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宇宙の公理を用いて「あの世は存在しない」ことを証明します。

証明:
仮にあの世が存在したとする。
このとき第3公理より宇宙の法則は宇宙の全現象を支配するのであるから、あの世の現象も宇宙の法則が支配することになる。
また第4公理より宇宙の法則は唯一絶対であるから、あの世の法則は宇宙の法則自体でなければならない。
また第2公理より宇宙と宇宙の法則は一体であるから、あの世とあの世の法則は宇宙と宇宙の法則と一体でなければならない。
結局、あの世とあの世の法則はこの世とこの世の法則と一体でなければならない。
すなわちあの世とはこの世のこととなり、あの世はこの世とは別には存在し得ない。
故にあの世は存在しないと結論できる。
証明終わり。


          宇宙の公理

第1公理 宇宙は存在する
第2公理 宇宙と宇宙の法則は一体である
第3公理 宇宙の法則は宇宙の全現象を支配する
第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である
第5公理 宇宙の法則は永遠無限に均一である
第6公理 宇宙の法則は永遠無限に不変である

(※永遠とは無限時間、無限とは無限空間を意味する)
 

A 回答 (16件中1~10件)

「宇宙の公理」など持ちださなくても、あの世が存在しないことは論証できる。



背理法で考えてみよう。

あの世が存在するとする。

ということは、あの世もこの世と同じ時間・空間があることになる。
なぜならば時間・空間はすべてのものが存在するための絶対条件だからだ。

そしてあの世があり、そこにも時間・空間があるとしたら、二つの時間・空間があることになる。
もし、二つの時間・空間が隣接していたら、それは一つの時間・空間になる。
なぜならば時間・空間には境目なんてないからだ。
よって、あの世とこの世は一つであり、あの世なんて存在しない。

このことは時間・空間が無限だとしても同じ。
無限である時間・空間が二つあることは矛盾であり、矛盾するものは存在しないものだから、無限である時間・空間は一つでなければならない。
よって、あの世が存在するというのは否定される。

実に簡単。

だけど、一つ問題がある。

この世が、あの世かもしれない、それを否定できない。
どっちともいえる。
もし、あの世が存在するとしたら、この世は存在しない。
私たちの住んでいる世界は、もしかしたら、あの世かもしれない。
それを否定できない。

もし、あの世にも「宇宙の法則」があるとしたら、「宇宙の法則」があるからと言って、私たちの世界が、この世なのか、あの世なのか、どっちとも決定できない。
だから、「宇宙の法則」があることは、あの世が存在しないという証明にはならない。
第1公理から第6公理まで、認めたとしても、それをもってしてこの世界が、この世なのか、あの世なのか、それを決定することは出来ない。
なぜならば、あの世にも第1公理から第6公理があってもおかしくないからだ。
その公理がただ一つしかないからと言って、それをもってして、この世があるのか、あの世があるのか、どっちがあるのかを決定できない。
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この回答へのお礼

 
>実に簡単。

実際簡単なんだよね。



>この世があるのか、あの世があるのか、どっちがあるのかを決定できない。

それはどうでもいい問題です。
この世があの世であろうが、あの世がこの世であろうがどうでもいい事です。
要はこの世もあの世も実体は一つってことが分かればいいのです。
何故ならそれは単に呼び名の問題であって本質ではないからです。
 

お礼日時:2014/12/16 12:30

従って、この世はあの世である。


きっと、ここが地獄なのでしょう。
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>かつて数学は哲学の1科目だったんじゃよ。



あんたは未だに紀元前3世紀か?

私の頭は21世紀だけどね。
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君はそんな寝ぼけ話が証明する根拠たりうる分析だと本気なのかい。


死すべき君達に死後の世界は無い。
生きる者には永遠の生が訪れ、それが常世である。
君の言うあの世は死後の世界だよ。
今回は肯定してやろう。
しっぽを振れ。
君の言うとおりだ。
そんなもんありゃしねー。
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そうですね その通りです。



宇宙の公理がどうかは分かりませんが

あの世とはこの世のことです。

その人のいなくなったこの世が あの世なのです。

この世にはその人が生きた影響が様々に残り

人々には記憶や影響が残っています それがあの世なのです

あの世には花が添えられ 人によっては祈りを捧げられ

人の寄る所には まるでその人がいるように語られるかもしれません

実はイエス・キリストも同じなのです

この世の人々の心に 書物に 教えにイエスは生きているのでしょう。

自分自身を愛するように、汝の隣人を愛せよ。 釈迦も同じです。
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この回答へのお礼

 
私はあの世とはこの世のことであると言い続けてきたのであるが、これがなかなか理解してもらえなかった。
やっとあなたが理解してくれたみたいだ。

ありがとうございました。
 

お礼日時:2014/12/16 21:51

実体験として。



数年前に、僕は死にました。絶命したんです。その後、精神と心が(つまり僕自身が)体を離れ、会いたい人に向かいました。体がないので、すぐに相手に会えました。しかし時間が来て、僕は地球上から姿を消しました。その後、仏様(神様)に導かれ、亡くなった人たちと会って、笑いながら話をしたんです。
で訳あって、また生まれることになって、今、これを打っています。これは実体験です。

生まれて死ぬ、ということは、もともといた場所がある、と考えた方が自然です。人は生まれる意志が固まってから、目的のために生まれるんです。地球上に。
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>数学だって概念に違いないが、ちゃんと証明することが必要って言ってますね。



まずは、数学と哲学の違いから勉強しましょう。
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この回答へのお礼

 
もくぞうさん、あんたまるっきり分かってないね。

かつて数学は哲学の1科目だったんじゃよ。
 

 

お礼日時:2014/12/16 17:58

あの世が無いのはだれでも分ることなのに、多くの者は認めたくないのでしょう。

どうして嘘をつかれて騙されるのかが不思議ですが、騙されたいと思っているのでしょう。
生まれて来たことが自分では分らないので自分の死が怖いのでしょう。生まれる時にあの世から来ていないことが自分で解かれば、あの世が無いことが分るのですがね。
私は子供の頃に臨死体験のような経験をし、あの世が無いと確信しています。本当の仏陀の教えにはあの世があるとは言っていないのです。後の信徒や僧侶が布教のために嘘をついたのでしょう。
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屁理屈並べなくても死ねば分かりますよ、さあどうぞ!

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あの世というのは概念ですから、存在の証明や存在の否定の証明は不要です。

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この回答へのお礼

 
数学だって概念に違いないが、ちゃんと証明することが必要って言ってますね。
 

お礼日時:2014/12/16 17:13

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