【復活求む!】惜しくも解散してしまったバンド|J-ROCK編 >>

第二次世界大戦で日本がアメリカに負けた理由は資源や兵器の物量の差が理由だったというのは、そう言われたら確かにそうだろうと思うのですが、ナチスドイツに国土を蹂躙され、生産設備をほとんど破壊されたはずのソ連がドイツに侵攻し、最終的にベルリンを占領できるほどの力を蓄えることができた理由がよくわかりません。焦土と化した国内でどうやって兵士を訓練し、兵器を増産できたのでしょうか。
普通に考えたら、独ソ戦は日中戦争のヨーロッパ版みたいなもので、ソ連は最終的にドイツを追い出すことには成功するでしょうが、相手方の国土に攻め込むほどの余力はとても持てないのではないかと思うのですが。

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A 回答 (11件中1~10件)

1942年6月当時、ドイツ軍が北アフリカ戦線に投入したのは3個師団。

これに対し東部戦線は171個師団。

Location Of German Divisions In June Of Each Year
Country      1941   1942   1943  1944
USSR        34     171   179   157
France, Belgium
& Holland      38     27    42    56
Norway & Finland 13     16    16    16
Balkans       7       8     17    20
Italy          0       0     0     22
Denmark       1       1     2     3
North Africa     2       3     0     0
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html

それからイギリスが受け取ったレンドリースは、大戦を通じてソ連の3倍にも及ぶ。

           1941    1942   1943   1944    1945    Total
        (Mar. to Dec.)                (Jan. to Aug.)
Total aid to British
Commonwealth  1,082  4,757   9,376  10,766   4,437    30,073
Aid to Russia    20   1,376   2,436?  4,074   2,764    10,670
Aid to other countries                              2,872
Total lend-lease aid                               43,615
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/BigL/BigL-5. …

 だが、現実は違った。ヒトラーは、対ソ侵攻開始直前の四一年六月十一日に発令した総統指令第32号「バルバロッサ以後の事態の準備について」の中で、対ソ戦が終結した後の四一年から四二年にかけての冬の期間に、陸軍の60個師団をロシアに駐留させるとの計画を立て、この駐留で必要となる冬季用装備についても陸軍側で手配が完了していた。
 ところが、四一年十月以降、ソ連国内での鉄道輸送網がパンク状態に陥っていたことから、用意された冬季用装備は、輸送手段がないためポーランドのワルシャワで山積みになったまま放置されてしまう。
http://wau.private.coocan.jp/wwtef/gaso/kampfe_v …

「終戦までのドイツ国防軍全体の損失は1348万8000人を数えた。このうち1075万8000人が東部戦線で戦死するか捕虜になった」
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784059011736

 ユーリー・レヴァダ分析センターが実施した世論調査の結果によると、ロシア人の60パーセントが、ソ連は第二次世界大戦で同盟国の援助なしに勝利できたはずだとの確信を示している。なお、回答者の32パーセントが、それに反対の見解をとっている。
http://japanese.ruvr.ru/2011/06/22/52225119/


戦線別ドイツ軍戦死者統計
Losses per theater
Theater      Dead      %
Africa       16.066     0,3   ←アフリカ戦線ww
Balkans      103.693    1,9
 North      30.165     0,6
 West       339.957    6,4
 Italy       150.660    2,8
Eastern Front
(- Dec 1944)  2.742.909    51,6   ←ソヴィエト赤軍は
Germany (1945) 1.230.045   23,1   ←頼もしいよなぁ♪
Various       245.561   4,6
 Total       4.859.056
http://www.axishistory.com/axis-nations/germany- …


<各戦線のドイツ軍機損失 GRUのデータ3476号>
En frente sovietico-aleman(独ソ戦線)
Durante 1941 (desde 22.6) 4 200
Durante 1942 11 550
Durante 1943 15 200
Durante 1944 17 500
Durante 1945 (hasta 9.5) 4 400
En frente occidental(西部戦線)
Durante 1941 (desde 22.6) 500
Durante 1942 800
Durante 1943 1 800
Durante 1944 14 550
Durante 1945 (hasta 9.5) 4 200
En Alemania y en los paises ocupados {2}(ドイツ国内)
Durante 1941 (desde 22.6) 800
Durante 1942 1 300
Durante 1943 4 850
Durante 1944 2 500
Durante 1945 (hasta 9.5) 1 500
Total aviones perdidos
Durante 1941 (desde 22.6) 5 500
Durante 1942 13 650
Durante 1943 21 850
Durante 1944 34 550
Durante 1945 (hasta 9.5) 10 100
http://www.rkka.es/Estadisticas/VVS_stat/01/01_1 …

 ソ連側資料によれば、11月14日から12月5日までの期間、赤軍航空隊は西部方面戦区で15903回の出撃を行ったが、これとまったく同じ期間に同じ地区で確認されたドイツ機の上空通過は3500回であった。もちろん、すべての上空通過が確認されたわけではない。後に押収されたドイツ軍の参謀資料からすると、ドイツ軍のパイロットたちは11月末に平均して1日240回発進していたと推察できる(これに対してソ連軍パイロットたちは760回の出撃で応え、敵の約2倍の航空機を有していた)ドイツ軍の対ソ侵攻後初めて、赤軍航空隊はルフトバッフェよりも稼働率を上げて活動するようになっていた。ドイツ第4戦車集団の戦闘行動日誌は上空の様子を何とか説明付けようと試みている。
―「赤い首都はその多数の幹線道路・鉄道とともに前線のすぐ後方にある。敵は『地の利』に恵まれている。ソ連空軍は格納庫や修理所、モスクワの飛行場を持っているが、ドイツ機は野戦飛行場の雪原に立ち、悪天候の影響をすべて耐えねばならぬのである」
 11月18日に西部方面軍戦区の右翼に第6戦闘航空軍団の主力が基地を移し、さらに1日おいてそこに長距離爆撃航空軍の1個師団が投入された。上空ではソ連空軍が明らかに優位にあったことをドイツ第9野戦軍の戦闘活動日誌も認めている。
―「敵空軍再び我が軍進撃部隊を爆撃し、銃撃しているが、ドイツ戦闘機部隊は今にいたるも地上部隊の上空援護を保障できないでいる」
<モスクワ上空の戦い 知られざる首都航空戦1941~1942年
ドミートリィ・ハザーノフ/著 アレクサンドル・ペレヴォースチコフ/監修 小松徳仁/訳>

ノルマンディー上陸作戦
▼フランス展開部隊の実状
 ・フランスは東部戦線で疲弊した師団の休養・再編成地
 ・歩兵師団の多くは沿岸警備用師団か訓練師団
 ・第709師団の平均年齢36歳。対するアメリカの歩兵は平均年齢25歳
  →第一線の軍隊にとっては大きな差。
http://members.jcom.home.ne.jp/hartmann/page008. …

ちなみに米軍死者は欧州戦線で25万二千、太平洋戦線で15万6千人。

MILITARY      HOSTILE               NON-HOSTILE
ACTION       DEATHS      WOUNDED    DEATHS              
World War II
(1941-45)
Total          293,1216       670,846       115,185
European Theater  185,179        498,948       66,805
Pacific Theater    107,903        171,898       48,380
http://www.vfw.org/PR/Media%20Room/AmericasWarDe …  
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/17 14:26

 単純に言えば、ソ連が最強の陸軍だったから(後で分かったことだが)。


そして英米の支援があり長期戦が可能だったこと(ソ連の工場はウラル
山脈の東側に疎開しました。)
さらには、独は二正面作戦に対し、ソ連は対独戦線のみだったこと。

 当然ドイツは二正面作戦を巧妙に避けた(時間差二正面作戦)。
英仏を攻撃するためにまず東を固めた(39年、ポーランド分割)。
40年、英仏を駆逐した後、ソ連を3ヶ月で降伏させ、西部での米国
参戦に備える予定だった(41年)。
が、失敗し泥沼の東部戦線になってしまった。
米国が参戦した42年からは、西部戦線は空軍が防戦一方になった。
44年6月、地上での西部戦線が形成された(ノルマンデー上陸)。

かくしてドイツ東部がソ連に占領され、西部が英米に占領され、敗戦
した(ソ連が単独でドイツに勝ったわけではありません)。 



     
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/17 14:26

ナチスがソ連に負けた理由は二つです。


(1)対英戦の決着を付けずに対ソ戦に突入した事。
(2)ソビエト連邦の冬の雪で戦力が落ちた。
従って、逆に言えば、対英戦の前に対ソ戦を行い、季節を考えて攻め込めばナチスドイツは勝てる見込みは十分ありました。
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御回答ありがとうございました

お礼日時:2014/08/17 14:27

レンドリースですね


それ以外ないです


よくソ連の国力がドイツに勝っていたという意見がありますが
ソ連が受けていたレンドリース、特に工業製品や原料に相当するもの全てドイツはたった一国で生産していたのです
しかも対日本土爆撃に投入された爆撃機の20倍の爆撃機(米英のみで)による爆撃を受けながらです

ドイツだけのものだけでなく欧州の枢軸国に製品を供給していた


レンドリースがあったからこそソ連は戦車・自走砲や航空機に生産を集中できました
しかし
大戦中にソ連が生産した戦車・自走砲は9万8000両
ソ連が大戦中に損失した戦車・自走砲は9万6500両

大戦中にソ連が生産した航空機は10万2000機
ソ連が大戦中に損失した航空機は8万8000機です


逆にレンドリースを受けていた各物資をソ連が受けていなかったらどうなるでしょうか?
・アルミニウム20万t
(ソ連ではアルミニウムの原料ボーキサイトの生産は4万tしかない)
→T34などソ連軍戦車の軽量化の主たるアルミニウム・マグネシウム合金のエンジンが作れない
航空機が木製以外生産不能に

・機関車1981両(大戦中のソ連生産は92両)
四輪軍用車両40万両
→部隊移動や兵坦補給に大いなる支障が生ずる
もし補給が43年春のように馬牽に頼っていたら第3次ハリコフ戦の様な反撃を喰らい大損害を受け停滞するだろう

・建築材1100万ドル
→なければウラルで工場を建築できなくなる

・機械11億ドル
→発電機や工作機械の援助がなければ戦車、航空機の生産自体おぼつかなくなる

・食料450万t
→食料生産の主たる所のウクライナを失っている状況で支援がなければ兵士や労働者が飢餓状態になるだろう

・靴1541万足、服5万t
→なければ赤軍兵士、労働者は裸、裸足で職務に従事するのか


長文失礼致しました
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/17 14:28

>中華民国も国土が広く、人口も多かったですよ。

でも日本軍に負けないのが精一杯で、とても反攻できる状況にありませんでした。

その通りです。

ロシア陸軍は中国軍より遥かに強かったんです。
日本は日露戦争では勝ちましたが、死者数は勝った日本がロシアを上回りました。ノモンハンでは日本は完敗しました。陸軍の強さは、

ナチスドイツ>ロシア>日本>>>中国です。

中国軍は士気が低く吾先にと逃げました。口では今も勇ましいですが人をけしかけるだけで自分は逃げるんです。毛沢東が率いていた八路軍はある程度強かったですが、蒋介石軍は弱かったです。

戦争で祖国のために死ねる兵士の数は、東アジア限定なら
日本>北朝鮮>韓国>>中国
という順位だと思います。

中国は大き過ぎるし多民族国家ですし、権力者が腐敗していて個人資産をアメリカに預金したりしていますから兵士の士気が上がりません。昔も今も腐敗度は変わりません。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/17 14:31

ロシア人の戦う意志が予想外に強かったから。



ヒトラーの戦略ミス、ヒトラーの作戦への過干渉、冬将軍の到来、ソ連の物量、人口の多さ、英米の物資支援、ロシアの広大な国土、優れた戦車T34、石油資源の有無、過酷な共産党の戦争指導・・・
これらの理由だけでは、ソ連は戦争に勝つこともドイツに攻め入ることもできなかった。
また、これらの理由は戦後、アメリカに証言したドイツの将軍たちの「言い訳」で、アメリカ人もそれが「ソ連がドイツに侵攻し、最終的にベルリンを占領」の理由に収めてしまった。
でも、これって、ドイツ人やアングロサクソン人たちのロシア人(およびヨーロッパより東に住む人間たち)への蔑視に基づく解釈なんですよね。
「あの野蛮で愚鈍で可哀想な連中が勝てたのは、あの連中が優れていたわけではなく、それ以外の要素が理由だ」という感じで。

戦後日本に入ってきた独ソ戦についての情報源は、アメリカ経由だった。
ドイツ上層部とアメリカ人の勝手な解釈でちりばめられた情報ばかりだった。
冷戦下ではT34で作られた「ロシア戦車軍団の恐怖」により、西側諸国の軍拡に活用された。
しかし、90年代に入って、冷戦が終わり、ロシアの機密情報が公開され始めると、西側では独ソ戦の再研究が行われはじめた。
それにより、それまでの概念が非常に偏っていたことがわかったんですね。

共産党とロシア人の過酷ででたらめな戦争指導や一部エリート層の超人的な働きも明白になったが、何よりも西側の人間が目をひいたのは、ロシア人の「強い徹底抗戦の意志」だった。
郷土愛や祖国愛の強さも相当なものだった。
その意志が、ウクライナから生産機械の奇跡的なウラルへの移送、戦場の横で兵器を作り続ける勇気、飢えや寒さに耐え、敵占領下での破壊活動、劣悪な補給で敵国への侵入等をやってのけた。
また、したたかな諜報活動、ドイツのエリート層を上回る戦略思想など、愚鈍な連中にはできないことも成し遂げていた。

結局、ドイツは、見下していたロシア人の予想外の抗戦能力と、ロシア人の「民族防衛」意志に負けた。
ロシア人はそれらを結実させてドイツの背骨をへし折った。
兵器、物量、気候による理由はそれに付随する程度のもの。

この回答への補足

あの強いナチスドイツに散々攻められて国内をめちゃくちゃにされたソ連がドイツを追い出し、さらには敵国の首都を陥落させるって、考えてみれば異常なほどのしぶとさですよ。アメリカと戦っても勝てるのではと思わせるほど。
一方、ドイツも自国内を攻められたら祖国防衛で士気が上がりそうなものですが、拍子抜けするほどあっさり負けましたね。
そして日本はギリギリのところで天皇自ら降伏しましたが、日本軍の徹底抗戦の意志も相当でしたので、万一本土決戦ということになれば硫黄島や沖縄戦のような戦いが各地で繰り広げられ、連合国側も百万人近い犠牲は避けられなかったと思います。アメリカは日本に楽勝したと言う人もいますが、現実は相当苦戦した上での勝利であり、本土決戦になればベトナム戦争のように撤退することになる可能性もゼロではありません。まあ、そうなったら国内の荒廃は相当なものとなるため、そうならずによかったと思いますが。

補足日時:2014/08/03 00:51
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3% …

アメリカからソ連に渡された軍事物資

航空機14,795

http://ja.wikipedia.org/wiki/1945%E5%B9%B4%E3%81 …

航空機生産台数 1939-1945
ドイツ119,871
ソビエト連邦158,218

供給のタイミングが不明だが、総生産台数の10%程度に当たる飛行機が供与されている

===
シベリアへの疎開が行われ、縦深が日本の感覚と違う
ドイツ空軍の足が届かない

ドイツ空軍はイギリスの爆撃も「遠すぎて」あまりうまく出来ていません。
ロンドン空爆だと戦闘機支援がうまく出来ないくらいの距離

アミアン(フランス)=ロンドンが 250キロ
Bf109 航続距離700キロ未満
このくらいの距離がドイツ空軍の限界

モスクワからシベリアの「入り口」であるエカテリンブルクまで 1400キロ

グアムから東京 2500キロ
米軍の爆撃

武漢から重慶 750キロ
台北から杭州 600キロ
日本軍の爆撃

ロンドンからベルリン900キロ
ロンドンからボン500キロ
英米軍の爆撃
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/17 14:33

・冬の戦争にロシア人は強い。


・国土が広い。
・大量に生産したT-34戦車は実戦向きであった。総合評価はナンバーワンであった。
・独裁者スターリンの力は大きかった。(督戦隊を起用し、逃げるロシア兵を打ち殺した)
・東西両戦線で戦わねばならなかった。
・人口が多いのでいくら兵士が殺されても補充できた。

この回答への補足

中華民国も国土が広く、人口も多かったですよ。
でも日本軍に負けないのが精一杯で、とても反攻できる状況にありませんでした。

補足日時:2014/08/02 12:25
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>>◇ソ連がナチスドイツに勝てた理由



ズバリ、アメリカの参戦でしょう。
アメリカの対独参戦によってドイツは「二正面作戦」を取らざる得なくなり、「大勢に寡勢」で、負けたのです。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/17 14:34

すでに回答が出ていますが、ヒトラーは、「簡単にソ連を叩く」つもりで冬の装備無しでソ連に出兵しました。


軽装のドイツ軍は、寒さで動けなくなり戦えなくなったわけです。「冬将軍」に敗れたといえるでしょう。

もちろん、ソ連の被害も大きかったのですけどね。
ちなみに、ドイツの戦車砲の威力にソ連の戦車は対処できず、どんどん撃破されたそうです。でも、機動性の良さと投入台数の多さで、ソ連は優位にたったそうです。また、燃料切れとなれば、いくら威力があるドイツ戦車でも、お仕舞いです。

スカパーでレニングラード攻防戦の再現映像が放送されたのですが、それをみると装備も火力も絶対に優位だと思われていた米軍が敗れたベトナム戦争に似ているように思えました。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/17 14:34

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Qドイツがソ連に参戦しなければ戦争に勝っていましたか?

第二次世界大戦でドイツ軍が敗北したのは、ソ連に参戦をしかけ戦域を広げたためだと思います。
もしそれがなければ戦争に勝利する確率はどれくらいありましたか?
あるいはアメリカが参戦した時点で勝てる見込みがなくなっていましたか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

そもそもナチスドイツの目的は、ソ連を倒し、東方に勢力圏を広げる事でした。
フランスとの戦いは、ソ連と戦っている時に、後ろから攻撃されないようにする事が目的でした。

(ベルサイユ条約への反感も有りましたが。)

そのため、ドイツとソ連が戦わないという事は、想定しにくいのですが、ヒトラーが、ソ連との戦いを延期し、イギリスを無力化る事を、最優先に考えたのなら、勝つ事は、可能だったと思います。

そのためには、スペインを何としても同盟に引き込み、最悪スベインに攻め込む位の気構えが必要でした。

スペインから、ジブラルタルを攻撃し、占領。
その後モロッコに軍を派遣し、モロッコの防備を固めます。
一方、リビアのアフリカ軍団を増強し、スエズ運河占領。
さらに、インド洋にUボートを派遣して、通商破壊を行えば、イギリスの占領はできなくても、ほとんどイギリスの無力化ができます。

多分、ジブラルタルかスエズが占領された時点で、チャーチルは、辞任に追い込まれるでしょう。
この時点で、アメリカが参戦していなければ、イギリスとの講和が可能です。

ただ、実際の赤軍は、この時ほとんどスターリンにより無能化されていましたが、この作戦中、ソ連軍がドイツに攻め込む可能性が予想された場合、ドイツがこの作戦を行う事には、危険がともなったでしょう。

ドイツが勝つか負けるかは、スペインを同盟に引き込めるかどうかにかかっていたと思います。
スペインで、足を取られたら、ソ連に漬け込まれる可能性が有りました。

そもそもナチスドイツの目的は、ソ連を倒し、東方に勢力圏を広げる事でした。
フランスとの戦いは、ソ連と戦っている時に、後ろから攻撃されないようにする事が目的でした。

(ベルサイユ条約への反感も有りましたが。)

そのため、ドイツとソ連が戦わないという事は、想定しにくいのですが、ヒトラーが、ソ連との戦いを延期し、イギリスを無力化る事を、最優先に考えたのなら、勝つ事は、可能だったと思います。

そのためには、スペインを何としても同盟に引き込み、最悪スベインに攻め込む位の気構え...続きを読む

Q第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由は?

先日、池上彰さんのテレビ番組で「第2次世界大戦のソ連の戦死者は2000万人を超えている」「その恐怖からスターリンは、隣国を共産国にした」ということを知りました。

日本の太平洋戦争での戦死者は300万人くらいと聞いてますが、日本の戦死者と単純に比較できるのかどうかわからないのですが、日本の7倍の戦死者の数には、とても驚きました。

第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由をお教えいただけましたら助かります。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭であり戦略予備といえるシベリアの部隊はありましたが、ノモンハンのときに日本の帝国陸軍と正面衝突を初めてして大損害をうけた経験から、軽々しく欧州戦線に移動させるつもりに、ソ連軍指導部はなれなかったのです。
そのノモンハンのソ連軍総司令官が、スターリン直々に任じられたジューコフでした。

ジューコフは、

1 ソ連軍は弱い

2 だから勝つためには、敵より多くの兵器と兵士を前線に惜しみなく投入し、その重みで押しつぶすしかない

3 だから、兵士も戦車も大砲も、とにかく数をあつめる

ということを、理解していたので、必要なだけの兵力を敵がつぶれるまで投入しました。当然ながら自分より強い相手を数でつぶすのですから、犠牲はふえます。
さらに、この考えをスターリンも支持したので、党、治安組織、軍事思考、動員体制、といったソ連という国家の戦争体制そのものが、勝てるまで人命も装備も前線に突っ込むように構築され、上から下まで人命軽視というより、人命より目的達成、のドクトリンが徹底しました。目的達成が勝利なら、なおよし、です。

そのような体制のもとで運用されたソ連軍の基本的ドクトリンは、

最低でも幅50kmの線に分厚く、最低でも敵の3倍、普通なら5倍、理想は7倍の二陣の部隊を結集させ、

まず砲撃と航空攻撃だけで相手の6割に損害をあたえ、

そして第一陣が弱った敵に突っ込みその第一陣が自分の損害を省みず敵をなぐるだけなぐったら、

味方第一陣の残骸を乗り越えて無傷の第二陣が第一陣と戦ってボロボロになった敵を蹂躙する、というものでした。

装備は更新されたし、戦車・武器も疎開した工場と米英のレンドリースでそろえてはいるが、兵士の教育が低い軍隊にむずかしいことはあまりできません。字の読めない兵士が珍しくないどころか、ロシア語がわからない兵士も珍しくありません。
なので、時には下級将校は選挙で選び出され、そのような将校には反抗するものを軍法会議抜きで「処分」する権利はあたえられました。戦争をしている国家と党に異を唱える者はいらない世界です。
また、女性が前線で銃をとったり、戦車兵をやったり、戦闘機・爆撃機パイロットをしたりしたのも、ソ連軍だけでした。

この残酷な単純化となりふりかまわなさが、精鋭のドイツ軍相手に血を流しつつも、ソ連軍を勝たせたのです。

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭...続きを読む

Q第二次世界大戦時で最も優秀な戦車は?

ドイツのタイガー戦車が強力で有名ですが、
ソ連軍のT-34という戦車がそれを打ち負かしたということを知りました。
さらにタイガー戦車より最新のパンター戦車というのもあるらしいです。
総合的に見て最優秀の戦車(一対一で勝てる)は何だったのでしょうか?

又日本は戦車の開発には関心が薄かったようですが、
それはどうしてでしょうか?
中国戦線では大活躍すると思うのですが。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。別に兵器に限った話ではないのですけれど。
1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。つまり整備が大変だったからです。

1対1で強い戦車があれば戦争に勝つかというとそうでもないのです。例えば1940年のフランス電撃戦のとき、ドイツ軍の持つ戦車は3号戦車と4号戦車(前期型)が中心で、武器としては機関銃しか持っていない2号戦車の数もまだまだありました。
一方のフランス軍にはシャールB1という重戦車があり、イギリス軍にもマチルダ2という戦車がありました。カタログスペックだけ見たら、B1戦車もマチルダ2も3号戦車や4号戦車より優れているのです。しかも、その数はドイツ軍に比べると英仏連合軍のほうが多くの戦車を持っていたのです。
しかし、戦争にはドイツ軍が勝ちました。その勝因は、戦車を集中して運用したからです。

プロ野球でも、ものすごい4番バッターがいたら優勝するかというとそうではないですよね。チームとしての全体のバランスが重要です。サッカーもそう。軍隊(戦争)もそうなんです。
第二次大戦のときのアメリカ軍の主力戦車はM4シャーマンです。カタログスペックだけ見ると、ドイツ軍の4号戦車よりちょっと優れている程度です。だからドイツ軍のタイガーやらパンターやらには直接対決では勝てなかった。でも、アメリカ軍はそれでよかったのです。アメリカ軍にとってM4戦車は歩兵支援用です。だから、それ用のための性能を重視しました。そして、ドイツ軍の強力な戦車には、航空機などの戦車の苦手な手段で当たればいいと考えていたのです。これぞアメリカ人の超合理主義。「戦車の相手は戦車がしなきゃいけないと誰が決めたのだ」というわけです。

戦車というのはですね、基本的に消耗品なのです。いくら優れた戦車でも1両だけじゃどうしようもない。それなら平凡な性能の戦車が10両あったほうがいいのです。
これが基本的に理解できなかったのが日本軍。理解できなかったというか、受け入れられなかったというべきでしょうかね。基本的に貧乏な日本軍では、お金のかかる戦車を大量に用意して消費しながら戦うなんて贅沢な戦い方はやりたくてもできなかったのです。

日本軍悲劇の戦車チハタンこと九七式中戦車は、カタログスペックだけを見ると同時代の戦車、例えばドイツの3号戦車初期型とほぼ同等の性能を持っています。3号戦車初期型が37ミリ砲を搭載していたのに対して、チハタンは57ミリ砲を搭載していたので、カタログ上は上です。
しかしこの、「カタログ上は」ってのがネックで、実はチハタンの57ミリ砲、初速が遅くて徹甲弾の性能が低かったので対戦車砲としては使い物にならなかったのです。これは日本工業力の限界。
そしてなによりエンジンの性能が低かった。3号戦車が300馬力のエンジンを持っていたのに対してたった170馬力しかなかった。だから、改良を加えたくても性能に余裕がなかったのです。

日本軍は戦車の開発に関心がなかったわけではないです。ただ中国軍にはほとんど戦車はなかったし、アメリカ軍も第二次大戦前にはほとんど戦車を持っていませんでした。しかしソ連軍は戦車を大量に持っていたので、ソ連軍への対抗上戦車への関心は持っていました。
しかし、ソ連軍が戦車を「大量に動員する」という戦い方をしてきたノモンハン事変を目の当たりにして、「あんな戦い方は(貧乏で戦車を揃えられない日本には)とてもムリ」となったのです。
戦車は戦車単独で存在しているわけじゃなくて、修理をする整備兵や、補給をするトラックなども必要ですよね。ところが当時の日本人にはそもそも車の運転ができる人がいなかった。自動車運転は「特殊技能」扱いです。ましてやそれの整備ができる人となるともっといない。だから運用にも限界があるのです。国に車が行き渡っていて、当然自動車修理工がいっぱいいたアメリカとの違いです。

兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。別に兵器に限った話ではないのですけれど。
1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。つまり整備が大変だったからです。

1対1で強い戦車があ...続きを読む

Q第二次大戦中に現代の自衛隊を投入したら

くだらない質問ですが、気になったので書いてみます。

第二次世界大戦末期の1945年1月1日時点に、現在の最新鋭の自衛隊(航空・海上・陸上)の全戦力を日本本土に投入したら、日本軍は勝てるのでしょうか?兵器の生産設備などは投入しないものとします。

いくら最新鋭の戦力を持っていても核と資源がないのでアメリカが多大な犠牲を出しながらも勝つだろうという見方もできるし、当時の日本はインドネシアを占領していたので資源不足を克服し日本の勝利という考え方もあると思います。

Aベストアンサー

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、護衛空母17隻を含む大艦隊を出撃させてきており、このうちの正規空母12隻、護衛空母4隻が日本近海に現れ本土空襲を行っています。これを狙います。ちなみに、この当時の米艦隊の正規空母の数は14隻ですから全部撃沈できれば、後がかなり楽になります。
F2攻撃機、約80機を中心とする対艦ミサイル攻撃で、空母を撃破します。現代の対艦ミサイルを当時の米軍艦艇がそれほど迎撃できるとは思えないので、うまくいけばかなりの空母を撃破できるのではないかと・・・
また、B29への迎撃にもF15を出撃させます。最大で4発のミサイルを別々の目標に連続発射できるF15の戦闘力に、B29の部隊は大打撃を受けるのではないかと・・・
さらに海上自衛隊の潜水艦部隊によるハワイの真珠湾攻撃を行います。ハープーン対艦ミサイルは対地攻撃にも転用可能とという事なので、ハープーンで真珠湾の燃料施設や艦艇補修設備などに攻撃を行い、打撃を加えます。
要は自衛隊の進んでいる兵器を一挙に出して大打撃を加えるとともに、米軍にショックを与えます。
これでうまくいけば、アメリカは空母艦隊とB29の部隊とハワイの後方施設に大打撃を受け、直ぐには大きな作戦をできなくなるのではないかと思います。

その後は、まずシーレーンの確保です。九州から中国沿岸、そして台湾海峡を通ってシンガポールへの海上交通路の守備に海上自衛隊のP3C対潜哨戒機の部隊や、一部航空自衛隊の戦闘機部隊を派遣します。輸送船団には海上自衛隊の護衛艦隊も付けます。航空部隊の根拠地の設営は大変でしょうが、部隊が稼動すれば米潜水艦隊の脅威へ大きな力になると思います。日本の輸送船の撃沈された半数は、米潜水艦隊の通商破壊戦によるものだそうですが、当時の旧式な潜水艦なら現代の対潜哨戒機と護衛艦でかなりの確率で防ぎ、逆に戦果をあげられるのではないかと思います。
日本本土の防空は航空自衛隊の戦闘機とPAC3ミサイル部隊と、陸上自衛隊の高射特科団(改良ホーク地対空ミサイル部隊)が守ります。
攻撃には海上自衛隊の16隻の潜水艦部隊を使います。潜水艦隊で通商破壊戦を行います。第二次大戦末期のドイツで建造されたUボート21型は連合軍の対戦哨戒部隊にも察知されにくかったそうです。それよりさらに技術の発展している現代の潜水艦なら数は少なくとも大きな戦果を期待できると思います。
未だフィリピンの日本軍の抵抗は続いており、米陸軍20万人が投入されている時点で、米空母艦隊が大打撃を受け、さらに通商破壊戦を仕掛けられたら・・・米軍は楽勝とはいかなくなるでしょう。

米軍としてはこうした進んだ技術の兵器対策に苦慮する筈です。簡単には有効な対抗策は出てこないのではないかと思います。まずは打撃を受けた艦隊の再編と、戦略爆撃部隊の戦術の見直し、フィリピンへの海上補給路の守備を固め、真珠湾の設備の再建をしなければなりません。
建造中のエセックス級空母の建造を急いでも、半年以内に戦闘に参加させる事ができるのは5隻です。
大西洋から部隊を回す必要も出てくるかもしれません。

一方、自衛隊を除く日本の連合艦隊の状態はよくありません。
戦闘可能な空母は小型の鳳翔1隻ですし、戦艦は2隻、巡洋艦も数隻、駆逐艦も二十数隻というありさまです。
南方から資源が入ってきたら、まずは艦隊の増強が急務でしょう。まずは空母で建造途中の伊吹、天城や損傷状態の龍鳳、準鷹、葛城を戦闘可能な状態にしなければなりません。
他にも損傷を受けている戦闘艦艇があるので、大至急修理が必要です。
また、輸送艦の建造も急務です。1945年1月から終戦時までに約180隻の輸送船が建造されています。
しかし、同じ期間に実に700隻が沈められているのです。
まあ、自衛隊の参戦で、その数は減るでしょうが、しかし、1944年だけでも約970隻の輸送船が撃沈されています。
日本の造船所はとにかくフル稼働しなくてはならないでしょう。
また、航空機パイロットの育成や、戦闘機などの生産も必要でしょう。
時間は幾らあっても足りないくらいです。

こうした中で、日本の潜水艦隊がどれだけアメリカに打撃を加えられるかが重要だと思います。
そしてフィリピンの米軍を孤立させ、ハワイを孤立させる事ができれば、新たな展望が開けるかもしれません。
時間が立てば、連合艦隊の戦力もある程度は回復してきます。そうなれば、新たな作戦を立てる事も可能となるでしょう。

なお、そのうち満州にソ連軍が侵攻してくるでしょうが、これについては航空自衛隊の支援を受け、東満山地で持久戦を行えば、かなりの機間、持ち堪える事ができるのではないかと思います。

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、...続きを読む

Q1980年のソ連軍と現在の自衛隊が戦ったら自衛隊は勝てるでしょうか?核

1980年のソ連軍と現在の自衛隊が戦ったら自衛隊は勝てるでしょうか?核兵器は除きます。

Aベストアンサー

無理です。

イギリス国際戦略研究所の発行する「ミリタリーバランス1981年~82年版」によると・・
(1980年とは1年違いがありますが、そう戦力に開きはないと思います)

ソ連陸軍の兵力は182万5千人で、戦車の数は4万5千両。
現在の陸上自衛隊は約15万人で、戦車の数は900両。

ソ連空軍の戦闘機数は5300機で、航空自衛隊は攻撃機を入れて約370機。

ソ連海軍の艦艇は・・
巡洋艦37隻。このうち原子力巡洋艦は1隻。またミサイル巡洋艦は27隻で、あとの10隻は砲のみの旧式艦。
駆逐艦は73隻で、このうち41隻がミサイル駆逐艦で、あとの32隻が砲のみ。
フリゲート艦は180隻で、このうちミサイルフリゲートが72隻で、あとの108隻は砲のみ。
他にミサイル艇128隻。魚雷艇220隻。哨戒艇111隻。
潜水艦は核抜きという事なので弾道ミサイル潜水艦は抜きにして・・
原子力巡航ミサイル潜水艦が47隻。巡航ミサイル通常型潜水艦が22隻。攻撃型原子力潜水艦が52隻。攻撃型通常潜水艦が138隻。
これに対し、海上自衛隊は護衛艦が50隻、通常型潜水艦が16隻。

難しい話は抜きにして、ただ単純に戦力をぶつけあったなら自衛隊は高性能な兵器により多大な損害をソ連軍に与えるでしょう。しかし、最終的には数の差で圧倒され敗北すると思います。

ちょっと小難しい話をすると、自衛隊に日本が守れるかというと、無理です。日本の弱点は海上交通路です。貿易ができなければ日本の命取りです。そしてペルシャ湾、インド洋、南シナ海、太平洋の広大で長い海上交通路をわずかな海上自衛隊の戦力では守りきれません。ソ連の大潜水艦隊の通商破壊戦に敗北するのは必至です。

ですが、それはまあ置いておいて・・もしソ連軍が日本に侵攻するとしたら・・
まずは準備でしょう。西から極東に戦力を移し、航空基地を幾つも建設し、全ての揚陸艦をソ連太平洋艦隊に配属し、沿海州沿岸にスカッドC地対地ミサイルを数百基集結させます。
そして、まずは千歳基地にミサイルでの一斉攻撃を行います。沿海州沿岸から千歳までは500キロに達しません。スカッドCなら十分に射程内です。また、潜水艦発射巡航ミサイルも使用します。長距離爆撃機から発射する長距離空対地ミサイルも使用します。このミサイルは射程が300キロもあるので、長距離爆撃機はミグ戦闘機の援護を十分受けられます。バジャー、ベアといった長距離爆撃機は460機もあります。
ミサイルの波状攻撃、飽和攻撃により千歳基地を無力化します。
いかに高性能の戦闘機、対空ミサイル部隊でも数が多すぎて対処できないのではないかと思います。戦闘機も基地と滑走路が無ければ戦えません。他の基地に行くか、民間空港を利用するしかありませんが、そこで補給・整備の体制を整えるのは大変でしょう。
千歳の次は三沢です。
北海道の制空権が取れそうなら上陸作戦を開始します。イワン・ロゴフ級揚陸艦1隻、アリゲーター級戦車揚陸艦14隻、ロプチャ級戦車揚陸艦12隻、ポルノクヌイ級戦車揚陸艦52隻を中心とする揚陸艦隊です。この艦艇の数なら一度に720両の戦車を運べます。二往復すれば、早くも質的にはともかく数的には自衛隊の戦車の数を凌駕します。三往復すれば自衛隊の倍の数の戦車です。
ソ連太平洋艦隊はその援護です。日本の潜水艦対策には機雷原を構成し揚陸艦部隊に近寄らせないようにします。あとは空と海上の対潜部隊に厳重に監視させれば十分でしょう。
そして、南下し順々に攻略していきます。
スペツナズなどの特殊部隊を日本各所に侵入させ破壊工作も行います。
数の少ない自衛隊は非常に苦戦を強いられるでしょう。
つまりはソ連軍の勝利という事で。

無理です。

イギリス国際戦略研究所の発行する「ミリタリーバランス1981年~82年版」によると・・
(1980年とは1年違いがありますが、そう戦力に開きはないと思います)

ソ連陸軍の兵力は182万5千人で、戦車の数は4万5千両。
現在の陸上自衛隊は約15万人で、戦車の数は900両。

ソ連空軍の戦闘機数は5300機で、航空自衛隊は攻撃機を入れて約370機。

ソ連海軍の艦艇は・・
巡洋艦37隻。このうち原子力巡洋艦は1隻。またミサイル巡洋艦は27隻で、あとの10隻は砲のみの旧式艦。
駆逐艦は73隻で、このうち41隻がミサイ...続きを読む

Q日本がハルノートをを受け入れ戦争しなかったら?

歴史で”たら、れば”は持ち出す事は駄目なんですが、もし、太平洋戦争に突入しなかったら日本はどうなっていたでしょう? 戦争で余りにも多くの方がなくなりましたが、戦争しなかった方が日本の将来は明るくなる事が期待できたのでしょうか?

Aベストアンサー

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
その現れがハルノートです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。


米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の...続きを読む

Qドイツの戦車はなぜ空襲で破壊されなかったの?

 第二次大戦の後期、ヨーロッパ戦線は連合軍に制空権を握られていたそうですが、なんで大規模な戦車戦を行えたのでしょうか?
 ヨーロッパ平原では大きな戦車は隠れるところもなく空から丸見えですし、戦車は空からの攻撃に弱いはずです。しかし1943年以降でもヨーロッパ平原の真っ昼間に数千両のドイツ戦車が前線に出て戦ってますよね?前線に出る前にドイツ戦車は空襲で片っ端から破壊されると思うのですが・・・

Aベストアンサー

日本ではバルジの戦い、ドイツではアルデンヌの森の戦い、として知られている
戦車戦ですね。

ドイツが大規模な戦車隊を集結できたと云う事は、奇襲が成功したと云う事です。
奇襲作戦の成功(初期)の要因は:
1)英米側がドイツには大規模反攻の余力が無いと判断していた、
2)ドイツ側は悪天候の冬季、集中した兵力を隠しやすい森を利用した、
3)ドイツ側の周到な準備(兵力は最終的には足りなかったが)、
の3つでしょう。

1)は末期のドイツに大兵力展開の力はもう無いと見て、この地域には小規模な防衛的な
 兵力しか配備していませんでした。
 情報も手薄で、エニグマを既に解読していましたが、フランス国内に於けるように
 占領地のレジスタンス等からの情報もありませんでした。悪天候のため航空偵察でも
 これと言った情報は得られませんでした。
2)ドイツ側が冬にこの地方を選んだのは、まさに航空監視から逃れるためです。
 まずドイツの地形ですが、なだらかにうねる牧草地とそれを区切る様な広大な森が
 特徴です。アルデンヌの森は針葉樹林と広葉樹林の混じった広大な森です。
 針葉樹林は20m程度かそれ以上で、木々の間は灌木の無い下草だけの地面です。
 兵員が縦列で問題無く行進できます。小型車両も特に問題は無かったようです。
 夜間に森まで移動し、森に大舞台を隠すのは容易です。
 戦車に雪を被せれば、高い上空からの視認は困難です。偵察写真も白黒ですから
 解像の問題が有りました。
 それに雪は騒音を吸収します。
3)ドイツ軍は大部隊の集結を悟られない為に、無線封止を行っています。
 通信は主に有線電話と伝令兵で行われていました。
 攻撃開始の日には濃い霧が予想される日を選んでいます。

欧米軍は、霧の森から出てきた大部隊に驚かされます。音を消す雪の中では
戦車の接近もその数も正確に把握できなかったでしょう。守備部隊間の連絡にも、
混乱を来したでしょう。敵がそんなに強大で有るはずが無いと思っているのですから。

ドイツの補給線が延び、天候が回復すると航空機による反撃を受け、反転攻勢は
失敗します。
航空攻撃に弱かったのは、戦車よりもそれを支援する各種戦闘車両と歩兵です。
戦車を有効に攻撃できる航空機は当時は、ドイツのユンカーJu 87Gぐらいでした。
2基の3.7cm対空砲18を装備しPanzerjäger(パンッーアイェーガー、戦車狩人)、
キャノン砲鳥、戦車潰しと呼ばれていました。
この戦いにドイツが動員できたJu 87Gは少なく、反撃する米軍戦車を阻止するには
無力でした。

参考は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
http://de.wikipedia.org/wiki/Ardennenoffensive#Verlauf
http://de.wikipedia.org/wiki/Junkers_Ju_87


若い頃、ドイツの森をよく歩きました。広く木々は高く茂っていますが、その下は
すかすかです。森に戦車の大部隊を隠せると云う事が、日本の森からはイメージ
しにくいと思います。参考までアルデンヌの森です。
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%8C&hl=ja&rlz=1T4RNVC_jaJP575JP575&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=fSkuVI_wDJfZ8gW7l4GICg&ved=0CEkQsAQ&biw=898&bih=487



 

日本ではバルジの戦い、ドイツではアルデンヌの森の戦い、として知られている
戦車戦ですね。

ドイツが大規模な戦車隊を集結できたと云う事は、奇襲が成功したと云う事です。
奇襲作戦の成功(初期)の要因は:
1)英米側がドイツには大規模反攻の余力が無いと判断していた、
2)ドイツ側は悪天候の冬季、集中した兵力を隠しやすい森を利用した、
3)ドイツ側の周到な準備(兵力は最終的には足りなかったが)、
の3つでしょう。

1)は末期のドイツに大兵力展開の力はもう無いと見て、この地域には小規模な...続きを読む

Qグデーリアンが「第二次大戦でドイツは勝てた」と言ったのはほんとうですか?

何かで読んだことがあります。グデーリアンは「ヒトラーの滅茶苦茶な指令がなければ、戦争に勝つことができた」そう言っていた、と何かで読んだことがあります。

どなたかこのグデーリアンの言葉を裏付けるような書物をご存じでしょうか? よろしくお願いします。

Aベストアンサー

もうすでにお知りになったように、グデーリアンやマインシュタイの回想録の他、学研の欧州戦史シリーズやパウルカレルの「バルバロッサ作戦」とかがいいと思います。でもグデーリアンの名前を知っていた方ならもう既にご存知かも。

ここからは個人的な考えなのですが、ドイツ敗北の原因をヒトラーの戦略や作戦ミスに転嫁するのは非常に偏った思考だと思います。
確かに責任は決定者であり命令者であるヒトラーにあるのですが、彼の
それらの決定をうながしたり、影響を与えたのはドイツ軍の実質的な司令官たちであるグデーリアンやマインシュタイン、ハルダー、ルントシュテット達であると思えるからです。
あのロンメルも、リビアにとどまり防衛戦を行えと命令されていたのに勝手にエジプトまで進攻したり、モスクワを占領しても戦いが終わる保障が無いのに、ヒトラーに要求し冬季でしかも補給が途絶えがちだった
41年10月無理を承知でモスクワ進攻を実行したのは当のグデーリアン達
だったのです。
アントニー ビーヴァーの「スターリングラード攻囲戦」を読むと自分の名誉と歴史の評価にこだわる冷徹無慈悲なマインシュタインがでてきます。多かれ少なかれ貴族出身の将軍なんて現実はそんなもんじゃなかったのでしょうか?

一貫した戦略構想を持たず、補給という概念を無視しひらめきだけで
大国相手に戦争をしかけたヒトラーでしたが、自分達の名誉欲をかなえるためにそんな人物を指導者に据えて利用したドイツ軍部の将軍達もまたドイツ敗北の原因でもあったと思うのです。
戦時中、軍人や企業家たちは自分達の名誉や所領、利権を獲得するために縄張り争いをしてばかりいました。金食い虫のV2ミサイルや多種多様で量産性の低い兵器はその表れです。
結局、ドイツ人はやくざのようなナチスを利用し、敗北後も責任転嫁で
利用しました。
戦後、ドイツ陸軍の名声を守るためにハルダーも全ての責任をヒトラーに押し付けました。
ドイツ人全体も、個々の戦争責任を回避するためにヒトラーやナチスに
全ての責任を押し付け、自分達も被害者だったと考える様にしました。
こういうことって、例えるなら拳銃を自分で求めて手に入れたのに、その拳銃が他人を傷つけたのは拳銃のせいだとさけんでいるぐらい呆れることだと思います。

戦後すぐのそんな社会的雰囲気の中でグデーリアンやマインシュタインは回想録を書いたのでしょう。
責任は「自分たちにもあった」なんて間違っても書けません。

もうすでにお知りになったように、グデーリアンやマインシュタイの回想録の他、学研の欧州戦史シリーズやパウルカレルの「バルバロッサ作戦」とかがいいと思います。でもグデーリアンの名前を知っていた方ならもう既にご存知かも。

ここからは個人的な考えなのですが、ドイツ敗北の原因をヒトラーの戦略や作戦ミスに転嫁するのは非常に偏った思考だと思います。
確かに責任は決定者であり命令者であるヒトラーにあるのですが、彼の
それらの決定をうながしたり、影響を与えたのはドイツ軍の実質的な司令官た...続きを読む

Q独ソ戦はなぜ必要だったんでしょうか?

第2次大戦でドイツがソ連を攻めたわけというのはどういうことだったのでしょうか?そんな必要があったのでしょうか。防衛的な構想から発したのでしょうか?

Aベストアンサー

中世初期のドイツ領は、現在のオランダ・ベルギーから、カレーやアルザス・ロレーヌなどもドイツ領でした。
一方東部は、ベルリンなどは、ドイツとポーランドとの国境でした。
西部国境は、常にドイツより国力、軍事力、文化で勝るフランスの圧力を受け、後退する一方でした。
また、ドイツ国内は、森林が多く、農作業に適した地域が少なく、すぐに人口過剰や飢饉などに陥りました。
そのためにドイツ人は、ドイツよりも国力に劣る東の国々を圧迫する一方積極的な殖民活動を行いました。
これが、「ドイツ東方殖民」と言い、ドイツ騎士団がひの先方を勤めました。(ドイツ騎士団は、ドイツ東方殖民のために創られた騎士団とも言えます)
ドイツ騎士団の徽章は、白地に黒の十字で、鉄十字とも呼ばれ、ドイツのマークとして現在も使用されています。
そのため、ドイツでは、ドイツ東方はドイツの勢力圏とする考え方が古くからあり、ヒトラーもそれを利用したにすぎません。
これは、日本が戦前「満州は日本の生命線」と主張した事と同じで、ドイツ国内の強硬派を味方につけるために主張したため、対フランス戦線が安定化したため、何らかの手を打つ必要に迫られたのだと思います。
ヒトラーとしては、対イギリス戦のけりをつけてからと思っていたようですが、ドイツの世論が、ヒトラーの思惑を超えて暴走しかねない状況を作り出したように思えます。
このへんは、日本が中国との戦争に突入してゆく状況と似ています。

中世初期のドイツ領は、現在のオランダ・ベルギーから、カレーやアルザス・ロレーヌなどもドイツ領でした。
一方東部は、ベルリンなどは、ドイツとポーランドとの国境でした。
西部国境は、常にドイツより国力、軍事力、文化で勝るフランスの圧力を受け、後退する一方でした。
また、ドイツ国内は、森林が多く、農作業に適した地域が少なく、すぐに人口過剰や飢饉などに陥りました。
そのためにドイツ人は、ドイツよりも国力に劣る東の国々を圧迫する一方積極的な殖民活動を行いました。
これが、「ドイツ東...続きを読む

Qソ連の戦死者数が以上に多いわけ。

第二次世界大戦において、ソ連の戦死者数は他国に比べて郡をぬいていると思います。ドイツでも300~350万人ぐらいだと思いますが、ソ連では2000万人ともいわれているのを知りました。ドイツ軍の進撃によりソ連侵攻でモスクワ近くまで攻め入られたというのもあると思いますが、ソ連側の大戦中の死者の数は異常だとお思います。この理由を知りたいと思い質問をさせて頂きました。

Aベストアンサー

戦死者を英語で表記すると"death in action"、つまり、戦闘中の死者(軍人)を意味します。当時のソ連の総人口が仮に2億人だったとしても、軍人の死者が2000万に達するはずがありません。2000万という数字は軍人の死者ではなく、戦争による全ての犠牲者を含んでいることに注意して下さい。

ソ連の戦争犠牲者が異常に多いのは、当時のソ連の独裁者スターリン(本名:ヨシフ・ビサリオノヴィッチ・ジュガシヴィリ)の戦争指導に原因があります。スターリンは、戦争を有利に遂行するためなら一般市民が多数犠牲になることを気にかけませんでした。軍事産業を維持するため、敵が迫っても一般市民が避難することを許さず、軍と共に都市に篭城させたのです。
特に、スターリン・グラードやレニン・グラードのような重要な都市の攻防戦においては、戦線が崩壊しても軍・民の撤退を許さず、死守させました。このため、多くの軍人・市民が餓えと寒さと敵弾に倒れました。

また、スターリンは極度に猜疑心が強く、自分を支持する者でも(スターリンの目から見て)不審な点があれば処刑しました。個人ばかりではなく、不審人物が所属する組織・集団を根こそぎにです。
ソ連は戦勝国なので、政治的(私的?)理由にり粛正された者も戦争犠牲者に含めている(敗戦国に責任を押し付けた)可能性があります。

2000万という数字は、戦死者(軍人)+戦争による死者(市民)+たまたま戦争中に発生した政治的粛正による死者の合計、と考えるべきでしょう。

戦死者を英語で表記すると"death in action"、つまり、戦闘中の死者(軍人)を意味します。当時のソ連の総人口が仮に2億人だったとしても、軍人の死者が2000万に達するはずがありません。2000万という数字は軍人の死者ではなく、戦争による全ての犠牲者を含んでいることに注意して下さい。

ソ連の戦争犠牲者が異常に多いのは、当時のソ連の独裁者スターリン(本名:ヨシフ・ビサリオノヴィッチ・ジュガシヴィリ)の戦争指導に原因があります。スターリンは、戦争を有利に遂行するためなら一般市民が多数犠牲に...続きを読む


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