たぶん「無知の知」は、哲学カテゴリでもつとも頻出する用語だとおもひます。そして、それを否定する投稿を私は読んだことがありません。では、この言葉をどのやうに自分自身にあてはめてゐますか。
私の場合
(1)知らない世界を少しづつでも知つてゆくのが楽しい。本を読んでも既存の知識しか得ることができないので、このQ&Aサイトのさまざまなタイプの人から多彩な意見を聴けるのは貴重である。
(2)自分の知らないことを教へてもらへるのが、ありがたい。そのためには、できるだけ人と接したい。
(3)知らないことや間ちがへやすい人間であることを誇りにできる、もしくは自分を笑へる。
No.18
- 回答日時:
丁寧で長文のお返事、とても嬉しかったです。
ありがとうございました。
自分の書き込みを回答者さん以外の方が
読んで頂いたことに、ちょっぴり驚きと
面映ゆさと、忘れちゃならない謙虚さを
奥歯に乗っけて噛み嚙みしてます。
所で、宿題を頂いていたのですね。
●現在の科学水準は世界の何パーセントを
解明してゐるのでせうか。
とのご質問ですが、勿論、私に判ろうはずも
ありません。
ただ、思うのですが、知れば知る程知らないことに
気付く、というのは、今迄は「ここまで知れば
テストで100点!」と思っていたのが、そこまで
勉強すると次の教科書が出てきて、もっと勉強せよと
催促されるように、知は「~点」という百分率で
顕すのが本来の姿なのではなくて、エンジンの
回転数の様に、科学の進歩の「速度」のように
扱う方が的を得ている気がするのは私だけで
しょうか?
進捗率、というのは完成度でもありますが、
永遠に完成しない、という前提で見ると、
マラソンのランニングペースのように、ペースの維持、
という意味での「回転数」、乃至は「速度」と捉えた
方が、面白く感じます。
様々な分野ごとに、これまでの業績とその「知の進化速度」の
「積」が、いわば「人類の知」の積分として捉えられるから。
知の質量、とでもいうか。
えへへ。
ま、茶飲み話として、ほんの思い付きでした。
どうもありがとう。またよろしくね。
複数回答、ありがたうございます。
>>知は「~点」という百分率で顕すのが本来の姿なのではなく
おつしゃるとほりです。反省します。
>>ペースの維持、という意味での「回転数」、乃至は「速度」と
>>捉えた方が、面白く感じます。
面白い見方ですね。思ひつきませんでした。たしかに、停滞と進歩の期間といふのはありさうです。
>>永遠に完成しない、という前提
だからこそ、百分率では無理ですね。でも最近気になつてゐます。限界を知ることも大事ですが、あまりに控へめだと自信を失ひます。宇宙論のページを覗くのが好きです。質問者さんの、科学の限界を認めたうへで、その先を哲学で補ふ、といふ姿勢に好感をもつてゐます。もちろん、内容については、答がまだでないのですから、いろいろな意見がでて当然です。科学カテゴリでは読めない、哲学カテゴリ独自の見解を期待してをります。
この話は、いままで何度も書いたのですが、そのたびに削除になります。ときどき削除を怒る人がゐるのですが(本来削除すべきでないといふのは正論です)、私の場合は、かうして何度も同じことを書いて、何度も読んでいただけるので、ありがたいだけです。好き勝手な者は、迷惑をかけるたびに、感謝の気持ちが強くなります。ほんとうに迷惑なものです。
No.15
- 回答日時:
べらぼー話がつづきます。
《無知ないし未知》の部分で その無知から世界認識にあやまりを生じている。といった場合。
ところが ブラフマンにとっては その無知も 知と基本的に同じたぐいのもの(洪水と池とのあいだで水が共通であること)と見ている。と言います。
だとすれば 無知の領域における世界観については 《そのマチガイを質すこと》とそうして 《無知の領域そのものについては 誰もに共通の〈広義の知 としての場〉であると受け取りつつ 互いに対話をすすめること》とが 両立します。
こうなりませんか?
マチガイを質すことに専念しすぎていませんか?
★ 哲学の実践と、「無知の知」
☆ ど真ん中のストレート。
お礼が遅くなり、申し訳ございません。図書館に行つて、ミル『功利主義』を読んできました。
豚は《マチガイを質すこと》には関心がありません。だれが正しいのかもわかりません。ただ、おもしろくない、たのしくない、かなしいだけ、餌にもならない、筋肉にもならない、さう思つてゐます。
No.13
- 回答日時:
哲学の実践とは自殺だと思います。
ソクラテスは自殺しています。
ソクラテスの思想は難しいです。
倫理の教科書で読んだころは、
ソクラテスを危険だとは思ってはいませんでしたが
この頃は、評価の難しい人だなと思っています。
善く生きるの結論は、自殺。
無知の知は、結局誰も何も知らない。
謙虚なソクラテスというイメージよりも今は、
何もかも否定した人として受け止めています。
おはやうございます。先日は、ありがたうございました。職場で投稿を閲覧し、帰宅後にお返事しようとしたのですが、すでに削除処理されてゐました。削除されるほどの内容ではありませんでしたけれど。あれは、豚は1匹で充分だ、もしくは、不要だ、といふ警告と受け止めてよろしいのですか。もちろん私自身も認識してゐます。豚だらけになつたら、世の中成り立ちません。むしろ、いろいろなタイプの人がゐるからこそ、楽しいし、進歩してゆきます。怖いのは、他者を排除しようとする姿勢です。
少しやりすぎの豚かもしれません。でも、みなさんにも、たまには豚になつていただければと考へてゐます。自分を見失つたとき、豚になれば気持ちが楽になります。人間だれしもそんなときがあるのではないでせうか。
>>哲学の実践とは自殺だと思います。
kazamidori365さんは、新約聖書の神の名の件もさうですが、気付きにくいアイデアをだしてくださるのが、とても勉強になつてゐます。
この言葉も、私には身にしみてわかります。死ねなかつたのですが、一度自殺しようとしたことがあります。新規立ち上げの事業を任されて、365日休みなしで、1日20時間、トイレにゆく以外は休憩なし、若いころ、そんな仕事をしてゐました。社長がものわかりのいい人で、何でも要望をきいてくれ、仕事はたのしくやつてゐました。でも、順調に業務が拡大し、人手がたりなくなると、いろいろな従業員が加はるやうになります。そのなかには、「豚」型も当然まじります。gaituさんの表現をかりれば、
>>「はいはい頑張って他人にも良いような行いしてね、
>>俺はそれをどんどん消費するからね」と言われたら、
>>なんかとてっても悔しいですし、それでも続ける気になれないのでは
>>ないかとおもうのです、よっぽどの人で無いと
私は基本的に人間が好きなので、余裕があるときなら、さういふ人のカバーもするつもりです。しかし、寝る暇もない状態で仕事をしてゐるときに、そんな人がゐたのでは、豚さんの後始末で無駄な仕事がふえるばかり、結局そのために体をこはして退職しました。精神的にもつづかず、自殺するつもりでした。
死にきれず、我にかへつたとき、ふと思ひました。「人間、豚になつた者が勝ち。」いまでもその豚さんは、職場で楽しく仕事(?)をしてゐます。これからも生きるつもりなら、豚にならう、私は決心しました。こんなすばらしい哲学を教へてくれた豚さんには、とても感謝してゐます。豚になれば、ひとを憎まなくてすむ、ひとを嫌ひにならない、意地もないから何を言はれても傷つかない、餌をもらつて感謝してゐればいいだけです。もちろん好き勝手をやるので、ひとから憎まれることは多多ありますが。
自分には自分のことが精一杯で、ボランティアなどできない人間であることは、仕事を通してよくわかりました。どんな美しい言葉で「愛」や「平和」を説いても、いざとなれば、逃げてしまふ、聖人をのぞいて、たいていの人間はそんなものだと思ひます。これからも、ヘタレ豚野郎として生きてゆくつもりです。
>>評価の難しい人だなと思っています。
私もさう思ひます。
いちばんいけないのは、ソクラテス、パスカル、ヘーゲルといつた名前にまどはされてしまふことです。回答番号7「補足」に書いたことですが、「考へる葦」になりたい人など世間にはほとんどゐないはずです。哲学者といふいのは、一般人から見れば、変人、変態、狂人です。偉人の名前など無視して、回答番号6の「あるがままをあるがままに受け入れる心の状態に持って行く」が必要なのではないでせうか。これこそが、
>>常に自分の中に答えを求めなさい。
>>周りの人や、周りの意見や、周りの言葉にまどわされていはいけません。
の意味ではないでせうか。哲学者の名前や、難解な文章や、高度な知識にまどはされる人は決して少なくないとおもひます。
No.12
- 回答日時:
ちょっと思いついただけですが。
ソクラテスは 知と無知。
無知を無知として――あるいは 未知のことがらは未知であると――みづからが知っている。
ブラフマンは 知とそして知と同じような種類の無知。
つまり池と洪水とであるならば 無知の部分(洪水)も あたかも知(池)と同じようなもの(つまり 水なる要素)であると捉えている。
こうなのかなぁ。
だとして いったいどういうことか?
こんばんは。ひきつづき、ありがたうございます。
>>ソクラテスは 知と無知。
>>無知を無知として――あるいは 未知のことがらは未知であると
>>――みづからが知っている。
今回の質問は、「無知の知」そのものではないのですが、これをおさへておかなければ、次に進めませんね。哲学カテゴリでは、うんざりするほど使用される用語なのですが、意外と認識されてゐないのかもしれません。
結局、ねこさんの指摘どほり、「人間の智恵などは、ほとんど無価値なもの」です。
回答番号3の「お礼」の最後に書いた件ですが、科学への過度の信頼を、私は危惧してゐます。現状の科学水準がどの程度のものなのかは、だれにもわかりません。かつてケルビン卿は、物理学は世界をほぼきはめつくした、と喝破しましたが、そのあとすぐに、相対性理論と量子力学によつて、その発言は誤りであることが明白になりました。現代でも、まるで当時のケルビン卿と同様の発言が見られます。私は、科学が世界をきはめつくしてゐるとは、とうてい思へません。現在あきらかになつてゐる科学的事実は、あくまでもそれだけのものであり、それ以上ではありません。人間は、自然に対して謙虚であらねばなりません。そして、科学の限界を知つて、その先をうめるのが哲学です。
>>池と洪水とであるならば 無知の部分(洪水)も
>>あたかも知(池)と同じようなもの(つまり 水なる要素)
>>であると捉えている。
「池」も「洪水」も、両方とも「知」ではないのですか。ありふれた「知」にかこまれてゐたのでは、特定の「知」にとりたてて価値はない、といふ意味に読めます。
No.11
- 回答日時:
No.4で用いたお話の出典が分かりましたので かかげます。
▲ (《バガワ゛ッド・ギーター》辻直四郎訳 2・46)~~~
あたり一面が洪水に見舞われた。
そこに池もおおわれた。
ならば ブラフマンにとって
あらゆる知識(ヱ゛ーダ)は
この池のようなものである。
〔紀元前五世紀ごろ〕
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
知ったかぶりですみません。
ありがたうございます。上村勝彦さんの訳で読んでみました。注釈を見ると、『マハーバーラタ』のほかの箇所にも同趣旨の記述がいくつかあるやうで、古代インド思想の一般的見方であるやうです。
「無知の知」とは、このインドの言葉のとほりでせう。そして、ねこさんの言ふ「目糞鼻糞」なのでせう。0fool0さんの主張する、知は最終的に必要なものではない、も同種の意味だと考へます。豚の質問ページにもいろいろ書いてありました。hannya-glさんの「豚や馬鹿をもちださずとも、満足と不満足を比べれば、答えは同じになるのでは。」こんな単純な見方がいい。質問者のgaituさんからもこんな言葉がありました。「豚は豚です!上も下も無いんです!」
豚は増殖してはなりません。しかし、ときどき豚になつてみるのも悪くないとおもひます。過度のプライドがどれほど目をくもらせてゐるか、豚は憂慮してゐます。結局、くだらない意地やプライドの蓄積が「存在論の存在」などといふ被害者をつくりあげたのだとおもひます。
先日も書きましたが、無知の知が大切だとおもふのなら、変態、ゴミ溜め、それでいいはずです。
No.10
- 回答日時:
ソクラテスの弁明でソクラテスが言っているのは、
「わたしは自分が無知であることを知っているぶんだけ、まだマシである」
ということであり、
「神のみが真の知者であり、」
「人間の智恵などは、ほとんど無価値なもの」
です。
職人さんは職人さんの仕事のことについてよく知っている。
ソクラテス以上に、職人さんの仕事に関係していることは、よく知っている。
職人さんは、けっして無知ではないんですよ。
ソクラテスもそのことは認めています。
だけれども、
ソクラテスが知りたいと思うこと、ソクラテスが大事だと思うことについては、知らなかった。
ソクラテスが知りたいこと、大事だと思うことについて知らないことを、
ソクラテスは無知だと言っているんですよ。
職業に関係する知識はソクラテスなど足元に及ばないほど有しているけれど、
彼が求める智慧(?)は有していなかった。
そして、
職人さんたちは、「(俺たちは、ソクラテスが)無知であるということを知っている」と思ったんじゃないですか(ニコニコ)。
事実、ソクラテスは、職人さんたちが知っていること、そして、その職業上の智慧を有していないんですから。
目糞、鼻糞を笑うです。
他の人とは明白に異なる見地からの回答、いつもありがたうございます。どんな名言であつても、文脈から切り離してひとりあるきを始めると、どんなことにでも都合よく適用して、悲惨な結果を招くことがあります。
>>職業に関係する知識はソクラテスなど足元に及ばないほど
>>有しているけれど、彼が求める智慧(?)は有していなかった。
詩人とか、政治家とか、登場しますね。「知識」と「智慧」の相違は、私も興味があります。簡単に論じることのできる内容ではありませんから、また、いづれ。
>>職人さんたちは、「(俺たちは、ソクラテスが)無知である
>>ということを知っている」と思ったんじゃないですか(ニコニコ)。
じつにいい切りかへしです。両者の意見に、実質的な共通点があつたわけです。ソクラテスは、自分が無知である、と悟つてゐるだけではなく、他人からも同様に認識されてゐた。一致した平和な世界です。それでゐて、憎まれるのは、よほどの悪人なのでせう。
>>事実、ソクラテスは、職人さんたちが知っていること、
>>そして、その職業上の智慧を有していないんですから。
回答番号3にも「知、そのものは自らの身体に沁みこまない限り、知ることさえ困難である」と記されてゐました。たしかにそのとほりだと思ひます。
No.9
- 回答日時:
人は何かを知った気になって色々話すことがありますが、それは大概自己流の解釈や理解であって、ことの本質を見極めている場合はそう多くはありません。
同じ題でも、繰り返し、時期を経て頭によぎれば、それぞれの時に相応しい理解が生じたりします。その都度、過去の自分は分かってなかったな、今の自分もおそらくまだ分かってないのだろう、と、思い、自身の至らなさを知るわけです。ソクラテスのような高尚さはないとしても、それでもそのように思うわけですから、賢者ともなれば、言わずもがなと思われるのです。
おはやうございます。いつもやさしい文章、ありがたうございます。ねこさんにどうしても聞いてほしいこと(またまた規約違反)があつたので、そちらを先に済ませました。
>>大概自己流の解釈や理解であって、ことの本質を見極めている場合は
>>そう多くはありません。
先回も「本質」について教へていただきました。いろいろな人の「自己流の解釈や理解」が集つて、本質にちかづいてゆくのが、このQ&Aサイトなのかなと思つてゐます。少なくとも豚は、それをありがたがつてゐます。世の中いろいろな人がゐるから、いい。
>>今の自分もおそらくまだ分かってないのだろう、と、
>>思い、自身の至らなさを知るわけです。
人間ができていらつしやいます。
No.8
- 回答日時:
お礼、ありがとうございます。
>以前教へていただいた「絵本」の話をぱくりました。引用ではありません、すみませんでした。
たんなるパクリと言うことでしょうか。
過ちだと思っておられる訳ですね。
でしたら、同じ事を繰り返さないための具体策を考えて
実践していただけたらと思います。
>教祖様が再来したやうですが、投稿しなくていいのですか。
私は「歩け教」の教徒ではありません。
そして「歩け教」の教祖であれば、自分で歩けばいいと思います。
>いつも私の質問に反応してくださつて、ありがたうございます。
こちらこそ(^ ^)
でも、途中のいらぬ反応は私には必要ないことを
ご承知願いたいところです。
>これは、Q&A限定の話ですか。文章が短いうへに、顔の表情もないので、誤解を招きやすいものです。
Q&Aに限りません。
基本自分の中に映った時すべてですね。
やってない人には、分かりづらいかもしれませんね。
「常に自分の中に答えを求めなさい。 周りの人や、周りの意見や
周りの言葉にまどわされていはいけません。」
と言うのがありましたよね。
相手の言動で、自分の中に自分の思いが出ますよね。
それが憎しみだとすると、それは私の外には無い。
ただ自分が憎んでるだけですよね。
それが相手の言動に惑わされている(自分で振り回されてる)と言うことで
相手に翻弄されず、自分の中にある答えをしっかり自分が自分で受け取る為に
自分を観るということです。
先に、映る為の外的刺激がなければ映るものはありません。
映ったもので、自分のバランスが偏っているのが分かります。
それを観て、自己調整をします。
バランスが取れて行けば、自分らしい自分でいられます。
説明しても、大した意味はありませんけどね。
数学と同じで計算式知らずに、何の計算か説明しても計算できないですから。
知らない人が誤解したら「鏡の法則ですよ。」で、多分終わりですね。
>実は、今回の質問は、ふだんkanto-iさんが実践哲学について書いてゐるのを見て、ぱくりました。
パクリですか?
気がつきませんでした。
>哲学については、今後も御教授くださればさいはひでございます。
私は哲学には詳しく無いですよ。
興味を持ったのは二年前で、本も殆ど読んでませんので。
無知だから、ここに来てます。
無知だから、質問より読んで学ぶことが多いのです。
おはやうございます。
>>同じ事を繰り返さないための具体策を考えて
>>実践していただけたらと思います。
引用であればURLを示すのがいちばんですが、私はしよつちゆう記載するので、自分では、すこし控へようと思つてゐます。回答番号5の「お礼」に書きましたが、口を慎むのがいちばんです。そもそも、このカテゴリに迷ひこんできたきつかけが、それでした。
>>でも、途中のいらぬ反応は私には必要ないことを
>>ご承知願いたいところです。
承知いたしました。
>>常に自分の中に答えを求めなさい。
表面的な意味合ひを述べたまでで、お気になさらずに。いろいろな考への人がいるから、世の中たのしい、Q&Aでもさまざまな質問に対応できる、自分も異なる発想を吸収できる、私は、画一化には断固反対します。
>>相手の言動に惑わされている(自分で振り回されてる)と言うことで
このあたりも、真摯なkanto-iさんらしい発言ですね。かういふところが魅力です。私のやうな豚になると、振り回されるのが自然になつてきます。俗な例で恐縮ですが、八方○○の女の子が誘つてきたとき、妙に警戒する男が多いのですが、素直に好きになればいいとおもひます。そのほうが、互ひに楽しい。本を読むときも、著者にだまされるのが、私は好きです。Q&Aの回答でも、質問者の罠にはまりたい、と考へてゐます。(ショッカー戦闘員はやりすぎかもしれませんが。)豚になると、自分の「無知」が楽しくて仕方がない。あの「満足した豚」のページには、まだまだ書きたいことがいくらでもあります。そこにも書きましたが、豚が繁殖しては困るのですけれど。(k5さんの抗生物質の話はさういふ意味だとおもひます。もちろん言はれるまでもなく充分承知してゐます。)
>>パクリですか?
はい、これもパクリです。役に立つかどうかを度外視して思考するのが哲学ですが、日常志向の私は、どうすれば役に立つか、それに注目します。さういふ点でkanto-iさんの投稿文は、私にとつて貴重な教材です。
ありがたうございました。
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