電子書籍の厳選無料作品が豊富!

 小林秀雄の「学生との対話」で、
 
 >小林が終生のテーマとしたのは、人生、いかに生きるべきか、でした。< 

 と、あります。自分もそういうテーマを、持ち続けたいと思うのですが、今日のNHKの仕事ハッケン伝夏SPで、デパ地下の指導者が、初体験の芸人さんに要求したのは、売れるお弁当の企画でした。

 やはり、仕事、特に第3次産業主体の昨今の会社は、いかに売れるものを企画できるかが重要な気がしました。

 人生、いかに生きるべきかを追求することは、そういう会社で働いて、会社や社会に貢献することとは、まるで無関係なことなんでしょうか。あるいは逆に、いかに多くの人に売れるものを作れるかを考えることこそ、いかに生きるべきかに通じるのでしょうか?

A 回答 (13件中11~13件)

かつての素朴な時代では、生きることと、仕事することは


見事に一致していた訳です。

それが近代化され、生きることと、仕事することが乖離
してきました。

質問者さんの違和感は、そういうことではないのですか?



”人生、いかに生きるべきかを追求することは、そういう会社で働いて、
 会社や社会に貢献することとは、まるで無関係なことなんでしょうか。”
     ↑
現代では生きることと仕事が乖離していますので、
会社に貢献することが、いかに生きるべきかと一致
しない場合が生じます。

従って、それを一致させる人生も、一致させない人生も
あるわけです。

一致させる人生にするか否か、自分で選べばよいのだと思います。
一致に成功すれば、それだけで人生の勝ち組です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 生きることと働くことの乖離。一生入った会社で安定して働ける時代ではないので、そういう感じなんでしょうか。

 どう生きるかと、どう生活するか、その狭間に様々なパターンがあることは、人生を面白くするかもしれませんね。

 ありがとうございました。

 

お礼日時:2014/08/23 22:25

こればかりは、各人が自ら見出さなければならないことなのではないでしょうか。

問われている事は、生きがいともまた違う気がします。
後悔しないように生きるべきであると思いますが、べき論で語ることによって、逆にテーゼに縛られることもありそうです。ですから、いかに生きるべきかを言葉にはしても、言葉に縛られてはならないと言えます。

デパ地下での弁当売りの話ですが、売れるものを作るのは、如何に働くべきかには通じても、如何に生きるべきかには直接には通じないと思います。労働は人生の一部であってないがしろには出来ませんが、人生の全てではないからです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

どう考えても、芸能人のほうが個性的だと思うのですが、その人が一般の職場で悩むことを、その芸人の職業意識の低さのようにとらえることにどうしても違和感を覚えます。いかにもそこで働く人がプロの組織人のような。

「家族に乾杯」や「こころ旅」は、個性的な一般人に注目しますが、仕事になると、いかに個性的が邪魔かの実態を知りたいのですが。一般職場の実態をあぶり出すような。撮影許可が降りないということですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/21 03:09

~~~~~~~~~~~~~~~~



ウパニシャッド ―翻訳および解説―
湯田豊 大東出版社
ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッド
122ページから124ページ
第4章4・22

”この自己がわれわれのものであり、これが、われわれの世界である。われわれにとって
子孫は何の役に立つであろうか?”と考え、まことに、これを知っている古代の人々は子孫を欲しなかった。
彼らは息子に対する欲求、財産に対すをる欲求、および世界に対する欲求を捨てて乞食として放浪する生活を送った。
なぜなら、息子に対する欲求は財産に対する欲求であるからである。財産に対する欲求は世界に対する欲求であるからである。
なぜなら、これらの二つはまさに欲求であるからである。


~~~~~~~~~~~~~~~


ウパニシャッドを読むと乞食になったほうが良いようですが
現代日本では無理な話でしょうね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

資本主義と、個人の人生観の、相違感ですね。

まあ売れるものは、商品でもTV番組でも内容のいいもののような気がします。お弁当でいうと、当然美味しいものとなりますが、それが数日の企画でできるのか?当然そこでは人間力が試される気がします。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/21 03:26

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す