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満州事変の後、満州国が建国されましたが、ほとんど日本の資本によって発展していたようですが、その時点で投資資本の何割かにアメリカやイギリスなどの資本が導入されていたら、その既得権益を盾に第二次世界大戦の中に日本は巻き込まれなかったのかと疑問を持つようになりました。
この方面にお詳しい方、よろしくお願い致します。

A 回答 (4件)

すべては、日露戦争でロシアから日本が手に入れた南満州鉄道に、



アメリカのエドワード・ヘンリー・ハリマンと、桂・ハリマン協定により日米共同経営が予定されていたが、

外務大臣の小村壽太郎が反対し、日本単独資本となった。

という、第一次世界大戦すらも起こっていない「ハリマン事件」(1905年)の時点で、それは、「欧米列強によるアジア統治をゆるがす宗主国の可能性がある大日本帝国」という欧米からの敵視は始まっていたのだと思います。

満鉄に欧米資本を入れてたなら、日本は小国のまま慎ましく過ごし、東南アジア、南アジア・ポリネシア・ミクロネシア、などなどは、欧米の植民地のまま世界は回ったかもしれません。

ただ、当時の日本の責任者は、その流れで日本が植民地化される懸念に備えようと、あえてそういう判断を取ったのです。

南満州鉄道 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%BA%80% …

満鉄をめぐるハリマンと小村寿太郎の対決
http://ktymtskz.my.coocan.jp/cabinet/hariman.htm
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。url参照しました。
多分、日露戦争で何十万の兵隊が死んだ犠牲で手に入れた土地だ。それを外国に売り渡すなんて腰抜けだという国粋主義の思想の持ち主だった小村寿太郎の考えで決まったようですね。
ただ、それよりも何十年もたった満州国ですから、日本も軟化していたでしょうし、まあ、国の衰えたイギリスやアメリカにも満鉄だけでなく、ほかの産業にも投資してもらいたかったですね。

お礼日時:2014/10/27 20:43

 アメリカやイギリスなど、広い経済支配地を持つ先進列強と対抗するために、資本投下効率が良く、市場としても有望な満州を日本の経済支配地とすることを目指したという大前提を失念しておられます。



 もし、日本よりも技術力・資本力で上回るアメリカ・イギリスに満州への資本投下を許すことが、日本国内で許容出来るならば、質問にあるように第二次世界大戦では、連合国側に立って戦うことも可能だったでしょう。

 しかし、現実には、満州に続いて中国大陸本土さえも軍事力を使って、アメリカ・イギリスを締め出して日本の市場とする選択を選んだ結果、第二次世界大戦に突入することになります。


 時代背景としては・・・
第一次世界大戦中に
 ヨーロッパ列強・アメリカが、ヨーロッパ戦線に国力を注入していることを背景に、中国に対して日本に列強よりも政治・経済的優位を与えるように求めた。

・対華21カ条の要求
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E8%8F%AF2 …


第一次世界大戦後、
 日本のヨーロッパの長期大激戦を背景にした中国に対する強引な外交を、列強が認めず修正することとなった。
・九カ国条約
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E3%82%AB% …

 中国の列強に対する門戸開放
 中国における列強の機会均
 中国の主権尊重
   を定めた。

 ⇒ これによって、資本力・技術力で日本をはるかにしのぎ、大型船で太平洋を越えて物品を運ぶことのできるアメリカが、実質的に中国市場を支配することが可能となった。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうですか。資本投下効率が良く、市場としても有望な満州を日本の経済支配地とすることを目指したという大前提を失念しておられます。
そうですね。確かに日露戦争後の韓国併合や満州進出はそんな思想の元に行われたと記憶しております。
wikiによれば、アメリカやイギリスの会社の進出もあったようなので、ここでもっと資本投資をしてもらえれば、もう少し、柔軟な姿勢になるのではないかと思いました次第です。

下記のURLを参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E% …

お礼日時:2014/10/27 20:25

貴方の推測は正しいのです。


日露戦争で日本は日本海海戦と旅順近くの203高地でロシアに勝ちましたが、日本は国家財政は緊迫し戦争を続けることが出来ないと判断して、アメリカ頼んで日露の講和が成立しました。その時にアメリカは成功報酬として満州を日米で共同して管理してゆくことを要求でしたのです。日本の外務省はこれに同意していたのです。

ところが、日露講和の条件が日本には不満だったのです。日本国民も戦勝に沸き、抗議行動を取りました。アメリカとの裏約束があったのに、軍部は強行に反対して単独で満州に侵入していったのです。怒ったアメリカは日本への外交封鎖を始めたのです。手はじめが英国に働きかけ日英同盟を破棄させたのです。これをきっかけに日本は米英と敵対してゆくことになったのです。

このときに日本の外務省が約束したように、満州を日米で共同して植民地にしていたら、日米開戦は起きなかった。日米英の三国同盟となり、日独伊の三国同盟は出来なかった。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。あの当時世界恐慌の影響から脱却できず、不景気が世界中に蔓延していたので、ブロック化が行われていました。しかし、もし、国際連盟の承認が難しい問題でしたが、満州での権益を日本だけで独占しないで、欧米にある程度与えていれば、多少なりとも第2次大戦に日本が巻き込まれることはなかったと考えております。

お礼日時:2014/10/25 19:00

世界が反対をしているのに日本が強引に作った満州に、どこの国が資本投下をするのか?



そして石油欲しさに東南アジアの方へ攻めていった。

後は歴史を勉強しませう。

こんな歴史のイロハもわからないようでは・・・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうですか。国際的な承認がないと難しい問題なのですね。wikiによれば、アメリカやイギリスの会社の進出もあったようなので、ここで資本投資をしてもらえれば、もう少し、柔軟な姿勢になるのではないかと思いました次第です。

下記のURLを参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E% …

お礼日時:2014/10/25 16:54

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