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音楽でも小説でも、スポーツでも良いのですが、何かやっている人、そのモチベーションはどこから来ますか?

当然、好きだから、が一番だと思いますが

好きだから、の人はそれの何が好きなのかを教えてください

ただそのものをやるコト自体が好き、という最強の好きを持ってる人は一握りだと思います

その他の人は、うまく出来た時が好きだったり、時間の合間にちょこっとやるとストレス発散になるから好きであったり、優れたものが出来た時にそれによって得られるものが好きであったりだと思います

でもその場合だと必ずモチベーションが低下してやりたくない時が来てしまいます

そんな時でも尚創作活動にむかえるようになるモチベーションはどうすれば沸いてくるでしょうか?

都合の良い質問かもしれませんが、思い当たる回答がある方お願いします

A 回答 (9件)

モチベーション(動機)というのはそれをやりたいという気にさせるなにものかですから、一番わかりやすいのはプロフェッショナルの動機である報酬、対価を考えればいいのではないかと思います。

それ以外にもアマチュアにおける金メダルのような、社会的な名誉がありますね。しかし若いエリートの引退ニュースにも見られるように、どんなに報酬を積んでもモチベーションが途切れることはあります。おおかたは疲れた、肉体的な限界を感じたというような理由ですが、基本的には、これ以上どれほど精励しても上位が望めないという意味での限界からの引退だと思われます。もちろんいい意味では自分が目標とした地点に立つことが出来たという達成感もあるでしょう。
上記のことから考えれば、ひとの特別な行動を促すモチベーションは、やはりその人の目的とその位置への達成度の差、それを埋めるための努力が報われているかどうか、今後その努力に対する目に見える向上という報酬(達成感)が得られるかどうかという期待度によるのではないかと思われます。その期待度が0になればモチベーションはなくなってしまうでしょう。
つまり、モチベーションを維持するためには、絶えず目標を自分が達成可能な範囲に設定し、それに向かって近づいているという気分を維持できればその努力行動は維持できるということでしょう。
実際の例をあげると、単にだらだら英語会話教室に通うのではなく、ひとつの目標を立て、たとえば1年以内に準2級の検定合格をめざす、というふうに設定すれば、その努力を維持することができるのではないでしょうか。準2級がパスできれば、今度は準一級を目指すというふうにすればいいのです。
小説書きはいろいろテーマを持っていて、こつこつそのテーマにかなった作品を作っているようです。あまり完成する可能性の少ない長編には挑戦せず、短編を何ヶ月かで完成させるということでしょう。その達成感がまた次の作品をつくりたいという動機にもなるとおもいます。体力に自信があれば長編もいろんな段階を踏んで作っていけば、その段階を超えるとそのつど喜びがあって次の挑戦へのあとおしをしてくれます。
要はただぼんやりと小説家になりたい、というような具体的な目標とはいえない目的ではいくらがんばっても達成度が目に見えて感じられないために、挫折してしまうのではないでしょうか。
ご参考になれば。
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この回答へのお礼

絶えず目標を自分が達成可能な範囲に設定し、それに向かって近づいているという気分を維持できればその努力行動は維持できるということでしょう。

自分の場合、まさにこれだと思いました
何度も色んなところで言われていることなのにすぐ忘れてしまうんですね・・・

ありがとうございました

お礼日時:2014/05/07 18:49

>ここで言う性的エネルギーとは例えるならどういうものになるのでしょうか?



すみません、高校時代の倫理の資料で見ただけなので具体的には分かりません。
性的衝動という風に書いてありました。
詳しくはフロイトの著作に書いてあるかもしれません。

想像ですが、ただの性欲から、異性に持てたいとか結婚したいとかそういうのもあるのかもしれません。
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この回答へのお礼

そうですか
ありがとうございました
リビドーのことかもしれませんね
何かに突き動かされる力
とりあえずそう解釈してみます

お礼日時:2014/05/09 08:45

昇華という言葉があります。



http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/107572/m0u/ …
しょう‐か〔‐クワ〕【昇華】
3 精神分析の用語。性的エネルギーが、性目的とは異なる学問・芸術・宗教などの活動に置換されること。

提供元:「デジタル大辞泉」

この昇華という考えが正しいのかどうかは分かりません。


私が昔創作したときはその作品がある意味愚痴でした。

この回答への補足

ここで言う性的エネルギーとは例えるならどういうものになるのでしょうか?

補足日時:2014/05/08 23:02
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それの何が好きなのか。



努力が報われるからかな?
人の笑顔が見れるからが、対価だと思います。
自分が頑張った分だけ、人の笑顔が増えるなら踏ん張れます。

それと、自分が高まって行くのに非常に心地よさを感じるから。
夢を叶えて行くのが楽しいから。


モチベーションは、基本ネガティブモチベーションと
ポジティブモチベーションがあります。

どうしてもやらなければならないから、やり続ける。
その時、自己内部で不平不満を募らせたり
言い訳や逃げに走り始めるとモチベーションは下がると思います。

ネガティブモチベーションを超えていかないと
真のポジティブモチベーションは維持できません。

やらなければいけない中から、やる喜びを自分から見出し続けると
永続的なポジティブモチベーションに変えられる時が来ると思います。

嬉しさで舞い上がっていただけのポジティブモチベーションは
永続的では、ありません。

今思うに、モチベーションが下がらないのは「逃げない」事と
人とのかかわりの中で、応援してくれるひとが居続けるからだと思います。

自分自身といいかかわりを持ち、他の人ともいいかかわりを持ち続ける。
その充足こそが、高いモチベーションを維持できるように感じます。

自分との摩擦や、他者との摩擦を解消して行くことで
エネルギーは自らの行動へ十分に向けていける。
余計な負荷を取り除いて、エネルギーロスを減らすとこからでしょうか。
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NO4に付け足しです。



それ自体が好きならば、創作活動によって味わう苦痛などは苦になりません。そもそも、それを苦痛だと思うことができない、そういう発想がない、できない。

愛する○○のためならば、たとえ自身の心身の健康を犠牲にしても、そのことを後悔しない。
といいますか、犠牲にしているとすら思わない。

○○に、文字通り、命を捧げたりする人がいるのであった。
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☆そんな時でも尚創作活動にむかえるようになるモチベーションはどうすれば沸いてくるでしょうか?


◇強いハングリー精神ということになるのではないでしょうか。
名誉や名声、喝采、富などへの、貪欲なまでの渇望、執著さえあれば、モチベーションは維持できると思います。
もっとお金が欲しい、他者からもっともっと尊敬されたい、もっといい女を抱きたい、もっといい車に乗りたい、もっとうまいものを食べたい、
というような思いさえあれば、
そして、自らを叱咤激励し、鼓舞さえできれば、
たとえ、創作活動がそれらを獲得するための手段であったとしても、
それがどんなに苦痛に満ちたものであっても、
創作活動を続けられるのではないでしょうか。
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 こんにちは。



 意識していることとしては まづ 先駆者の作品の中で 自分に合ったものを見つけ その完成度を初めは目指すということ。これが 好きという推進力のほかには 大きいのではないでしょうか。(重なってもいますが)。

 先人は ひとりとは限らないわけで いくらかの人の作品からインスピレーションを受ける場合もあるはずです。

 あるいはどうも嫌いだという先人からも 意外と何らかのかたちで触発を受けることもあるはずだと思います。






 そうこうして試作しているあいだに分かってくることは はじめは意識に上っていなかったのですが やはり自己表現という主題であるはずです。

 自己を――自己の内面なるものすべてを――表現し切れているか? といった問いとその問い求めとを持つようになると思います。
 
 つまりあるいは 自己をうまく表現し得ているか? という課題です。



 この課題を持ったなら 試作〔の段階では 何度も同じ作品にかかわって こうぢゃない ああでもないと 数回から二三十回の試作〕を おこなうに到るのではないでしょうか。






 ですから
 ★ 創作活動のモチベーション・・・はどこから来ますか?
 ☆ 先人の作品の良さに触発されて 見よう見まねでこころみようとする気持ちからでしょうね。


 ★ 尚創作活動にむかえるようになるモチベーションはどうすれば沸いてくるでしょうか?
 ☆ 創作とは いくら先達の作品を目指すと言っても やはりおのれの持つチカラとセンスをどう出し尽くすかにかかっている。つまり あとは どこまで行っても 自己表現という主題になると思われます。

 そこには どう表わすかの問題意識が芽生えています。すでに持っています。

 これで 創作を続けなかったなら 好きではなかったのでしょうし 自分にはその活動は向いていなかったということだと思います。




 この自己表現なる主題は 一般には言葉で理解できるような思想においてその成果が現わされると思います。

 その思想は 言葉によるほかに 音楽でも絵画でも 文学や芸術そしてスポーツといったいろんな分野でも表現されるということだと考えます。
 
 (文学は 言葉によるものですが その作品のひとまとまりを通して 結果として思想を表わしているかたちです。
 言いかえると 直接には思想を表わしていません。
 作品の中で 部分的に或る程度まとまって思想そのものを著わすという場合もあり得ますが おそらくその論文が完成しているとは限らないものと思われます)。





 その自己表現つまりそれは 作者の主観内容のことにほかならないわけですが このように表現された主観内容が ほかの人たちから迎え入れられるなら 共同の主観となって行きます。共同主観なる思想。共通感覚を持ち得たといった経験。あるいは これが 常識の一部になる。といったことです。
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認識をベースとして、自覚的に生きる生命にとって、


生きる喜びとは、自己の可能性を活用している事を
感じる事である。
周りの状況に流されたり、他律的に使役されたり、
惰性的に活動している時には、意志は働いておらず、
認識は活性化していない。

そうした喜びは、結果に対する他人の評価ではなく、
困難を乗り越える事自体であり、「優れたものができ
た時だけ喜びがある」という事はない。
優れたものができないのも、優れたものを作る過程
であり、より大きな困難である事を意味する。
登山は、楽に登るために登るんじゃない。
楽に登れるのは、逆につまらないのだ。
より高い山、より切り立った岩壁、困難であるほど
それを乗り越えた喜びは大きい(それは未踏峰だか
らとか他人に評価される事とは無関係に)。
困難だからといってモチベーションが下がるのは、
肉体的惰性に支配されているのだ。
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仕事でも些事でも 遣る気に持って行くのが大事



所謂 乗ってる時には 良いものが出来る

エンジン掛けるには 広がる題の読書・異界の閲覧・良い会話・散歩

自身を追い詰める手もある 寸寝の夢にアイデアが浮かぶ と云う事は緊張の醸成か
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