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台湾歩兵第1第2連隊の徴募区は、各大隊毎に決まっていたのでしょうか?

(1)台湾の部隊の徴募区は、砲兵とか特科部隊も含めて、熊本師管だと思いますが、

久留米師管にまで及んだのでしょうか?

(2)各大隊毎に連隊区の割り当てがあったのでしょうか?あったら、具体的に教えて下さい。

A 回答 (1件)

>台湾歩兵第1第2連隊の徴募区は、各大隊毎に決まっていたのでしょうか?



 各大隊単位で徴集していたかは不明です。

 徴集区は時代により変遷があったようで固定されていたわけではありませんでした。

 わかっているのは、大正時代初期、台湾歩兵連隊への徴集を担任していたのは全国にわたり、第3~第6師団、第9~第12師団、第15~第18師団であったということ。

 その後範囲が縮小され、中国、四国、九州出身者が占めるようになった、ということ。

 1932年(昭和7)当時は、東京、千葉、神奈川、熊本、鹿児島、宮崎、沖縄。34年からは熊本、宮崎、鹿児島、沖縄であった、ということ。

 東京から台湾歩兵第1連隊に入隊した方の回想では、九州出身者が多数で関東から入隊したものは少数であったということ。


 資料:『臺灣歩兵第一聯隊史 軍旗はためくところ』同史編集部 非売品 1988年

この回答への補足

色々教えて下さってありがとうございます。

大正時代初期は、各師団が1コ中隊派遣の時代ですね。

1932は、1、57、13、23、45の各連隊で。

1934は、13、23、45という事ですね。

補足日時:2014/08/29 18:48
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この回答へのお礼

上手く、朝鮮師団とダブらないで、均等になる様になっていたのですね。

で、第8師管、東京連隊が第7師団に補充し、全国バランスがとれていたのですね。

朝鮮師団、後備歩兵連隊、支那事変に続いてありがとうございます。
とても、勉強になりました。

できれば、30代は、何故210連隊からはじまっているのか?
201~209は何故編成されなかったのか?
編成計画はあったのか?
編成計画があったなら、その師団番号は?

教えて下さい。

お礼日時:2014/08/29 18:48

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