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伊藤左千夫の小説「野菊の墓」の冒頭、「村一番の忌森(いもり)で村じゅうから羨ましがられて居る。」とありますが、この中の「忌森」の意味を辞書やwebでいくら調べても分かりません。どういう意味でしょうか。

A 回答 (5件)

作者本人の解説というなら


「左千夫全集 第4巻 分家」(春陽堂, 1921年刊)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/962788
74ページの11行目[コマ番号 42]より

「面積は三四十坪しか無いけれども、一屋敷の忌森としてはそれでも立派なものである。」

30坪から40坪ということは約100平方メートル強なので、11×11m前後。
ならば仮に幅が4m、長さ30m程度の木立であっても、「忌森」なのでしょう。


推理というなら私はむしろ、矢切で「忌森」が一般的だったのかが疑問。伊藤左千夫が生まれ育ったのは、九十九里浜に近い成東。きっと潮風が強いでしょう。しかし「野菊の墓」の舞台といえば「矢切の渡し」。東京湾が近いとはいえ、はたして防風林が必要なほど風が強かったのか...?
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この回答へのお礼

「分家」の中の「忌森」の記述をありがとうございました。二つの作品で「忌森」を使っていたのですね。

お礼日時:2014/09/08 02:19

何度も映画化された有名な小説なのに、皆さんすっ飛ばして呼んでるんですかね。

それとも判ってるんですかね。推理小説ばかり呼んでいて文学などというものに縁の無い私には、こういう描写を理解しないで読むなどおよそ想像できませんが・・・。
もちろん、作者本人や地元の人が解説しなくては真実はわかりません。これは私の解釈です。

屋敷の西側に一丈五六尺も廻るような椎しいの樹が四五本重なり合って立って居る。
つまり周囲4m半ほどの巨木があるということ。でも幾ら胴回りが大きくても4-5本で「森」はありえないし、幅3-4mの防風林で防げてしまう家では大そうな旧家とはいえないですね。
これは防風林というよりも森という状態の中に抜きん出た数本の巨木が近い距離で立っていると考えたほうが的確でしょう。

さて、「忌」という言葉は「忌中」や「忌み言葉」などのように良くないときに使われるように感じていますけど、実は全く逆なんです。人の死を穢れだと勘違いするようになり、そこに関連する「忌」を穢れるかのように使うようになりました。
例えば伊勢神宮で神様の食事を作るかまどの火を「忌み火」といいます。これはそのまま魔などや炊事する小屋を指すようにもなりました。忌の解釈が正しいなら、神様の食事を作るのに「忌」はおかしいでしょ。また「物忌み」は神様事をしない場合も用いますが、逆に神様の言葉を聴く巫女を「物忌み」といいました。
つまり「忌」は神様にとても近いことを意味するんです。
忌中とは神仏に直談判して故人の冥福を願い出ることを言います。忌み言葉は忌中の間に使ってはならない「使うと穢れてしまう」言葉を指します。
このように「忌」という語は神に近い、畏れ多い、という事に使います。

防風林はまさに命や財産を護る守護です。旧家の中には防風林にお宮を建てて祀る所もありました。
勝手に荒らしてはいけない、家の全てを守り、さらに後の文章にあるように自分の家もその椎の霊験によって守られているというくらいの扱いをすべき森ということです。

村の住民の全てではないけれど、昔は庄屋、或いは地主などと呼ばれた人たちの家には小さくともしっかりした防風林があったのでしょう。それでもこの主人公の家のものは立派で、他の庄屋や小作などの人々からも羨ましがられたのだと思います。同時に賞賛されているという事は、家主の人望も決して悪くないと判ります。
当時としては人格者だったと思います。逆にその威厳や品格を重んじる家だったからこそ、悲劇も生まれるということです。
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この回答へのお礼

大変詳しい解説をしていただき、ありがとうございました。小説の中の一語でも色々な意味を持つということが分かりました。

お礼日時:2014/09/08 01:54

「忌森」とは暴風雨から家を守るため、屋敷の周りを囲むように作られた森を指します。

椎の木ばかりとは限らず、伊藤左千夫が詠んだ歌によれば、左千夫の生家には椎の他に楠があり、小説「分家」の忌森には松も出てきます。「忌森」の言葉の由来は新学社文庫版「野菊の墓」にあるので引用します。「忌(斎)むは神に対してけがれを避けて慎む意味。森とは本来、神事を営んだ木立のこと。」

伊藤左千夫の小説「落穂」には、作者が帰省したときの様子が描かれており、次のような記述があります。「新兵衛の大きな茅ぶきの母屋がまる出しになっていた。椎や楠やのごもごもとした森がことごとく切られて、家がはだかになってるのであった。この土地の風習はどんな小さな家でも、一軒の家となれば、かならず多少の森が家のまわりになければならないのだ。」とあります(同じ千葉県でも矢切ではなく成東ですが)。この小説から伊藤左千夫の故郷では、かつて当然のように家々に忌森があり、大正時代に入る頃には減少していたことが分かります。

ちなみに伊藤左千夫の生家の忌森は、現在も少し残っているようです。昭和の頃の写真資料と見比べると減っていますが、山武市歴史民俗資料館の裏手に生えている木々です。Googleのストリートビューで見ることができます。
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この回答へのお礼

野菊の墓だけでなく、他の作品における記述も取り上げていただき、よく理解できました。ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/08 01:21

正解はどなたか詳しい方が出されるかもしれませんが、つなぎとして私の考えを書いてみたいと思います。



「野菊の墓」 の冒頭には

 屋敷の西側に一丈五六尺も廻るやうな椎の樹が四五本重なり合って立って居る。

とあります。

「一丈五六尺も廻るやうな椎の樹が四五本重なり合って立って居る」 という描写から、その場所がそれなりの広さを持っているであろうことが想像されます。

また、「一丈五六尺も廻るやうな椎の樹」 ということから、とにかく太い古木であることが分かります。古くて太い木は、よく 御神木 として祀られることがあります。道の途中であればお地蔵さんが立っているような感じで、古木が神木であるか、それと同じようなものとみなされていることがあるわけです。

ここでは 「忌森」 とありますから、1本の木ではなくて、複数の木ということになります。「忌む」 は 汚れを避ける という意味ですが、そのような神聖視される場所あるいはものは汚れから遠ざかっている場所あるいはものということになります。すると 「忌森」 とは、神聖視されている木が複数ある場所 という解釈が成り立つような気がします。

樹木を神聖視するのは、日本人の間には普通に見られた習俗だったようです。たとえば南方熊楠 (本来は粘菌を専門とする研究者だったのですが、民俗学者としても名を残しました) の書いたものなどにも、自分の名前に 楠 という文字が入っている理由について述べたものがあります。実際にそういう木があって、その木と自分との間に何らかのつながりがあることを感じていたりしたことを書いています。

ということで、その 「四五本重なり合って立って居る」 「椎の樹」 のことを 「忌森」 と称したのではあるまいかと、私は推測しました。
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この回答へのお礼

丁寧な回答をありがとうございました。

お礼日時:2014/09/08 01:08

忌木というのがあって、それを伐るとたたりがあるなど、ある意味、神聖な木のことです。

そうした神聖な木が四五本あるのですから、それを「忌森」と造語したのではないかと思います。あるいはそういう言い方がある地方もあるかもしれません。以上は推論であって、確証はございません。
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この回答へのお礼

早々と回答をありがとうございました。造語なので辞書には載っていなかったのですね。

お礼日時:2014/09/08 00:48

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