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 ばか丸出しのわたくしから見てもそうであり 目立つ場合に極論したらということです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。
 これを あらためて問います。


 昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか:
 1. きわめて話し下手である。
 2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。
 3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら むしろ何のためらいも無く声をかける。
 4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りには席をゆづる。
 5. 報酬が決まりより多く支払われると 突き返す。決まりとは違うという意味らしかったが 怪訝な顔をして 突き返す。
 6. こちらが勘違いしたりほんとうに間違えたりしたとき こちらがあやまると いいえこちらこそ気がつきませんでと応え返す。
 7. (1)(2)より:外国人に話しかけられても 何も言えない。あほうとばかとを掛け合わせたように ただしにこにこ顔で だまっている。ただし困っている様子をみたら 自分がパニクったごとくその人のために何とかしてやろうと奔走する。


 いまは
 8. ぺらぺらべらべら しゃべり過ぎる。ところが中身にとぼしい。
 9. 相手の粗さがしを考えている。
 10. 道は相手がゆづるものと思っている。
 11. かっこうをつければ人は 自分にしたがうものと思っている。
 12. とにもかくにも あほうとばかとを掛け合わせたごとくに中身のないことをしゃべりまくって 人を手なづけようとする。
 13. ・・・(みなさんのご意見を)・・・


 原因について マクロとミクロとそのおまけとをたたき台に述べます。
 14. 言わずと知れた《アマテラス公民主導 ‐ スサノヲ市民従属》なる連関制として社会が築かれてしまったから。
 15. この《 A ‐ S 》連関制のもとで やっと本来の主役で主導するはずのスサノヲ市民圏に主権があるとうたわれるようになったけれど アマテラス公民圏による主導体制はいまだにつづいている。その昔は このアマテラス公民には 無謬性が付与されていたわけです。神聖にして侵すべからずに近い感覚で 公務員はあやまつわけがないというけっきょく神話が世の中を覆っていました。
 16. 要するにスサノヲ市民は 阿呆だと思われていた。その長い歴史の影響で おんぶにだっこの甘え癖がついてしまった。これが マクロの観点から見たあほうとばかの製造過程である。


 17. 人と人との関係においては それが特にすでに組織の中にあっては つねに何らかの上下の関係が 権威や権力や権限をともなってでもあるいは伴なわないかたちででも 出来て来る。
 このようにまなざしを上からそそぐ側と下にあってそそがれる側とに ふたりの人間は分かれるのがふつうである。
 18. ならばすでにそのまま人間と人間の関係は ときとしてガミガミ役とアース役とに分かれる。ガミガミ役はところ構わずアース役に対して 自分の意識を排泄するというのが ガミガミの中身を成す。
 19. アース役がこのゴミを受けて処理せねばならない。このゴミ処理に失敗すると 精神衛生上よくないことが起こる。
 20. けれども 感受性のするどくて懐の深い人間に限って このアース役をいつのまにか引き受けている。
 21. ただしアース役になる人間も 別の人間に対しては ガミガミ役に回ることも考えられる。よって世界は意識の排泄なる社会廃棄物とその未処理によって ガミガミ電磁波による感染列島と化す。
 22. この《ガミガミ役 ‐ アース役》連関は むろん言わずと知れた《 A - S 》連関制の擬似形態なのである。これが ミクロの問題である。
 23. 引きこもり役までをわれわれの社会は製造してしまった。《アース役はつらいよ》という大合唱を始めてもよいくらいだ。



 おまけ:
 24. ところが ここまで来ても誰も――愚痴のほかは――何も言わないししない。あほうとばかばかりが目立つ。どうしたことか?
 25. 世の中にこの《 A - S 連関制》のむなしさをちゃんと知っており それでも さらに世の中の無常をさとって この連関制は変わらないと決め込んだ存在が何人かいて その人びとのもとに このひと言で《死》というべきあほばか状態を保とうとする勢力がいるのではないか?
 26. というのは 所謂る陰謀説で どうも実際はそうではなく そのような無常観としての《さとり》が 観念となって・つまりは幽霊のごとくに 世の中を飛び交いまた歩きまわっているのだろうか?
 27. このインフルエンザに人びとは感染してしまっているのか? だとしても ただそれだけではないのか? この認識の瞬間に 悪夢は消えたのではないか。


 とことん自由で建設的なご批判をお寄せください。賛成票をもどうぞ。

A 回答 (18件中1~10件)

類は友を呼ぶ



それだけの事

あなたの 周りだけですよ
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この回答へのお礼

 そうですか。つまり それは ミクロの問題としては そうだというご意見ですね。

 マクロの問題としてはどうですか? 
 それとも 《わたしの周り》というのは この日本全国ほどの《周り》なのでしょうか?


 もっとも マクロとミクロとは 相似形であってしかも連動しているとは見ているからには 決して切り離し得ないのではありますが。


 いづれにしましても すすだ5さんの周りでは 別の《類は友を呼ぶ》が実現しているのですね。見習いたいところです。


 ご回答をありがとうござしました。

お礼日時:2014/04/09 07:02

昔も今もいろいろな人がいます


その観点が抜けてますよ
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この回答へのお礼

 ☆☆(趣旨説明欄) 目立つ場合に極論したらということで
 ☆ したが まだまだ多様性についての考察が足りませんでしたか。

 でも この視点は かなりの情況を――量的にであるよりは質的に――捉えているとは まだ思っています。

 もう少し具体的に反論していただくとありがたいです。



 ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2014/04/09 07:31

 早い話が、政府の陰謀です。



 途中、意味のわからない部分もありますが、14以下の部分などその通りと思います。

 日本はいまだ江戸時代であり、それに気づかせないような教育やキャンペーンが行われているからだと思います。
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この回答へのお礼

 (25)などの陰謀説ですか。まづは ご回答ありがとうございます。

 しかも
 ★ 日本はいまだ江戸時代であり
 ☆ なのですか。士農工商と言うより たとえば《お釈迦さん》という言葉を手形にすれば 何とかその場や社会全体のクウキになじんで行くといった社会体制なのでしょうか? お釈迦さんも さらには言わずと知れた《日本教》のもとに組み込まれているのでしょうか? 

 このクウキは 必ずしも目に見えませんから やっかいなのでしょうね。つまり おそらく――もしこの陰謀説にしたがうならば―― 大元の日本教総本山(そんなものはあるか無いか分かりませんが)は 自分たちの庭で仏教やキリスト教やはたまた共産主義をも泳がせているのでしょうか。


 ★ それに気づかせないような教育
 ☆ 教育は 言葉やかたちに現われますから それを認識すれば 分析し検証し批判をもおこなうことは出来るのだと思えたりしますが なかなかなのでしょうか。

 さあ どうなのでしょうね。

お礼日時:2014/04/09 08:31

「日本人は~」と書いてあるのに「他の国とは比べていません」とは矛盾していると思います。



もし本当にあなたがそう思っているなら、それは単純にあなたが他国の実情をご存知ないだけです。
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この回答へのお礼

 ☆☆(趣旨説明欄) (ほかの国の人びととは特には比べていません)。

 ☆ このように《特には》です。

 すなわち われわれ日本人について言っているのですから それでは ほかの国の人びとはどうかという見方が つづいて出されることでしょう。でも ここに分析したことは 外国がこうだからそうといったような比較から出たものではなく ましてその比較対照をことさらおこなうためのものではありません。という意味で 上のカッコ書きは添えたものです。


 ですから
 ★ それは単純にあなたが他国の実情をご存知ないだけです。
 ☆ と言われれば そうかも知れないとは思います。必ずしも知った上で 言っているものではないからです。

 また それでも・つまり国内の事情を見ただけでの認識であっても それなりにわれわれ自身についての自己了解としての議論に耐えうる内容ではないかと考えています。具体的に反論・批判をお願いしたいと考えます。
 どうでしょう。


 ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2014/04/09 09:02

>>◇日本人は なぜあほうとばかとが多いのか?



某半島の人間と間違えてはいませんか?
それとも、4月1日と間違えたのですか?
エープリルフールは終わったのですが・・・。ヾ(・◇・)
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この回答へのお礼

 言っている内容がこれこれのことかと思い当たる節が見当たらない。というご見解でしょうか。


 それは
 ★ 某半島の人間と間違えてはいませんか?
 ☆ といった見方からのもので たとえ思い当たることがあったとしても それはこの某半島の人間のありさまと比べたら きわめて取るに足りないものなのだ。取り上げるにあたいしない。――こういったご意見でしょうか。


 それとも まったく思い当たる節はない。ええかげんにせえというご批判でしょうか。



 ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2014/04/09 09:34

頭のいい事に大した意味はない。


進化の選択するのは、存続するための能力であり、
個体の頭の良さ=集団の生存能力ではない。

人類が分業や組織化によって、社会生命となった
時点で、単純に個体を比較した能力の高さよりも、
組織になった時の能力の高さ=協調性や思いやり
の方が重要な要素となった。
この点において、日本人は古来、労働集約的な
稲作農耕文化の協調性に、いつも同じ顔ぶれで
過ごす島国文化の日和見が加わり、世界でも稀な
集団主義文化となった。

それが工業化に向いており、アジアでもいち早く
近代化したが、戦後の高度成長における核家族化
や共働き、受験戦争における点取り競争、貨幣制の
浸透による拝金主義化によって、そうした社会性の
高い文化の世代間伝承が阻害され、自己チューな
世代を量産した。
それは、社会人として痛感するし、こうした場における
無意味な(あるいはルールを守らない)自己顕示にも
表れている。

この回答への補足

 入力まちがいをただします。

 第一段落

 
 X 果たて
 ○ 果たして

 末尾

 X レべリング
 ○ ラべリング

補足日時:2014/04/09 11:36
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この回答へのお礼

 方程式を一つか二つに限って使用しているキライはありませんか? ――まづは ご回答をありがとうございます。
 あるいは その方程式が扱う変数が 少なすぎるという懸念です。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
 頭のいい事に大した意味はない。
 進化の選択するのは、存続するための能力であり、
 個体の頭の良さ=集団の生存能力ではない。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《個体のあたまの良さ》は そのまま即《集団の生存能力》であるとは言えないとしても その個人の能力の中に 《その人の属する集団の生存能力》につながるチカラも含まれましょう。

 《あほうとばか》を持ち出したからと言って それらを単純に《あたまの良さ》と区別し これら二項が対立しているとか さらにはその二項図式において世界を見ていることになるとか そういうふうには成らないはずです。

 あるいは数ある多様な人間の能力の内 《進化の能力》こそが すべての世界事象に優位に立っていると果たて手放しで言えましょうか?




 ひとを揶揄することになることは そろそろもう言いたくなくなっていますが
 ★ ~~~~~~~~~~~~~
 人類が分業や組織化によって、社会生命となった
 時点で、単純に個体を比較した能力の高さよりも、
 組織になった時の能力の高さ=協調性や思いやり
 の方が重要な要素となった。
 ~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これについても 別の見方が出来るはずです。微妙にひとつの時間的な方向性において世界を捉えてはいますまいか。

 《思いやりや 助け合いの精神》は もともと人間の心に潜在していたという《そもそも論》における見方も出来るはずです。

 だからそれゆえ 生活は 共同性を持つということを知るようになったのであって この共生性は 何か無理して背伸びしておこなうようになったものではないという見方です。

 けれども 海の幸と山の幸とが・そして田畑のたな(種)つものとが それぞれ交換されるというのは これもまた自生的に出来上がった社会的な分業=(それゆえ同時に)協業の仕組みであって もともと社会的な独立存在であるヒトは 同時に社会的な関係存在でもあったと見たほうが うんと楽であり自然であると考えられます。

 《協調性》と《個人の能力》とは 決して二律背反のものではないでしょう。



 ★ 労働集約的な稲作農耕文化の協調性
 ☆ この助け合いは おもに水の利用をめぐってであり ムラの内外におけるその配分にかかわっていたようです。

 すなわち ひとつのムラの内部では けんかにならないように平等に利水の仕組みをかたちづくっていった。

 しかも ムラの外においては 上流のムラと下流のムラとのあいだで 旱魃にでもなれば 水の奪い合いが激しくなり とうとうわづかの水をも吸い上げられた下流のムラは その上流のムラに対して 戦争をおこした。つまり殺し合いになっても構わないという覚悟で 奪い合いに応じたとも伝えられています。




 どうもひとつの直線としての方程式を持ち出しすぎではありますまいか。



 ★ 世界でも稀な集団主義文化となった。
 ☆ お隣の国々は言うに及ばず ウクライナやロシアを見ても けっきょくそれほど日本の突出性が目立つわけでもないのではないか。




 ★ ・・・こうした場における無意味な(あるいはルールを守らない)自己顕示にも表れている。
 ☆ これには 真っ向から反対します。

 ルールを守れば 自己顕示なる行為ではないのか?

 他人(ひと)のいやしくも意志行為について 直線的な線形のひとつの論理でのみ社会を捉え世界を認識したと説く発言のどこから 《無意味な自己顕示》といったレべリングが出来ようものか。


 たとえ未熟な世界認識にもとづく自己顕示なる行動であったとしても これを その中身において受け留め 一つひとつの推論や判断について見方を述べ伝えてやって初めて 話が始まります。そういうことに顧慮するような《社会生命》の欠如が われら日本人におけるアホバカ状態の原因ではありますまいか。



 顔の赤らみが引かず恥づかしみの極みにもかかわらず それを押して 言わずもがなをならべました。

お礼日時:2014/04/09 11:15

せいぜい半径3mくらいだと思います



何せ ただ アルファベットを並べたssdaを わざわざ すすだ と読むくらいですから

まっ 他の人は その後ブロックしてる人も居るので 其処は あなたの方が少しは利口だが・・

運営に削除されても 自分の意思を伝える事は 必要な事ですね(*^^)v
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この回答へのお礼

 家は もう少し幅があります。ので
 ★ せいぜい半径3mくらいだと思います
 ☆ これを もうちょびっと広げてくれますまいか。5メートルとか10メートルとかに。


 ところで マクロの見方は どうなりましたか?



 すすだ5さん ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2014/04/09 11:20

具体的にと言われたので



> 1. きわめて話し下手である。
人による
饒舌という言葉がある事からも、昔から口が達者な人が居る

> 2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。
1によって否定される

> 3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら むしろ何のためらいも無く声をかける。
人による

> 4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りには席をゆづる。
人による

> 5. 報酬が決まりより多く支払われると 突き返す。決まりとは違うという意味らしかったが 怪訝な顔をして 突き返す。
そのまま受け取る人も居ます
律儀に守る人が多いという意味では合ってるとは思いますけどね

> 6. こちらが勘違いしたりほんとうに間違えたりしたとき こちらがあやまると いいえこちらこそ気がつきませんでと応え返す。
人による

> 7. (1)(2)より:外国人に話しかけられても 何も言えない。あほうとばかとを掛け合わせたように ただしにこにこ顔で だまっている。
日本人ではない場合は外見的に違う所が多いので
どう対処していいか分からないだけかと



> 8. ぺらぺらべらべら しゃべり過ぎる。ところが中身にとぼしい。
人による

> 9. 相手の粗さがしを考えている。
人による、というか昔も居る

> 10. 道は相手がゆづるものと思っている。
人による

> 11. かっこうをつければ人は 自分にしたがうものと思っている。
ただのおかしな人だと思う
そんな人はめったに居ない

> 12. とにもかくにも あほうとばかとを掛け合わせたごとくに中身のないことをしゃべりまくって 人を手なづけようとする。
これは意味が分からない

すべて人によって違う事で、昔もあったし今もある
個人主義的傾向はあるけど、それは昔もあった事で
全体的に傾向を出すほどの内容は無い
さらに言えば、行動内容が個人的すぎて
昔の人がどう行動したかの資料が出ないと思いますよ
残ってるのは規範としてこう行動しましょうという内容だと思いますが
実際に昔の人がどういう生活状態だったか、確認出来る資料をお持ちなんですか?
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この回答へのお礼

 にっくねーむがないさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。


 いちおう 反論風のお応えをしてまいります。

 1.
 ★ 饒舌という言葉がある事からも、昔から口が達者な人が居る
 ☆ もちろん そうです。そして ただし この饒舌な日本人の場合は――これは 量として必ずしも多くはないと思いますが それは別として―― けっきょくあまり《目立つ場合》として取り上げるには及ばない。のではないでしょうか。

 つまり言いかえると 《口数の少ない人》が 目立ってひとつの特徴的な社会現象だ(だった)と言えるのではないでしょうか。


 > 3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら むしろ何のためらいも無く声をかける。
 ★ 人による
 ☆ ですから ここでこのことを取り上げたのは 寡黙な人たちがそれでもそれぞれ 困っている人を助けようとするとき行動に素早く移る。このことは 特筆にあたいする。と考えるからです。どうでしょう。



 > 4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りには席をゆづる。
 ★ 人による
 ☆ たとえば近所の人びとや 町のバス・地下鉄などの交通機関で 数十年のあいだ人びとの様子を見て来て かなりの程度でその違いがみとめられる。ということを言いたい気持ちがあります。
 
 ただ単に《人による》と言って 一般的な見方をして済ませるには 世相の変化は大きい。

 ですから・ただし この認識は わたしの狭い範囲での観察にすぎませんから みなさんにも尋ねているというかたちになります。



 > 5. 報酬が決まりより多く支払われると 突き返す。決まりとは違うという意味らしかったが 怪訝な顔をして 突き返す。
 ★ ~~~~~~~~~~~~~
 そのまま受け取る人も居ます
 律儀に守る人が多いという意味では合ってるとは思いますけどね
 ~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これは 大事な事柄だと思うところで 意外(?)と 昔の人の気質が分かってもらえたのでしょうか。



 > 7. (1)(2)より:外国人に話しかけられても 何も言えない。あほうとばかとを掛け合わせたように ただしにこにこ顔で だまっている。
 ★ 日本人ではない場合は外見的に違う所が多いので / どう対処していいか分からないだけかと
 ☆ これは そういう受け取りでよいかと思いますが そのあとの部分について 注目して欲しいところです。

 7. ・・・ただし困っている様子をみたら 自分がパニクったごとくその人のために何とかしてやろうと奔走する。
 ☆ たぶん (3)と同じだから 触れておられないのでしょう。




 総じて言って
 ★ 全体的に傾向を出すほどの内容は無い
 ☆ というのと 有るというのとで 見解が違っているようではあります。



 ★ さらに言えば、行動内容が個人的すぎて / 昔の人がどう行動したかの資料が出ないと思いますよ
 ☆ わたしは 《道をゆづる》問題が いちばん 特徴となると思っています。けっきょく他人(ひと)の話を聴くかどうかですから。ひとの意志をとうとぶかどうかになりますから。人間性の重要部分にかかわると思われますから。



 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
 残ってるのは規範としてこう行動しましょうという内容だと思いますが
 実際に昔の人がどういう生活状態だったか、確認出来る資料をお持ちなんですか?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 ☆ これは いまこの問いにとっては 《資料》の問題ではなく 《規範としての行動》という問題には持って行きたくないと思っています。

 ふつうの生活において自然にふるまった結果について比較対照したほうが 有意義ではないかと考えます。

 規範にかかわるのなら ふつうに思想を取り上げて議論すればよいと思うゆえですが どうでしょう。





 

お礼日時:2014/04/09 21:24

 自分は、ここをこうすれば良いなどという意見は出せないので、また感想(間奏)にとどめます。



>組織になった時の能力の高さ=協調性や思いやりの方が重要な要素となった。

には賛成できかねるんですよ。

 円滑に動作する組織には2つのステレオタイプがある。一つは協調性や思いやりを全く排除したルール(行動指針)のみに、徹する組織。ルールは、その組織の目的を至上とする。言うなれば軍隊ですね。

 もう一つは、協調性や思いやりを考慮しなくたって、周囲との摩擦が起こらないように周到なルール(行動指針)を定め、明文化した組織。組織の行動指針(マニュアル)に従えば結果として、協調性や思いやりを考慮したかのようになる・・・。これは恐らく、組織論的に理想的な官僚制です。

 そしてどちらのタイプも、現場の個人には協調性や思いやりへの志向を求めない。例えば前者だったら、「生き残りたかったら、協調しろ!」となるが、その真の目的は「多勢で無勢を叩きのめせ!」という事だ。それが戦術的にベターな判断だからだが、どちらも協調性や思いやりという鬱陶しい判断から個人を解放する(のかも知れない)。だからこそ効率的に動作する。


 中公新書のけっこう古い本に、日本人の精神構造みたいのがありました(正確な書名は忘れましたが)。そこで印象的だったのは、戦前の日本の軍隊は組織ではなかった、という意見です。つまり行動指針が不明確で場当たり的で、首尾一貫していない。ルールの明文化は玉虫色になっている(・・・我々はけっこう得意ですよね(^^;))。

 では本質的な行動指針は何かというと、あなたの言う「空気」だったと。それがトップレベルでは、暗黙の合議制になる。だからそれが、やれば負けると知りながら太平洋戦争を始めた理由だと、著者は喝破します。その結果、戦後のGHQは戦争責任の明確な責任主体を見つけられなくて、A級戦犯を捏造(?)する必要に迫られた。

 もちろん東条英機に、A級になるだけの理由はあった。でも当時のドイツの自殺した強烈なカリスマと比較すると、確かに雲泥の差だ。少なくともGHQは、戸惑いはしただろう。

 日本の軍隊も、日本という国家も、組織論的観点からは円滑に動いていなかった。そのツケは全て、協調性や思いやりを強いる個人への負担となる。先の著者は、旧日本軍にはよく温情軍曹がいたから、戦前の軍隊は非人間的でなかったなどという意見があるが、大きな間違いだと喝破する。軍曹とは、現場および新兵に対する、組織の目的を体現した鬼指揮官です(通常の感覚では)。

 「空気」によって動き、個々人へ協調性や思いやりを強いる組織だったからこそ、温情軍曹というアース役の出現が必要だった。そうでなければ、組織として機能不全に陥った。


 個人的には、あながち嘘とは思えません。
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この回答へのお礼

 軍事や外交や現代史が苦手なわたしです。

 でーでーてーx3さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
  >組織になった時の能力の高さ=協調性や思いやりの方が重要な要素となった。

 には賛成できかねるんですよ。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ わたしとしては 《個人の能力》と《協調性》とが決して二律背反なのではないと書きましたが 組織によって・もしくは日本人の組織によれば 手放しでそうとは言えない。という論旨で話しておられると思います。


 
 そもそも
 ★ 日本の軍隊も、日本という国家も、組織論的観点からは円滑に動いていなかった。
 ☆ という大問題を提起されました。

 ムラの中で 稲作にあたってみんなに平等な水利の仕組みを敷き 人びともこれを守るといった協調性のほかに ムラどうしのあいだでは 上流と下流とで どうしても生活ないし命をかけた水争いが 水不足の折りには 起きたと言います。

 まぁ これも ムラという集団を単位とすれば そういうかたちの集団主義だとも言えるかも知れませんが 協調性や民主的な話し合い主義の現実性にとっては まだまだ道遠しの感があります。

 その上 軍隊も国家じたいも 協調性をめぐって その組織にはどうも複雑な問題がある。という趣旨になりましょうか。


 集団か個人かなどといった論点にさえなり得ていないような・強引な組織の運営が見られるといったことでしょうか。
 ★ そのツケは全て、協調性や思いやりを強いる個人への負担となる。
 ☆ 権力ないし権威そして権限のチカラがものを言うかぎりで むしろ上から協調性がおしつけられる側面もあって 問題なのだと。

 ★ 軍曹とは、現場および新兵に対する、組織の目的を体現した鬼指揮官です(通常の感覚では)。
 ☆ というタテマエのもとに ただしそのタテマエをクウキと権限で守らせようとするとき それだけではなく
 ★ 「空気」によって動き、個々人へ協調性や思いやりを強いる組織だったからこそ、温情軍曹というアース役の出現が必要だった。そうでなければ、組織として機能不全に陥った。
 ☆ すなわち いわゆる集団主義的行動の特性によって 組織が一致団結して動いたというには 現場が分かっていないのではないか?

 社会的組織内的な心のゴミを処理する係りがいたんだと。必然的に誰かがそのアース役を引き受けるようになっていくのだと。



 

 あとは 《洗脳》によってでしょうね。

 人びとは どこまで《信じた》か? これは いやいや人びとは ウソをお見通しであった。けれども そこを《信じた振りをした》のだという調査報告もあるようです。(加藤周一の本で読んだ記憶があります)。

 となると やはりガミガミ役の下にあって アース役がいたという問題も うかびあがってくるようです。





 
 ★ 組織論的に理想的な官僚制です。
 ☆ これにつきましては わたしは 知識不足・ちから不足です。

お礼日時:2014/04/09 22:00

英語では同じ「知性」を厳密に別けて使う事がある。



1:「an intelligent student」のように単に能力(処理スピードなど)に使われ、IQ test は「intelligence test」である(intelligence派)。逆に、
2:「intellectual tastes」のような形容詞は「強い好奇心や優れた創造的思考で、クリエイティブな仕事に従事しているイメージ」がある(intellect派)。

ーーーーー

【頭のいい事】に大した意味はない。生命の進化で選択されるのは、【存続するための能力】であり【個体の頭の良さ=集団の生存能力】というイコールの式は成り立たない。

人類が分業や組織化によって、社会生命となった時点で、単純に個体を比較した能力の高さよりも、【組織になった時の能力の高さ=協調性や思いやり】の方が重要な要素となった。


この点において、日本人は【古来、労働集約的(=皆で決まった年間スケジュールに合わせて作業する光景)な稲作農耕文化の協調性】だけでなく、【狭い島国ゆえの、いつも同じ顔ぶれで過ごす島国文化の日和見主義(=周囲を見定め、権力のある方に身方する、という傾向)】が加わり、【世界でも《稀な集団主義》文化】となった。



それが、たまたま(明治時代頃から)工業化(=大量生産)に向いていたので【アジアでもいち早く近代化した】が、第二次大戦の戦後の【高度成長における核家族化や共働き、受験戦争における点取り競争、貨幣制の浸透による拝金主義化】が原因で、伝統的に続いていた【社会性の高い文化の世代間伝承が阻害】され(=日本的良い文化の崩壊)、

結果として現代で活躍しているようにみえる【自己チュー(=目先の利益に釣られるだけで社会性の欠如した全体を仲間であると意識できない、欲望レベルが低下した状態)な世代を量産=『人間の失敗作が多数派になった事を意味する』】した。


その『人間の失敗作だらけ現象』は、【社会人として仕事の中でも、痛感する】し、こうしたネットの助け合いサイトにおける【無意味な(あるいはルールを守らない)自己顕示にも『人間の失敗作だらけ現象』が表れて】いる。
ーーーーー

英語では同じ「知性」を厳密に別けて使う事がある。
1:「an intelligent student」のように単に能力(処理スピードなど)に使われ、IQ test は「intelligence test」である(intelligence派)。逆に、
2:「intellectual tastes」のような形容詞は「強い好奇心や優れた創造的思考で、クリエイティブな仕事に従事しているイメージ」がある(intellect派)。

つまり【学校で劣等生ならば「2」の傾向が強く、社会に貢献できる人材である場合が多く】、実際の社会では【「1」のみを高める日本の学校教育の失敗作が社会で多数派】であり、偉そうにして、どこもかしこもウヨウヨいるのが現実である。
ーーーー
なお、当サイトでは「議論目的と思われる、【議論を誘因する投稿は、お礼欄・補足欄に限らず、全面的に禁止】されており、もし、【議論もどき】のお礼文で思索に励む知的アクセサリー派(intelligence派)を見つけたら、直ちに通報しましょう。我々会員が全体として動かねば、当サイトの趣旨である、助け合いの情報交換の場、を維持できず、いずれ公的機関からの指導を受け、ニュースになることでしょう。」。私は既に関係当局と極秘に連携して行動計画を作成中ですので、当サイトのCEOは、かなりの信用を失うことになるでしょう。

この回答への補足

 ☆☆(お礼欄) No.6のお礼欄に述べた内容については まったく触れておられません。

 ☆ このように相手の応答を無視する態度が すでにたぶん十数回つづいています。

 こんど同じ態度で投稿を受けたときには もうそれは 人間であろうとしていないと見なします。

 人間であろうとしていないのだから こちらも 無視しても構わない。こうなると判断します。

補足日時:2014/04/10 09:00
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この回答へのお礼

 No.6のお礼欄に述べた内容については まったく触れておられません。

 言いかえると また同じことを お応えとして 書き込まなくてはなりません。

 この二重手間をはぶく省エネ質疑応答の仕方をおゆるしください。




 ★ intelligence / intellect
 ☆ どちらも 同じ語からの活用形ですよ。現在分詞と過去分詞と。分かりつつあることと分かったこと。
 もっとも 実際の使用例における互いのニュアンスの違いは よく知りません。


 なんとかしっかりとお礼をと思って 拾い上げ取り上げているのですが
 ★ 人間の失敗作
 ☆ この表現は 文学のものです。定義を決めずに主観的な意図とねらいのもとに表現したあと その反応をさぐり 結果が受けるならよいというかたちで 出して来る表現の仕方だと思います。つまり 哲学としては 意味が定まらないと思います。というより ただ感情的な意識の排泄として 言っているように思えます。



 色よいご返事が出来ずに すみません。

お礼日時:2014/04/09 22:19

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