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「今度の仕事は、私にとっていい勉強になった」という文があります。これを意味的に詳細に分析すると、どのようなことになるのでしょうか。
私はこの場合の「勉強」とは「経験を積むこと」という意味であり、「なった」とは「物・ことが結果として実現・成立する」という意味だと解釈しています。結果的に「私はレベルアップした」という意味の文であって、「仕事が何か別のものに変化した」と考える余地はないものと思いますが、この解釈の正当性についてはいかがお考えでしょうか。

A 回答 (17件中11~17件)

#6です。



一素人のため、系統立てて述べることができず、また、表現の仕方も上手いとは言えないため、結構わかりづらい文になっているようにも思います。
懲りずに真摯にご対応いただいておりますこと、まずは、お礼申し上げます。
賢い人であれば、達観しつつこの辺で矛を収める運びとなるのでしょうが、わたしは、単純な上にあきらめが悪いというか、良く言えば根気強い一面があり、ついつい長居してしまいます。
ご迷惑であれば、適当にうっちゃっていただいても全く気にしませんので、念のため、お伝えしておきたいと思います。

1.
さて、今回は、わたしの表現下手により、また誤解を与えてしまったようですので、そのことから。

>つまりこの文における「仕事を通じて」とは「仕事を媒介として」であり、換言すると「仕事をすることによって」という意味だと思っています。この点もhakobuluさんと対立する原因のひとつのようですね。

この点で対立してはおらず、わたしも、Mister0413さんと同意見です。
ただし、「仕事を媒介として」と「仕事をすることによって」では意味が異なるはずで、この点は同意できません。
たしかに、結果としては同じ事柄について述べていることにはなりますが、その意図が異なっているでしょう。
「クラブ活動を通じて仲間ができた」は、「クラブ活動を媒介にして仲間ができた」という意図であり、「クラブ活動をすることによって仲間ができた」とは若干、意図が異なると思います。
本来の意図は、媒介したものについて述べているはずですが、後者は、(仲間が出来た)方法について述べる意図になっています。
「なる(なった)」という動詞を適用できるか否か、というのが根本の問題ですので、このあたりは厳密に検証していく必要があるでしょう。

私が参考にしたのは、大辞林で、
【二-(5)(ア)あるものを経由する。また,仲介の手段とする。 「秘書を-・じて面会を乞う」】という語釈です。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?sea …
「経由する≒仲介の手段とする」と解釈したわけです。
また、#6で述べた下記の文章を確認していただいても、わかっていただけるかと思います。
『「今度の仕事を通じて、エクセルのいい勉強になりました」のような例に差し替えてみると、わかりやすくなるかもしれません。
たしかに、「今度の仕事をずっとやってきて」という意味であれば自然な文ですが、しかし、「今度の仕事を介在にして」という意味であれば不可でしょう。』
この最後のフレーズを正確に表現すると、
『しかし、「通じて」の本来の用法である「介在する」を適用した、「今度の仕事を介在にして」という意味であれば不可でしょう。』
です。
整理して書き直すと、要旨は、以下のようになります。

「今度の仕事を通じて、エクセルのいい勉強になりました」という文の場合、「通じて」を、
【二-(5)-(イ)物事が全体に行きわたる。 「四季を-・じて暖かい」 「生涯を-・じて守りぬいた信念」】という用法と捉えるなら、「今度の仕事の全体にわたって、エクセルのいい勉強になりました」という意味になるので自然な表現と言える。しかし、
【二-(5)(ア)あるものを経由する。また,仲介の手段とする。 「秘書を-・じて面会を乞う」】という用法を適用する場合には、
「今度の仕事を媒介として、エクセルのいい勉強になりました」という意味になり、文としての整合性が失われてしまうため誤用になる。

という内容。
今回お示しいただいたように、
「今度の仕事をすることによって、エクセルのいい勉強になりました」と言い換えても、上で述べましたように、本来の文意とはずれてしまう、という点で誤用になると思います。
「今度の仕事を通じて、エクセルのいい勉強をしました」であれば、「今度の仕事を媒介として、エクセルのいい勉強をしました」という意味になり、問題のない文です。
因みに、この表現の場合、「今度の仕事の全体にわたって、エクセルのいい勉強をしました」という、もうひとつの解釈も可能になります。

2.
>「なる」に「変わる」という意味を含んでいるとは限らず、ここでは私が主張している意味だと思う以上、
「今度の仕事を通じて、エクセルのいい勉強になりました」は「今度の仕事をすることによって、エクセルのいい勉強をしたという効果がありました」となり、不自然さはないと考えています。

根拠は上で述べましたので繰り返しませんが、「不自然ではないが、意図が異なってしまう」と申し上げておきます。少し視点を変えてみますと、
「今度の仕事をすることによって、エクセルのいい勉強をしたという効果がありました」は、「今度の仕事は、エクセルのいい勉強になりました」という文の言い換えになっています。
つまり、「今度の仕事は、エクセルのいい勉強、という効果がありました」という意味になるので自然な文になるわけです。(「なる=プラスの効果がある」には変化の要素がありますが、現時点では、特に、それに拘る必要はありません。)
「今度の仕事を媒介として、エクセルのいい勉強、という効果がありました」という構文には整合性がない、という点に気づいていただきたいのですけどね。
そもそも、「いい勉強をしたという効果がある」という表現も意味が通らないように思います。これは、「いい勉強、という効果がある」とすべきです。
「今度の仕事をすることによって、エクセルのいい勉強、という効果がありました」とすれば、不自然であることがわかりやすくなるでしょう。
「エクセルのいい勉強、という効果があった=エクセルのいい勉強になった」という構図なのですから、「なった」を使う以上、あくまで「今度の仕事は」とする必要があります。
「今度の仕事を通じて」は誤用ですし、「今度の仕事をすることによって」は別の意図になってしまう、ということです。
  
  
  
  
  
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この回答へのお礼

> 「仕事を通じて」とは「仕事を媒介として」であり、換言すると「仕事をすることによって」という意味だと思っています
これについては、表現がまずかったかもしれないと思っています。「○○を通じて」の表現において、○○は自分に作用するもの、または自分が働きかける・利用するものであるはずです。その点が明確になるように表現したつもりだったのですけれどもね。
そこで「『仕事を通じて』とは『仕事によって』という意味である」と言い換えたらどうでしょうか。
つまり「今度の仕事を通じて、エクセルのいい勉強になりました」は「今度の仕事によって、エクセルのいい勉強をしたという効果がありました」と書き換えることができる、というのが私の解釈です。
もし「同じことだ」と思われるのでしたら、「クラブ活動をすることによって仲間ができた」を裏返すと「クラブ活動をしなければ同じメンバーの仲間ができなかった」という意味であり、クラブ活動の媒介について述べていると理解することもできるのだ、と言わせていただきます。
また「クラブ活動を媒介にして仲間ができた」は「仲間ができたのはクラブ活動をしたからである」という意味であって仲間ができた方法について述べている、と理解することもできます。
少し無理な理屈をこねて、どんどん泥沼に入り込んでいると思われますでしょうか。ここで#9さんのご回答も考慮に入れてみてはいかがでしょうか。

お礼日時:2014/11/22 14:20

#5です。


今回は、次の2点に絞ることができると思います。

1.
>よって私の解釈では「今度の仕事を通じて、いい勉強になりました」は「今度の仕事を通じて、私にとって、経験を積むという効果があった」となります。
これは私が理解する「なった」の意味に合わせて「今度の仕事を通じて、私にとって、経験を積むということが結果として実現した」と言い換えることもできると思います。

「通じる」は「あるものを経由して」という意味なので、「今度の仕事を通じて」と言う場合、続く述部が、「~(効果)があった」では不自然でしょうね。他の用例を思い浮かべてみれば、それが実証できると思います。
「今度の仕事を通じて理解があった」「今度の仕事を通じてステップアップがあった」「今度の仕事を通じて進歩があった」などは、どれも不自然。
あくまで、「~が得られた」「~できた」「~した」などでしょう。
つまり、「今度の仕事を通じて、いい勉強になりました」から「今度の仕事を通じて、私にとって、経験を積むということが結果として実現した」という言い換え文を導くことはできない、と思います。(むろん、この文自体は正しい構文になっていますが)

2.
>「今度の仕事は、私にとっていい勉強になった」と「今度の仕事を通じて、いい勉強になりました」とは、文構造が違います。後者の場合、変化したものがあるとすれば「仕事」ではありません。

「仕事は」ではなく、「仕事を通じて」ですから、当然、そうなります。
仕事を通じて仕事が変わる、という構文は成立しませんから。
しかし、「なる」が「変わる」という意味を含んでいる以上、このような成立しないはずの構文になってしまわざるを得ず、だから誤用だ、と申し上げているのです。

「今度の仕事を通じて、エクセルのいい勉強になりました」のような例に差し替えてみると、わかりやすくなるかもしれません。
たしかに、「今度の仕事をずっとやってきて」という意味であれば自然な文ですが、しかし、「今度の仕事を介在にして」という意味であれば不可でしょう。あくまで、「今度の仕事は、エクセルのいい勉強になりました」とすべき。
「通じて」を使うなら、
「今度の仕事を通じて、エクセルのいい勉強をしました」
「今度の仕事を通じて、エクセルのいい勉強ができました」
などでしょう。
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この回答へのお礼

ずいぶん長い激論になってしまいました。どうやら今回のレスで終結の糸口も見えてきたような感じがしますが、どうお考えでしょうか。
1.
「通じる」には「あるものを経由する」という意味もありますが、私は最初からこの文に関しては別の意味だと思っています。大辞泉では「通ずる」の項目には次のような意味が載っていますが、注目してほしいのは6(イ)です(私の周囲ではその意味も、普通に通じています)。
 6 (「…を通じて」の形で)
 (ア)全体に及ぼす。包括する。「一年を―・じて暖かい」「全国を―・じて流行する」
 (イ)媒介とする。「友人を―・じて知り合う」「テレビを―・じて訴える」
https://kotobank.jp/word/%E9%80%9A%E3%81%9A%E3%8 …
つまりこの文における「仕事を通じて」とは「仕事を媒介として」であり、換言すると「仕事をすることによって」という意味だと思っています。この点もhakobuluさんと対立する原因のひとつのようですね。
このように考えるならば、hakobuluさんがあげた用例は次のようになります。
「今度の仕事を通じて理解があった」→今度の仕事をすることによって○○を理解したという効果があった
「今度の仕事を通じてステップアップがあった」→今度の仕事をすることによってステップアップという効果があった
「今度の仕事を通じて進歩があった」→今度の仕事をすることによって進歩したという効果があった
これならば、自然に通じると思いませんか。
つまり「今度の仕事を通じて、いい勉強になりました」から「今度の仕事を通じて、私にとって、経験を積むということが結果として実現した」という言い換え文を導くことができる、と私は思います。
2.
「なる」に「変わる」という意味を含んでいるとは限らず、ここでは私が主張している意味だと思う以上、
「今度の仕事を通じて、エクセルのいい勉強になりました」は「今度の仕事をすることによって、エクセルのいい勉強をしたという効果がありました」となり、不自然さはないと考えています。

正直申して私も多少混乱気味なので、妙な理屈を述べているようでしたら、ご指摘いただければ幸いです。

お礼日時:2014/11/21 14:17

#4です。



1.
>【「今度の仕事は、私にとっていい勉強になった」→「今度の仕事は、私にとって、経験を積むという効果があった」というニュアンス。】
⇒「今度の仕事は、私にとって、経験を積むという効果のある仕事であった」という意味であり、ここまでは理解できます

であれば、「今度の仕事を通じて、いい勉強になりました」が誤りであることも理解された、ということですよね。
「今度の仕事を通じて、私にとって、経験を積むという効果のある仕事であった」という解釈が不自然であることは、同意いただけると思いますので。すべては、これを証明するために延々と述べ続けてきたわけですから、その点は押さえておいてください。
仮に、そうだとすれば、「なった」には「変化した」という意味が含まれるかどうかということは、あまり重要な問題ではなくなります。
しかし、この表現における「なる」に「変化」の要素があるのか否かは、別の検討課題として成立しますので、以下は、その観点で応答していきたいと思います。

2.
>【(「今度の仕事は、私にとっていい勉強になった」という文において、)「単なる仕事」ではなく「効果のある仕事」というものに変化した】
⇒なぜそのようになるのでしょうか。私に言わせれば「仕事」は変化していません。これは説明の仕方がまずいのであって、「経験を積むという変化があった」という解釈でいいのでしょうか。その場合、変化したのは仕事ではなくて仕事をした人ですが。

まず、「経験を積むという変化があった」という解釈ではありません。仕事をした人が変化したわけではないのです。
勉強になった結果として、私が変化した、という可能性は大いにありますが、それは、あくまで二義的な問題です。この文においては、そこまで文意として言っているわけではないのです。
そもそも、文頭が「今度の仕事は」なのですから、「今度の仕事」に関して述べようとしている文であることは明白でしょう。(係助詞「は」が主題提示の用法であることはご承知のことと思います)
しかし、「今度の仕事は、(私にとって)経験を積むという変化があった」と解釈した時点で、主題が「私」に転換されてしまうことになり、不自然になるのです。第一、文として成立していませんよね。
「今度の仕事は、(私にとって)経験を積むという変化をもたらした」などであれば正しいですが。

「今度の仕事で、いい勉強をした」と言っているわけではない、という点が重要です。私がどうしたか、ということを述べている文ではないのです。(むろん、結果的には、そういった意味にはなりますが、構文としては違う、ということ)
たしかに、「今度の仕事は、いい勉強になった」とは結果的に同じ状況での発言ですが、しかし、表現が異なる以上、当然、そこには意図の違いがあります。
その違いについては、どう思われますか?
「仕事が何か別のものに変化した」ではなく、「仕事が、単なる仕事ではなく、いい勉強という価値を持った仕事に変化(変質)した」と解釈なさってみてください。
むろん、仕事が勝手に変質したわけではなく、変質したと思えるだけの手ごたえを本人が感じたからこそ、変質した、と表現することが可能になるわけですが、いずれにせよ、本人が、仕事が変質したかのように感じていることを表現している構文だ、という点が重要です。
自分がどうしたとかいうことではなく、「今度の仕事」というものに対して、何らかの価値を直接的に付与しようとしている文。
その仕事に「いい勉強」という価値が付与されるわけで(=付与されて単なる仕事ではなくなるので)、結果として、その仕事をした本人は、いい勉強をしたことになる、という構図。
つまり、「この仕事は、私にとってそういう価値のあるものになりました」と言いたい場合の表現である、という本質的な意図を見逃してはいけないでしょう。
「価値のあるものに変化した」という意外性のニュアンスが込められていることが要点になるでしょう。

3.
>「仕事が何か別のものに変化した」という発想・意味がどうしても理解できません。そこがネックになっているようです。

原文の「勉強になった」の「に」の用法を、どう解釈するか、ということです。
「変化」という要素が介在しなければ、説明がつかない、とわたしは思います。
「今度の仕事は、私にとっていい勉強になった」の「に」の用法について、Mister0413さんは、どう解釈されますか?
この角度から検討してみると、わかりやすくなるかもしれません。

説明の仕方が下手なので、要点を掴んで、また、系統立てて説明できていないと思います。
腑に落ちない点は、再度、お知らせいただけると助かります。
   
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この回答へのお礼

1.
#4のお礼では「今度の仕事は、私にとって、経験を積むという効果があった」と「今度の仕事は、私にとって、経験を積むという効果のある仕事であった」との違いに気がつかず、不用意なコメントをしてしまいました。
私は「今度の仕事は、私にとって、経験を積むという効果があった」しか眼中にありません。よって私の解釈では「今度の仕事を通じて、いい勉強になりました」は「今度の仕事を通じて、私にとって、経験を積むという効果があった」となります。これは私が理解する「なった」の意味に合わせて「今度の仕事を通じて、私にとって、経験を積むということが結果として実現した」と言い換えることもできると思います。
「今度の仕事は、私にとっていい勉強になった」と「今度の仕事を通じて、いい勉強になりました」とは、文構造が違います。後者の場合、変化したものがあるとすれば「仕事」ではありません。その点こそが、hakobuluさんとの議論が噛みあわない根本原因ではないかと思っています。
2.
今回問題にしているのは「今度の仕事は、私にとっていい勉強になった」という文です。まずそこを確認した上で、論を進めましょう。
hakobuluさんは「今度の仕事は、私にとっていい勉強になった」→「今度の仕事は、私にとって、経験を積むという効果があった」と言っています。
これを「この仕事は、私にとってそういう価値のあるものになりました」「価値のあるものに変化した」というようにとらえることも可能ですが、私は「今度の仕事をすることによって、経験を積むことが結果として実現した」のようにとらえます。この点も、hakobuluさんと対立する部分でしょうね。
3.
「に」の文法的意味ですが、この文では次の用法だと解釈いたします。
帰着点や動作の及ぶ方向を表す。
「家にたどりつく」
「車に乗る」
「危篤(きとく)におちいる」
よって「経験を積むことになった」は「経験を積むことが結果として実現した」という意味に解釈しています。

お礼日時:2014/11/20 17:09

#2です。



>hakobuluさんのご回答をベースに議論を進めると、どこまで行っても平行線をたどるだけのようですし、ここでお二方の回答内容も含めて展開してはどうでしょうか。

先にも申し上げましたが、構造(直訳)と完成形(意訳)を同列に論じていれば、話がすれ違うのも当然でしょうね。
たとえば、「勉強の機会を得た」「いい学習ができた」のような意訳は大いに結構ですし、わたしも同意しますよ。
質問者さんがおっしゃるような「私はレベルアップした」も、まったくそのとおりでしょう。
では、そうした意味が、「なる」という単語の、どの用法から生じたものなのか、という点を論議しているのではないですか?
その点について私は述べているわけですから、「どの用法から生じたものなのか」について、述べていただかないと・・・。現在は、平行線以前の話じゃないでしょうかね。
「なる=○○」の用法である、とおっしゃらないと話が始まらない、ということです。
「そういう意味になると思う」だけではなく、「なぜそういう意味になると思うのか」という点を述べないと意味がありません。
  
  
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この回答へのお礼

> 構造(直訳)と完成形(意訳)を同列に論じていれば、話がすれ違うのも当然でしょうね
ようやくhakobuluさんが言っている意味がわかってきました。
それではあらためて#2の内容について、質問します。
> 「今度の仕事は、私にとっていい勉強になった」→「今度の仕事は、私にとって、経験を積むという効果があった」
というニュアンス。
「今度の仕事は、私にとって、経験を積むという効果のある仕事であった」という意味であり
ここまでは理解できますが、その後の部分がわかりません。
> 「単なる仕事」ではなく「効果のある仕事」というものに変化した
なぜそのようになるのでしょうか。私に言わせれば「仕事」は変化していません。これは説明の仕方がまずいのであって、「経験を積むという変化があった」という解釈でいいのでしょうか。その場合、変化したのは仕事ではなくて仕事をした人ですが。
「仕事が何か別のものに変化した」という発想・意味がどうしても理解できません。そこがネックになっているようです。

お礼日時:2014/11/19 17:21

「勉強」という漢字自体には、余り意味がありません。


「強いて勉める」では、対象も動作も全く不明です。
ただ、古くから「勉強する」が「学習に努める」意味の慣用句とされてきましたから、
「いい勉強になった」は「いい学習が出来た」のように受け取るのが普通でしょう。
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この回答へのお礼

これまで考えてもみなかった角度からのご指摘、ありがとうございました。
それこそ「いい勉強になった」気がしています。

お礼日時:2014/11/19 08:35

この「なる」は、大辞林の【(1) 物・ことが結果として実現・成立する。

】ではなく、
【(4)ある機能をする】という項目の中の、【(2)プラスまたはマイナスの効果・機能がある。 「ために-・る本」 「名誉と-・る」 「激励がかえって重荷に-・る」】という用法に該当すると思います。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?sea …
「この本は、私にとってためになった」→「この本は、私にとって、役に立つという効果があった」
「今度の仕事は、私にとっていい勉強になった」→「今度の仕事は、私にとって、経験を積むという効果があった」
というニュアンス。
「今度の仕事は、私にとって、経験を積むという効果のある仕事であった」という意味であり、「単なる仕事」ではなく「効果のある仕事」というものに変化した、そんな性質の仕事であった、と言っているわけです。
この「変化する」という要素が生きていればこそ、「効果・機能がある」という用法が派生的に生じたと考えるのが自然でしょう。

因みに、「今度の仕事を通じて、(私にとって)経験を積むという効果があった」は、論理的意味を成さないため、「今度の仕事を通じて、いい勉強になった」という文は成立しません。
「今度の仕事は、私にとっていい勉強をした」が成立しないのと同様です。
「今度の仕事を通じて、いい勉強をした」であれば問題ありません。
「なった」と「した」では用法が異なるため、どちらかが誤りである、と捉えるのが妥当です。

>結果的に「私はレベルアップした」という意味の文であって、「仕事が何か別のものに変化した」と考える余地はないものと思います

「私はレベルアップした」は、おっしゃるように結果的な意味であって、言ってみれば意訳で、その構造として「仕事が何か別のものに変化した」という直訳的意味が存在しています。これら構造(骨組み)と結果(完成形)を同列に論じるのは無理があるかと思います。
   
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この回答へのお礼

「変化する」という要素に着目することには、どうしても素直には受け入れられません。
もちろん「不用意な発言が紛糾のもととなる」などであれば、「変化する」という意味があることはわかります。それと「今度の仕事はいい勉強になった」が「経験を積む」という意味になることを考え合わせると、どうやら「勉強」という言葉に異質なものがあるという気がしていました。
#3さんはその点を指摘されているようですし、#1さんの観点もあり得そうな気がします。
hakobuluさんのご回答をベースに議論を進めると、どこまで行っても平行線をたどるだけのようですし、ここでお二方の回答内容も含めて展開してはどうでしょうか。

お礼日時:2014/11/19 08:33

「勉強の機会になった」?

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この回答へのお礼

早速のご回答、ありがとうございました。
なるほど、「勉強の機会を得た」という考え方ですか。これまで全く眼中になかった発想ですが、それも一理はありそうですね。
他の方のご意見も拝聴して、さらに考えてみたいと思います。

お礼日時:2014/11/17 22:48

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