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木曾の御嶽山水素爆発。東京・青梅市の御岳山と勘違いした人もいました。
わたしは「岳」は活火山につけられた名前、と勝手に思いこんでいました。私の子どものころは、富士山は休火山(つまり爆発しない)といわれていました。(爆発した江戸時代は「富岳」)。
で、75年に及ぶ私の頭脳はいま爆発寸前です。
「岳」と「山」のちがいはなんだ。
よく考えたら、浅間も阿蘇も桜島も「山」。子ども時代を過ごしたウチの近くにあったのが雲仙「岳」だった。それダケで思いこんだらしい。
クイズ番組めくが誰かスッキリさせて。
正論、珍論、暴論すべて知りたい、聴きたいのです。
ついでに木曾節の「木曾のなかのりさん、木曾の御嶽山はナンジャラホイ」の意味もだれかご存じないかな。これは質問の2です。
命つきるまでには、スッキリさせておきたい(わかるまで死なない)のです。

A 回答 (6件)

>「岳」と「山」のちがいはなんだ



明確な違いはありませんが、

イメージ的には急峻な山を岳と呼んでいる。
と考えたらすっきりすると思います。

ハイキングに行くような岳は
めったにありまんから。
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山名由来 岳


yuyusyumi.hobby-web.net/yurai/yurai/ta/yurai-take.htm
抜粋
・・・タケのつく山の名が、朝鮮、満州、蒙古、中国、チベット、トルキスタン、カシミール、ベルチスタン、イラン、イラク、コーカシア、トルコと地続きに、つづいて存在する。
このことは、日本のタケ(岳)という言葉が日本のものだけではなくて、アジアの諸国とつながりがあることを示している。
この点から、大言海の「高嶺(タカネ)の約」という説はおかしい。
タケ(岳)だけでなく、タワ・タオ(峠)、ヤマ(山)、タニ・タリ(谷)、ミネ(峰)、ムレ・モロ(山)、クキ(洞・谷)、ヒラ(坂)、カイ(峡)、クラ(谷)、ムラ(村)、フレ・フル(村)、シガ・スガ(氷・霧氷)などの地名用語も、アジアやヨーロッパとも通ずることが、言語の上で、また地図上の実際の地名でわかる。・・・

・・・ウル語で山をダカンというが、そのダカンに岳の字を当てたのである。
一時日本中が岳になったと見える。
その後、後続の侵入者により、岳が日本の中央部で減少し、南北に岳が残ったのである。
沖縄では低い山でもすべて岳と呼ぶ。
津軽半島も岳のみとなる。
この点で高千穂地方で古文がすべて峯(タケ)と呼んだのは、まだ日本各地が岳であったことの証明かもしれない。
ダケがタケと清音なのは、濁音人を卑下したための清音だったと言える。・・・

・・・主にその山に岩場があったり、険しい山、高山の語尾に使われることが多い。
山名で使われると岩のある山ということだろう。
古文書は、峯と書いてタケと読んでいたようだ。
久土布流多気⇒クシフルタケ(古事記)・・・

やま【山】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/222564/m0u/
抜粋
・・・陸地の表面が周辺の土地よりも高く盛り上がった所。日本では古来、草木が生い茂り、さまざまな恵みをもたらす場所としてとらえる。また、古くは神が住む神聖な地域として、信仰の対象や修行の場とされた。・・・

木曾節
木曽のナァー なかのりさん
木曽のおんたけ ナンチャラホーイ
夏でも寒い ヨイヨイヨイ
袷ナァー なかのりさん
袷やりたや ナンチャラホーイ
足袋そえて ヨイヨイヨイ

注)御岳山ではなく「おんたけ」です。

なかのりさん→筏乗り
ナンチャラホーイ→なんということだろう、何なんだろうか、何ごとか、
「袷やりたや ナンチャラホイ」は上のナンチャラホイを受けたはやし言葉となっています。

木曾一帯は日本有数の檜の産地でした。
檜を切りだして木曾谷を流れる飛騨川などの木曽川の支流へ下し筏を組んで輸送しました。
この筏を無事に河口まで流すために筏師が乗り込みました。
木曾節はこの筏師の労働歌です。

木曽川・飛騨川の筏流しと人びと
book.geocities.jp/gifurekisi/rekisi/no24.htm

>命つきるまでには、スッキリさせておきたい(わかるまで死なない)のです。
わかる前に認知症にならないようにおだいじにしてください。
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この回答へのお礼

ますます興味津々で、疑問が晴れるまでこだわり続けたいと思います。
木曾節の件ですが、2-30年前、愛唱歌集の編集を担当していて「この歌詞は、なぜ〈中乗さん〉から〈御嶽〉へ急展開するのだろう」と中学生に問われてスッキリした答えが出せず、「木曾は山の上・御嶽も谷底・木曽川も寒いよ、ってことじゃないかな」と、真冬に汗をかいた記憶があったのです。
ありがとうございました。
♪こだわりゃボケもにげるヨイヨイヨイ。(こりゃまた失礼いたしました)

お礼日時:2014/10/15 18:36

御嶽山と御岳山ですか・・・どちらも、実は漢字の構成を見れば、ある程度推測が付くように思います。



岳と嶽は異母(異父)兄弟(姉妹)関係にある異字体と呼ばれる文字です。
だから、意味合いとしての使い方としては、岳の方が少し持っている意味は今では多いですが、実は同じなのですよ。まあ、嶽は科学や産業の発展で失われた意味合いと、今の人間には理解不能な意味合いがあると思われますけど。そこも含めて考えると、

生い立ちは異なると思われます。

元々「嶽」は霊山、霊峰における噴気や温泉の「地獄」から転じたと思われます。発祥は別物と思われ、ある地域における山岳信仰(宗教的信仰)の中でも、場の雰囲気の一種で生まれたのが嶽なのでしょう。
こちらは、行ってはいけない山か、いけるのは山を知る一部の人という意味もあるかもしれません。
そのため、地水(清水)が重金属などで汚染されていても、嶽かもしれません。要は、掟を知らなければ、地獄の宿る山です。水や川に毒性を伴う場所があり、噴気孔があるなどが考えられます。だからいわゆる仙人や修行僧が行く場所だったのでしょう。まあ、行けば神秘的な地獄が見られるということになるでしょう。

ちなみに、昔から地獄とは、噴気や硫黄臭気のあるおどろおどろしくも神秘的な源泉のある場所を地獄と言います。日本で有名な地獄は大分の別府温泉かな血の池など地獄が多数あることで知られています。(尚、朝霧や夕霧などで一部が獄に見える景勝地があれば、嶽は使われる可能性があります。きっとつけた人の感性ですし、下手をすると後述の岳との違いでは廃れは早かった可能性もありますから・・・)

それに対して、岳は、丘と山の間という単純なものではなく、山や丘が連なる(連山や連峰)険しいものに対してつけられる傾向があるようで、火山とは別物です。下から見上げた時に、高く険しくとがって、見える山ということになります。この手の山は物理的に行くには困難な山ということかと思います。(明確な道が見つかりにくい山がそうだったと思われます)
こちらは、一般に信仰に使われても勇猛な信仰であったり、頂点での見下ろす地界が神や仏の見下ろす様に近いのではないかということで、神や仏に近い場所として信仰されることがあったと思われます。

持っている意味合いは基本的に一部を除けば同じであり、強いて言えば岳には岳父(舅)の意味を持つ言葉があるという違いがあります。嶽と岳は、水の成分や火山の仕組みなどが解明され安全なルートが出来るにつれ、その差異を失っていったと思われます。

ある時点から、意味合いが同じであるため多くを一緒の意味に使うようになったと思われ、山岳信仰が減少しレジャーやアドベンチャーとしての山登りの増加から、岳の方が一般に使われることが増えたと思われます。今では、信仰よりレジャーですからね。登山家はアドベンチャーで、神や仏は、信仰よりあくまで形式上で考える人が多いはずです。


では、山とは何かというと、山はいわゆる平地より高く隆起している場所を山といいます。
そもそも、岳も嶽も山ですから、山は山です。要は、総称して山なのです。まあ、その区別の中で岳や嶽が生まれたのでしょう。信仰の地としての山は岳でも嶽でも存在しますから、山が信仰の地というのも言えることです。

あくまで、これは文字の形態として考えるとこうなるのが妥当という考え方になります。


「木曾のなかのりさん、木曾の御嶽山はナンジャラホイ」
は、なかのりは筏師(いかだし)です。なんじゃらほいには多くの意味があるようで意味合いの解釈は、祭りなどを示すもの、一般的ななんだろうかというもの、ただのかけ声として勢いや調子をとるものであるなど・・・。
要は御嶽山から切り出す材木を運ぶ上で、筏師の舵取りに使ったのではないと思いますけどね。結局のところ古い民謡は、祭りや祀りで使うとは限らず、何かの意があって作ったと思われます。筏師をモチーフに謡われていることを考えると、たぶんそれの調子に合わせているように思われます。


ほとんどは推測ですけど、歴史的に続いてきたものや、文字の生い立ちなどは基本的には浪漫であり、推測なのです。過去の文献などと言いますけど、そもそもその文献も、果たしてそれが最初だったのか、別のどこかから引っ張り出しているかもしれませんし・・・。要は、失われている断片の中における一説に過ぎないのです。そして、残っているから、それを元に誰かが想像し、肉付け定説とされている。歴史の大半やそういうものです。

まあ、それを知ったところでこれからの世界に良いものを生み出すとも言えません。少なくとも、衰退した産業がもう一度盛り上がりでもしない限りは、意味を持たない可能性もあるでしょう。だから、ある程度は自分で浪漫(想像や空想)として思いを馳せてもよいかもしれません。それが、人の持つ力でもありますから・・・。
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この回答へのお礼

ますます興味津々で、疑問が晴れるまでこだわり続けたいと思います。
木曾節の件ですが、2-30年前、愛唱歌集の編集を担当していて「この歌詞は、なぜ〈中乗さん〉から〈御嶽〉へ急展開するのだろう」と中学生に問われてスッキリした答えが出せず、「木曾は山の上・御嶽も谷底・木曽川も寒いよ、ってことじゃないかな」と、真冬に汗をかいた記憶があったのです。
ありがとうございました。
♪こだわりゃボケもにげるヨイヨイヨイ。(こりゃまた失礼いたしました)

お礼日時:2014/10/15 18:30

>木曾の御嶽山水素爆発。

東京・青梅市の御岳山と勘違いした人もいました。

わたしはまったく、そのパターンです。
御嶽山(おんたけさん)、御岳山(みたけさん)だったんですね・・・
埼玉に住んでいるので「おんたけさん」と聞いたときに、
「八王子の奥のほうだ」と思いました。
でも、「八王子の方でないならどうでもいいよ」というのが正直な感想でした。

被害にあわれた方には申し訳ありませんが、「自己責任」しか浮かびませんでした。

(回答ではではなく、感想になってしまいました)
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「山」と「岳」の命名に、明確な定義は無いようです。



一般的には山は単独峰で岳は連峰だと言う説も有りますが、此れも九州の開聞岳等が有るようです。

以前信仰の対象が「山」だと聞いた事がありますが、当然「岳」でも信仰されていますので、此れも俗説ですね。

結局は「答えは判らない」が正しいみたいで、習慣や語感が理由かもしれません。
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丘と山の中間の高さが岳です。

字の構成を見ればわかります。ただし、丘と山の区別があいまいなことから、はっきりした定義が無いのは当然ですが。
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