1つだけ過去を変えられるとしたら?

皆さんの中にも、理想郷を胸に抱いている人は少なく無いと思います。
そこに行くことが実現するかしないかにかかわらず、理想郷を胸に抱くということは、人に、なにか活力のようなものを与えていると感じています。
いろいろの文芸作品や娯楽作品にも描かれている理想郷ですが、皆さんの抱く理想郷とはどんなものでしょうか。よろしければ教えてください。また、それを抱くことで、現実の自分はどのように変わったでしょうか。
どうぞよろしくお願いします。

A 回答 (6件)

こんばんは。



僕の桃源郷は庭にあるハーブの鉢です。ハーブか小さな虫になりたいです。団子虫ややすでが住んでいますが、僕がバナナの皮や野菜の切り屑をあげるため、食べ物には困らないでしょう。蜂はいつも、咲く花の蜜をたくさん吸っています。この間見たら、バジルと名も知らぬ草の赤ちゃんが居るではありませんか。

もう駄目だけど、あんな宇宙を感じる場所に住めたら良かったです。

僕は、それを想い、空しくなりました。何も変わりません。
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この回答へのお礼

柔らかい言葉で綴られており、心の和むご回答でした。
理想郷を偲ぶほどに空しい気持ちになるの、私も分かります。私はSFが好きで、近未来にそのアルカディアを夢見ていたのです。しかし、今はiPhoneの中に夢を閉じ込めて、現実には何もアルカディアには近づいていません。夢に破れたという形容がまさにぴったりです。
今になってやっと、シビアな現実に向かい合い、しっかりとした自己を確立せんとしているところです。
でも時々夢は見ています。アルカディアの夢を。

回答者様には詩才があるようです。回答を読んで、夢を偲ぶ柔らかな気持ちになれました。またよろしくお願いします。

お礼日時:2014/08/11 23:21

♪「They say It was India」

この回答への補足

あれは三蔵法師の歌だったのでしょうか。ゴダイゴには名曲が多いです。

補足日時:2014/08/13 01:31
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この回答へのお礼

ww

お礼日時:2014/08/12 21:40

お礼ありがとうございます。



願わくば「人と争う」と言う幼さを
人間が克服できるようになればいいなと思います。

争いは衰退を生み、誰しも自分が衰退するのを好むのを
本音として持つとは思えません。
争いにより関係や環境を衰退させれば、それは確実に自分にはね返ります。

人に勝ちたいと言う幼さを克服できて
事で勝つことを目指す時、人類は泥沼を脱して
平和な繁栄を享受できるように思います。

何を勝つとするかは、基準はそれぞれで全然いいです。
「ここだけは」が、それぞれに有るのもいいものです。
人に勝ちたいでなければ、お互いのそれぞれの勝ちを認めあえるから。

未熟さは悪では無いですが、未熟な行動は不幸を呼び込みます。

いつか顔を見合わせ、心から笑いあえるといいですよね。
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この回答へのお礼

確かに争いのない世界というのは、普遍的な人類の悲願として、誰もが抱いていると信じたいものです。
人と争うことを幼いと表現されている所が、皆に伝わるかどうかはわかりませんが、事で勝つこと、と括られていることで、勝つとはどういうことかをうまく説明されてるなと感心しました。
ウクライナやガザなど、常に紛争が世界のどこかに存在します。大戦こそ、ここしばらくはないですが、争いこそ不幸そのものだと思います。
争いを超克出来る日が来るとほんとうに素晴らしいですね。

お礼日時:2014/08/11 19:23

量子論的世界像において、世界は観察される事によって


存在する。
無(=不確定性無限)の潜在的な認識可能性(感受表面
(量子相互作用)=現在=光速)からの、自我仮説(記憶
(時間的流れ)=過去=超光速)と時空仮説(予測(空間的
広がり)=未来=光速下)の相補分化による。
言い換えれば、環境は自我成立のための相補=自己存在
の必要として派生しているのだ。
そんな「自己の必要」としての環境において“ぶつかる
(自己の意志を阻害する)”のは、そうした自己存在の
本質(物理)を自覚していない自我意識の未熟による
「自己矛盾」としてだ。

自己存在の本質に根差した意志(物理的相補性~環境との
物質循環~社会生命的他我による博愛)によれば、「最大限
の認識+最大限の意志+最大限の生産性+最大限の充足」
によって、生きる真の目的である「人生を通算した精神的
充足量の総和の最大化」は達成され得るのだ。
楽園は、いかなる場所にでもなく、心の奥、認識の深淵の
果てにある。
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この回答へのお礼

哲人らしい回答ですね。私も量子論の概要を聴いて、観察者に依存する物の存在という話を聞き、スゴイところまで物理学は進んでいるのだなと、驚いた次第です。
認識の深まるに従って、より純度の高い見識が得られるのでしょう。それ自体が幸福を呼ぶようにも思えました。
ご回答有難うございます。

お礼日時:2014/08/11 19:05

私の理想郷は全ての人があらゆる差別をせず


質素な生活で満足し、芸術、学問、自然等に親しむ社会です。

しかし、ある調査では20以上の国で過去3世紀に亘り格差が拡がっているようですし
特に、アメリカでは10%の富裕層が50%の富を得ているそうです。

これは「自分さえ良ければ良い」という人間の利己心や強欲さを表わしているように思います。
ですので、社会にはあまり期待せず自分は理想の生き方をするように心掛けてます。
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この回答へのお礼

まさにアルカディアっぽいですね^^
日本のように、文化的に恵まれた国に生まれてよかったと思うと同時に、貧富の格差などマイナスの部分に目をやれば、どうしたものかと悩んでしまいます。アメリカなどは尚更顕著なのでしょう。
自分は理想の生き方をする、それが現実的な道だと私も思います。
ご回答有難うございます。

お礼日時:2014/08/11 19:03

子供の時は、理想郷を持っていました。


いろいろ想像するのは楽しいですよね。

今は「この先にあるの可能性は・・・」を描きます。
結果的に、みんなが少しでも楽しく過ごせるようになればいいですね。
それに微力でも貢献できればと思います。

その人らしい人生を選べることが大切だと思っていますので
できれば誰もが笑顔でいられたら、が理想ではあります。


>現実の自分はどのように変わったでしょうか。

生きる楽しみが増えました。
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この回答へのお礼

回答を読んで私も笑顔になれました^_^
私も、以前の様に夢見がちなことはなくなり、歳を経るにしたがって現実的になりました。
仰る様に、今のこの先にできうることを探す様になれました。
素朴ですが温かいご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/08/11 01:53

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