準・究極の選択

1.サッカーでは、接触プレーで、苦痛の表情でもって、例えば足を持ち上げて、転げ回って、審判の顔を上目遣いに見詰めて、その後に、笛を吹かれなかったら、一変一転して、何もなかったかのように、立ち上がってプレーに戻る、というシーンが、割と通常的に見受けられますが、コレって、ハッキリ言って、ワザと大袈裟に、反則を受けた、ということをアピールする、FKなりPKなりを得ればラッキーと、言わば嘘つき芸、だという理解でよろしいのでしょうか?
コレこの理解・解釈で間違ってはいない、ということでしょうか?
まずは、その行動を取るサッカープレーヤーについて、確認したいので、そこのところを明確に教えてくれませんか?

2.もしも、そうであり、それが真実で真相であるならば、そんなスポーツって、サッカー以外には、見受けられない、というか、見受けたことがないのですが、その頻度的と程度的からして、サッカーというスポーツ競技って、正々堂々のフェアプレイ精神から、最も逸脱したスポーツ競技だと、直感してしまう次第なのですが、何故にサッカーというスポーツだけに、それも最も世界的且つ地球的規模で行われているスポーツに、だけ、こんな姑息なことが見受けられてしまうのか、そのシーンを観ていて、不快感を感じた人々、これは正直なところ、自国が勝った負けたに関わらず、素直に思った、感じた、ので、確認したく質問させていただきました。
何故どうして、サッカーというスポーツだけが、そんなことに、なってしまったのですか?

そんなに痛くもないだろうことが、容易に見受けられるにもかかわらず、苦痛の表情で、転げ回って、オーバーな芸をスル、もうこんなシーンに、ヘドが出るほど鬱陶しい感覚を覚えて、情けなさい限りなんです、ハッキリ言って。

ご回答、よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

>何故どうして、サッカーというスポーツだけが、そんなことに、なってしまったのですか?



いえ、アメリカのバスケとかでもファールをもらいにいくというプレーは見られますよ。

●質問1について
まず、ラッキーか嘘つき芸かという理解の仕方をしようとしているのが方向違いです。
もちろん、視聴者、観客としての立場なら、どう解釈しようと個人の自由ですが、そんな狭くて皮肉っぽい解釈をしていて、何の楽しみがあってそのスポーツに関わっている(観戦している)のかと、端から聞いていて思うところです。

本題にもどりますが、ファールをもらいにいくプレーについて、まず2通りの理解の仕方があると思います。

1つは正々堂々の競技スポーツとしての視点での理解。これは審判の視界の外を故意に狙った悪質なファールと対比すると、審判を使ったファールプレーは公式に認められたプレーであるといえます。それも、成功するには相当なスキルが要求されるものです。戦術の1種であり、戦術の幅を広げる要素でもあります。

2つ目は、プロビジネス、ショーとしての視点での理解。高校野球はガチですが、プロ野球の日本シリーズは広い意味で八百長です。ですがその八百長は関係者も観客もが視聴にあたいするように仕組まれた、誰もが楽しむためにしくまれたものです。しかも八百長を八百長と出来るだけ感じさせないのがプロであり、実際プロの多くはその難題をこなしています。
地元有利はこの2つ目の視点での理解をすると分かりやすいでしょう。もちろん、地元の声援と期待を受けてプレイヤーの真剣さがアップしているのはありますが、それに上乗せしてビジネス要素が付け加えられているのです。地元を1度地元で勝たせたら次の地元の試合でさらに多くの地元民が入ってきて、大会後もその時の興奮を思い出してそのスポーツに興味を持ち続けるという好循環です。

質問2については以上を読めば回答不要だとおもいます。
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この回答へのお礼

うーん、それがサッカーというものであるというならば、そもそもが日本人には全く不向きなスポーツ競技だということになるのでしょうねぇ。
正々堂々と真っ当に正直に向き合って且つ姑息なことなど互いにせずに戦った上で戦い終われば、互いに讃え合い握手して又の再開を祈念する、これが清々しい戦士との精神が日本人であり大和魂であり、従って、審判の目の届かないところを見抜きつつ、そこを突いての絶妙な芝居プレーは技術であり戦術の中に含まれるなどという解釈理論は、日本人の中には歴史的にも育まれなかった観念であると言わざるを得ないでしょうねぇ。
そんなことまでして勝ちを取りにいくか、勝つ為にだけにそんなことまでしたら恥ずかしくて情けなくて決してできないか、どう感じて実際どう行動するかでしょうねぇ。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/04 21:02

先ほどの回答の補足ですが、地元有利の話を出したのは、今回ワールドカップの初戦のブラジル×クロアチアの西村主審の誤審騒動を念頭においてのものです。

あれには広い意味で商業的に意味があるのです。
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この回答へのお礼

あのジャッジについては、そう思うところもありますが、それに真底の意味があるとすれば、Wサッカーってプロレスといっしょ、ということでしょうねぇ、実態は。
であれぱ、そもそも、そういう目で心で、観なければシンドイ気分になってしまうスポーツイベントだということでしょうねぇ。
なるほど、一理も二理もあり、なんとなくでも解りました。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/04 21:10

確かに中東のチームにはそういう人がかなりいます。

しかし
あくまでも中東という地域の民族性です。
日本が初めてワールドカップに出場したフランス大会への
決勝戦にイランの選手が取った行動は忘れません。
なんと前日まで松葉杖をついて、さも試合にはでられません
という顔をしていたのが、試合当日堂々とピッチに立ってき
たのですから。

そういうズルをする選手やチームは確かにあります。しかし
そういう選手はビッククラブからは絶対に呼ばれません。

ビッククラブの選手に求められるものはヨーロッパでは騎士道
です。正々堂々と闘うことの素晴らしさを求められ、選手も
それに応える。

それに比べると中東や南米はまだまだですね。
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この回答へのお礼

まぁ、民族度からして日本人=大和民族としては超恥ずべき行為が、そんなにそうでもない極普通の当り前の行為という民族も存在するということでしょうかねぇ、サッカーというスポーツって、日本人には不向きな競技かもしれませんねぇ、ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/04 20:40

  ご理解は半分、違います。

一応痛いですよ。
向こう脛蹴られたり、足ぶつけると痛いでしょう。
でも普通は間もなく快復します。その程度のが多い。
接触プレーが一番多いスポーツです。兄弟スポーツのラグビーやアメフトは肉弾戦といっても、キックプレーは殆どなく、蹴りは禁止されてるでしょう?  さらにプロテクターで守られてます。
サッカーは必然的に蹴りが入るのは避けられない。本当に痛い場合も多いです。しかしファール取られず、怪我もしてなければ直ぐ立ち上がって続行しなければならない。
  無論、対して痛くもないのに転げ回るのはファールをアピールです。
でも本当に痛いのに我慢してプレーする選手も一杯居ますよ。例を挙げましょう。
  中田英寿はイタリアリーグでもかなり足を削られてましたが痛い素振り見せずに、なるべく早く立ち上がってましたね。 敵に口汚く抗議する事もまづ有りませんでした。
06年のW杯で、中村俊輔は爪剥がしてもプレーしてたな。
98年フランス大会の、ゴン中山は足骨折してたのに平気でプレーしました。これは選手生命上、良くない事だと本人も試合後反省してました。
  一般に日本や欧州の選手は大袈裟な振りは控える傾向です。
例外は、PK獲得が見込まれる場合、ワザと倒れるシュミレーション。
今日のオランダのロッベン選手は対メキシコの後半ロスタイムで、多分ワザと倒れました。審判は騙されたな。
  ハッキリ興ざめです、ホント反吐が出る。だから彼は名選手でも尊敬されないです。サッカーファンだってウンザリする演技には辟易ですよ。でもそれを補って余りある興奮と感動が有るから何十億の人が熱狂するのだろうに!  
  主さんは悪い所だけ見て偏見がお有りですね、木を見て森を見ずでは世界に通用はしません。
 勿論、ワザとらしい演技も多いです、それは審判がミスする確率が高いという、競技上の欠点ですね。  
其処を利用するのは、マリーシア(ズル賢さ)と言って、
南米ではむしろ奨励される傾向があります。  これは文化・民族性なので一概に難詰は出来ないですね。
  物の売り買いでも、べらぼーな値段ふっかけて、客もそれをベラボーに値切るのが当たり前、楽しくもあるという、南米・東南アジア・中国などの風習御座います。小役人は平気で袖の下要求する土地柄も多い。
欧米人や日本人は固定価格に慣れてるので初めカルチャーショックですね。何度も揉めてるの見たよ。
でも郷に入れば郷に従えで、慣れると却ってそれが楽しくもなる。
マリーシアというサッカー文化はそれと同じ事です。
それをあまり好まぬ私や貴兄は、彼らにすれば只のマヌケ、とも言えるでしょう。
  それが嫌で対抗したくば、やり過ごして正々堂々と戦えば良いだけで、そうしてる中田選手みたいなのも多く居ますよ。
  まあ姑息な手段で勝ち上がった者は尊敬はされませんね。
それはサッカーでも全く同様です。本来英国では労働者階級がジェントルマンに成る為のスポーツですから。
悪ガキが何故そう成れるかと言うと、試合中に心筋梗塞で死人も出る程の、一番タフなスポーツなので、試合を繰り返すうちに、ダーティーな心持ちなど何の役にも立たなくなるのが自然と解るからです。  まあ中にはいつまで経っても馬鹿者も居ますが、ごく少数です。
  戦士と成る事、一切の不満を言わず黙々と闘う。
不満や暴力衝動は全て自分にぶつけるようになるんです。そんな選手は大勢居ますよ。  失礼ながら彼ら本物の戦士に比べると主様の文面は、不満と偏見に満ちていて一方的。公正さに欠けてると言わざるを得ないですよ。是非御一考を
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この回答へのお礼

丁寧なご回答どうもありがとうございました。
なるほどと感心させられました。
一考してみたいと思います。

お礼日時:2014/06/30 09:25

「偽善」か?



さておき, 国 (というかリーグ) によっても違うからね. 例えばイングランドだと「そ~いう人」は嫌われる傾向にある.
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/30 09:23

(1)他種目では卑怯でも技術でもあり



(2)結局、単純明解に勝つか負けか~です。

ある意味、代理戦争。フェアプレー~スポーツとして観るにはシビア…

http://www.google.com/gwt/x?gl=JP&hl=ja-JP&u=htt …

※良い人(ゴミ拾いを賞賛されるような人)には勝てません。

元、仏代表ヴィルトール談

もちろん行為には感心しました。
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この回答へのお礼

その民族の歴史と伝統と文化に根本論が潜んでいるということですか、なるほど、なかなか奥の深いところにあるんですね、どうもありがとうございました。

お礼日時:2014/06/30 09:22

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