)がなめらかになる。これを哲学は 目指すと考えます。共生だと考えられます。
そのとき自然科学は 定説の確定性にもとづき主観共同と成りうるかぎりで 哲学の推進のための補助となると見られます。
回答ありがとうございました。
哲学には意志があるということですね。
内容が難しくてよく理解できませんでしたが、そうするとあまり客観的というわけにはいきそうにないですね。
No.7
- 回答日時:
そもそも科学が哲学なんですよ。
客観性の原点には厳然と人間がいます。時間がながれ、空間が認識され、物質に重さがあり、気体を吸い、個体に触れ、液体の中を泳ぐ・・・
科学でとらえた現象、法則などすべて人間を土台にしているのです。人間であれば誰がみても「そのようである」というところが客観性の限界で、「人間の」と言う部分においてそれは人間のいわば主観にあたり哲学になるというわけです。
そうすると科学も哲学も人間そのものを探求、追及していると言う意味では同じなんですね。
回答ありがとうございます。
私が思ってもみなかった視点でした。
なるほど科学も所詮は人間という存在とは不可分なものであるということですね。
ただ、そうであったとしても哲学と科学は違う感じがします。
他の方のご指摘がありましたが、科学は価値観を含まない領域を取り扱うという点が違っていて、そこに科学の限界があり、一方で哲学がなかなか客観的になれないということなのだと思います。
それから自然科学だとある実験について、△△というメソッドを使うと○○の結果になるとすると、いくら人間以外の生命体であってもその方法に従う限り同じ結果になると思います。もちろんその生命体がもっている科学の体系は人間とぜんぜん違ったとしてもです。ですから他の生命体との間でも客観性は保たれると思うのですが・・・
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
哲学は文学や芸術に近い人間の価値観と善悪などを主題とした創作、思索活動です。
科学は基本的に価値観を問わないことで前者とは異なります。哲学の一分野に科学哲学というものがありますがこれは科学に人間的な価値観を取り込んだものといえますが、数学や理論物理学などではすでに哲学と不可分になった数理哲学や量子理論などのようないはば形而上学的科学になっています。1)については以上です。2)については客観性というより厳密な論理的思考をかさねることで誰でも理解でき、誤った考えかたに入らないようにしているということだと思います。No.5
- 回答日時:
stmimさん こんにちは。
よいご質問ありがとうございます。質問と回答を見て、私も哲学と科学の違いをきちんと理解していたかと疑問になってきました。
私の稚拙な私見ですが、哲学と科学の本を読んでいると、現在において哲学と科学のはざ間と言うものがあるのではと感じるときがあります。
生物学をやっていたものとして、ダーウィンの進化論を例に挙げますが、ダーウィンの進化論は高校生物で科学としてあたりまえのようにして教えますよね。
しかし、実験で証明されたわけではない。ある種が生まれ、その種が死滅するまで、観察し続けるには、人間の寿命とは、あまりにも短く不可能。(人間とは、はかないものという認識は私自身は大事だと思ってます。)
進化を考えようと本をあさったら、アリストテレスの「充満の原理」にまで遡れました。
自然界はさまざまな目的と機能を持った生物に満ちて、それは連続的に存在するという考えです。
この考えは出典は現在調査中ですが、プラトンがデミウルゴスにいわせた「宇宙が全体が完全になるためにあらゆる種類の生物を含まなければならない。」という考えと、アリストテレスの「連続の概念」から形成され、中世におけるキリスト教神学においてプラトンやアリストテレスの考えがキリスト教に取り込まれることで、宇宙ははひとつの原子から天使に至るまで一連続体として繋がるという認識に飛躍発展して定説化したようです。
では、現在、進化についてなにを科学でやっているかというと、中間種となる化石が見つからないなど、いまだにアリストテレスの「充満の原理」の呪縛から科学は脱却できていないのでは私は思います。
ダーウィンの進化論ははたして科学なのか?哲学なのか?。19世紀の西洋における、進歩主義、いわゆる神の存在など辟易とする、科学の勝利だ。人間の理性だけで進歩は可能なのだという社会背景の中で、絶賛され、人々の中で、常識化され21世紀に至っていると思いますがどうでしょう。
端的に答えるだけの能力がなく、能書きの長文になってすみません。
回答ありがとうございます。
私の質問に興味をもっていただきありがとうございます。
ただ、私の考えていることとamenhotep2000さんの考えておられることはかなり違う気がします。
私は自然科学は実験をもとに客観性を保っていると書きましたが、実験だけではなかったと思います。生態学の分野では実験より、フィールド調査・観察が主ですし、地学の分野でもやはり野外調査における観察結果が主な根拠となると思います。
生物の進化についてですが、これはご指摘の通り、人間の寿命があまりにも短く誰にも観察することはできません。しかしながら、化石や地層の研究で得られたデータより、生物進化は存在するということは少なくとも生物研究者の間では自明であり、今更、生物は進化するか、しないかで議論する人はいません。
キリスト教を信じている人の中には進化を否定することは知っていますが、これは宗教の問題であって科学の問題ではないと思います。
もし私が進化に興味をもったなら、進化に関する最新の解説書や総説を読むと思います。過去の人の考えを調べても進化のことはわからないと思います。もちろん、amenhotep2000さんは進化に興味があったのではなく過去の人の考えに興味をお持ちだったのだと思います。それはわかります。
中間種がみつからない問題は進化学では指摘されていますが、中間種は局所的にあらわれそれが全体に急速に広がってくという形になるので確率的にみつからないのだと考えられています。
ダーウィンの進化論は確かに哲学的な部分もあると思いますが、明らかに科学だと私は思います。化石などの証拠やガラパゴス諸島における観察記録がその理論の根拠となっているからです。
せっかくお答えいただいたのですけど、私のほうは意見が違っていてすみません。
No.4
- 回答日時:
この世界を構成する情報に、哲学だの科学だのといっ
た区切りがある訳ではありません。
それを扱う人間の側のキャパシティの限界によって、
便宜的に派生したものに過ぎません。
その表れが、人間の世界観が身の回りに限定されてい
た中世以前は、宗教が哲学や科学も兼ねていました。
遺伝の法則を発見したメンデルも、地動説を唱えた
コペルニクスも司祭だったように。
しかし、日常の情報に対する思索を中心に行われた、
そうした宗教的哲学・科学に対して、観察器具や
実験手段が発達するにつれ、宗教家が片手間にでき
るものではなくなり、またそこで得られる知見も
「日常の情報」の延長に構築された宗教的世界観と
合致しないものとなり、哲学や科学は宗教から分離
していったのです。
とはいえ、世界は1つであり、その認識の深まりと
いう意味で、決して分離したものではありません。
哲学を深めるにしても科学と矛盾してはならず、
科学を進めるにしても哲学を伴わねばなりません。
そうした「名称」は、それぞれの専門家にとっての
カテゴリーであり、我々にとっては、認識を深める
プロセスにおけるステップに過ぎません。
回答ありがとうございます。
自然科学の情報というのは思いつくのですが、哲学の情報とはいったい何かな?考えてよくわかりませんでした。
確かに哲学と自然科学は未分化の状態が過去にはあったと思います。
私は自然科学とのつきあい方はなんとなくわかる気がします。しかし哲学とのつきあいはどうしたらいいのかよくわかりません。
哲学と自然科学に対して同じ態度でつきあえばいいのか知りたいというのが、私のベースにあります。
哲学と自然科学はお互いに共通した部分もあり、相互に影響を与えている部分もありますが、その取り扱いについて同じでいいのか?という疑問があります。
No.3
- 回答日時:
>>1)
昔は、哲学=最先端科学って位置づけだったようです。偉い哲学者が「○○は××である」と言えば、それで決まりだったみたいですね。
それが、ガリレオのころから、「実験して確認・証明するのが科学」という流れに変わったようです。
また、哲学は、3つのテーマがあると聞いたことがあります。
1.この宇宙はどうなっているのか?(宇宙論を含む私たちのまわりの世界への探求)
2.人間はどこからきて、どこに行くのか(人間、自分自身への問い、探求)
3.正義とは、善とは?(真善美などへの問い、探求)
ただ、現代においては、最初のテーマは、科学に席を譲ったと思いますし、2番目は、宗教に譲ったかも?3番目も、現在では哲学の立場で語られることは少ないかもしれません。
>>2)
哲学としては、客観性については、気にしないのだと思います。
回答ありがとうございます。
昔は哲学も科学の仲間だったのですね。哲学の中から自然科学が出て行った感じでしょうか。哲学は客観性は気にしないとはちょっと驚きますが、そうゆうものなのですね。客観性を気にしない分、考えの幅が広がるのかもしれないと思いました。
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