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(1)そもそも純粋状態(固有値を持たない状態)でない場合の観測値とは何なのでしょうか?
また、(2)観測という行為により状態は、観測結果に対応する純粋状態に本当に収斂するのでしょうか?
また(3)保存則が成立するためには、対生成粒子の一方が観測によりある純粋状態に収斂したとするとそのタイミングで(測定をされようがされまいが)他方も対応する純粋状態に収斂しなければなりませんが、観測されなかった粒子の方は如何にして他方が収斂したことを知るのでしょうか?
EPR相関では観測結果において保存則が成立しているとの前提があるため、理解しがたい結果が生じていますが、(4)観測結果において保存則が成立しなくてはいけない理由はあるのでしょうか?
たとえば下記のようなケースを想定すると測定結果において保存則が成立していなくても系としては保存則が成立していて問題がないように思えます。

1)観測によって状態の収斂は生じない。よって観測後も対粒子は共に互いに相補状態で保存則を満たしている。
2)観測によって状態の収斂は生じる。但し観測によって状態の収斂と同時に被観測粒子の不確定性は測定系の中に取り込まれ、全体としては相補状態で保存則を満たしている。

上記(1)~(4)の素朴な疑問(1つでも結構です)に対する御知見があれば教えてください。

A 回答 (4件)

遅くなりすいません。



>保存則の件
例えばスピン一重項の電子対のスピンのz成分を測定した時に一方がアップという結果であれば他方はダウンという結果であるというのが実験事実です。
両方ともアップというような結果になるというような事があってもいい、と仰っているように見えるのですが、もしそうであるのなら現実の世界ではそのような事は起こらなかった、としか言いようがありません。

>コペンハーゲン派の考え
何がどうなっていれば「実際に収斂という現象が生じている」と判断するのですか?
例えば実験的に検証できるかどうかで判断するのなら、収斂を確認する実験は存在しないので現象も存在しないという事になりますが。
コペンハーゲン解釈では波動関数を実在の波とは解釈しませんので、そういう意味では収斂も実在の現象ではないという解釈になりますかね。

>相対論
量子もつれ状態にある粒子対の一方をアリスに他方をボブに渡したとします。この粒子対を用いてアリスからボブにメッセージ(簡単のため"0"または"1"のいずれか)を送るにはどのようにすればいいとお考えなのですか?
※必要に応じて粒子対を複数用意するなど、条件を変更しても構いません。

アリスの観測の結果すれば「観測したという情報が収斂という形でボブ側に伝わっている」とお考えのように見えますが、「収斂したかどうか」という量は可観測量(物理量)ではなく観測する事はできません。したがって、ボブにはアリスが観測したという情報は伝わらず、相対論との矛盾はありません。


>追加での質問(Aspectの実験)
一般には局所的な隠れた変数理論は否定されたと解釈されます。
CHSH不等式は隠れた変数λの分布関数がρ(λ)であるという仮定の下で導出される不等式で、この不等式の破れを確認したのがAspectの実験です。
まさにお考えの可能性を否定したと考えて良いかと思いますが、この仮定とは別の可能性があると考えという意味でしょうか?
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>1)”純粋状態(固有値を持たない状態)でない場合” 混合状態とご理解いただければと思います。


混合状態であっても#1に書いた以上の答えは思い浮かびません。
古典論での観測値、純粋状態の観測値とはそれぞれ何なのかを書いて頂ければどのような答えを求められているのかが分かるかもしれません。

>特殊なEPR相関にある状態(量子もつれ状態かつ片方の波動関数をφとした場合、他方が-φであるような関係)を想定しています。
一方の波動関数が他方の波動関数の位相を変えただけであるのならば、量子もつれ状態にはなりません。


>3)質問(4)の意図
この文脈で出てくる「保存則」というのは
量子もつれ状態を作る「前」と作った「後」である物理量(大概は全角運動量)が等しい
という事を指しているのは理解されていらっしゃいますか?

いずれにしても保存則が成り立っているという実験事実がまずあって、その上で各粒子に対して測定を行った時の相関について議論しているのです。その前提が成り立っていなくてもいいんじゃないか成り立っている必然性はないなどと言われても、成り立っている場合を考えているんだとしか言いようがありません。


>1)コペンハーゲン解釈を含め、観測という行為による状態の収斂は生じているかどうかは不明との理解でよいのでしょうか?

コペンハーゲン解釈では状態の収斂は生じると考えます。
他の解釈では必ずしも状態の収斂は生じるとは考えません。
状態が収斂するかどうかはどの解釈を採用するかで決まります。

>2つの粒子が十分に分離されていた場合には相対論反し、かつクラスター分解性を失ってしまうと思えるのですが、

一方の粒子を測定した側から他方の粒子を測定した側へ情報が伝わらないので相対論には反しません。
クラスター分解性の話はきちんと勉強した事はありませんが、平たく言えば元々は同じ地点にあった粒子対に関して考えているので、相関を持ってもクラスター分解に反するものではない、という理解で良かったはずです。

この回答への補足

再度のご回答ありがとうございます。
最初の質問事項については、古典論での観測値、純粋状態の観測値とはそれぞれ何なのかを書いても、先のご回答(No1)以上のものは無いと思いますので、特に補足はいたしません。

一方の波動関数が他方の波動関数の位相を変えただけであるのならば、必ずしも量子もつれ状態でないのは当然です。
また量子もつれ且つ一方の波動関数が他方の波動関数の位相を変えただけものも、質問での記述した相補状態とは異なるので更にEPR相関にありとの条件も付加しております。

保存則の件
 ここは最初の質問に関連してきます。観測者が得られるのは観測値のみであり、観測値は単に観測した結果であればそこでは(観測結果においては)保存則が満たされなくても問題は無いのではないかということです。
保存則自体は、そこに対称性があれば必然的に成立する必要性があるはずです。実験結果がどうのこうのという問題ではないはずです。逆に言えば対称性がない空間を対象とすれば、保存則があっては問題となるはずですが。

コペンハーゲン派の考え
収斂はしたと測定値(固有値?)が観測される結果の説明として収斂という現象を考えるだけであって、コペンハーゲン派においても実際に収斂という現象が生じているかどうかは問題視していない。という理解が正しいか如何かが疑問点です。

一方の粒子を測定した瞬間に他方が収斂したとすると、一方の粒子側から他方の粒子に情報が伝わる必要があるので相対論に反します。EPRパラドックスがEPR相関として認識されるようになったのは情報が伝わるのではなく、互いに特殊な相関(EPS相関)になっていた結果で相対論に反しないと理解されたからではないでしょうか?
EPR相関にある一方を測定した瞬間に、他方が収斂するためには測定されなかった粒子に他方が測定されたという情報が伝達される必要があります。よって同時収斂するとの解釈をすると相対論に反します。

追加での質問
上記前提(特に測定値の問題)を踏まえ、Aspectの実験結果(CHSH不等式の破れ)は本当に隠れた変数理論を否定するものでしょうか?我々が得られる測定値は、測定した結果でしかなく、神はサイコロを振らないが、観測者はたくさん或るサイコロの面の一つを選択してみるとした場合、観測の仕方(隠れた変数)を固定できれば
ベルの不等式は成り立つが、固定できなければ得られる測定結果は確率的になり、ベルの不等式は容易に破れれるはずです。(このこともあり、ベルの不等式においては各測定は同一であるとの前提条件が付加してあったと思うのですが)
単なる解釈の問題とも見えるのですが、決定論かそうでないかの大きな問題だと思うのですが、如何でしょうか?

補足日時:2014/08/03 22:43
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観測問題って観測が何を指すのかさえわからないってことだよね?



観測問題の根本には、「観測」が何を指すのかさえ明確に定義できないという困難がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E6%B8%AC% …

ひゃまの解釈では、観測という行為そのものじゃなく、観測システムそのもので得られる結果
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>(1)そもそも純粋状態(固有値を持たない状態)でない場合の観測値とは何なのでしょうか?


「純粋状態(固有値を持たない状態)でない場合」をどのような意味で書かれた微妙な所ですが、観測値とは何かと聞かれても「観測の結果得られる(た)値」以外に説明のしようがありません。


>(2)観測という行為により状態は、観測結果に対応する純粋状態に本当に収斂するのでしょうか?
状態の収斂という概念は、コペンハーゲン解釈という量子力学の一つの解釈に過ぎません。広く受け入れられている解釈ではありますが、この解釈を採用しなければいけない理由はありません。大事なのはそういう解釈で現象を説明できているという事です。

>(3)保存則が成立するためには、対生成粒子の一方が観測によりある純粋状態に収斂したとするとそのタイミングで(測定をされようがされまいが)他方も対応する純粋状態に収斂しなければなりませんが、観測されなかった粒子の方は如何にして他方が収斂したことを知るのでしょうか?

「一方の粒子の観測により他方の粒子の状態も収斂する」のではなく、「一方の粒子の観測により、粒子対の状態が収斂する」のです。


>(4)観測結果において保存則が成立しなくてはいけない理由はあるのでしょうか?
「相補状態」という独自の造語を何の説明もなしに使っていらっしゃるので何を仰っているのかさっぱりわかりませんでした。

この回答への補足

言葉の定義があやふやで申し訳ございませんでした。私の理解している範囲での補足説明できる部分については、補足をさせていただきます。また、ご回答内容において、確認をさせていただきたい事項がありますので合わせて下記いたします。もしお手数でなければ、ご回答いただければと思います。

説明の不十分な言葉の補足説明
1)”純粋状態(固有値を持たない状態)でない場合” 混合状態とご理解いただければと思います。
2)”相補”状態とは互いに補う関係の状態です。物理分野では造語であるかもしれませんが、国語辞典には載っている言葉(相補として)です。ただし、物理学の質問を行う上においてはしっかりとした定義が必要であったということは大変勉強になりました。ここではたぶん特殊なEPR相関にある状態(量子もつれ状態かつ片方の波動関数をφとした場合、他方が-φであるような関係)を想定しています。
3)質問(4)の意図
粒子対の一方が観測された場合、他方は保存則を満たすために観測された粒子に対応する測定値を示す状態にならざるを得ないのか?
私の浅はかな理解ではEPR相関を満たす粒子対は互いに保存則をみたす状態であり、確率的には測定結果は互いに保存則をみたす状態ではあるが、確率的であるが故に保存則を満たさない可能性もあると考えるのですが如何でしょうか?一般的な物理の書籍等では保存則を満たすために片方の粒子が測定されると他方も測定結果が決まるように記述されていますが、測定値が単に測定された結果であるなら、測定結果においては保存則が満たされなければならない必然性はどこにも無いように思えます。

確認したい事項
1)コペンハーゲン解釈を含め、観測という行為による状態の収斂は生じているかどうかは不明との理解でよいのでしょうか?(コペンハーゲン解釈はある固有値に対応する観測値が得られた事実の説明のために対応する純粋状態に収斂したと解釈するのみで、収斂したかしなかったかは問題外)
2)”「一方の粒子の観測により他方の粒子の状態も収斂する」のではなく、「一方の粒子の観測により、粒子対の状態が収斂する」のです。”とのことですが、この場合、2つの粒子が十分に分離されていた場合には相対論反し、かつクラスター分解性を失ってしまうと思えるのですが、これば私の浅はかな理解のためでしょうか?(ご回答いただいた内容はコペンハーゲン解釈に基づいたものと推察されますが、その解釈においてはここで記した私の疑問はどのように説明されているのでしょうか)
 

補足日時:2014/07/27 16:38
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