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見て頂いてありがとうございます。
誤解が生じやすいようでしたので、表現を変えて再投稿です。
意見に至るまでの、個々の内的手順の違いについての質問です。

体感→思考(日常的思考パターン)→意見

考えに詰まった時
自分の意見・見解の提示→人の意見を聞く→気に入った意見の部分または全体の採用→新たな自分の意見

今のところ、様々な意見を拝見してますと
このような構図が多いのではないかと推察しています。

個々によって、自分の意見を発するまでの道順の違いが
有るように感じましたので、皆様の日常の内的手順を
教えていただけたら助かります。

正解・不正解はありませんし、単純・複雑に良し悪しもないと考えています。

指南や意見を求めているわけではありません。
内的動向の手順が、どのような順番で日常どのように行われているか
個人差を理解したいと思っての投稿です。

流れとして知りたいので、フィードバックの場合などは
こちらで解釈しますので省略されて、大きな流れとしての手順でお願いします。

よろしくお願い致します。

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A 回答 (11件中1~10件)

おはようございました!


実に気前がいい私は、気前のいい人にお世話になるのが好きです。
寂しい人が増えたら私まで寂しくなって嫌なんだもん。


思いついたので又カキ子します。

生命の歴史と共にある潜在能力
近接受容器→触感、味覚
遠距離受容器→聴覚、視覚、嗅覚

人間にはまだまだ
全体受容器→想像力(超越論的主観)、未可能な行動力がある。

行動力は感官の志向性の主張を超えている。
なぜなら時間は全方向に同時に流れ、
今のこの瞬間は行動全体(永遠)の動きに少しの矛盾がない証になっているから。

問いの中に答えがあるとして連想していくと、部分から全体を推測することもある。
どこまで超越させれるかという想像力ですね。
有限の肉体は今にしか存在しないけど、想像することで精神はどこへでもいけちゃいます。
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この回答へのお礼

お久しぶりです。
お心遣い、変らずの優しさがとても嬉しいです。
人は一人ではないと、有難さが心に沁みます。


潜在能力として持つ、五感としての受容器の働きは
それが持つ単純性という特性の感覚でありますよね。

もし、それらが損なわれることがあったとして、その感覚は見えないとしても
そのことに対しての他者の想像や体験の再現は割と容易ですよね。

超越論的主観が感じ取れる受容器は、自己理解から発展する自己統合が
その受容器を機能するように持っていくことが出来るかの問題になると思います。
一定の条件下でのみ、機能するものでありますから。

それに伴いmiko-desiさんの言う所の「未可能な行動力」は
十分に可能な行動力としての働きを有します。
自己に矛盾が無ければ無いほど、可能度は上がります。

その場合、行動力は感覚の志向性により示すものに忠実な限り
その主の望む要求を叶える従者となります。

その時に問うことが重要になると、私も思います。
いわゆる哲学的批判ですよね。

超越は、どこまでとも言えるし、どの部分とも言えるし
どれだけとも言えるかもしれません。
内面に物理的限界は無い(今は感じていない)ので、確かに何処へでも行けます。

miko-desiさんも、私と同じように自己超越という山を登ってあるのかと思います。

同じ山を登るのに、同じ道をたどるとは限らないのが面白い所で
miko-desiさんは、miko-desiさんの道を表現してあり
私は、私の登っている道を表現してみました。

miko-desiさんは、吉田ルートのようでしょうか?
私は御殿場ルートか、ひょっとしたら知床岬を目指すように
道無き道を分け入っているのかと思うこともしばしばです。

これが正しいという道はなく、自分が歩く道しか無いのかもしれません。
先人の歩いたであろう風景が、残された道標で時々みえるだけです。


自己超越は心技体の心であり、技を得て体と成します。
技が足りないようです。
ネゴシエーションと浮かんだので調べました。

確かに交渉力は、無いに等しい(笑)と自分でも理解できます。

どうやって身に付けて行くか。
王道は何処で手に入れるか。
一歩一歩でありますね。

自己確立の道も、まだまだ続きます。
まだまだ自分、渋柿かも? >_<
ああ、熟したい。。。。。


回答、参考にし検討させていただきます。
新しい発見が観えてくることも在るやもです。
いつもありがとうございます。

お礼日時:2014/06/25 17:58

考えに詰まった時質問すると外的手順でね、がね!


回答だけじゃなくて
どこぞの誰かはわからねど鏡となって私を知らせてくれてる。
それに刺激され影響を受けた内的手順が出てきて
自己満足的に楽しい~~♪

>人間は、月のように人の周りを回ることを卒業し
>自分の軌道を描けるようになった時に
>自分の世界が確立していくのかもしれません。

> 自分という引力が、相手という引力と関わる時
>お互いの引力の調和で、新たな未来が開けてくるように思えます。

>人間は、素晴らしき生き物だと思います。
>未来は拓ける。。。

あぁ変態星?の引力に負けません、憧れたりしませんように。

それにしても
何か昨夜幻覚を見た気が…疲れてたんかなぁ。

この回答への補足

変態さんトピ、見させてもらってます。
回答には至りませんが、非常に楽しいです(^ ^)

いくつか参考になり、調べたら私の理論構築に役立ちました。

哲学は手段を変える構図として役に立てることができると
私は思いますが、そこに至らないのは発想の違いだけでしょうか?

考えるだけでは勿体無いと言うか、楽しさ半減以下と言うか
知識や知恵は使ってなんぼと言うか。
人間、そこしか勝負所ないだろうと言うか。

理解に至らないもどかしさがあります。

一つだけ分かっているのは、過去の体験から
やらないと何も変えることはできないと言う強い自覚。
どん底から這い上がった者の強さでしょうか?

死を目前にすれば、強い決断はできますが
誰しもがそこまで行かなくてもいいのではと思います。

手段か、システムか、ひっ迫か。
全部あってもいいですね。
多くの選択肢はいいものです。

疑問は書きながら考えるので長くなりました(^◇^;)

補足日時:2014/06/02 02:57
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます(^ ^)

鏡に写るのが見えて、引き出されているのを理解していれば
世の中なかなかに楽しいですよね♪


>あぁ変態星?の引力に負けません、憧れたりしませんように。

変態星ではなく、まっとうなカタギの人達です(笑)

普段の生活において、「あの人が・・・」「この人が・・・」と
人を否定せず、自分のやることを地道に貫いてる方との
互いの協力を伴う社会構築ですね。


幻覚とは、かなりのお疲れか寝ぼけたかでしょうか。

しかし、認識にそこまで自覚がある人が
ここに来られているとは驚きです。

哲学やっても、認識を知覚に持ってくる作業は
多くの人を見ていても難しいのかなと改めて思います。
手順が哲学にあっても、それさえも読み解かなくてはならないですかね。

心理学のほうがシステム化されてる分
ずっと簡単に作られてはいますが。

考えを絞り出さないと、世の中進みませんねぇ。。。

お礼日時:2014/06/02 02:20

「お疲れ様です、これはこればかたじけのおございます」


「ふーふー、ズズッ」

白湯を飲みながら少し話しますね。
この白湯が相互理解のための第三の場を作ってくれてるんよね。

哲学は考古学のごとく堆積した地表を掘り下げ
埋もれている真理(根拠を探る)作業だと思います。

そして表現をいかに効果的に粋にすることが出来るか、
詩や俳句のような言葉の芸術だとも思います。
私はまだまだです。

哲学者に名言が多いのは複雑そうで実は単純なものだった
という世界の種証しをしてしまってるから。

「固定観念や錯覚」の隙を突き、みごと観客を騙すのも職人芸なら
仕掛けを見抜くのも経験を積んでこその職人芸。
熟練者の真似が簡単であるほどワクワクして、馬鹿も忘れて?

しかし現実は厳しく、欺瞞じゃ可愛くもないし
見かけを真似するだけじゃその言葉の味わいを堪能できないようになってます。
絵に描いた餅。

私なんか本当にまだまだです(と繰り返し言ってみる)
おかわりしていい?

この回答への補足

人間は、月のように人の周りを回ることを卒業し
自分の軌道を描けるようになった時に
自分の世界が確立していくのかもしれません。

自分という引力が、相手という引力と関わる時
お互いの引力の調和で、新たな未来が開けてくるように思えます。

人間は、素晴らしき生き物だと思います。
未来は拓ける。。。

補足日時:2014/05/30 21:08
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この回答へのお礼

ササ、ドゾドゾ♪ (*`▽´)_旦~~
補足返信、ありがとうございます。

その見地、おっしゃる事はよく分かります。


>哲学者に名言が多いのは複雑そうで実は単純なものだった
>という世界の種証しをしてしまってるから。

言ってることが分かるまでは、何を言いたいかが
本当に掴めないことも多いですし
分かった途端、そのものズバリ言ってるだけってのも
自分にとっては最初、なんだか不思議な感覚に思えました。


>「固定観念や錯覚」の隙を突き、みごと観客を騙すのも職人芸なら・・・
>・・・絵に描いた餅。

ここは、私はこれからでしょう。
助言、参考とし留めておくことにします。

先は長そうですが人生も長いので、自分の伸びしろと楽しみでもあります。
人間も人生も、実に奥が深いものでありますね。
ガッツリ長生きして、人生を存分に楽しんでいこうと意欲が出ました。

絵に描いたような、単純な人間ですので
人間の深み、生きる侘び寂びを身につけて行きたいですね。
とても時間がかかりそうです(笑)

かなり自分のことを分かってきたと思っていたら
ここへ来て自分への取っ掛かりが、やっと今かもしれないと
思った次第です。

人生、本当に何が起きるかわからないものですね。

お礼日時:2014/05/30 20:51

ワクワクに従うですね。


解読に骨を折ること(ばかり)ありますけど、
「あわてない、あわてない」です。

生体免疫システムは法則の逆を行っちゃうことがあるんだもの。
もう数式アレルギーがある私は何か必要があってのことかもしれない。

kanto-iさんの人柄に甘えて一休みに来ました。
あ、お茶より白湯がいいです。人肌の。

この回答への補足

理解と思考を、整理しなおしました。
目を通してもらえて、意見を頂ければ幸いです。

謎は謎のまま、理解に及ぶまで観察し
情報や知識を積み重ねていく。
やがて理解が訪れて、その理解により思考していく。

それが自身としての理解であり、自身としての思考を手にしている。


こんな感じになりました。

私は、自分の理解や思考を大きな勘違いの元
長年過ごしていたようです。

補足日時:2014/05/30 00:08
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この回答へのお礼

ε=ε=ε=ε=ε=(。・ω・)_旦~~ オマタセー
お疲れ様です(^ ^)

補足回答ありがとうございます。

ワクワクに従うこと、大賛成です。
ワクワクしなかったら、十年以上同じテーマで走れません(笑)

生体免疫システムは、自分の日常の思いを見直し
日々バランスを取り直せば、逆行から徐々に順方向へ
ベクトルは変わっていきます。

お礼日時:2014/05/29 23:32

 意見に至るまでの「私の」内的手順がどんなものか、あるいは構図と云ったようなものが見いだせるのか、知りたいので最近の質問への「私の回答」に至るまでの心の流れを述べてみようと思います。



 私が回答した質問のタイトルは“連想して下さい”です。
 その本文に“桂南光、横浜ベイスターズ、・・・あと一対は、何”とあります。

 初めて見たときはなんじゃこれ、と思いました。桂南光って落語家?横浜ベイスターズってプロ野球のチームだよね。えー、これから何が連想できるの?これに回答が付くの?と思いながら気にしていたら数日後に一件あってその回答は“個人、集団”というものでした。

 この回答を吟味していたら、これは“あと一対”のことではなく桂南光は個人で横浜ベイスターズは集団である、という説明なんだと気が付きました。うーん、やっぱり連想はむりなんじゃない、と思いながらもやっぱり気になって・・・。

 また数日が過ぎて、桂南光と横浜ベイスターズの共通する処を探せば、それにあたる“一対”を探せるかもしれない、とやっと思いつき、そうこうするうちにそういえば昔、巨人・大鵬・卵焼き、なんて言葉があったなあと思い出し、此れだね、とさらに考えました。

 この三つに共通することは「人気者」と云う事だと思いますが、そうしてみると“桂南光・横浜ベイスターズ”はあまりぱっとしない地味な存在、という点を無理に共通させて“一対”を検討することにしたんです。

 巨人にベイスターズを、大鵬に南光を、として見れば卵焼きには・・・
 卵焼きが人気なのはお弁当のおかずとしてだから、“一対”もお弁当に入れる具が相応しいと考え、でもあまりぱっとしない地味な存在を、と云う事で梅干しを思いついたんです。

 でもそれだけでは芸がないので、「減塩甘口梅干し」としました。

 ああ、梅干し、がよくなかったかなぁ・・・
 私が回答を寄せたら早々に締め切られてしまいました。感想も聞けずに。

 ☆ こうした経緯から、嗜好の内的手順とか構図とか言った事柄は見いだせるんでしょうか。

 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>☆ こうした経緯から、嗜好の内的手順とか構図とか言った事柄は見いだせるんでしょうか。
お断りしますが「思考」ですよね。
もちろん見出すことはできます。

ご自分で分かりたい時は、手順ですので
時系列で見た方が分かりやすいかと思います。

誰でも自分の認識に上げてやれば分かるのですが
練習したら、スムーズに分かるようになりますよ(^ ^)

お礼日時:2014/05/23 11:01

カントさん、アトモナドスさんおはようございます。


生きて来た甲斐が私もあったものです。感謝。

>たとえば、これに回答しようかなって思った時
>まず考えて、そしてあなたの気持ちに従って書くって感じであってますか?

自分の気持ちはさほど大事じゃないんです。
これとこれが合いそう。と関連づけるのが好き。
意図せず以外なもの同士ががぴったりという発見をしたら嬉しい。
例えばカメラの三脚をとりつけるネジと、傘の先っぽのネジがぴったりで一脚の代用になったり。

この隙間に何を入れたら便利か、空間としての可能性も必要ではないか?
判断に躊躇する。←しばし放置
その内ぴったりなものが「そう来たか!」って見つかる。短気は損気。
段舎利ブームが巻き起こってる私の家で。
思い切って処分した後、なんであんなに物を持ってたか不思議にもなる。



「思考の整理学」より抜粋

詩歌などの創作は個性の表現であると一般には考えられている。
エリオットは「伝統と個人の才能」で言う。
詩人は常に自己をより価値のあるものに服従させなくてはならない。
芸術は普段の自己犠牲であり不断の個性の消失である。
芸術は個性を脱却しないといけないというのである。

それでは個性の役割はどうなるのか。
そこで「思考におけるカクテル法」が第二次的「触媒的創造」ということをになる。
すぐれたカクテルを作るには、バーテンダーの主観や個性を化合の素材にして前面に出すのは関心しない。
化合が起こる状態を準備して良い素材と良い素材が結びつきやすくし、
思いもかけない作用を起こして新しい発想、事象が生まれることが面白いのである。

偶然から新しい発見を導かれること、これは研究の上で古くから珍しいことではない。
偶然の発見、「セレンディピティ」は
よくものを失くしていつも探して狙うものは一向に探し出さないのに、予期せぬものを掘り出す名人
というイギリスの童話「セイロンの三王子」から来ている言葉なようです。

この回答への補足

>これとこれが合いそう。と関連づけるのが好き。
>意図せず以外なもの同士ががぴったりという発見をしたら嬉しい。

>化合が起こる状態を準備して良い素材と良い素材が結びつきやすくし、
>思いもかけない作用を起こして新しい発想、事象が生まれることが面白いのである。

よく分かります。
これを日常思考でやってあると言うことでよろしいでしょうか。


セレンディピティは、私も通常使っていますが
疑問の解決、命題を明らかにするなどの
その場で回答が出ることのない問題の場合にのみ、使っているように感じます。

日常での対応に使うと言う発想は、持ち合わせていませんでした。
私の感覚が、もっと優位に立てるようになったら可能なようにも感じます。
そこまで行けば、スコーンと抜けた感じで生きていけるかもしれません。

結果はどう出るか分かりませんが、お陰様でワクワク感が増しました(^ ^)
今を越えて行く元気にも繋がります。

今朝は、青空がいつもより余計に気持ち良く感じます。
自分の気持ちが映っているのでしょうか。
miko-desiさんも、良い日が送れますように(^ ^)

ありがとうございました。

補足日時:2014/05/19 10:37
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この回答へのお礼

補足回答、ありがとうございます。

いろいろ積もる話しがありますが、今は時間が足りませんので
後ほど時間を作れた折、補足にてお返事させていただきます。

回答していただき、出会えたことに感謝を禁じ得ません。

今はこれにて、ありがとうございました。

お礼日時:2014/05/19 08:05

どうも。

です。

お礼ありがとうごさいます。

>それ以前の、思いに至るまでの過程を教えていただけたらありがたいです。

A 他人の意見を聞くと、自分では相手を否定しているつもりはないのだけれども、「いや、それはこうで、ああで…」という口癖があって、先輩に「○○はいつも、いや、で始めるなあ(怒)」と言われたことがあります。自分が正しいという思い込みが強いのだと思います。人が間違ったことを言っていると正したくなる。それで、まあ、失敗することが多くて。でも、なかなか治らないんですね。悪いところに目がすぐいってしまう。
 「自分は正しい」と思っているなら、相手も「自分が正しい」と思っていると、なぜ考えないのか、そして、そこから出発すべきだということに、なぜ気がつかなかったのか。大馬鹿ですね。
 まあ修正方法は分かったわけだし、実践も心がけている。けれども習性はなかなか変わらず、最初は、他者の否定的な点か、自己の肯定的な点が、思いの中に現れるわけです。時には感情をともなって。
 そこを、他者の肯定的な点・自己の否定的な点に意識をもっていくために考え(命題・判断)を逆にする。
感情をいきなり反転させるのは非常に困難だが、命題を逆にすることはたやすい。それにつられて意識の向かう先も変わり、他者を肯定的に認識し、否定的感情もおさまる。こういう仕組みですね。
 「人間は相互に尊重し合うべきだ」とか「人はすべて同じなのだ」とかよく書いたりしますが、主張できる場を借りて、自分に言い聞かせている面もあります。

・・・・・・・・・・・・・
「思いに至るまでの過程」ってこんなことですかね。(ここで、いやそうじゃないとして別のことを考える) 他人の意見を聞くところから、もう思考は始まっているんですね。(なるほどそういうことか。ぼくは思考の流れの後半しか述べていなかったのだと気付く)
・・・・・・・・・・・・・

B 質問文を読むとき、どんなふうに自分の意見ができてくるのか。質問文に対しての疑問で始まるような気がしますね。ちょっと差し障りなさそうにな質問を探してきましょう。

「人を殺してはいけません」
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/92901.html
 
>「人を殺してはいけません」 なぜですか?

短かい。

君はどう考えてるんだ。

(と、こんな反応)

あたりまえだから。

法律できまってるから。

法律にはないけど。

道徳だから。

自分が殺されないように。

(と、まあ子どもの反応。これじゃ回答できないな)

人を殺してもいいんです。

(と、きをてらってみるが、根拠づけられない)

だって、戦争で人をころしてるじゃん。あれはどうなる。

(と、強引にもっていく)

倫理的な問題だよな。

そもそも質問がおかしいのだ。

なんでだよ。

なぜという問いはだなあ。ちょっとまって、調べてくる。

なぜ何もないのではなく、何かがあるのか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%81%9C% …

ショーペンハウアーは「なぜ」の分析して、 世界に対して「なぜ」とは問えないと言っている。

「人殺しをすることはいけない」は世界じゃないだろう。

ところがだ。

「人殺しをすることはいけない」という論理世界なんだ。

つまり我々はすでに、「人殺しをすることはいけない」世界の住人である。

その住人がだ、その住んでいる世界に、なぜだと聞いちゃいけないといっている。

ショーペンハウアー、そう言ってるのか。

わからん。もっと調べてくれ。

「なぜ」が期待する解答は4種類。

充足理由律は4種類あるとしたんだ。

でた。充足理由律。ライプニッツ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんな内的おしゃべりの連鎖があるみたいです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「根拠律一般の普遍的な意味は、どんなものもつねにほかのものによってのみ存在するということに帰着せしめられる。だが、そのすべての形態における根拠律は、ア・プリオリなものであり、したがってわれわれの知性に根ざしている。」


他者を根拠として存在する。

「人を殺してはいけない世界」は「人を殺してはいけない世界でない世界」を根拠として存在する。

「なぜ」と問うからには、「人を殺してはいけない世界」に解答を求めてはいけないのだろ。ちがうか。

有望な回答に向かっていく予感。

まあ、間違っていてもいいじゃん。

この方向でいく?


(1)質問に対してふつうの思いの意見…人を殺してはいけない世界の中のこと、たとえばその道徳などを論じる
(2)質問に対してふつうの思いじゃない意見…人を殺してはいけない世界とは別のことを論じる

(2)番で。

となると、戦争の世界だ。

いやまでよ。

戦争世界の根拠は非戦争世界になけりゃなるまい。

平和世界の根拠は非平和世界にある。

「人を殺してはいけない世界」は「人を殺していい世界」が根拠
「人を殺していい世界」は「人を殺してはいけない世界」が根拠

相補的だな。この形は好きだ。バランスがいい。

もうちょっとひねりとか、ふかみとかが欲しい。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんな感じで、続いていくような。いかないような。
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この回答へのお礼

補足に答えて頂いて、ありがとうございます。
よくわかりました。

>他者の肯定的な点・自己の否定的な点に意識をもっていくために考え(命題・判断)を逆にする。

どこでこれを知ったのか・気がつかれたのか分かりませんが
驚きを禁じ得ませんでした。

日常で心理的手法を使ってる人を見たことが無いからです。

できれば「自己の否定的な点に意識をもっていくために考え」は
やらない方がいいのでは無いかと、個人的には思います。

自分の正しさは自己肯定なので、他者肯定だけでバランスが取れるからです。
否定は自分にも他者にも「許し」でバランスが取れます。
それを手にした方が、迷いやブレが無くなると思われます。

よければ一度考えてみてください。
すでに持ってあれば、スルーで結構です。

大変お手数をおかけしましたこと、深く深く感謝しております。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/05/19 07:45

こんばんは。

kanto-iさん。


 日常思考は、行き当たりばったり。だと思うんですが、まずその例を、(かっこの部分の)理屈後付けで示してみます。他者に対しては、思いを直接表現するのではなく、一旦その逆を考えて、バランスをとるようには心がけているつもりです。


miko-desiさん。お久しぶりです。「コピペ」をお借りします。

社会はコピペ人間だらけ(体感)

→ 「人は模倣者で、社会は模倣の連鎖である」と思われる(仮説的自己表現)

→ 人間の個性の無視(社会現象の領域を超えて、認識領域への推論)

→ 自己を卑下・他者を軽蔑(認識態度についての結論)

→ それはいかん、自他尊重へ(倫理的要請)

→ 一様ではなく多様。(認識を変えるため意識を操作)

→ 何を模倣するかは自由なのだ。(その意味づけ、根拠付け)

→ 独創性は模倣態度にある。(解消)

→ 「人間はその模倣態度において独創的である」(新たな表現)

→ 解釈の可能性を考える。いろんな表現を考える。

(実践的な表現)
Q「学ぶとはどういうことか」
A「学ぶとはもともとまねるという意味だったんだね。まねをするといっても、人それぞれ。サルまねとはちょっと違う。たぶん、意識的にまねるところを選んでいるんだよ」

ほぼすべて他人の意見で構成されているはずの自己の意見に独創性があるとすれば、それは模倣の観点においてであろうという考えです。




 次に、意識的に考えることが主なものもあるので、それを紹介します。これは時々回答の中に取り入れています。昔読んだ論理学概論がもとになっています。
 最近、とくに属性概念の重要性を感じています。あと、論理世界(全体集合)に意識を向けるということも重要と考えています。


[A]属性概念を区分
いわゆる場合分け。これで論理性(の一面)を保障する。形式的な述語が先にくる。区分原理(矛盾概念を適用)の想起は連想。無意識的行為。あとは機械的な操作。

[B]対象概念を分類…主題をそこに当てはめ、内容の真実性を吟味。

このパターンでの典型的な意見の例は、これです。

  http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7016176.html

 この質問文では、心、人格、意識、精神、自分の5種類が列挙されていました。これらは経験的に得られるもので、この数に根拠がないと思ったのです。
 そこで、合理的に分類する過程を表現しようと考えました。しかし、書くのも読むのも、疲れる表現となりました。
 後に、苫米地氏の動画で、「情報空間」という語を知って、情報空間への意味空間からの表現という構成に単純化しました。模倣と組み合わせですね。次の回答は気に入ってもらえて嬉しかったです。

  http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7949227.html

 人の内面の分類は難しいですね。考えることを考えるということは好きなので、この思考過程の質問には是非参加したいと思っていました。
 改めて自分の思考過程を振り返ると、表現するのが難しくて回答が遅くなりました、自分の回答を見直すと、いろいろ考えさせられますね。

この回答への補足

>他者に対しては、思いを直接表現するのではなく、一旦その逆を考えて、バランスをとるようには心がけているつもりです。

このフィードバックは、私はやったことが無いかもしれないですね。
非常に興味深いと感じました。
それ以前の、思いに至るまでの過程を教えていただけたらありがたいです。

後付けで何をやったかも、それはそれで興味深い所では
有るのですが、その場での流れが知りたかったのです。

意見にまとめる為の、思考の大流と申しましょうか。
思考の動態と申しましょうか。
未だ注目が低い所ですね。


お礼で書き忘れましたが
>ほぼすべて他人の意見で構成されているはずの自己の意見に独創性があるとすれば、それは模倣の観点においてであろうという考えです。

私は独創性に「選択」を押しておきます。

思考を一旦逆にする前の過程、お返事お待ちしております。

補足日時:2014/05/18 22:00
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

面白いですね~~~(^ ^)
構成要素は、私も随分追っかけました。
属性概念も、相当数出てきました。

心理は、構造主義の影響もありますが構造説明がないと
仮説が立てられない側面も持っていると思います。
概念的に捉えきれないと言うか。。。

それと別に、時間の構造化や思考の構造化など
作り出す物の構造も調べてみると面白いと思います。

付属品が多くて楽しかったです。

お礼日時:2014/05/18 21:37

コピペです(照れ笑い)←?


辻褄が合うように多少独自で編集しますが、新しい発想も少ない。

欲しい言葉が「この本のこの辺」って本を開くと浮かび上がってるんです。
必然性のある偶然、シンクロしてんですかね?

物覚えが悪いので時間があれば乱読するんです、
同じ本を何度でも新鮮な気持ちで読みます。
記憶力のなさを、しつこさ(笑)と直感で補うようになってんですかね?
物事を固定しない哲学だからか不思議なことが日々溢れます~~。

内的な計画性は全くない!

この回答への補足

意見を言う毎に、本を開くのは難しいですよね。

たとえば、これに回答しようかなって思った時
まず考えて、そしてあなたの気持ちに従って書くって感じであってますか?

補足日時:2014/05/18 07:51
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
とてもユニークな方のようですね(^ ^)

偶然は、必然性を伴うことが多々あると私も思います。
本の乱読も広く情報を得るのに、それなりの良さを持っていると
私は思っています。

私も最初は、ずっと乱読してました。

お礼日時:2014/05/18 07:39

kanto-i様、こんばんは。




「来るもの拒まず」ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

申し訳ありませんが、意味が分かり兼ねます。

お礼日時:2014/05/18 07:24

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