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興奮している友人などに使う言葉として
「自分を客観的に見ろ」というセンテンスが
あります。

私はどうしてもこの言葉が納得いかないのです。
何年も屁理屈扱いされていますが、どうしても
納得いきません。

どうやって自分を客観的に見るのですか。
第三者的に自分を見たとしても、見ているのは
本人そのものであって、本人が自分を見る以上
それは「主観」です。どうやったって、客観的に
自分を見ることができるのは、自分と関係のない
他人でしかありえません。

比喩的に「自分を客観的に見ろ」と言っているのだと
いう意見が多いのですが、比喩的にしろあまりに
不可能な比喩だと思います。

この言葉、日常さりげなく使っていますが
おかしくないですか。

A 回答 (19件中11~19件)

NO.1 です。



私の言い方がわかり難かったかもしれません。

>どれだけ人間が成長し悟っていっても
その時、己が見ていること、感じていることは
全て主観ではないでしょうか。回りからみたら
「あの人は気がきいて立派な人だ」
と言われている本人が見ているものは
結局、本人にとっては主観だと思います。

それは言葉の使い方として(は、たしかに)正しい、と申しました。

本人にとっては主観です。しかしその主観を、自身を見つめるときには「客観的」なものに変えていくのが、そういう能力が人間の知能なのです。

自分の中に複数の視座を持った、その時点で人間は心というものを獲得したのだ、という人も居ます。
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いっそ変観的とか多観的というような新語を作ってみたら何とかなるでしょうか。

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他者を直接見るのは、客観的と言わず「客観」です。


主観の側から俯瞰的に見るのを、客観的と言います。

多くの人は客観的視線を感覚的に持っています。
しかし、客観的感覚を持っていない人も世の中にはいます。

感覚として感じ取れないので、見えない人に色の説明をするように
匂いを感じない人に匂いを説明するのと同じで、どれだけ説明しても
ピンと来ると言うことはありません。

多くの人が感覚的に持っていますので、感覚の説明ですから表現は比喩となります。
自分は理解できないが、他の人は感覚として持っていると言うことを
まずは理解した方がいいかもしれません。
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この回答へのお礼

『主観の側から俯瞰的に見るのが客観的」
違います。いくら俯瞰的であれ、本人が
自分を見ている以上、それは主観です。
客観でも、客観的でもありません。

お礼日時:2014/10/11 20:50

鏡に映っている自分の顔を見ときそれは客観でしょうかそれとも主観でしょうか。

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この回答へのお礼

鏡を見ている脳は自分自身の脳ですから
当然、主観ですね。

お礼日時:2014/10/11 21:38

#6の者です。



>では自分を客観視できますか。

厳密な意味では不可能です。
量子論的に、観察される事によってしか、有限な
存在性は生じ得ないからです。
ただ、そうした原理的な話ではなく、ある限定的な
条件下において主観的な要素を低減させられます。
それが、先述の「複数の主観の理解」です。
異なる主観を比較する事で、そのサンプルが増える
ほどに主観によって変化する部分が明らかになる=
それを排除したものとしての「客観的存在」が類推
できるようになるのです。

もちろん、宇宙のあらゆる視点(認識可能性)を
排除すれば、不確定原理の確定化による無限発散や、
階層現象性の原理化による超弦(量子定常波=無の
射影)への還元など、先述のように「客観的存在性
は無い」事につながります。
ただ、そうした原理レベルまで遡らない範囲での、
現象表面的な「自分の個性」や「個人的な欲求」と
いった「主観の違い」に由来する部分ぐらいを除去
した“ちょっとだけ客観”は可能です。
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この回答へのお礼

すみません。アインシュタインではないので
全く理解できません。ごめんなさい。

お礼日時:2014/10/11 22:05

主観と客観は必ずしも相反しません


というのも、主観的な見方と客観的な見方が一致する場合があるからです

例えばものの数を数える場合、りんごが三つあるとします
私から見て、つまり主観的に見るとりんごは三つあります
他の人から見てもりんごは三つに見えるでしょう
この時、主観と客観が一致するのです
つまり私は主観的に見ながらも客観的に見ていることと同じことになるのです!

なので主観と客観が一致する場合に限り、客観的な見方をすることができるのです
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この回答へのお礼

主観と客観が相反するとは
一言も言っておりませんが。

お礼日時:2014/10/11 22:03

>主観と客観が相反するとは


>一言も言っておりませんが

なら不可能な比喩でないことも分かるでしょ
だって相反しないんだから、主観であっても客観でありうることが分かりますね!
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この回答へのお礼

全く意味不明ですが。
どちらの大学の卒業生ですか。

お礼日時:2014/10/12 00:04

#14



そうですね。
で、あなたは自分の顔を直接見たことないですよね。
なぜなら目は顔にくっついているんだから。
どう頑張っても自分の顔を自分の目で直接見ることはできないですね。
だから鏡に映った顔が正確に自分の顔かどうかは本当は分からないですよね。
鏡が作った映像をあなたは見ているだけですから。
自分ではないが恐らく自分とうり二つの自分を主観的に見る。
これが客観ですよね。
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この回答へのお礼

論理の組み立てがめちゃくちゃですが。
意味不明です。

お礼日時:2014/10/12 00:02

私もゴルフのスイングを改善しようとしているときにそう言われました。



で、ビデオに撮ってもらって、自分のスイングを観たら、あれまぁ、自分が思っていたのとはずいぶん違う。がっかりでしたね。


それ以後、ゴルフのスウィングをビデオに撮ってもらうのは止めました(笑)。

上達しようなんて欲が無ければ客観視する必要は無いし、主観的に「今のはナイス・ショットだ!」と思えて、それはそれで楽しいのです。

kuni23456様におかれましては、「決して自分を客観視しない男」として人生を全うして見るのはいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

まあ皮肉たっぷりでありがとうございます。
いい精神病院紹介しましょうか。

お礼日時:2014/10/12 15:54

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