街中で見かけて「グッときた人」の思い出

世界のあちこちで革命が成功して、共産圏が広がりましたが、結局ソ連の崩壊で、共産主義の時代は終わったように思われます。

しかしながら終わってみて、あれは一体何だったのか?と考える人が居ないように思われます。

社会の矛盾や悲惨な社会を改善しようとして行われた革命だったとしたら、その矛盾は一体どうなったのでしょうか?

マルクスが間違っていて、共産主義が解決にならないということは解ったとしても、矛盾そのものが無くなったわけではない、と思われます。

革命と言うこと全体がそもそも意味が無かったのか?革命の仕方が間違っていたのか?など解らないことが多いと思われます。

しかし何はともあれ世界の半分を占める勢力にまで成長したことには何か、意味があったようにも思われます。
共産主義が、なぜあれほどの力を発揮したのか?についてのお考えを、教えて下さい。

A 回答 (12件中1~10件)

共産主義というとなにかのイデオロギーがあって、その目的のために革命が行われたように見えますが、単なる他人を蹴落として自分がよい思いをしようという人たちの間で行われた権力闘争です。



旧体制を攻撃するために、一般市民を巻き込んで暴動を起こしたり反乱させることが都合がよいため、マルクス主義の階級闘争という概念が利用されたに過ぎません。

結局、彼らも人を飢えから救うという最低限のこともできずに見限られたということでしょう。
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この回答へのお礼

単なる権力闘争に過ぎなかった。

それが解ったので崩壊した、ということでしょうか?

ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/23 20:34

もちろん支配者層による搾取に対する怒りが原動力だったと思います。


そして、それは今もありますが
「自分さえ良ければ良い」とか「努力に見合う収入が得られなければ嫌」という
人間の方が多いということじゃないでしょうか?

私は一部の人間だけが裕福になる社会より、皆が少しだけ豊かになる社会の方が
良いと思いますが、そうもいかないのが現実のようです。

因みに、マルクスを見捨ててない思想家もいるようです。
柄谷行人さんなんかもそうみたいです。
私もまだ読み切ってないですが「トランスクリティーク」は分かりやすいです。
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この回答へのお礼

>柄谷行人さんなんかもそうみたいです

彼は崩壊した共産圏についてどう考えているのか、知りたいものです。

回答をありがとうございました。

お礼日時:2012/05/23 20:38

歴史的に見れば共産主義は暴力的な政権奪取の方法論として機能し、それには成功しました。

しかし共産主義は国家運営の方法論としては機能しなくて、失敗に終わった。

逆に言えば、政権奪取に成功した方法論を共産主義と呼んで正当化したともいえます。

19世紀後半にロシアでナロードニキ運動が起きます。農村に入っても農民の支持を得られず、テロに走ってアレクサンドル2世を暗殺しましたが、弾圧されて失敗に終わった。共産主義じゃなかったから失敗に終わったともいえるし、失敗に終わったから共産主義と呼ばれていないだけともいえる。

ナロードニキが目指したのはなんだったのか。農奴の開放でした。形式的にはアレクサンドル2世が農奴解放令を発しましたが、実質的には解放されなかった。地主・資本家の既得権益が温存されたからです。ではどうすれば農奴を解放できるのか。それには暴力を理論的に正当化する必要があったのです。ナロードニキが失敗した理由がそれです。ナロードニキは農奴解放の必要性は主張できたが、暴力の理論的正当化には失敗したのです。

農民というのは古今東西、頑迷で保守的という性癖がありますから、単に利を説いただけでは動きません。理を説かないと圧倒的多数の農民の支持を得ることなどできません。それに気づいたのがレーニンです。レーニンはナロードニキ運動の失敗の原因を分析してマルクス=レーニン主義を案出します。マルクス=レーニン主義は暴力的に帝政を打倒する為に理論的に暴力を正当化した理論です。ただマルクスの名を関していても、それがマルクスの思想だったわけでもない。実際は、マルクスのブランドを利用して看板を継承したものに過ぎません。

それでも、「なぜあれほどの力を発揮したのか?」の答えは、暴力を理論的に正当化したからなのです。

十字軍がなぜあれほどの力を発揮したのか?その答えはローマ教皇が暴力を理論的に正当化したからです。十字軍の実態は、窮民による略奪・破壊・放火・強盗・虐殺といった凶悪犯罪の出稼ぎ旅行でした。それを彼らは正しいことだと信じた。人々に力を発揮させるには、それが正しいことだと信じ込ませる必要があるのです。それこそが真理です。

オウム真理教がなぜあれほどのテロを引き起こせたのか。それは信者がそれが正しいことだと信じたからです。

結局のところ、共産主義は暴力を正当化する宗教だったわけです。宗教ですから、宗派の対立・分立があります。われこそは真の共産主義なり。次から次に、自称レーニンの継承者が現れ、新たな教祖が生まれます。
当然にしてマルクス・レーニン主義は真の共産主義ではないと主張する共産主義も表れます。

もはや何が共産主義か誰にも分からない。論者の数だけ、その解釈は分かれます。考えたところで時間の無駄です。
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この回答へのお礼

暴力はうまく正当化すれば力になる、ということでしょうか?


>考えたところで時間の無駄

と書いてありますが、それでは社会を良くしたいということを考えることが無駄だと言うことでしょうか?

お礼日時:2012/05/23 20:46

スターリン、毛沢東、などを共産主義者と呼ぶこと自体、間違いではないでしょうか? マルクスの提唱した共産主義とは全く異なったものでしょう。

 私が思うに、本当の意味で”共産主義”と言うことを実践するには、ロシアも中国も、社会そのものが、共産主義を実践するだけの状況や国力も持ち合わせていなかった、ということです。

この回答への補足

私の質問は、スターリンの共産主義がなぜあれほどの力を持ったのか?と言うものなのです。

本当の共産主義でなかったかもしれませんが、世界の半分の力を持ったのは、どうしてなのでしょうか?

ところで本当の共産主義というのは、一体どこにあるのでしょうか?

補足日時:2012/05/23 20:49
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/26 10:05

 共産主義の本質とは、「資本主義の影」ですね。


 「資本主義」というシステムに対して、『理論』から新システムを提起をした、壮大な実験でした。


 労働力と生産手段(=資本)のどちらが、どれだけ生産からの儲けを受け取るかという点について、

 ・資本に対する利益配分を、できるだけ大きくするというのが、原始的な資本主義でした。
 この基本には、「資本」のほうが「労働力」よりも貴重であるという条件があり、「資本」の優位がありました。

 これに対して「労働力」側が、利益配分の拡大を求める感情が大きく蓄積して、爆発となったのが共産主義革命です。

 ですから、資本側が優位に立つ資本主義=強い資本主義が成り立っている間は、その資本主義に対する反発感情(=影)も強く存在していました。
 

 しかし、
1、資本の蓄積が進み、資本が労働者を取りあう(賃金の上昇)状況となり、資本側の優位が失われた。
2、共産主義革命が起こったことを反省し、「不満が溜まった結果、革命に至る」ことがないように、労働者保護=社会保障制度が確立し、修正資本主義が一般的になった。
3、人間の行う経済規模が大きくなって、資本主義の基本原則(倍投資すれば、倍儲かる)が成り立たなくなるほど、資源の枯渇・環境破壊が進んで、『地球の絶対的な大きさ』が、資本主義に対する制限枠となってきた。

 これらの理由で、経済活動において「資本主義」の論理が、昔のような絶対的力を持たなくなってしまいました。従って、「資本主義」に対する反発も当然小さくなってしまい、「共産主義」という考え方に普遍性がなくなってしまいました。


<まとめ>
・「資本主義」が強力であればある程、その影としての「共産主義」も強力となった。
・「資本主義」が社会制度に対して強い力を失ったために、「共産主義」も力を失った。
・現在、資本主義が一番原則に近い状態で適用されているのは、今まで資本主義社会ではなく、最近になって資本主義社会となった、中国・ロシアである。

<おまけ>
 もし現代において、『共産主義革命』が起こるとしたら、急激な経済成長によって貧富の差が拡大している「中国」です。
 世界経済が恐慌状態になるなどして、中国の経済成長が鈍化して、資本主義化したことで利益を手にできる人が、人口の半分を大幅に下回ることが明確になった時、『共産党政権を倒す共産主義革命』が起きても、不思議ではない状況が生まれます。
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この回答へのお礼

革命が成功して、共産主義になった結果、労働者への利益分配が多くなった、という実績は証明されているのでしょうか?

新しい独自の考を書いていただいて、ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/23 20:55

 共産主義とはつまり、熱病だったのだと感じています。



 社会構造が腐敗して、それを支える末端の労働者を顧みなくなると、支配者への怨念という病原体がたまり、そこからガスが発生して圧力が高まり、遂には爆発してたまりにたまったものを撒き散らして社会全体を汚染します。
 しかしそうして発病し猛威をふるった崇高な共産主義も、体内を巡回する「個人の私利私欲」という白血球の前に徐々に駆逐され、やがてはもとの社会に回帰していくのです。

 共産主義の原動力は「閉塞的な社会への漠然とした不満」を「支配階級から受けた理不尽への恨み」にすりかえたことであり、平等であるはずの共産主義に支配階級が発達、腐敗して私利私欲に走ったとき、再び「社会への不満」が充満し、それが同じように「支配階級から受けた理不尽への恨み」にすりかえられて共産主義に終止符をうったのではないでしょうか。
 近年のジャスミン革命なども同じと思います。
 かつての英雄は、長年の支配の間に腐敗し、国民の間にはびこる不満や閉塞感を打ち消すことができず、扇動者によって悪の根源と断罪され、排除されました。

 現代、日本やアメリカのうまいところは、そうした社会の爆発的変革の原動力となりうる「社会への漠然とした不満」を、メディアを使って巧妙にはぐらかし、うやむやにしてしまうところです。
 民衆を愚かにし、その漠然とした不満や鬱憤を娯楽で雲散霧消させれば、爆発的な社会変革は起こりません。
 それは古代ローマのコロシアムと同じ、よくできたガス抜きシステムです。

 そしてそれは悲しいかな、我々民衆に古代から全く進歩がないということを証明しているのです。

 人体は病気になれば抗体を獲得して、以後その病気に対する耐性を身につけます。
 我々も過去の失敗から何らかの知識を獲得して賢くなり、社会の変化に対処する術を見出したいものです。
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この回答へのお礼

>我々も過去の失敗から何らかの知識を獲得して賢くなり、社会の変化に対処する術を見出したいものです。


まったく同感です。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/26 10:16

 このご質問は多方面から反響がある御質問でしょう


日本人の多くは共産主義思想とマルクス思想を混同して物事を図ろうとしますが
この様な考え方は母国のドイツでは元々存在しない考え方です
一般的には宗教家以外の人物で
これ程人類に影響を持つ事が出来た思想家も他には無いとさえ言われていますが
ドイツでは以下の様な格言があります

共産主義者は全員マルクス主義者だが
マルクス主義者は全員共産主義者では無い

と言うものです
この言葉からも容易に想像できる事は
共産主義思想とマルクス主義思想は別物であると言うことです
共産主義思想と言う言葉は元々エンゲルスに依って言葉となったものです
マルクスは一度も共産主義と言う言葉を発したと言われていません
しかしながら言葉の違いはあっても
マルクスによって確立した社会思想であったことも又事実です
この考え方の根底にはヘーゲルに始まる弁証法や唯物史観がありますが
その根本的な思想は自然をどの様に理解するのかと言う問いかけに他なりません
この様な弁証法による唯物史観の確立と発展にはマルクスは多大な貢献をした事は事実です
しかしながらこの19世紀の社会背景にあった物質主義や拝金思想は
自らの優越感の衰退と共に時代から置き去りにされました
マルクスによると革命はイギリスとフランスの人民によって確立する行動であり
又マルクス本人もこの両国の人民に対して盛んに革命を起こす様に喚起していた事実がありますが
結果後進国であるロシアや中国によって
その革命は日の目を見ました
マルクスによると共産主義思想は高度に洗練された思想であり
資本主義の次に確立されるべき社会体制の基となるべき思想でしたが
そうはなりませんでした
ここにマルクスの予想をはるかに超えた現実があったと言うべきでしょう
資本家がその搾取の手を緩めた背景は今だかつて解明されてはいません
まるでスミスの国富論の中も最も有名な一文
神の手
が一度だけ動いたとする考え方の様に それは神がかりでした
ここからマルクスの思想的敗北は始まり又決定的になりました
この時点でもマルクスは革命にその思想的勝利の道を模索したと言えるでしょうが
事実はそうはなりませんでした
今マルクス主義思想は捨てられたのか
との問いに対して大多数の知識人は
違うと答えるでしょう
そして又私も違うと考える者の一人です

最初の言葉の様に
マルクス主義思想と共産主義思想との間には大きな違いが見えます
それはまるで革マル派の言動がたとえ主流であってとしても
この考え方が今如何に陳腐な物になったのかと言う事実からも判断は可能です
唯一つ正しいと思われる事柄があるとしたら
それはまさしく思想は時代と共に変化し盛衰を繰り返すのだと言う事に他なりません
思想の形成過程の中では
如何に時代がその存在感を誇示しているのかがわかる事実でしょう
そしてそれこそがマルクス自信が確立した唯物史観そのものだと言えるでしょう

本文中の注意
※フランス革命は思想的にはルソーの思想です
※革マル派とは革命主義的マルクス主義者の事です
※資本論は大英博物館でマルクス本人の手により執筆され エンゲルスが後世編纂したものの事です
※労働者と言う言葉はマルクスが好んで使用した言葉であったと言われています
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この回答へのお礼

誠意のあるお答えをありがとうございました。

でも私には良く解らない、高級すぎるお答えだったように思えます。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/26 10:13

”社会の矛盾や悲惨な社会を改善しようとして行われた革命だったとしたら、


その矛盾は一体どうなったのでしょうか?”
   ↑
自由にしておくと貧富の差がひどくなるから
国家権力で強引に平等にしてしまえ、てのが
社会主義でしょう。
ライバルがいなくなった資本主義国家ではまたぞろ
貧富の差が大きくなりつつある訳です。

”革命と言うこと全体がそもそも意味が無かったのか?”
   ↑
社会主義国家に対抗するため、資本主義国家も
労働者を保護する法律を始め、各種福祉政策に
力を入れるようになりましたから、それなりに
意味があったと思います。

”革命の仕方が間違っていたのか?”
    ↑
(1)革命の目的そのものが間違っていたと思います。
 平等よりも自由の方が大切です。
(2)革命の仕方も間違っていました。
 現実の人間を見ない革命でした。
 制度は人間の為にあるのです。
 それなのに、社会主義は制度の為に人間が
 あるかのようにしました。
 現実の人間を無視して、人間を制度にはめ込もうと
 したので失敗したと思っています。

”共産主義が、なぜあれほどの力を発揮したのか?”
    ↑
三歳の子供でも不平等には怒ります。
そういう人間の根源に触れたからでしょう。
「民は貧しきを憂えず。その等しからざるを憂える」
です。

この回答への補足

「民は貧しきを憂えず。その等しからざるを憂える」

という言葉は、真理だとは思いますが・・・・?

共産革命がそれが原因で起こり、そのために成功したとは思えないのですが?
また結果としてそれが実現したとも思えませんが・・・?

例えば現在の日本の格差拡大を是正するために革命が必要だ!などといわれても賛成できません。

そしてアフリカの飢餓の問題(貧しきを・・)は、目に入らない、という現在の知的状態をどう考えるのでしょうか?

補足日時:2012/05/24 10:48
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/26 10:03

>世界のあちこちで革命が成功して、共産圏が広がりましたが、結局ソ連の崩壊で、共産主義の時代は終わったように思われます。



まず共産主義という概念の定義の問題がある。
いわゆる共産党宣言などを準拠すれば、社会主義という過渡期を経て共産主義に至るわけだが、
現実に共産主義社会と言えるような国家が現実した事例は世界史的に見てもほとんどない。
もっとも、共産主義の定義の困難さがあろう。マルクスの指摘する「共産党宣言」の3章3節から思慮するにしても、全ての条件を満たして始めて『共産主義』と判定されうるのか?というのも判然としない。
したがって、小生個人は、共産主義の終焉という見解はいまいち首肯できない。
共産主義という思想があるとして、それは国家に関する主義・思想として判断するのが一般的だが、極めて限定的なコミュニティに残る共産主義まで思慮することは無意味であろうか?
小生は、共産主義という亡霊(共産党宣言のパクり)は、市場原理主義思想の背理として厳然として残っているように思えてならない。
実際に、カルトとも言える宗教法人や特殊な思想集団では、共産主義的な思想があり、その思想の元に組織経営されていることも指摘できる。
これらを俯瞰して、共産主義が滅びたか?というには、滅亡とは思えない。
むしろ、亡霊として共産主義思想の残滓・変化形態が世界を亡霊のように被っているように思うのである。
極論すれば、ベルンシュタインの修正主義は共産主義であるか?という問題もある。
仔細は補足があれば説明するが、小生個人は、滅んでいないし、むしろアンチグローバリゼーション勢力との紐帯の危機を指摘できよう。

>しかしながら終わってみて、あれは一体何だったのか?と考える人が居ないように思われます。
社会の矛盾や悲惨な社会を改善しようとして行われた革命だったとしたら、その矛盾は一体どうなったのでしょうか?

上記したものに準拠されたし
社会の矛盾を解消するために、現代憲法の整備、つまり、社会権、もっといえば、個人の行動を権力が能動的に保障する権利体系が形成されている。
労働者の不遇・女性の不遇・所得較差の不遇なども様々な制度・システムで共産主義とは離れて解消されつつある。(OECD諸国では概ね解消していると言えるだろう)
したがって、矛盾は革命ではなく、立憲主義・社会進化主義などで改善されていると言えよう。
それらは、共産主義なしに成し得たものか?という話になれば、マルクス主義の影響が皆無とは言い切れないだろう。逆説的には、マルクス主義の影響力が大とも言い切れないだろうが・・・

>マルクスが間違っていて、共産主義が解決にならないということは解ったとしても、矛盾そのものが無くなったわけではない、と思われます。

上記した通り
なお、マルクスが間違っているとしても、その間違いをどこまで正確に検証しているのか?という部分では判然としない部分も多い。
むしろ、本気で検証した人間が、大上段に「無意味」と唾棄していないことも事実である
一方で、『共産主義とは何か?』という命題について主観的に捉えている人間ほど、軽挙妄言する傾向があるように思える。
『ゴータ綱領』をはじめに共産主義の思想そのものが現代においての意味があるとは思わない。
しかし、共産主義思想から派生した諸種の社会主義思想・概念は今も生きているだろう。
ある意味、社会主義の母体としての共産主義思想を鳥瞰する価値はあるとは思うが、明確な定義付けの困難さから検証には限界がある。
学者レベルでも争論しているのだから、浅学な小生には及ばない領域ではあるが・・・


>革命と言うこと全体がそもそも意味が無かったのか?革命の仕方が間違っていたのか?など解らないことが多いと思われます。
しかし何はともあれ世界の半分を占める勢力にまで成長したことには何か、意味があったようにも思われます。
共産主義が、なぜあれほどの力を発揮したのか?についてのお考えを、教えて下さい。

上記した通り

ところで、敢えて付言するが、『共産主義』とは、いわゆる『共産党宣言』などに見られる科学的社会主義思想に特化されるものだろうか?
小生個人は、エンゲルスが「空想」と唾棄し批判した『空想社会主義』も共産主義に内在するものと考える。
もっと言えば、共産主義思想とは、ユートピア思想であって、エンゲルスが指摘するような「科学」(実は疑似科学なのだが)だけを共産主義と狭義に捉えることの適否に疑問を感じる

もし、仮に、『空想社会主義』も共産主義になりえるならば、多くの社会には、局所的な「空想社会主義」が偏在していることを指摘できよう
もっとも、国家規模では存在しないが、主義とは国に限定される由来はない。個人レベルでも存在しえるものであろうことも重要である。
なお、アナーキストの小生からすれば、共産主義とは対局に存在しえるわけだが、その適否については当時社会の構成員次第であって、共産主義思想を支持・賞賛する個人の集合体で、共産主義社会を形成するだろうことを想定しえる。
単純に、共産主義思想を精査できないだけの話で、実は共産主義思想をもっている個人はいるだろう。
もっとも、共産主義思想で国家運営などは不可能であろうが・・

以上

この回答への補足

共産主義思想というものが、消滅してしまったのか?生き残っているのか?と言う問題も重要とは思いますが、その前に20世紀に存在した共産圏と言うものはなんだったか?と言うことをまず考えたいと思います。

ソ連、中国、東欧その他に厳然と存在した共産圏が、出来上がったのは、どういう理由がるのでしょうか?

存在意義が一時はあったと言うことなのでしょうか?

補足日時:2012/05/24 12:04
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/26 10:02

私は共産主義は「歴史の必然」だと思います。



終着点を共産主義の崩壊に取るとすると、出発点は大航海時代になります。

そもそも、産業革命とはなにか?を考える必要があると思います。

産業革命を簡単にまとめると「農地に縛られていた資本・人・社会制度を開放し、貨幣で縛りなおす革命」といえます。
それまで農本主義として富の蓄積は少数の支配者(王族など)に集まり、農民は隷属することによって秩序と社会の継続性を保つ封建主義が必要でした。それは翌年に蒔く種の保存や土地の確保などに絶対的な権力を必要としたからです。
もちろんこの制度には問題点もありましたが、何千年も継続してきたのです。

ところが大航海時代になると、航海船に出資をして富を蓄積するものが現れ始めます。これらの出資は当時の上流階級が多かったものの、航海が成功したときに実質的に経済を回す役割の商人なども富を得るようになり、またこのような航海船に乗り組む賃金労働者も同時に生み出して生きます。

このとき富を蓄積した都市生活者はそのうち不満を持つようになります。その不満は税制に対する不満や身分制度に対する不満です。彼らは、同じだけの利益を分けたとしても貴族や宗教組織はまったく税を払わなくて良いのに対して、商人は税をとられるだけでなくそれが貴族などの贅沢に湯水のごとく使われていくのを目の当たりにし、制度矛盾に気づいていったのです。

この不満(特に税を取られるのに政治への意思決定ができない不満)が段々に蓄積し、やがて啓蒙主義が生まれます。トマス・ホッブスの提唱した「人間の自然状態」「万人の万人に対する闘争」という考え方が啓蒙主義の根幹であるとともに、やがて共産主義への理論的主柱になっていくのです。


そして啓蒙主義で強化された市民(ただし裕福な市民)は民主的な政治体制を求めて革命を起こします。代表的なものは清教徒革命・アメリカ独立戦争・フランス革命になります。

これらの革命とそれに続く多数の国の立憲君主制への移行により、政治的に民主主義が成立していきますが、この期に産業革命が起き、封建制度の崩壊は次の段階に進むことになります。

産業革命は、狭義には機械を使って大量にモノを生産する方式が発明されたことを言います。しかしこの一連の発明は社会制度まで大きく変化させてしまったので「革命」と呼ばれているのです。
この産業革命で変化したのは、最終的に農地に縛れていた農民を農地から解放し、大量に労働者として都市に流入させた、ということです。
この都市労働者の大量出現により、資本主義が明確に出現することになります。それは大航海時代に誕生し発展しつつあった資本家(賃金を払う側=支配者)と新たに大量に出現した労働者(賃金を受け取る側=被支配者)が分離し、新たな階級間摩擦を引き起こし始めたことです。

つまり産業革命による資本の蓄積の加速は、同時にブルジョアジーとプロレタリアートの二極分化を生み出し、新しい制度改革(つまり革命)の火種を作ってしまったのです。

先に書いたように、大航海時代に生まれた「比較的裕福な庶民」は啓蒙思想を得て、革命を起こし支配者階級を消滅させて民主的な制度を作った、と思っていました。この民主的な制度は現在でも「民主主義」として知られているものです。
民主主義の根幹は「市民平等」です。同時の庶民も支配者階級を消滅させ、すべての庶民を平等に権利者(市民)として扱うことを目標に民主主義制度を作ったといえます。しかし、勧業革命により市民の中資本階級と労働者階級が生まれることで、啓蒙思想から逸脱する状況が生まれていきます。

この現状を解き明かしたのが、マルクス・エンゲルスの「資本論」です。またマルクスは啓蒙主義の発展系として「唯物史観」を提唱しします。この唯物史観の説く必然的な変革の根本には、トマス・ホッブスの「万人の万人に対する闘争」という概念が内包されているのです。
そしてマルクス・エンゲルスは「共産党宣言」を発表し、市民革命の後に続く新しい革命の形を提唱していくことになるわけです。

プロレタリアートとして社会構造の変革を望む人々は、この「共産党宣言」に飛びつきます。特にレーニンはこの著書を実際の行動に結びつけるだけの能力を有していました。

そして十月革命を成功させたレーニンは1922年にソビエトを作り、共産主義国家を成立させるに至り、新しいイデオロギー(封建主義でも資本主義でもないイデオロギー)を体系的に成立させ、その後の共産革命につながっていきます。

その後、世界中で労働者が増え「搾取されている」と訴えることで、共産主義勢力は力をもち各地で革命、植民地独立後の政体決定に威力を持つことになります。

結果としてですが、資本主義が啓蒙主義を開花させ、啓蒙主義により資本主義が加速した以上、最終的に啓蒙され開放されるべき労働者階級が開放されたのが共産主義だったからです。
革命が「開放」である以上、最終の開放が終わるまで啓蒙主義の暴走は止まらなかったのです。私が共産主義は歴史の必然と考えるのは「最終的解放者(労働者)の開放=共産主義」だと考えるからです。


>共産主義が、なぜあれほどの力を発揮したのか?
については「私は搾取されている」と考える人が世界中に居たから、というのが答えであり、特に第二次大戦後の独立時には、資本主義=今までの宗主国とその傀儡を温存する、という考え方を吹聴することにより労働者(ようするに大部分の国民)を動員することに成功したのです。

ただし、戦後の独立国家のうち本当の意味で共産主義を理解して共産化した国家は少なく、イデオロギー対決としてソ連などが援助したから、共産国になったというところも多いのが実態です。しかし、それであってもその国の労働者の動員は民主主義よりは遥かに容易だといえますし、だからこそ共産主義は失敗したともいえます。

これが共産主義が成立し崩壊するまでのあらすじであり、この歴史に内包されている問題は以下のとおりです。
A人類は万人が幸福になる社会制度を設計し運用することが可能なのか?
B万人が不可能なら「最大多数の最大幸福(ジェレミ・ベンサム)」なら可能なのか?その場合、見捨てられる少数とはどのように決定されるのか?
C人間の自然状態をコントロールする最高の社会形態は何か(共産主義は失敗、資本主義は暴走、神聖主義などは超自然(神)の受け入れに問題あり)
・ソ連や中国は本当に共産主義だったといえるのか?

質問者様の個別の問いに答えるなら、
社会の矛盾や悲惨さを改善するための革命という点では民主主義革命も根っこは一緒です。またこのような矛盾点を解決できる制度はまだありません。それは上記ABを解決するのが難しいからです。

革命の意味を無かったというなら、フランス革命もアメリカ独立も意味がなかったことになります。前者は失敗したとはいえ皇帝ナポレオンを生み出していますし、アメリカは独立の趣旨と原理主義の狭間で現在でも苦しんでいます。また、革命の仕方に間違いも正解もありません。
あるのは「革命以後、その政体が持続しているかどうか?」だけです。たとえば中国はすでに共産主義とは言えないほど資本主義を受け入れていますが、政治体制はいまだに共産主義を標榜しています。これを欺瞞とするのは資本主義体制の見方であって、共産主義的に修正しただけ(笑)ともいえるからです。
いずれにしても、ソ連の失敗をもって共産主義がすべて崩壊とはまだ言いにくいのです。(個人的には共産主義は社会の矛盾を解決できるとは思いません)

共産主義は20世紀の壮大な実験、とよく言われます。その見方は正しく、共産主義の発生とソ連の崩壊(そして中国の資本化(ただし民主化はまだ受け入れていない)・北朝鮮の独裁化など)は実験結果として「人類が自分達で資源をコントロールして、自由と貧困を撲滅する為に必要なこと」を暗示しているといえます。

それは「欲望」をどのようにコントロールするか、ということです。奇しくもソ連崩壊後20年を経て、リーマンショック・ギリシャ問題など資本主義の「欲望コントロール」方式にも疑問符が付けられ始めて居ます。
資本主義の欲望コントロールは「自由市場による自動修正」だったのが、現在揺らいでいるわけです。

これらの問題は実は文学や哲学としてはよく論じられている問題であり、実際には「考えている人」はたくさん居ます。
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この回答へのお礼

産業革命からはじめて、「革命」と言うことの歴史を説明していただきありがとうございました。

お礼日時:2012/05/24 12:22

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