プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

こんにちは。
1992年生まれの22歳、大学4年生です。
皆さんにお聞きしたいのはバブル時代がどのような時代だったのかです。

私が生まれたのはバブル崩壊後で、生まれ育った時代は「失われた10年」または拡大して「失われた20年」と呼ばれています。
バブル時代のことはテレビや親からある程度聞いたことはありますが実感がわきません。
聞いたところによると、就職活動中の学生は引く手あまたで、企業側から逆にお金(交通費ほか小遣い?)を支払われてまで企業に呼ばれていたとか。

あとはディスコ?で女性がセンスのようなものを振り回して踊っているとか・・・。
ただ、このような光景は、お金持ちや陽気な人が遊ぶような場所でしか見られないような気もします。
失礼ではありますが、客観的に見て「一般人」だった皆さんにとってバブル時代はどのようなものだったのかが気になります。
実際の経験談や噂話でも結構ですのでバブル時代の経験を教えていただきたいです。

ちなみにですが、私は金融機関への就職が決まっています。
バブル景気と金融機関は関わり・影響がかなり大きかったと思いますので、その点もご存知でしたら教えていただきたいです。
回答よろしくお願いします。

A 回答 (19件中11~19件)

1970年生まれでしたので、高校卒業時はバブルまっただ中で


バブルの恩恵をモロ受けました

どの程度受けたかと申しますと、あっさり就職が決まりました
なにせ、学校に来た求人が募集を軽く上回るほどで
面接を受ければ殆ど採用で逆に落ちた場合
「お前、一体何悪い事言った?」って言われるくらいでした

また、その当時フリーターと言う言葉が流行り出しました
好きな時間に好きな仕事を好きなだけすると言ったフリーエージェント的な振る舞いで
サラリーマンより高額な給料を稼ぎ出し、企業に縛られる私達サラリーマンは
見下されている感が有りました(今は立場が逆転しちゃっていますけどね)

此方は地方なのであまり関心は無かったのですが
都会じゃ、ジュリアナ東京でワンレン、ボディコンでジュリ扇持ってお立ち台に上がるのが
一種のステータスと化していました
(岡本夏生が一番輝いていた時期かも?)

後は、車
どのメーカーも、コストを度外視した車(主にスポーツカー)を出しており
自主規制枠の280馬力を叩き出す車が普通に売れていました
NSXとか、ユーノスコスモとかA70スープラとかが
バブル期を象徴する車だと個人的に思います

最近じゃ使い勝手、燃費重視の車ばかりで寂しい限りです
(そんな中、トヨタが86出したのが妙に嬉しかったですね…買えないけど)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/19 22:02

大企業が倒産するなど有りえないことでしたので、山一証券が経営破綻した時は本当に驚きました。



ただ、田舎ではバブルの恩恵も、バブル崩壊の悪影響もほとんどありませんでした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/19 22:06

私は高校生でした



「バブル氷河期」が始まったところでしょうか?

バブル時代は破綻した山一證券の外交員さんが毎日我が家に来ていました

ジュリ扇と言えば「荒木師匠」

ワンレン・ボディコンの時代ですね(眉毛が太かった)

あと、どの銀行も経営が上手く行かず「公的資金」という言葉が流行りました

銀行が破綻するなんて予想だにしなかったことです

それでも恩恵を受けたのは「タクチケ」

業界関係者の知人がいて、タクシィ乗り放題でした

【参考文献】

http://books.rakuten.co.jp/rb/1078993/
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/19 22:05

とくにバブルの恩恵は受けませんでした。


一流大学出て一流企業に行けた人だけでしょう。
けど世の中が浮かれていたのは確かだから今のような閉塞感はなかった。
自分はとくに景気良くはなくても気分だけは浮かれていたかも。

青年実業家という言葉が流行りました。
ちょっとしたノウハウとお金があれば誰でも起業できた時代です。
まさに泡のように会社が出来て一気に消えた、そんな時代だったでしょう。
身近にそんな人が何人もいました。
コーヒー飲みに行こうと言われて青山の喫茶店で1000円のコーヒーをご馳走になりました。
カフェなんて言葉はまだ使わなかったな。
会社の新年会やら忘年会やらも豪華でしたね。
居酒屋なんて行きませんでした。高級中華とかフレンチとか。
アルバイトで入っただけなのに高級旅館での社員旅行に連れて行ってもらえたり。
そういうのはまあ恩恵のうちなのかな。

印象的なのは都内の馬鹿げた地価高騰でした。地上げが横行しましたね。
一等地の一戸建てはあっという間に億に達しました。億ションという言葉も出来ました。
しがない月給取りには家賃の高騰がきつかったです。
自分は一生一戸建てなんて縁がないんだろうと思いました。

そのうち派遣社員としてゼネコンで働きました。
そこの正社員は冬になると毎週スキー、夏はゴルフ、長期休みには海外旅行。
ここで一番バブルを意識したかも知れません。
数百万かけた結婚式を新郎新婦それぞれの地元と東京とで3回やる人もいました。
しかしそろそろバブル崩壊の足音が聞こえてきていました。
数年後にその会社の破綻が新聞で報じられた時にはとっくに派遣は切られて他社で働いていました。

バブルがはじけたんだなと実感したのは夜の銀座でタクシーの客待ちの列を見た時です。
仕事で終電逃したときタクシーをつかまえるのに苦労したのが嘘のようでした。
札束振りかざしてタクシー止めてる人を見たことはないけれど。
あの頃にあった銀行はほとんど統廃合を経て名前が変わっちゃいましたね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/19 22:05

一言でいうと誰もが億万長者になれるチャンスがあったということですよ


例えば、とある銘柄は車買ったつもりで保有していれば億に短期間に化けて
います、無償増資も頻繁にやっていた会社も有るし、あの時に乗り遅れまいと
大衆が大挙して飛び乗ったといわれていますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/19 22:04

 引く手あまただったのは一流大学の就活生だけで、それ以外は今と変わりませんでしたよ。


 メールや携帯はありませんから、家電か公衆電話で会社に電話して、コツコツ就職活動に足を運びました。

 物価はどんどん上昇するので、毎年、ジャンプが20円くらい高くなっていきましたし、庶民にはほとんど恩恵はなかったですね。
 ただ、世の中が浮かれていたので、希望に溢れていて、今のような閉塞感はなかったです。

 あと一等地に住んでる人は、ヤクザに地上げされてました(安く買い叩かれて、追い出される)。
 売却を拒否した家には、トラックが突っ込んだり、嫌がらせを受けたりしてましたね。

 --------
 今は、就職活動もネットとメールで出来ますし、デフレでモノは安いし、庶民によってはメリットの方が多いです。
 どんよりした閉塞感はありますけど。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/19 22:04

会社で「持ち株会」に入っていましたが、確か1株数千円になったことがあって、今売ったら数百万円だな・・・みたいなことを考えていたことがありました。


仰っているジュリアナ東京のジュリ扇は言うに及ばず、「J-FOX」「JーMens Tokyo」も含めて、これらは「バブル3大聖地」だったかも知れませんね。
J-FOXには実際に行きましたが、外国人ダンサーが雲形テーブルの上を歩きながら艶かしいポーズを取るという、ただそれだけですが男女ともにやってきていて超満員でしたね。
金融機関ということならば、バブル期の犠牲となったのが山一證券でしたね。
“社員は悪くありませんから・・・”と言って号泣した社長が印象的でした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/19 22:04

 62歳男です。

公立学校の教員でしたのでほとんど恩恵は
なく(それでも毎年給与は1万円近くも上昇)恥ずかしながら
世の中がバブル景気で浮かれていることを知らずにすごし
随分たってTVニュースでみても別世界のようでした。

 けれど僕の同僚が夏休みに親戚に頼まれてビルの解体の
アルバイト。内部にあった数百万する壷を施主さんから
もらったそうです。世の中は金余り。余った金の使うために
わが国のお金持ちや金融機関や健保組合やらが浪費や海外の
資産を買い集めます。

 商社に勤める同年齢の友人のボーナスは僕の十倍以上でした。

ちなみに当時の銀行は金を貸し付けたがるし、土地やその他を
転売するだけで大もうけする時代でしたから真面目に働いて
給与を得たりするのは馬鹿扱い、いかに金や物を動かして儲け
たかが自慢の時代。物づくり日本の終焉でした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/19 22:03

自分も空白の10年世代ですが、センスを振っている女性はよく覚えています。

でもあれはバブル崩壊前夜から崩壊後の話。楽観的にまた盛り返すと思っていたか、踊るしかないって感じだったのでしょう。

就職活動中の学生は、内定が決まるとその企業にどこかの旅館に連れて行かれて連日の接待をされていたそうです。
それは他の企業に持っていかれないようにする為だとか。

当時は社会もユルユルで、一流企業もコネで簡単に入れました。東○電力も、知り合いが勤めていれば簡単だったそうです。

ゆるいのは金融機関も同じで、当時は今日100万で買った株が次の日には200万で売れる時代だったといわれています。
インサイダー取引も平気で行われ、お客の方が逆に窓口の人にお金を貸して、窓口の人が儲かる株を教えてもらって株を買っていたなんて話もあります。とにかく金融業界はズブズブで今じゃ有り得ないことが多かったらしいです。

でも一般人は民間企業の人は結構良かったですが、公務員はほとんど恩恵は無かったですし、一家で生活するのがやっとって感じだったと聞きます。実際は今も公務員給料なんてそれほど変わらないんですが。でも今とは真逆ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/19 22:03

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