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葬式を仏式でするか、神式でするかの話です。
「我が家は神式です。納骨も○○神社の納骨堂です。かつて、我が家は士族で、士族は神道でしたから」、という話を聞きました。
これは日本のどこでもそうなのでしょうか。
またそうであれば、どのようなわけでそうなのでしょうか。

A 回答 (6件)

神葬祭と呼ばれる神式の葬儀を行うことと、身分呼称である士族とは直接の関係はありません。


「・・・かつて、我が家は士族で、士族は神道でしたから」という話は、おそらく明治初期の歴史的な経緯の結果生じた誤解と言いますか混乱です。

明治政府は仏教勢力を排除するという政治的な目的から、一般に神仏分離令とよばれる政令を幕末から明治初期の期間に布告しました。
布告そのものは明治5年に廃止されましたが、国家神道の確立のために神祇政策を推し進めました。
その一環として葬儀も神道に準じて行うように奨励しました。
東京の青山墓地はこのときに神道に基づいた墓地として造られました。
これに伴い地方によっては地域全体の葬儀を神式に変更した地域もありました。
明治政府の官僚にも仏式から神式に代える人が沢山いました。
官僚、官吏としては忠実な行為ということになります。
ただし、明治政府の思惑とは別に一般庶民には余り普及しませんでした。
相変わらず、先祖代々の菩提寺で葬儀を行っていました。

明治政府が定めた戸籍上の身分呼称である士族は、この神祇政策とはべつなものです。

ご指摘のお話をされたお宅は、明治以降、戸籍上の身分が士族で、政府の神祇政策に忠実に従って神式の葬儀を執り行ったのをそのまま代々受け継いでこられたのでしょう。
(都道府県庁、教育機関など公的な機関にお勤めか関係されておられたのかもしれません)

蛇足
「神祇際」という儀礼は非常に複雑な歴史的経緯のある儀式です。
葬儀の形式も原則的なものはありますが、歴史的に継承されたものではなく、神社によってそれぞれに創意工夫されたものです。
神道の大元である皇室の形式とも異なります。
葬儀だけではなく肝心の神社の位置づけも相当に複雑な歴史的な経緯がありますので注意して下さい
詳しくは下記サイトをご参照ください

教派神道 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/教派神道

神葬祭 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/神葬祭

殯 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/殯

神仏分離・廃仏毀釈の歴史経過
www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/myoken43.htm
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この回答へのお礼

お世話になります。前回は西湖と太湖のことで、地図も初めて使いました。助かりました。

お礼日時:2014/10/22 11:54

士族は神道と言ったのは、そう言った方の考え方に過ぎません。



神棚を祀り拝礼はしていても、仏壇のある家はたくさんありますし、先祖代々の墓が菩提寺にあるのも珍しくはないんです。

日本の神さまを信仰しつつ、先祖代々の供養は仏教寺院で行われた二本立てが多かったと思います。これは江戸幕府の寺請制度と言う戸籍管理および宗教上の政策だったんです。

神道と仏教は共存共栄してきました。かつては神社の中に寺院があったケースもあったんです。東照宮であっても輪王寺がありかつては一体化してました。いまは別です。


江戸後期になりますと、国学が盛んになります。今で言うナショナリズムに近い考え方といえばわかりやすいですかね。

やがて明治維新になります。明治新政府は神道に重きをおいて仏教との分離を図ったんです。これが廃仏毀釈と言う仏教弾圧につながっていきました。

葬儀についてもこれまでの仏教式よりも神葬祭を奨励したんです。

当然ながら多くの寺院が廃れ、僧侶は還俗したり、寺院を神社に変えて神職に変わったところもあります。この動きがしばらく続いたんです。


過去の流れから明治初期にはこのような混乱があったんです。

ただ当時は今のように詳しい情報など入りません。だから簡単に士族だから神道なんだと親や祖父母などから言い伝えられてきたのでしょうね。このような言い方をされるのはご年配の方ですかね。

基本的に全ての士族が神道だというのは間違いです。でも別にこれを信じて神式で行いたいと言うのならそれでも良いと思います。ただ先祖代々の墓が菩提寺にあり、その墓に埋葬するのでしたら、その菩提寺さんに仏式でしてもらわないとまずいです。それ以外の公園墓地などでしたら問題はありません。


ご参考まで。
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こちらが参考になるかもしれません。



http://www.ichigayahachiman.or.jp/shinto/shinto3 …

「江戸時代の神社の特色は、家康を祭る東照宮が建立され、政治的に全国に分布を広げていったことです。」

政治的に、ですから、自ずと武家は神道が主流になったのかもしれませんね。
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別に決まりはないです。

江戸時代にはキリシタン防止のための寺請制度で神社の神職も檀那寺を持たねばなりませんでした。その影響で現代でも代々神職の家でありながら寺で葬儀をする人は多いです。
しかし明治になり天皇を頂点とする神道国家(国家神道ではない)を名目上確立しようとした新政府は神仏分離令をだしました。後に「日本の国教は神道であるが国民の信教の自由を保障する」と政令を出しています。

士族は藩によって下級武士や足軽、一部では上級武士から足軽という禄を頂きながら華族に属さない人たちに対する身分です。
従って宗教の決まりは全くありませんが、明治新政府の意向に従って明治時代に神道になったというだけの事です。

例えば岸伸介(旧姓佐藤)は自ら士族の家であることを明かしており、当然家に残った弟「佐藤栄作」も士族の家系です。
しかし佐藤栄作は地元佐藤家の菩提寺より戒名を受けています。よって墓は寺の墓地ではなく家の墓にありますが、仏式で弔われたと推測できます。
そしてもう一箇所築地本願寺和田堀廟所にも墓所があります。
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うちはきちんとした家伝が文書が地元の博物館に残っている士族です。



徳川幕府が推奨したのは曹洞宗です。
うちも曹洞宗です。

ただ、口減らしのために地元の神職にされた三男坊なんてのが沢山いますので、そういう人が神道の士族なんだと思います。
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そんなわけないですよね。



士族なんてものは、明治政府が適当に作った名称ですから。
そもそも、武士階級です。

全国どこでも、大名家の菩提寺なんかありますよね。
だいたい、武士の親玉である徳川家の葬儀などは、増上寺や寛永寺
なわけですから。
(もっとも徳川家や諸大名は明治維新で華族に列せられていますが・・・)

ほとんどの武士の家だって仏式で葬儀を行い、菩提寺に墓があるものです。
東京のお寺の墓には、武士のお墓がたくさんあります。
遠山金四郎だって千葉周作だって、明治まで家が残っていれば士族の家のはずです。
でも、お寺に墓がありますね。

士族が神道なのではなく、その人の家が神道なのでしょう。
それだけ。
士族そのものは、そんなに特別なわけでもないですから、もし士族がみな神道だったら
神社の納骨堂だらけのはずです。
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