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ほとほと疲れたので「来世に期待」という心境に陥りました。
そこで同じことを考えている人はいるのかなと「来世に期待」と検索したら、たくさんスレがたって、少し驚きました(笑)

そこでまた考えたのですが、本当に来世に期待してもよい仕組みなのか、あの世というところは?ということです。

輪廻転生の考えだと、この世は自分をバージョンアップするためのところ。この世で自らレベルを向上させれば、神により近い精霊になれるといいますし、信じてきました。
でも一方で、死んだら無という考えもあります。

でも我こそは真実だと語る、あの世は誰が見てきたものなのですか?

もし、死んだら無だとしたら、もうこの世限りの自分で終わってしまって、死ぬ楽しみがなくなってしまいますし、この世で懸命に頑張っている命はなんのために頑張るのか、ということになります。

あの世は、ある、ないという方双方の考え方を知りたいです。

A 回答 (14件中1~10件)

生まれ変わりが実在するとしても、どうも記憶も何も受け継がれないみたいなので実質死ねば今の自分が消滅することに変わりはないんじゃないかな。


たまに前世の記憶があるっていう人もいるけどあまりにも少数。お釈迦様すら生まれ変わりがあるかどうかなんて知らんと答えている。
となると次の人生で自分を保つことはまず不可能だろうと思う。
つまり生まれ変わりが実在しようがなかろうが自分が無に還ることに変わりはない。

個人的には輪廻転生とかの思想ってあまりにもコミュニティの秩序維持のための方法論にぴったりしすぎてて胡散臭すぎると思う。
レベルアップとして推奨される方法がその思想が産まれた個々の社会で規定される善行そのまんまだからね。


ちなみに古代ケルトでは戦士たちは生まれ変わりを信じていたので殺すことも殺されることも平気だったそうです。
どうせ生まれ変わるんだから殺したっていいや。殺されたっていいや。というゲームのノリ。
過激派の自爆テロなんかは聖なる戦いで死ねば天国に行けるから気軽に死んでこいと背中をたたく。
つまり生まれ変わりやあの世という考え方は殺人者を作り出すのにとても適している。
生まれ変わりが実在するかどうかは分からないけど生まれ変わりが簡単に証明される世の中じゃなくて良かったと思う。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>お釈迦様すら生まれ変わりがあるかどうかなんて知らんと答えている。

確かに聖書が書きかえられていたように、仏典もそうかもしれませんね。
でも、それも人の解釈。裏の裏で、生まれ変わりがあるかもしれません。

>コミュニティの秩序維持のための方法論

なるほどな、否定の理論ですね。

>その思想が産まれた個々の社会で規定される善行そのまんまだからね。

つまり特定の宗教を継承する人間のために作られた思想ということですか。
でも、宗教がどの人種に向かうかということは、宗教自身に止めることはできないでしょう。むしろ宗教はいかに人種を超えて影響を与えられるかということが最大の目論見かと思います。

>生まれ変わりやあの世という考え方は殺人者を作り出すのにとても適している。

戦争の動機に使われ、一方で個人レベルでは救いとなるときもある。一長一短ですね。

>生まれ変わりが簡単に証明される世の中じゃなくて良かったと思う。

なるほど。それはまさに「来世に期待」ということになり、今の人生を捨て去る人が後を絶ちませんね。

お礼日時:2014/07/06 01:30

前世記憶の調査に関しては、本を読まれてはいかがですか?たとえば、「前世を記憶する子どもたち」イアン スティーヴンソンあたりが基本書でしょう。



ここで回答がされているような前世記憶への批判は、この本ではほとんどかわしてあります。
ただ、少数な例である、ということには、スティーヴンソンは同意しています。

もちろん、前世記憶があの世の存在を意味するものではありません。あの世の存在は、死者との交信をするとされる霊媒の発言内容や、幽体離脱による経験を、簡単に説明するものとして想定されるものです。幽体離脱による経験なら、脳神経外科医であるエベン・アレキサンダー自身が経験したものがありますね。大脳機能が停止した状態では見ることが不可能であるはずの、鮮明なイメージを見る経験をしたというものですね。

(科学的?)唯物論や法則はあくまで概念で組み立てたモデルにすぎないのであって、すべての経験しうる事象そのものではないことはふまえておく必要はあります。概念モデルへの執着や特定宗教者の権威を一旦わきにおいて、事実確認が必要ということになります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「前世を記憶する子どもたち」は持ってます。未読なのですが。でも前世記憶への批判は、この本ではほとんどかわしてあるということで、先入観なしに読めそうです。

エベン・アレキサンダーはYOUTUBEの検索でありました。

以下説明文のコピペです。

「死後の世界や臨死体験を完全否定した脳神経科学者で知られていました。
生還後は 自身の脳活動と死後の体験との関係を徹底的にデーター解析した。 その結果 体験中は 一切の脳活動が 完全に停止した状態であったことが明らかとなり 大脳皮質説や脳幹説は 完全に誤りであることがはっきりしました。
 そして 臨死体験や死後の世界での会話等は さらに調査した結果 会話した相手は 本人には まったくわからないが 親族として かつて存在したことも判明しました。 それらの事実から臨死体験や死後生存の世界は 科学的に存在し 否定してきた自身の仮説は 全て誤りとしました。」

>唯物論や法則はあくまで概念で組み立てたモデルにすぎないのであって

同感です。

唯物論の考え方は、考えられる可能な限りの概念、言葉で示したるにすぎません。閉鎖的なんですよ、思考の方向が。

確かに経験則は言葉をもてません。持たされないというべきか。
でもその世界は経験者が最も使う表現「言葉にできないほどの体験」なのだと思ってます。むしろ言葉など要らない世界でしょう。唯物論者は「想像の翼」の楽しみの代わりに、言葉を与えられたのかもしれません。

お礼日時:2014/07/06 01:18

輪廻、と、転生、は別ではないでしょうか。


輪廻は、過去、現在、未来、を一つにした、三世世界、という、最大単位の、世界観、宇宙観のことで、
それを真似たかむどうか、ニ-チェの永遠回帰思想は似たものとも言えます。
転生は、生まれ変わり、であり、生命は生まれ変わる事によって、永遠を志向しています。
子は親や祖先の生まれ変わりであり、心の個人差は、環境と遺伝子的記憶の差でしょう。
輪廻転生と繋ぐのは、ヒンズ-教、や、チベット仏教、の教えでしょう。

死後の霊魂について、NO6さんの、回答にある、アドレスを押してみたら、なっかしい、笑い話?がありました。人が死ぬと、霊魂が抜け、体重が小さくなる。とアメリカの大学が実倹確認した。という話しですが。
30年ばかり前週刊誌で見ましたが。笑ったのは、抜けた魂は、地下の地獄?に沈むのかい。魂が天に向かうなら。魂は空気より軽いわけであり。抜けた分、体重は重くなるのでは。
西洋の科学、学問には、そういうのが多い?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ニーチェは輪廻転生、つまり東洋哲学にも影響を受けていたということですか。

>輪廻は、過去、現在、未来、を一つにした、三世世界、という、最大単位の、世界観、宇宙観のこと

これについてもう少し具体的に説明していだけると、分かりやすいです。

>輪廻、と、転生、は別

転生は、先祖などの身内の血をひきながら、別の人間に生まれ変わるということなのですね。でも輪廻とはどのような違いがあるのでしょう。

お礼日時:2014/07/06 00:54

死んだら、無。




>「死ぬ楽しみ」

「無」・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>死んだら、無。

だとしたら、死ぬ楽しみも無、ということを言いたかったのですね(笑)

でもそれが分からない限り生きているのですから、「死ぬ楽しみ」は誰にも奪われない自由です。

お礼日時:2014/07/06 00:49

少々気になることがあったので追加します。




>前世の記憶についても、それまでバリバリの科学者だった精神分析医が、ある患者の偶然から、自分の価値観を変えざるを得なかったという本も読みました。
>まあ、有名な人ですけれど、世界観が変わった科学者はこれに限りませんよね。

>科学者として、だいぶ検討したと思いますよ。否定していた分、認めるのも抵抗があるけれど、みえざる世界があるということも否定できない。科学者としての名誉に関わるかもしれない。そういう葛藤の末、発表されたものはこれだけではありませんし。

>科学者も幽霊を見ないとは限らない。神やUFOを見たという宇宙飛行士もいました。



科学者というものを何か特別なものだと思いこまれているご様子です。
ですが彼らは専門分野についてよく勉強や研究をしているだけの普通の人であり、けして超人的知性の持ち主ではありません。
思い違いをすることもありますし、妙な宗教にハマることもあれば幻覚を見ることもあります。
小さいころから敬虔なキリスト教の一家で育って敬虔なキリスト教徒のまま科学者になった唯一神絶対肯定派の科学者だって欧米では珍しい存在ではありません。
手品師や詐欺師に騙される科学者も多いです。

しばしばオカルト肯定派の言い分として「偉い科学者の誰それが霊現象(超能力でもなんでもいいですが)を肯定している」というものがありますが、この考え方は科学者がオカルトの真実を適切に見抜く絶対知性の持ち主でなければ肯定とも否定ともどちらの根拠にもならないのです。でも現実の科学者はそんな絶対知性はありません。「科学者が言ってたから~」はもはや『科学者』教と言えるかもしれません。
生物学者に宇宙船のロケットエンジンのエネルギーロスについて意見を求めてもまともな答えは返せないでしょう。物理学の専門家にカレーの美味しい作り方を聞いても「レシピ通りに作ればいいんじゃないですか?」程度のことしか言えないでしょうね。
そこまで極端な話でなくても、例えば化学者が化学薬品の生物への影響を調べようとしたが生物学のことがよく分からず生物学部分が間違いだらけの論文を書いてしまったり、あるいはその逆もよくあります。

件の前世の話にしても精神分析医は記憶や脳の専門家ではありませんし、超人的な観察力や絶対知性の持ち主でもありません。そもそも、まだまだ人間の脳や精神、記憶に関しては分からないことだらけなのです。
ましてや小さい子供の言うことなんてどうとでも解釈可能ですし、親を喜ばせようとしてそれっぽい態度を取った可能性もあります。
もしも前世の記憶を証明したいのなら子供を産まれた時から隔離して24時間監視して外部から余計な情報を一切与えずに育てた上で前世の記憶がよみがえるかどうかを調べる必要があります。
でも現実にはそこまでは不可能でしょう。

そして仮に子供に自分が経験していない記憶がよみがえったことが確かだとしてそれが前世の記憶だとなぜ言い切れるでしょうか。
実際はそれは浮幽霊が囁きかけた内容かもしれませんし、誰かがテレパシーで送信した内容かもしれません。
オカルト以外でも話しかけた人間の雰囲気から脳内でそれらしい内容を組み立ててしまう人もいます。
何気ないやりとりから相手のプライバシーを見抜くコールドリーディングと呼ばれる手法もあります。

つまるところ、ある科学者がオカルト肯定派になったとしてもそれは普通のおじさんおばさんがオカルト肯定派になったという以上の意味を持たないのです。
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この回答へのお礼

ご回答者様も勘違いなさっているようですが、私は科学者を超人などとは考えていません(どのお礼にも書いてないし)。

もちろん、人間なのですから失敗はつきものでしょう。失敗は成功のための前提条件ですから、「科学者」たるものも「人間」が前提です。

私がいいたいのは科学者という常に、客観的立場にたたされている者(そのような立場にたたされたくなければ、スピリチャアリストなどと名乗ればよい)が、主観の世界で経験したことを、客観的事実として検討したり研究し、発表した、その姿勢です。

確率が半々ならば、それを検討する場合、完全な主観でも客観に偏向していた考えや立場が、たまたま中庸的な立場に立たされたとき、結論に至るまでの考えは知るに値すると思うのです。それを頭ごなしに否定するとき、偏った状態のままでいる。

オカルトを全面否定している人は、「ある」という経験をしていない人が多いと思います。
「存在はある」という確信を持った人の「ない」と、経験がない人の「ない」とでは重みや信憑性が違うと思うのです。また結論というものは絶対的ではなくてもよいのです。

たとえば外国に行ったこともなく、教育水準の低い少女が、ある国の言語を話したケース。
催眠状態ですから、潜在意識にアクセスしている最中です。
潜在意識については、私達が意識できる無意識の世界だからです。そこが神だという考えを私も支持します。
心理学、精神医学、神智学等々以前に、無意識を意識できるのは共通の感覚です。心の存在同様です。それらを否定する者の「存在しないと思うことを意識できているという事実」証明することも否定することも不可能でしょう。

存在しないことを証明するのは至難です。彼らはそれを材料に否定するのですから楽なものです。私は態度のことをいっているのです。

確かに倫理上のこと(おっしゃるような四六時中観察できないようなこと)も、否定する理屈となってしまいますし、「ある」ということを証明する方が容易い。だから科学は人と密接につながることができたわけですが、宗教、神智学的世界とも共存してきたのは、人にとって普遍的な意味がある(ある人にとっては科学よりも)という理由からでしょう。

また主観と客観では、後者が支持されやすい。
主観(個人に帰結する感情や考え)を、客観でどう証明するかは、客観性のあふれた世界で客観的に証明する方が容易いということです。

また、科学者は絶対ではないという否定こそ、オカルト否定へのテーゼとなっているわけです。

お礼日時:2014/07/04 16:50

raiden787さんはすごく勉強されたかたですね、


私は経験則で物事を判断しています。

>科学者も幽霊を見ないとは限らない。神やUFOを見たという宇宙飛行士もいました。

この3つを同列で考えている時点で知識が全然ない人と言えます。
もう少し勉強されたほうが良いです。

神様の件
神様は地球上にどれくらいいますか?
有名なところではキリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教、ヒンズー教あたりかと思いますが、
この中でも諸派いろいろありますね、
で人間は何故宗教どおしで対立しているのでしょうか?
人間は神様の代理戦争をしているのでしょうか?

何故同じ国民どおし殺し合いをするのでしょうか?
何故人間どおし殺し合いをするのでしょうか?
神様はそれを見て楽しんでいるのでしょうか?

宗教によって割礼の儀式があるとか、4脚の動物は食べるなとか、輸血をしてはいけないとか、
断食しろとか、神様によって人間にそういう指示がだされているわけ?

輪廻転生は地球上だけで完結するの? 
太陽が燃え尽きたら人間や生き物は生き延びられる?どこへいくわけ?

過去の歴史や目の前の出来事を理解できれば自ずと見えてくるものがあるのでは?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>この3つを同列で考えている

むしろ、ご回答者様のほうが「オカルト」とし、ひとつのジャンルでくくっているため、そのような浅い考え方になっているのだと思いました。

何か答えを求める時、考える時、その材料を得る場合にはバイアスやカテゴリを超えた姿勢でなくてはならないと思います。
「答え」というものは相対的な共通項や違いを経ることが前提ではないでしょうか。またその姿勢が「知を求める」というものではないでしょうか。

それに私は「神」ではないのですから、いろいろ聞かれても応えられません。これらのことは私もいつも考えているようなことですが。

また、ご回答者様は経験則派だそうですから、ご質問のようなことが真実だったとしても永遠に体験しえない、ということになりますよね。

お礼日時:2014/07/04 12:51

返信いたします。



>輪廻転生があるのが重要というわけではないのですね。

そうですね。仏教としては輪廻転生という概念にとらわれる(執着する)ことをよしとしない、そういう考え方のようです。
釈尊は「あの世はあるのか、輪廻転生はあるのか、幽霊や魂は実在するのか」と問う弟子に対して「そんなものはいくら考えたって結論の出しようがない。考えるだけ無駄だ。そんなことを気にする時間があったら修行をしろ」というような答えをされたとのことです。オカルト的なものはいくら考えたところで結論などでません。であればそんなことを考えることに意味などあるのでしょうか?
それでもついついあの世とか霊的なものについて考えてしまうのが我々凡人なわけですが、釈尊のようにそれらをすっぱり意識から切り捨てられる精神力が欲しいものですね。



>でも、争いごとの制御のためだとしても、争いを好まず、生まれながらの人格者のような人にとってはどうなのでしょう
キリストやブッダがそうです。更生したガンジーもそうですよね。非暴力を訴えていましたし、体現していた。争い事や暴力が悪いという結論(悟り)をもったのに、あの世がなければ無に戻るなんて…

キリストについては分かりませんが、ブッダに関しては逆ですね。むしろそういう存在したいという執着こそが苦しみを産む根源的な悪であるとしています。
恐らく悟りを開いた後のブッダは全てが無に還ることなんてどうでもよかったのではないでしょうか。
ブッダは悟りを開いた後はさっさと死のうとしていたという伝承もあります。ですが、どうせ死ぬのならいつ死んでも同じ、せめて死ぬ前に衆生にあなたの悟りを教えてあげてくれないか、と神(恐らくは実際は修行仲間かと思いますが)に解き伏せられて、それもまたよし、と悟りを伝えることを決めたという逸話があります。

ちなみにガンジーの非暴力主義はけして人格者などという生易しいものではありませんよ。イギリスで高度な社会学や法律の勉強をしてきたガンジーだからこそ、非暴力による抵抗こそが同時の世相においては最も政治的に苛烈で効果的な反撃方法であると結論づけただけにすぎません。
自分を慕う人間が次々とリンチされて殺される状況で、「非暴力を貫きなさい」と言い切れるその精神は人格者などという生易しいものではなくまさに独裁者の領域です。
もしもテロリズムが最も効果的な状況であれば彼は確実にテロを実行していたと考えられています。



>この世での善行が問われるにすぎないということになってしまいます。でもこの世界は不条理ですから、誰しも彼らのような超人になれるわけではなく、むしろ報われない方が多い。
>幸福は神に祝福されている状態ではなく、ただ、苦しくとも自分の道を開いていくということなのだといつも考えていますが、それでも頑張っていれば天国にいけるというご褒美が欲しいですね、これは個人的な考えですが。

ブッダの教えに関して言えば、彼は善行を積めなどとは言っていませんね。善行も悪行も幸福も不幸もこの世には存在しない。ただただ人間の認識が本来なにものでもない透明な事象に対して、これは善行、これは悪行、これは幸福、これは不幸、と自分で勝手に色を塗って、それを真実だと思い込んでいるのに過ぎない、という考え方です。
この領域の精神にいきつければまさに無敵なのかなという気がします。
でも私もやっぱりただの凡人なので良いことをしたら報われたいし、もしも死後の世界があるなら天国に行きたいと思ってしまいますね。
個人的には人間の心や魂はあくまでも脳等の物理的な臓器によって生じる現象であって、死後の世界は存在しないだろうなと思ってますけど。
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この回答へのお礼

ブッダについての知られざる一面、とても興味深いです。

>さっさと死のうとしていた

えーもったいない。それって自己中にみえますけど(笑)でも、「教える」というある意味「傲慢なこと」をしてはならないと考えていたかも…
でもその教えを願う人がいなかったら仏教は成立していなかったでしょうね。

ガンジーについては、なるほどと思いました

個人がひとつの主義主張をもっていて、それに大衆がついてくるとき、ついコントロールしたくなる。一度権力をもつと手放したくなくなる。大衆が依存心の強い集団心理をもてば尚更。純粋に権力に対抗していた側がいつしか権力者になっている。怖いですね。まさに紙一重。「政治家」と言われる人たちが「政治屋」になってしまうゆえんですね。
支持者が絶対的多数の人間で偏れば、独裁者もまたマインドコントロールされている側の一部だと思うのです。

これは政治限らず社会に共通するものですが、権力をもつ自分を把握すること。他者をではなく、自分をコントロールすること。自分を取り巻く集団から一度離れてみること。

それができない団体が、自ら作った団体を崩壊させている事例などたくさんあります。

それにしてもブッダさん、善行を積め、とは言ってないのですか…としたら「仏」でありながら限りなく人間に近い(笑)
だからこそ、ますます知りたくなりますね。

私は西洋哲学より、断然東洋哲学派ですから、いつか仏教のことも調べてみたいと思います。
(よろしければ、こういった、ブッダの真実を教えるような本、なにかお勧めのものがあれば教えてください)

>善行も悪行も幸福も不幸もこの世には存在しない

私も最近そう思えてきました。
ただ「現象」というものがあるだけ。意味は人が付与している。その定義が一般的に非常に狭い。
たとえば幸福は名誉、金、地位などすぐに思い浮かぶことができるような世俗的なことを求めがちです。

そういう欲のみの追及でも、人は抽象的なことについて考えないことはない。意識しようがしまいが、体現せざるをえない、それが人生だからです。

「当為」という言葉がありますが、通常の人間は、しばし(宗教的、教育的な側面から)強制されなくとも「当為」的な行為をしますよね。そして影響を受ける人間もいる。

当為についての定義(辞書から)
『カントは,道徳的行為に先行しその実現を可能とするものとして道徳的当為を考えた。新カント学派は,さらに真・善・美などの超越的価値にむけての主観の関係を超越的当為とした。』

悪をできるだけ避ける、という自然発露的な人の心のベクトルといえばよいのでしょうか、善悪もなければ、なぜ意味を付与して、よい方向に到達するために生きるのか、という疑問はあります。

だとしたら、天国も地獄もこの世にある、ということですね。
人の心に共存している正負の反映にしか過ぎない世界とも考えます。

お礼日時:2014/07/03 21:38

お礼ありがとうございます。



>でも水掛け論をすることもまた楽しい。そのための専門家もたくさんいますから。それもまた人生

実は私は輪廻転生肯定派なのですよw

私の長女は、生誕前の記憶を有しており、三歳までは語っておりました。

娘の話の中の「プリンセス」を疑問に思い、「天女」の映像を見せた所、『あ、このプリンセス~!』と発言したのは、してやったり感で一杯でした。


しかし、学問としては証明が出来ませんから、あくまで心の平安の為の「娯楽」だと私は思っています。

楽しいですよね、「次」の可能性が在るのは。

非常口にしてしまっては駄目ですが・・・w
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この回答へのお礼

身近なところでそういう方がいて、羨ましいです。

私も、子どもの前世の記憶などの本を読んだことがあります。
前世の記憶についても、それまでバリバリの科学者だった精神分析医が、ある患者の偶然から、自分の価値観を変えざるを得なかったという本も読みました。
まあ、有名な人ですけれど、世界観が変わった科学者はこれに限りませんよね。

科学者として、だいぶ検討したと思いますよ。否定していた分、認めるのも抵抗があるけれど、みえざる世界があるということも否定できない。科学者としての名誉に関わるかもしれない。そういう葛藤の末、発表されたものはこれだけではありませんし。

科学者も幽霊を見ないとは限らない。神やUFOを見たという宇宙飛行士もいました。

お礼日時:2014/07/03 00:33

馬鹿な事を信じるかどうかですね


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

そもそも輪廻転生にどんな意味があるのか?
生まれ変わったとして、過去の記憶があるのか? あなたは記憶がありますか?w

肉体は分解されて無くなる、で魂が残る? どこに?
あると思ってる貴方、その魂は思考能力がありますか?
思考能力があると思ってる貴方、思考能力に経験値は+されますか?
魂はだれと交流するのですか?

考えたら答えは出てくるでしょうw
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この回答へのお礼

魂の証明についてはこのような実験もあったのですね。

でも、データ=真実ということに限らないでしょう。

幽霊やUFOの存在について、それは「ない」ということの方が多いから信憑性がないのも当然です。
みえざるものについては一様に「あることを証明しろ」と言いますが、では「ないことの証明」もしてほしいと思います。

出た結果こそが「真実」です。

真実を調べるには、双方のことを信用しなければならない。この世は二項対立の世界ですから。

「一方を聞いただけで、もう一方を沙汰するな」ということですね。

お礼日時:2014/07/03 00:18

ぶっちゃけ、輪廻転生は在るか無いか判りません。



証明が出来ないからです。

あるのは「信頼出来る人が言っていた」や「納得行くまで考えた」だけです。

退行催眠で前世の記憶を呼び起こしたとか、前世の記憶を語る子供のデータを検証したデータ等と、目を見張る物はいくつかありますが、数が少ない為、特殊な事例としか言えないです。

信じるか、信じないか。

それだけです。

ですので、未だに水掛け論が続いています。

多分、永久に続くでしょう。

何故なら、どちらも自分に都合がいい事を言っているだけだから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私は少数の事例こそ、真実だと思います。

スタンダードになってしまったら、探るべき真実がなくなってしまう。
もしかしたらそれも神の目論見かもしれません。

神ってもしかしたら潜在意識のことで、物理現象にすぎないとも思えてきました。

信じるということは希望ですが、希望をもたざるをえない人が信じやすいのも確かです。

そんなこと考えている間に死は訪れる…
でも水掛け論をすることもまた楽しい。そのための専門家もたくさんいますから。それもまた人生。

あの世があるかないか、本当にこればっかりは、死ななければ分かりません(笑)

お礼日時:2014/07/02 23:05

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