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日本国憲法の改正について皆さんの意見を聞かせてください。
一応、僕の意見を述べさせていただきます。まず初めに、この憲法自体が日本人の手によって作られていな事、そして日本国民からの承認を経ていないことが大前提です。そして9条をはじめとした詳細のところも現在の状況にあっていないと思い突っ込みどころが満載で、どこから突っ込んでいいのかと思うのですが、一点だけ突っ込みたいと思います。それは前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」ですね。なんで自国の安全と生存を他国民に任せる点ですね。日本の憲法なのにしょっぱなから他国民が出てくるのは、やはり日本人が作っていないからだと思います。
簡潔に述べると、自国の憲法なのに自国民の手によって作られていないため改正すべきだと思います。
みなさまのご意見をお聞かせください

A 回答 (10件)

押しつけの憲法ではないかという議論、それも十分あってよいと思います。

私はそれよりも、「自分の安全は自分で守る」という極あたりまえのことをする際にもいちゃもんつけるような、つけられるような条文のあることがもっと問題があると思います。高いお金で兵器を買っているのに、この条文のために性能が骨抜きにされているという現実も直視すべきであると思います。

憲 法 は 改 正 す べ き で す。憲法を改正するのは「戦争をする国」になるのではなく、必要に応じ「戦争もできる国」になるためです。ならず者国家に侮られるのも、この今では役立ない憲法のせいです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます
僕もいちゃもんをつけられるような条文は変えるべきだと思います。しかしながら改正規定のハードルがあまりにも高すぎですね。余談ですが、周りの人には冗談で言っているたとえは、冬の富士山を三歳児が夏服で登頂させるレベル、と言っています。

戦争をできる国=戦争をする国という考えは極論すぎますよね

補足日時:2014/07/15 23:40
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諸国民て外国のことだっけ?

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
>諸国民て外国のことだっけ?
日本国民でない以上、外国人と考えましたがいかがでしょか?

補足日時:2014/07/17 21:19
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憲法を変えようとして一番怒るのはアメリカでしょう


日本の憲法(特に9条)は日本に戦争をさせない様にするためのものですから
なのにそのために アメリカが戦争したら日本に支援しろ と怒ります

しかし多くの国民は日本国憲法がGHQが作ったとは知りません
まずはそこから周知させるべきと思います

この回答への補足

ご回答ありがとうございます
>憲法を変えようとして一番怒るのはアメリカでしょう
ハードエビデンスはないのですが、9条を改正するように米国からの圧力はあるようなので、必ずしもアメリカが怒るとは言えないと思います。
>しかし多くの国民は日本国憲法がGHQが作ったとは知りません
まずはそこから周知させるべきと思います
その通りだと思います。時間が経つにつれ米国が情報を開示し始めていますので、GHQの対日政策が確実なエビテンスを持って公開されていますので、もっと知るべきだと思います。

補足日時:2014/07/17 21:24
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”この憲法自体が日本人の手によって作られていな事”


    ↑
正確ではありません。
マッカーサーの命令で、草案(松本草案)を作成した
のですが、マッカーサーに却下され、マッカーサーの
部下が六日で創った草案を翻訳し、
帝国議会に提出、承認されて造られたのが今の憲法です。
だから日本人の手で造られたのです。


”日本国民からの承認を経ていないことが”
   ↑
明治憲法の改正手続きに従って造られたので
そういう意味では日本国民の承認を得ていませんね。
なお、当時の日本国民には、翻訳憲法だ、という
ことは知らされておりませんでした。


”日本の憲法なのにしょっぱなから他国民が出てくるのは、
 やはり日本人が作っていないからだと思います。”
     ↑
日本人が造ったのですが、米国の意向が強く反映
されている憲法だ、ということです。
しかも占領中ですから、いわば銃を突きつけられて
造った憲法です。
これは、法的には無効という他ありません。


”自国の憲法なのに自国民の手によって作られていないため改正すべきだと思います”
     ↑
改正、というのは現行憲法が有効であることを
前提にしています。
しかし、現行憲法は無効です。
だから、無効宣言をすべきです。
予め、現代に合致する憲法草案を作成しておいて、
無効宣言と同時に、明治憲法復活、明治憲法に基づく
憲法改正をタイムラグ無しでやるべきです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
>帝国議会に提出、承認されて造られたのが今の憲法です。
だから日本人の手で造られたのです
もともとの日本の草案は、帝国憲法と酷似していたてめGHQ主導の憲法草案をつくり、日本側は翻訳したのみですし、日本国の議会が承認しましたが、あくまでも占領時代ですので、日本人の手で作られたとは言えないのではないでしょうか
>当時の日本国民には、翻訳憲法だ、という
ことは知らされておりませんでした。
このエビデンスがあるのならぜひ教えてください
>無効宣言をすべきです
是非、宣言して頂きたいものです。

補足日時:2014/07/17 21:31
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失礼ですが、そういうのはまだまだ子供の憲法観だと思いますよ。

そういう論理はネトウヨ界では通用するものの、まともな憲法改正論議として相手をする人は皆無でしょう。
一部の商業右翼が似たような主張をしていますが、それは彼らのカネ儲け(原稿料稼ぎ・講演料稼ぎ)のためであり、まともに俎上に載るようなものではありません。

今の憲法は日本人の手によって作られていないと思われているようですが、全然そんなことは無いです。旧憲法、即ち大日本帝国憲法に定められた手順を経て、正式に改憲されてます。その成立過程に全く違法性はありません。
またそもそも、旧憲法下では日本国民には主権が無かったので、改憲するにしても唯一の主権者である昭和天皇から日本人に新憲法を与える、という形態だったのです。旧憲法は、日本人が新憲法を決める、というような法理念では到底ありませんでした。

なので、「日本人が新憲法を造ったわけではないから、今の憲法はダメだ」というのは間違いで、
「日本人には新憲法を作る資格が旧憲法下では与えられていなかった。天皇が新憲法を国民に与えた結果、ようやく国民に憲法制定権が発生した」というのが正しい。
昭和天皇が行った改憲によって、国民一人一人の憲法論議がようやく可能になったのです。
OKじゃないですか。

国民に憲法改正権が移行した今、どうやって改正していくか、それを論議するのも新憲法の下においてであり、決して旧憲法下のような体制からは発生しません。
我々は憲法改正によってようやく正式な民主主義制度を手に入れたのです。近代社会の中で人が人として、基本的人権が認められたのも新憲法によってです。

また、新憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」の部分ですが、旧憲法支持者たちはこれを非武装無抵抗主義としてとらえるようですが、その解釈はひねくれ過ぎてます。
その部分の全文を上げれば、
----------------------
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
----------------------
現状と比較すれば、米国人の公正と信義に信頼して日米同盟を結び、日本の安全保障体制を構築している、と読めませんか?
より一般的に言えば、諸外国の国民と相互に人権を尊重し合い、共に恒久平和をめざし、その公正と信義を信頼して、その環境下で我々の安全と生存を図る。その環境を形成する為、日本国民は努力する、と。安全保障の国際協調主義です。
今流行の言葉を使えば「積極的平和主義」とでも言うのでしょう。
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前文の「平和を愛する諸国民」とありますが、日本の認識する諸国民はどれだけいるのでしょうか?


封建主義テレビ時代劇の時代においては、中国とか朝鮮その2つしか無かったような政治体制が見られる。チョンマゲ諸藩冊封はあったにしても。に対して、2つの大戦の発祥地ヨーロッパにおいては、現EU加盟国を見ても28の地域がある。 2つ3つで諸国民とするような頭脳枠組みでは到底時代遅れでありそれは言うに及ばず封建/帝國/軍事支配その暴力体制の餌食となるのではないでしょうか? 日本が28の諸国家をカウントするには大きな面積となるのでしょうが、狭い地域で世界大戦を勃発し、その再発防止を徹底する現EUまたは今後のEU、それら平和を愛する国家群と地域こそ井の中の蛙に甘んじる日本のテキストとなるような気がしないでもありません。
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逆に『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、


われらの安全と生存を保持しようと決意した』なんて
珍妙な文章が挿入されたのには理由があった、
と考えると現状がちょっと理解しやすいのではないでしょうか。



日本国憲法の正当性について考えたときに、
承認当時の帝国議会は現職の80%、全体で20万人が公職を停止された
状態での選挙で、第一党を取った政党の党首すら公職停止で
首相になれない状況下を考えると、
本来の民主主義の観点から、
国民の意向が最大限に反映されているとは言えないかもしれません。


さらに枢密院の審議も、吉田首相から『修正は許されていない』
ことを伝えられたうえでのものですので、無意味だったかもしれません。


加えて手続き的にも、帝国議員にすら傍聴が許されない小委員会で
最終的な受け入れが決定しています。
当時の小委員会の速記録が1995年にようやく公開されたのですが、
議事でも『其の筋』の意向に沿うことが明記されて
(あるいは誤って残ってしまって)いるので国民の意思とは
とても言えないかもしれません。

少し脇道に逸れますが、其の筋とはにアメリカのことではなく、
極東委員会、つまりソビエト・中国(中華民国)、およびイギリス、オーストラリア
の意向のことで、アメリカとGHQはこの調整を行っていました。
日本が修正案を提示するたびに、反対意見を出していたのです。
特に9条の修正案については、中華民国の蒋介石の意向が色濃く反映されています。
ここから『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と
生存を保持しようと決意した』につながるわけです。



もっと平たくざっくり、言うと
『英米主導だけど、中国・ソビエトの意向も反映して調整したよー』
ということであるわけです。



では、そもそもなぜ、日本はここまでの譲歩を受け入れたのでしょうか?
何か目的があったはずです。



敗戦を受け入れたから?
これは直接にはつながりません。
なぜなら、イタリアとドイツは治安維持のための小規模軍の維持を
認められているのですから、敗戦と軍の所持の禁止を同一視することは、
当時の常識としても極めて異質なものなのです。

たとえば当時の共産党などの左派は
『自衛戦争が正義の戦争であるのは明白なのだから、侵略戦争のみを放棄するとすべき』
と至極まっとうな主張をしていました。
(今日の同じ名前をパクっている政党は、おそらくわすれんぼさんなのでしょう。)





論理性を放棄してもなお、見返りにあるものを維持することを優先し、受け入れた。
その上で、見返りを得た。


これが実情なのです。


その"見返り"が何であったのか、については
改めて触れるまでもないことかと思われますが、
少なくとも見返りを得ている以上、もし他国の意向を反映したことが
罪だというのであればこの点において、受け入れた議会、国民も同罪と言えるでしょう。
(私はこの努力を、必ずしも罪とは言えないと思うのですが・・・)


改正の正当性を論ずるのであれば、見返りにそれだけの利益があったか、
そして改正をすることで、その見返りに影響があるのか。
そもそもこの見返りはいらないんじゃないのかなどなど、
この点をこそ、改めて考えてみたほうがよろしいんじゃないでしょうか。
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対立する者に侮辱的な表現でレッテルを貼り、響きの美しい言葉で、現実主義の警戒心を排他的感情と歪曲して、敵国との友好を語るのは売国奴の常套手段ですね。


欧米の軍事協力や、スイスの「武装中立」の実態を知らない方も、このような思考に陥るようです。

【解説に挑戦!~スイス民間防衛に学ぶ~】


日本が、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼したからといって、「諸国民」がそうであるという事にはなりません。
他人を信じられないのは悲しい人ですが、誰でも信じるのは愚か者です。

【「民間防衛」スイス政府刊よりー自由と独立、民主主義、防衛について】
https://www.youtube.com/watch?v=XPRy6YhsfTs
(我々の平和な生活を手中にその握っている強大国が、理性的であり賢明であることを、心から希望する。しかし、希望を確実な事実であると見る事は、常軌を逸した錯誤であろう。そこで、最悪の事態に備える覚悟をしておく必要がある。)


日本国憲法については、(↓の事情と経緯をご存じなのか知りませんが)「押し付けでない」という主張をする方がいらしゃるようですね。

GHQからの、憲法の改正についての幣原喜重郎内閣(1945年10月6日成立)の主張は↓でした。

A:そもそも帝国憲法は民主的なものであり、占領下で憲法を変えるべきではない。
(女性参政権やその他の問題についても、法改正で十分である)

10月13日:↑に対して、マッカーサーは改憲を「示唆」(ということになっています)し、内閣は憲法調査を決定します。

「示唆」の理由ですが、強要(押しつけ)すると↓によって国際法違反になるからです。
(マッカーサーはその為に改憲は日本政府の自発的なものであるという形にしようとしました。)

【陸戦の法規慣例に関する規則】
第43条:国の権力が事実上占領者の手に移った上は、占領者は絶対的な支障がない限り、
【占 領 地 の 現 行 法 律 を 尊 重】して、
なるべく公共の秩序及び生活を回復確保する為、施せる一切の手段を尽くさなければならない。


10月25日:この示唆を受けて、日本は憲法調査委員会を召集します。
1946年
2月1日:(何故か)改正案が毎日新聞に漏えいし、マッカーサーが改正案を知ります。
(改正案はAの主張により、大きな変更はありませんでした)
2月13日:↑の日本の案に対して、マッカーサーから(2週間足らずで作った)改正案が提示されました。
(改正案が作られた経緯と内容の詳細は動画を参照してください。)

3月6日:(しょうがないので)マッカーサーの改正案を受け入れた「憲法改革草稿」を発表。
帝国憲法73条に従って、天皇が内閣の輔弼により発議されます。
6月21日:衆議院に提出。【GHQ監視下で自由で民主的に】審議
8月24日:衆議院で可決
10月6日:貴族院で修正可決。
10月7日:衆議院で可決
11月3日:天皇の裁可。公布。
1947年5月3日:日本国憲法施行

↑の審議ですが
当然自衛権について問題になり、(あの)共産党ですら
【主権国家の憲法が自衛権を放棄するなどありえない】と言っています。



帝国憲法について、国民に改憲の権利がなく憲法論議が出来ないようなもので、民主的なものではなかったという意見があります。

しかし、そのような事を言う方は、帝国憲法発布前の大騒ぎや、当時の諸外国の評価を知らずに、戦時中(非常時)の統制や権利の制限が、戦前すべての時代の事だと思っているではないのでしょうか。

【これが帝国憲法だ~先進的な内容に世界が驚嘆!】
https://www.youtube.com/watch?v=b0Jzo_fIk24
(帝国憲法へ海外の反応
「あまりにも開明的すぎる!!」
「こんな権利のバラマキして大丈夫か?」)

それに、その論理では、日本国憲法も民主的に制定されたものではないということになります。
何故なら、日本国憲法は、前述のような(外国の意向と)「民主的でない」帝国憲法が定める手続きに基づいて、制定され施行されたものだからです。

それに帝国憲法の改正は天皇の裁可が必要ですが、その内容は国民の代表である議会の決定に基づくものです。
日本国憲法では、間に国民投票が入っているに過ぎません。
国民投票がないと、民主的ではないのでしょうか。
だとすると、議員は国民の代表ではないのでしょうか。

私は、真に民主的に憲法を改正するなら、
日本国憲法を廃止して帝国憲法に戻し、まずそれを国民の意志で改正できるようにした上で、他の条文も改正していくのが正当な方法だと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=GlkF7nkLORk
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どのような主義主張をするのも質問者氏の自由ですけれども、物凄く簡単に言ってしまうと考え方がずれていますね。



> 自国の憲法なのに自国民の手によって作られていないため改正すべきだ

という意見をいう人を時々見受けられますが、では自国民の手で作っていればどのような不都合のある憲法でも受け入れるのでしょうか? 例えば明治憲法のように兵役があったり信教言論学問の自由が制限されていたりしても?
私には、そうではないと思います。

自国民の手で作っているかいないかに関わらず、「××という不都合があるから」という理由で改正すべきだという声を上げるべきです。

無効論も時々見かけますが、廃棄して全く同じものを制定するのであれば意味がないわけですから、やはり同じように不都合があるという点をまずは指摘すべきでしょう。


個人的には憲法は改正すべきだとは思っています。
例えばいくつかのいわゆる「新しい人権」についての憲法上の根拠を明らかにすべきものが存在するためであったり、防衛についていくつかの点の扱いを憲法上はっきりさせるためです。
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3分の2から2分の1に変える。


そうすれば、後は自然に変わっていく。
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