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中国から来た友人が日本語の勉強をしているのですが、「~が~てあります」という表現がよく分からないので教えてほしいと言われたのですが、答えられませんでした。

彼のテキストを見ると、「壁に絵が掛けてあります」とか「表に車が停めてあります」とかの例文がありました。 説明を見ると、誰かが意識的にした行為の結果とあったのですが、それでも私はこんな事は言いません。 
この場合なら、「壁に絵を掛けてあります (or 絵を掛けています)」、「表に車を停めてあります (or 車を停めています)」と、「が」ではなく「を」を使うと思います。 

もしかして私の日本語がおかしいのでしょうか(テキストと違うので、多分私の方が間違っているのかも)。 そして、「が」の代わりに「を」と言った場合、ニュアンスがどう違ってくるのでしょうか。

A 回答 (18件中1~10件)

「表に車が停めてあります」の例文だと、


「表に(誰のか分からないけど)車が停めてあります」という意味だと判断し、
「表に車を停めてあります」の例文だと、
「表に(私の関係者が)車を停めてあります」(ので、一緒に乗りますか…?)
みたいな感じだと思います…
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この回答へのお礼

早速のお答え、ありがとうございました
「表に車が」だと「(誰のかは分からないけど、誰かが)車を停めている」という「状態」を説明しているのに対し、「を」だと自分も含めてはっきりと someone が分かる状況になって、その誰かの意志が感じられるわけですね。
とても参考になりました。

お礼日時:2014/06/17 10:55

~が の時は、自分以外あるいは特定できないだれかが行った



~を の時は、明らかに自分あるいは特定した誰かが行った

その結果の説明と受け取るのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

お答え、ありがとうございました
なるほど、「を」だと自分あるいは特定の誰かがしたという、「やった人」がはっきりとなるわけですね。
で、「が」だと誰がしたのかは分からないという事ですね。
とても参考になりました。

お礼日時:2014/06/17 10:58

私も細かいことはよくわかりませんが(日本語なのでわからないのは問題かもしれませんが)、「壁に絵が掛けてあります」の場合は、言い換えますと「壁に絵が掛けられています」という絵を主語とした受け身の表現ではないでしょうか。



質問者様の「壁に絵を掛けてあります」は、「『人(主語)』が絵を掛けている」というニュアンスになると思いますが、最初の方はあくまでも絵が主語なのではないでしょうか。

同様に車の方の文も「表に車が(誰かによって)停められています」という意味で「表に車が停めてあります」とされているのではないでしょうか。

テキストの説明の「誰かが意識的にした行為の結果」については、どちらも該当しそうなので、違いはわかりませんが...。
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この回答へのお礼

お答え、ありがとうございました
なるほど、「が」と「を」では視点の違いが出る、という事ですね。
私自身、「が」を使う事はないと感じていますので分からなかったのですが、
そう言われるとそんな感じがします。
とても参考になりました。

お礼日時:2014/06/17 11:01

「~てある」でなく「~してある」(他動詞の連用形+補助動詞「ある」) で『主語の対象がなんかの状態になっている』ですね。


それはともかく、違和感を覚える部分は「~が」の直後に他動詞が来ているところでしょうね。日本人的には「~が」の直後には自動詞 (車が停まる)、「~を」の直後には他動詞 (車を停める) が自然と感じます。
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この回答へのお礼

お答え、ありがとうございました
よく考えると、正におっしゃるとおりです。
日本語の「が」は主語につくはずですので、その後に他動詞がつくと、この場合まるで主客転倒のような感じがします。
例えば「壁に絵が掛けてあります」を考えると、「が」が「絵」という言葉に付いた、つまり「絵」が主語になって他動詞「掛ける」という動作をした、つまり「絵」が他の何かを壁に「掛けた」という風な変な意味になるようなイメージがあります。
多分、友人がよく理解できないのはその辺だと思います(友人も分からない部分をうまく説明できていません)。

ところで、やっぱり「壁に絵が掛けてある」というのは正しい日本語なのでしょうか。また私が普段話している「壁に絵を掛けてあります」は間違った日本語になるのでしょうか。(彼のテキストを見ると、後者について何も書かれていません。「~が」だけの練習になっています。)

お礼日時:2014/06/17 11:11

単純に


「~が~てあります」は他人がした状態(状況)を説明している言葉で
「~を~てあります」は自分がしたことを話してるんだと思います。

美術館に展示されてる絵に対して
「壁に絵を掛けてあります (or 絵を掛けています)」と言いますか?
「壁に絵が掛けてあります (or絵が掛かっています)」と言いませんか?

第三者が停めた車に対して
「表に車を停めてあります (or 車を停めています)」と言いますか?
「表に車が停めてあります (or 車が停まっています)」と言いませんか?

まあ、「あります」という丁寧語が例文に違和感を与えてるのかもしれません。

この回答への補足

すみません、もう一つあります。

自分が誰かを待たせている状態の場合、「彼が待たせて(他動詞)あります」と言ってもいいのでしょうか。
こんな事を言う人はいないと思いますが、「(自分が)壁に絵が掛けて(他動詞)あります」が正しいのなら、この文も正しいという事になるような気がするのですが・・・

補足日時:2014/06/17 11:37
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この回答へのお礼

詳しくお答え頂いて、ありがとうございました
「が」の場合は行動をした人が他人で、「を」はそれが自分というニュアンスになるわけですね。
他の皆様も大体同じようなご意見でしたので、正しいと思うのですが、例にあげられた美術館の場合、「絵が掛かって(自動詞?)います」と私も言いますし自然な感じがしますが、「絵が掛けて(他動詞?)あります」は言わないので、なぜなのか自分でも不思議に感じています。

今手元に三省堂の国語辞典がありますので「が」を調べてみたのですが説明は次のとおりでした(一部省略)。

(格助詞) 1 動作をするもの。何らかの状態をもっているもの。犬が走る。風が強い。花がきれい。2 「できる」とか何かを感じる時の対象を示す。山が見える。犬が怖い。 3 他のものと区別する。(他の場所ではなく)ここが会場です。

「が」の意味が上記しかないとすると、「壁に絵が掛けてあります」の「が」は上のどれに当たるのでしょうか。後に他動詞がきているので、もしかすると1になるのかもしれませんが、だとすると主語が「絵」になってしまい、「絵が何かを壁に掛けた」という意味不明の文になるような感じがしています。

よろしくお願いします。

お礼日時:2014/06/17 11:32

>自分が誰かを待たせている状態の場合、「彼が待たせて(他動詞)あります」と言ってもいいのでしょうか。


この場合、彼は「待たせてる」のではなく、「待たされています」ですね。
なので

「(自分が)彼を待たせて(待機させて)おります」か「彼が待たされ(待機し)ております」になるのでは?

※人の場合は、「あります」より「おります(居ります)」のほうがいいかと。。。
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この回答へのお礼

何度もお答え頂き、ありがとうございます。
すみません、最初のお答えで「が」は(自分以外の)誰かがした事というでしたので、おっしゃるとおり自分が待たせているのなら、「彼を待たせてあります(おります)」が正解になりますね。
失礼致しました。

お礼日時:2014/06/17 13:35

>「絵が掛けて(他動詞?)あります」は言わないので、なぜなのか自分でも不思議に感じています。



違和感の原因は「壁には絵が掛けられています」と言わないで「壁に絵が掛けてあります」と言っているからではありませんか?

「掛けられて」「停められて」「待たされて」のように「られて」だったら違和感が無い筈です。

>「が」の代わりに「を」と言った場合、ニュアンスがどう違ってくるのでしょうか。

「正面の壁に絵が掛けてあります。右の壁に鏡が掛けてあります。左の壁には窓があって、窓にカーテンが掛けてあります」ではどうですか?

これは「正面の壁に絵が掛けてありました。右の壁に鏡が掛けてありました。左の壁には窓があって、窓にカーテンが掛けてありました」と同じようなニュアンスです。

「正面の壁に絵を掛けてあります。右の壁に鏡を掛けてあります。左の壁には窓があって、窓にカーテンを掛けてあります」ではどうですか?

これは「正面の壁に絵を掛けておきました。右の壁に鏡を掛けておきました。左の壁には窓があったので、窓にカーテンを掛けておきました」と同じようなニュアンスです。

誰かの行為の結果「絵が掛かけてある状態」が作られているので「絵が掛かけてあります」のであって「絵を掛けてある」のとはニュアンスが違います。

一方、語り手自身の手によって「絵を掛けた」ので「絵を掛けてある状態」が作られているので「絵を掛けてあります」のであって「絵が掛けてある」のとはニュアンスが違います。
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この回答へのお礼

詳しいお答え、ありがとうございました
おっしゃるように、「絵が掛けられています」は全く違和感がありません。
ただこの場合、「掛けられてあります」ではなく「掛けられています」となってしまい、少し違った形になるように思われます。

壁に絵が掛かっています、壁に絵が掛けられています、両方ともOKですが、「います」の形です。
ところが、「絵が掛けてあります」のように「~が~てあります」の形になると途端に違和感を感じて仕方ありません。
多分、私の日本語がおかしいのかもしれません。

ただ私の感じ方を整理しますと、
壁に絵が掛かっています OK
壁に絵が掛けられています OK
壁に絵を掛けてあります OK (掛けたのは自分だから)
壁に絵が掛けてあります ???

と、こういった感じになってしまいます。

お礼日時:2014/06/17 13:52

回答NO3ですが、他者の回答及びそれに対する質問者様の補足・返答を読みましたが、やはり受け身的な使われ方をしているように思いました。



他動詞の目的語が前に来て主語として使われているのが今回の文のような気がしますね。

他に例を出すと、「窓が開けてあります」がそうですね。「窓を」ですと、他の方が仰る様に自分ないしは自分が認識している誰かが、「~を~ている」になると思います。しかし、「窓が」ですと、認識できていない誰かが意識的に行ったことであり、それをされた(人以外の)何か(今回で言えば窓)が、その状態にあることを指していることになると思います。

今回のようなパターンの文では、あくまでも行為をされた対象がその状態にあることを先に出したいのではないでしょうか。よって、「~が~てある」という状態を先ずあらわします。状態だけなら回答NO5さんの仰る様な「絵がかかっています」でも言いかもしれませんが、誰かがその行為を意識的に行ったというニュアンスが弱いので、(誰かによって)~が~(され)てあるという言い方をするのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました
なるほど、やはり「が」は自分以外の知らない誰か、「を」は基本的に自分という事になるのですね。
私自身、こういう言い方をしないので違和感を覚えているのですが、はやり日本語としては正しいという事になりそうですね。
とても参考になりました。

お礼日時:2014/06/18 16:36

>ただ私の感じ方を整理しますと、


>壁に絵が掛けてあります ???
>と、こういった感じになってしまいます。

「壁には絵が掛けてあります」
「絵が掛けてあります」
「絵が掛けてある」

の3つはどうですか?

「絵が掛けてある」を「ですます調」にすると「絵が掛けてある」+「~ます」=「絵が掛けてあります」になる訳ですが、それでもまだ、違和感が頑張って仕事してますか?
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この回答へのお礼

何度もご意見を頂き、ありがとうございます。

> 「壁には絵が掛けてあります」「絵が掛けてあります」「絵が掛けてある」の3つはどうですか?

すみません、違和感がしつこくまだ頑張っています。多分、何かのせいで今までこのような言い方を自分で使った事がないせいでしょうね。
でも、皆様のお話を伺って正しい日本語というのは理解できました。
とても勉強になりました。

お礼日時:2014/06/18 16:40

「てある」は接続助詞「て」+ 補助動詞「ある」という構造で、この「ある」について、下記の辞書には、次の3つの用法が載っています。


[補助動詞]
1 動詞の連用形に接続助詞「て」を添えた形に付いて用いる。
(ア)ある動作や行為などの結果が現在まで引き続いている意を表す。「花が生けて―・る」「ドアが閉めて―・る」
(イ)何かに備えてすでに用意がなされていることを表す。「軍隊を待機させて―・る」「彼女には前もって伝えて―・る」
(ウ)(「…にしてある」の形で)そうなっていないが、そうなったものとみなしていることを表す。「心配をかけないように、元気でいることにして―・る」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/7643/m1u/%E …
1.
「壁に絵が掛けてあります」は、「(自分も含めた誰かが)壁に絵を掛けたという行為の結果として、絵が掛かった状態になり、それが現在まで引き続いている」というニュアンスになります。
格助詞「が」の主な用法は、主格、または対象(目的格)の特定です。
「掛けてあるのは絵ですよ」という意図で、掛けてあるという状態の主格として絵が特定されているわけです。
・初めて入った家などで絵が掛けてあることに気がつき、それを同行の友人に伝えるような場合。
・自分の家の内部を説明している状況で、「わたしの家では壁に絵が掛けてあります」のように言う場合。
「絵」を主格として特定することが目的なので、掛けるという行為を実行した者にはあまり重点が置かれていません。
意識的に掛けた結果として絵が掛かっているわけですが、その行為者が他者であれ、自分であれ、その点に関しては重視していない表現になります。

「壁に絵を掛けてあります」は、「壁に(自分も含めた誰かが)絵を掛けたという行為の結果が現在まで引き続いている」というニュアンスになります。
こちらの場合、「を」は対象を表わす格助詞です。
絵は主格ではないので、掛けた行為者が主格としてクローズアップされます。
つまり、「誰か(または、自分)が絵を掛けて、その結果が現在まで引き続いている」という意図の文です。
・あれは、わたしが掛けたんですよ。
などと自慢したいような場合には、絵を自分の行為の対象として固定するために、「絵を」と表現するほうが適しているわけです。
その心は、主格はあくまでわたしです、ということ。
むろん、自慢する場合以外でも使いますし、いずれにせよ、意志のある者が行なった、その(行為対象ではなく)行為自体に重点を置きたい場合の表現です。

2.
「表に車が停めてあります」→車が停まった状態で表にあります。
「表に車を停めてあります」→(誰かが、またはわたしが)車を止めた状態にしてあります。
「あなたがいつでも乗れるように・・・」という意図であれば、上記の「(イ)何かに備えてすでに用意がなされていることを表す」という用法として使っていることになります。
いずれにせよ、前者は車を主格として、後者は対象として表現している点では、1と同様です。
  

  
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この回答へのお礼

とても詳しくお答え頂いて感謝します。
私の理解が正しければ、「が」と「を」に違いは、絵について言いたいのか(この場合「が」)、絵をかけた人について言いたいのか(この場合「を」を使う)の違いという事になるのかなと感じました。
たしかに何度も復唱してみると、微妙にニュアンスが違うように思います。
私が迷うくらいですから、外国人からはもっと日本語って難しいわけですね。
とても勉強になりました。ありがとうございました

お礼日時:2014/06/18 16:49

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