小林秀雄の「学生との対話」で、
>小林が終生のテーマとしたのは、人生、いかに生きるべきか、でした。<
と、あります。自分もそういうテーマを、持ち続けたいと思うのですが、今日のNHKの仕事ハッケン伝夏SPで、デパ地下の指導者が、初体験の芸人さんに要求したのは、売れるお弁当の企画でした。
やはり、仕事、特に第3次産業主体の昨今の会社は、いかに売れるものを企画できるかが重要な気がしました。
人生、いかに生きるべきかを追求することは、そういう会社で働いて、会社や社会に貢献することとは、まるで無関係なことなんでしょうか。あるいは逆に、いかに多くの人に売れるものを作れるかを考えることこそ、いかに生きるべきかに通じるのでしょうか?
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
お礼を拝見して、問われていることが見えて来た気がします。
おっしゃることは、生き様についてのことかなと思いました。
芸人にはその芸人の生き様があり、それがその人の人生を定義づけていると。従って、仕事ハッケン伝で、芸人が異業種の仕事にチャレンジする時には、どうしても芸風が形を変えて出て来てしまう。それが評価されるかされないか。
難しいところです。
仕事には、本来、個性、生き様が現れるものと思います。しかし、組織の目指すものが完成していればしているほど、型に徹する事が求められ、ある種の独創性は否定されがちです。
しかし、革新こそが走り続けるために必要であるならば、その独創性や、働く人々の生き様、個性というものは必要とされて来るはずです。
日本の企業に元気が無いのも、そういう意味では、成熟したことによって芸風が固定されてしまったためかもしれませんね。
多くの人に受け容れられる、つまり売れるものを目指すことは、消費者に迎合した生き様を晒すことになりかねません。また、自己の個性や独創性を発揮しようとすることが、必ずしも妥当性や必然を生むとは限りません。迎合せず、しかも他者を無視することなく、自身の信じるところに従ってことをなすならば、言わんとする理想の人生の形態につながるのではないでしょうか。
型に嵌るのではなく型を創る、押し付けるのではなく求められる、そんな仕事ならば、人生に応用できることもたくさん学べると思います。
この回答への補足
おっしゃる通りの問題意識です。タイトルを「いかに生きるべきか」ではなく、「職場に個性は、必要か邪魔か?」にすればよかったかもしれません。
補足日時:2014/08/22 14:21自分の個性や独創性とは何かを見つけるのも大変ですが、その自分でどう社会に適応、貢献するかもわからない、二重の苦労を抱えていますが、そういう人も少なくないような気もします。
たぶん自己探求の問題のような気がしてきました。「自分探し」なんてやらなくていいという時代ではないような気がします。
ありがとうございました。
No.13
- 回答日時:
No.11です。
>人間として、あるいは日本人として「楽しく生きれた」時代があったか?(参考としてか)
あなたの質問は、「日本人」がどう生きるべきかを問うているのですか。あるいは歴史の話をしているのですか。違うでしょう。時代や人種には関係なく、人間として、あるいはあなた自身として、どう生きるべきかということを問うているのではないですか。
その問いに対して、私の回答は、あなたが楽しいと思う方向に行きなさいと答えたのです。
ただし、楽しいと思う方向というのは、単においしいものを食べたり、異性とエッチしたり享楽にふけることではありません。それはそれで楽しいかもしれませんが、それよりもっと楽しいことがあるのです。
たとえば、ご質問にあるように、会社や社会に貢献することも、それが社会に認められれば、多くの人間は楽しいと感じるでしょう。
そのほか、たとえば、修行僧が厳しい修行に耐えるのは、それによって神や仏に近づくことができるという心の楽しみがあるからです。日本でも災害が起こると、復旧のために多くのボランティアが集まるようになりました。人間はほかの人の喜びを自分の楽しみに変える能力があるのです。
楽しいと思う方向に進むことによって、人間は充実した人生を歩むことができるのです。
楽しいという感情は、実は人間自身がそう進みたいという心からの命令書であり、私はそれに従えと言っているのです。
再度ありがとうございます。
前に、大学時代に、友達と旅行に行かないで、両親と旅行に行っていたと書いたんですが、楽しくても面倒くさいより、つまらなくても楽な方を選ぶ生き方を主にしてきたので、たぶん本当に楽しいとは何かがよくわからないということで、楽しいは難しいと前回のお礼で書きました。
それで参考として、一般的に楽しい人生とは何かを、時代的に考えられないかということで、いつの時代の生活が楽しいといえたかという問いかけもしました。
結局、やりたいことがわからないという人のように、自分が何が楽しいのかよくわからないという人間もいるということです。これからは持ちたいと思いますが、あまりにもそれが無かった思春期以降がうらめしいと今でも思います。自分が楽しむことへの罪悪感が何かある感じです。自分は楽しんではいけないというような。
No.12
- 回答日時:
>いかに生きるべきか?
おおくのひとの賛同が得られる回答として、やはり人生は幸福を追い求めことに生きがいを見出しているものなのでしょう。
小林秀雄の世代には多くの生真面目な文学者がいましたが、彼らの多くが信じたのが芸術至上主義というものだったと私は思っています。小林は自分では満足できる小説を書けなかったので、それが生涯の悩みであり生涯幸福ではなかった、それが劣等感の中核だったと思います。つまり芸術家を目指す限り、生涯にひとつでも自分が満足できる完璧な作品を生み出し、それによって後世に名を残すこと、それが人生における最大の目標になっていたのでしょう。
芸術家についてはそれが普通だと思います。
芸能人も広い意味で芸術家ですから、たとえば落語家については人生の中で自分自身満足のできる高座が勤められて、それで聴衆をうならせることができれば、それが生涯の華になるのだろうと思います。
ご質問とはずれたかもしれませんが、順々にこなしていますので、ご勘弁を。
さて、仕事としての第三次産業での従事者の生きがい、人生の目標といったことですが、基本的にビジネスマンとしては仕事を成功させて会社を儲けさせること、それによって自分もサラリーが増えて豊かな暮らしができることが立派な人生の目標になるだろうと思います。もちろんその最終目標のために多少でも社会的に不正を働いて最終の目標を達成しても、それはまじめな人生とはいえませんから、必ず後悔するときが来るでしょう。私も40年以上民間の製造業に身をおいて働いてきた身ですが、如何にに生きるべきか、生きるべきだったかということを私自身の経験にもとづいて今考えるとき、懸命に一業に集中しているときは、そういったことを考える暇がなく、何かにつまずいて自身の立場に疑問を持ったときにきまってそういった思いが浮かんできたようです。ですから、
>人生、いかに生きるべきかを追求することは、そういう会社で働いて、会社や社会に貢献することとは、まるで無関係なことなんでしょうか
それは違うと思います。大いに関係があります。私の上司も言っていましたが、仕事自身が趣味になればそれは一番幸せなことだ、というのは真理だと思います。たいていのひとはいかにに生きるべきかという疑問などもちませんし、それは当面の人生を懸命に生きていて、それが彼らのその答えなのだということを直感的に知っているからだと思います。
>いかに多くの人に売れるものを作れるかを考えることこそ、いかに生きるべきかに通じるのでしょうか?
もちろんそういうことでしょう。ビジネスにおいて成功すること、それは世界の実業人の最大の目標であり生きがいになっていると思います。
そんな彼らが大成功したあとでそういった人生を回顧し(俺の人生は、忙しいばかりでなにもなかったんではないか??とか)、また別の人生を考えることがあっても、それはそれ、まったくべつの問題です。
この回答への補足
当を得たご回答ありがとうございます。
芸術的道と、製造業に身を置く生き方の比較。仕事を趣味にするということへの、憧れと戸惑いなど、自己の葛藤を問われている気がします、現場の人から。しばらく考えます。
やはり、自分がどこで力を発揮できるか、自分の着地点の問題のような気がします。いろいろつまづきが多いので、悩みながら、まだ浮遊している感じです。悩むより、足元を固めろということですね。
ありがとうございました。
No.11
- 回答日時:
人間は死ぬとどうなるか、もう知っていますよね。
燃やされて二酸化炭素と水蒸気それに若干の骨になります。あの世に行くとか、天国に行くとか考えれば気持は楽になりますが、残念ながらそんなことはない。みんな気づいているはずですが、恐ろしくて考えたくないだけのことです。(いきなり深刻な話になってしまいましたが、哲学のカテなのでご勘弁を)では人生をどう生きるべきか。どうせ死んだら風と灰になるだけです。ですから「生きているうちに、できるだけ楽しく生きることだ。」というのが結論です。(簡単なことですが、正解はいつも簡単なところにあるものです。)
では、どうすれば楽しく生きられるか。
>そういう会社で働いて、会社や社会に貢献することとは、まるで無関係なことなんでしょうか。
無関係ではありません。人生と無関係な人間の行動というものはありません。どんなことにも人生とはどう生きるべきかとかかわってます。
>いかに多くの人に売れるものを作れるかを考えることこそ、いかに生きるべきかに通じるのでしょうか?
売れるものを作れるか考えることが、その人にとって楽しいなら、イエスです。苦痛ならノーです。
人間は単においしいものを食べたり、異性とエッチしたりするだけが楽しいことではありません。社会の中で認められたり、社会に役立つことをしたりすることにも楽しさを見出す動物です。(サルやイヌなども同様ですが、ヘビやカエルはそうではないでしょうね)
売れるものを作る。すなわち作ったものが売れるということは、その人のアイデアや作業が社会に認められたということです。これに人生の楽しみを見出す人は多いと思います。楽しければ、その人にとって人生が有意義だということです。
「楽しく生きること」 明解ですね。ただ「楽しい」も、哲学的に難しい気がします。人間として、あるいは日本人として「楽しく生きれた」時代があったか?(参考としてか)
「ええじゃないか」の時代か、いわゆる30年代か、バブルの時代か。特にバブルの時代を楽しいというかどうかは、また問いかけたい位ですね。個々人で充実している人は多くいると思いますが、社会として楽しさを享受できるのは、戦争中もそうだったかもしれません。
もう時代として楽しさを追求するのも終わって、何が楽しいかは個々人にまかされてくるのでしょうか?
ありがとうございました。
No.10
- 回答日時:
> 人生、いかに生きるべきかを追求することは、そういう会社で働いて、会社や社会に貢献することとは、まるで無関係なことなんでしょうか。
あるいは逆に、いかに多くの人に売れるものを作れるかを考えることこそ、いかに生きるべきかに通じるのでしょうか?どちらでも無いように思います。
いかに多くの人に売れるものを作れるかを考えること⊆いかに生きるべきかに通じる
それのみにあらず、だと思います。
いかに生きるべきかに通じるもので課題条件クリアは
弁当の企画などであれば、発想は無限にあると言える物かと思います。
どの仕事でも、いかに生きるべきかに通じることはできるとも思います。
いかに生きるべきかを考えることは、無限の発想に通じるという解釈でいいでしょうか。どの仕事にも通じる道だと。
そうであってほしいですね。そういう結論であってほしいとも思います。そしてどこかに着地点があるはず。力強いお言葉ありがとうございます。
No.9
- 回答日時:
#5の者です。
>「新ルネッサンス宣言」は、誰の説なんでしょうか
他人の作を無記名でこんなに引用したら、著作権法違反です。
私が20年ほど前に自費出版した中にある文です。
>実生活の中で、具体的にどう生きていけばいいのでしょうか?
簡単です。
環境認識を深め>自己の社会生命的拡張を把握し>自律的
に社会行動をとる(助け合いとしての労働)、あるいはそれが
可能になる社会を目指す、だけです。
再度ありがとうございます。
環境認識・自己の能力?・助け合い
確かに働く時の重要条件ですね。ただその一つ一つが自分の場合は全部簡単じゃなかった・・・という個人見解です。みなさん、簡単なんでしょうか?
No.8
- 回答日時:
noboundさん おはようございます。
まだ眠いです。いかに生きるべきかという主題に対し、黒澤明の「生きる」という映画を思い出します。
毎日、もくもくと遊びもせず仕事をこなし、退職したら、子供にも見放され、最後に公園を造ることで、人生の意味を見つけ出す。
お弁当作りは人間が生きるために直結する食に通じますから、多くの人が買ってくれたならば、売れるという利益面だけでなく、私の企画したお弁当を食べて、今日を生き、幸せを感じる人がいるかもしれないというモチベーションを持った社員がいるならば、その人は会社に貢献すること共に仕事でいかに生きるかという充足感を得ることができるのかもしれないと考えます。
しかし、グローバル化の社会の中で、あまりにもすばやく情報が手に入り、それによって、めまぐるしく人の趣向が変わり、売れ筋商品を企画しなければならない昨今はいかがなものですかね。
新しく企画創造しても、すぐに古びてしまい、会社の存続のためには次々に新しいネタを企画しなければならない。
芸人も同じで、斬新で面白くても、ネタが尽きるとすぐに飽きられ芸能界では生き残れない。
ベテランの漫才師が、言ってましたが、今の若い漫才師はかわいそうだ、私の頃は数個のネタを繰り返し舞台で使ってもお客さんは喜んでくれた、しかし、今の情報化時代ではネタが尽きるのはあたりまえだと。
昔は時間がゆっくり流れているようでいいなぁと思う中年の私ですが、現在において人生いかにして生きるべきか、私もう少し考えてみたいと思います。
ありがとうございます。
いろんな問題を含んでいますね。次々と新しいものか、ひとつで勝負するか。考えればいろいろアイデアは出てくるような気がします。
大事なことは何なのか?もう一度、「生きる」から学べるかもしれません。情報化とゆったりした時間の流れ、これも対象的ですね。
No.5
- 回答日時:
生物は、環境におけるエントロピー増大を淘汰として、
自然選択によって生じたものだ。
生きる事は、手段ではなく目的である。
即ち、生きる事の目的は生きる事だ。
この場合の「生きる事」は、肉体的な存続を目指す事
だけでなく、精神的に認識する事による存在性の発生も
意味する。
つまり「生の目的化」とは、物質的な繁栄をベースと
しつつも、精神的な充足量の最大化を目指す事である。
それは、人類においては、分業化や組織化による社会
生命化に応じて、その自己の生の社会的拡張を自覚化
し、金儲けや虚栄心のためではなく自律的に社会行動を
とる=生きる事(助け合い)自体による喜びを意味する。
上記の内容を原則化すると、以下のようになる;
「新ルネッサンス宣言」
───人間中心性の回復・人間的感性の復権───
1. 我等は、認識する個体である。
2. 我等の生存は、意志の結果であり、幸福の追求としての本質を持つ。
3. 幸福とは、認識に於ける意志と、その達成の認識により成る。
4. その個体的追求は、生存と認識に於いて為される。
5. その環境的対応は、生存は生産として、認識は学習として現れる。
6. より大なる学習は、より大なる社会的生産を可能にする。
7. また、より大なる生存に於いて、より大なる認識は可能になる。
8. これらの過程の認識とその意志化は、最大の生存と最大の認識に於ける、完全な充足を実現する。
9. それらの統一的計量は、認識の深まり及び有効エネルギーの不可分な指向として、反エントロピーとして求められる。
10. 反エントロピーとは、宇宙の起源としての、絶対無=無限不確定性の潜在(有限)たる認識の自我仮説性(時間性~進化)の定性化である。
11. 潜在的認識可能性に対する相補的環境は、その認識の有限性による相補性の非自覚化により、他律的対象(=時空仮説)化する。
12. その他律的環境への反エントロピーの敷延は、自己矛盾として生じる環境を、その先入たる仮説的時空性に於ける個体的有限性を、超越する意志化により補償するものである。
13. 換言すれば、真理の限界は、愛により補完され得る。
14. 先述の要素との対応に於いて、真理とは認識の深化であり、愛とは社会的生産への意志に他ならない。
15. 宇宙の原理的本質は、自我成立の為の相補であり、そこに於ける完全な自覚に基づく完全な意志は、真の環境としての無限性=完全な自由を保証される。
16. この、利己と利他、あるいは唯物と唯心を包含した、完全な“自己”完結的過程には、金や地位といった外的価値、また主義・宗教他いかなる権威も介在し得ない。
17. 我等は、愛によって真理を成し、真理に於いて愛を為し、而して幸福なるべくのみ存在するものである。
ありがとうございます。
そのために、我々は実生活の中で、具体的にどう生きていけばいいのでしょうか?
ちなみに「新ルネッサンス宣言」は、誰の説なんでしょうか。psytexさんの「生きるとは」ということなんでしょうか。もう一度読み返してみます。
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