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今混乱しています(*_*)

「私は従姉妹の家庭教師をさせてもらっている。」という文は、日本語でないと、強く否定されていました。ですが、僕はこの文に誤りを見出だせません(*ToT) 何がいけないのでしょうか。

(私は従姉妹の)家庭教師、を、さ、せ、て、もらって、いる(いただいて、いる)

一、 家庭教師をする → ○
二、 家庭教師をさせる → 保留
三、 家庭教師をさせてもらう → 補助動詞の「もらう」を伴って許可使役となり、意味が通るから、○
四、 家庭教師をさせてもらっている → ○

このような分析をし、平成産まれの僕は何の違和感も抱かないのですが、どこが間違いなんでしょうか。みなさん、教えてください。

A 回答 (4件)

基本的には自然な文であり、「いけない」ことはありません。


「させてもらう」というのは、「相手の許可をもらって~する」という意味ですが、実際に使う場合、「相手の許可をもらったという形をとって~する」という意図で使うこともできます。
たとえば、「この店をいつも使わせてもらっている」と言う場合、
『「この店が、この店をいつもわたしに使わせる」という状態を、わたしは、この店の許可を得て、もらっている』という構造。
つまり、「この店」の許可を得てわたしは「この店」を使っていることになります。
「なんで店に許可を得なきゃならんのだ、おかしいだろう。こんな表現は間違っている」と異議を唱える人もいるかもしれません。
しかし、本当に許可を得るわけではなく、「相手の許可をもらったという形をとって使う」ということです。
では、なぜ、そんな面倒くさい言い方をするのかというと、このように表現することによって、「この店」から自分が何らかの利益を得ており、それはありがたいことだ、という気持ちを表すことができるからです。
どんな利益かというと、たとえば「おいしい」です。他にも、「近くて便利」「安い」など色々な場合が考えられます。
いずれにせよ、「この店」は自分より上位の存在である、自分にとって有益で貴重な存在である、という意図を表現することができます。
つまり、「相手を立てる」という、謙譲語表現と言うこともできるわけです。

「私は従姉妹の家庭教師をさせてもらっている」と言う場合。
『「従姉妹(あるいは従姉妹の親など)が、家庭教師をわたしにさせる」という状態を、私は(従姉妹、あるいは、従姉妹の親など)の許可を得て、もらっている』という構造です。
この場合、従姉妹(あるいは従姉妹の親など)は、自分より上位の存在である、自分にとって有益で貴重な存在である、という意図を表しています。
この場合、敬意と言っても良いですが、それよりは、代金をもらっているという意味での有り難さであったり、教えてやっている、という恩着せがましさや上から目線が無いことの表明であると考えるほうが自然かもしれません。
いずれにせよ、相手を自分よりも上位に見ていることを示すための謙譲語表現です。
極めて自然な文であり、違和感を覚えないのが自然な感覚と言えるでしょう。

ただ、何事もそうなのですが、シチュエーションによっては不自然になることも当然あります。
つまり、使役の動作主体に対して敬意を示したり、上位に見る必要のないシチュエーションで使うと不自然になる、ということです。
この点に関しては、文化審議会答申<敬語の指針>40~41ページにも詳しく記されていますのでご参照ください。
なかなかわかりやすく書かれています。
<6 「させていただく」の使い方の問題>
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/bunkasingi …
  
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#3です。


申し訳ありません。ちょっと訂正です。

×
謙譲語表現


謙譲的表現

「私は従姉妹の家庭教師をさせていただいている」なら謙譲語。
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この回答へのお礼

よかった~。一安心しました。
詳しく解説してくださり、ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/15 18:21

>私は従姉妹の家庭教師をさせてもらっている


「~させてもらう」は、「やりたいことがあるので、その人に許可をもらってさせてもらう」というニュアンスがあります。ですから、「私」はすごくいとこの家庭教師をやりたくて、いとこに許可をもらって家庭教師をやっている、と誤解されるおそれがあります。

>一、 家庭教師をする → ○
>二、 家庭教師をさせる → 保留
>三、 家庭教師をさせてもらう → 補助動詞の「もらう」を伴って許可使役となり、意味が通るから、○
>四、 家庭教師をさせてもらっている → ○
「家庭教師をする」と「家庭教師をさせてもらう」もらうには、「許可」のニュアンスがあるかないかという大きな違いがあります。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

初めの文に書かれたような含蓄があるのは何となく分かります。確かにそのような含みはあるのですが、その意味が、単にへりくだって言う謙譲の意味より強く主張する、前に出てくるという事は無いと感じるのです。如何でしょうか。やはりそのような恐れのある以上、他の表現に置き換えるべきですか。

下の一、二と書いたのは、単に「する」に要素を付け加えてゆく過程を示したものです。

補足日時:2014/07/15 12:46
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これは相手によりけりなんですよね。

家庭教師をしている家の家族に対しての言葉なら×ですが、第三者への言葉なら○ということになります。告げている相手が家族であれば『貰う』を『戴いている』と直すべきです。

この回答への補足

否定される故が、どうも、敬語になっていないからなどと言う単純なものではないようなのです。

また分かれば、よろしくお願いいたします。

補足日時:2014/07/15 12:50
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