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国旗国歌を嫌がる教師は、内心の自由を理由にしています。
職業選択の自由があるのだから教師を辞めたほうがいいという
意見には、「その職業を辞めざるを得ない状況に追い込むのが
そもそも職業選択の自由の侵害だ」と主張します。皆様ならどう思われますか?

この意見に賛成の方も反対の方もご意見をいただけないでしょうか。
ただし一つ縛りを設けたいのですが、「日本人なら当然」という
ご意見の場合、なぜ当然であるのかも書いていただけないでしょうか。
めんどくさいと思われるかもしれませんが、議論の発展のためにも
必要だと考えました。

以上、何卒よろしくお願いいたします

A 回答 (19件中1~10件)

憲法における人権問題は公権力との間で問題になります。


だから、ここでいう職業とは公務員のことに
なります。

そして公務員という職業は国家の存在を前提と
した職業です。
従って、その職に就いたときには、国家の存在を
認めた上での就職だと見なされます。

よって、国旗、国歌を否定するのは公務員である
以上認められないと考えます。

あるいはデザインや歌詞が気にくわないから、という
理由もあるでしょう。
しかし、それは民主的過程を経て法律により決まった
ことです。
デザインや歌詞が嫌い、というのは公務員である以上
理由になりません。

公務員は国家、国民の為に仕事をする義務を負うの
ですから、己の思想信条をそれに優先させることは
許されないのです。


”内心の自由を理由にしています。”
    ↑
公務員という職業を自分の意思で選んだのですから
内心の自由を理由に否定するのは、認められません。
仕事はいくらでもあります。
公務員以外の仕事を選べば良いだけです。


”「その職業を辞めざるを得ない状況に追い込むのが
そもそも職業選択の自由の侵害だ」”
    ↑
それでは、これは内心の自由の問題ではなく、
職業選択の自由の問題だ、ということになります。
職業選択の自由なら、なおのこと、自分の意思で
公務員になったのですから、そんな主張を認める
必要が無い、ということになります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
自分の意思で公務員になったんだから、勝手なこと
言っちゃいけませんよね。

お礼日時:2015/01/04 21:34

>皆様ならどう思われますか?



まず、この疑問ですが、なんかピントがずれてる主張だと思います。
職業選択の自由は、身分や思想によらず、誰でもどの職業を選択できる権利です。
逆に言えば、選択だけが自由なだけなんです。

家族との時間を大事にしたいので残業、転勤を
拒否し続けて、懲戒処置を取られた場合と何が違うのでしょう。

確かに、国旗国歌の過去の背景は重要かもしれませんが
それと、ルールを守らない事で罰せられる事は違うと思います。
理不尽なルール(法律)に抗い、正しい道に導いた先人達はいました。
だけど、それは間違っている場合もあります。
だからこそ、今現在のルールは守らなければ秩序が守れないし
自分の信念でルールを破るのなら、罰則は受入れなければならないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/04 18:15

ナチスドイツも日本も侵略戦争を懲りずにやってたからねえ。

ドイツは国旗を変えたんだけど、日本って天皇さんを象徴にして政治権力を無くした、つまりおとがめ無しとなったので、国旗も同じなんです。しかし、戦争反対をして、トンデモ弾圧をされた人々は国旗を変えたいと思っているわけで、これは正当だよね。

基本的には多くの日本人は「おとがめ」無しをすんなり受け入れたので、国旗日の丸が多数決でも正統なんですねえ。

保守的でなければ、おかしいというマインドコントロールに今も支配されている感じがするけど・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/04 19:06

国家国旗に対する考え方は国民で色々かと思います。

しかし現状は、国旗は「二の丸」、国歌は[君が代」です。この事実は否定出来ません。嫌がるな嫌がればいいのではないでしょうか。

主義主張は、別にして、オリンピックで金メダルを取った、サッカーの国際試合の前に国歌斉唱の場合、異論を挟むヒトはほとんどいないように思います。若い世代、国歌国旗は、そのまま受け入れて居るように思います。一部の団塊世代の主義主張のあるヒトは別にして問題なく受け入れていると思います。

日本人なら「当然」というより、国際試合ではそのまま違和感なく国民の多くは自然に受け入れています。それは当然ではないでしょうか。なぜこのような質問をされるのか不自然に感じます。

戦争経験の無い若い世代が自然に受け入れいる状況は大切にsるべきかと思います。国歌国旗は自然に受け入れられていると思います。
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「国旗国歌を嫌がる教師について」というタイトルにするか、「国旗国歌を強制する国家について」というタイトルにするかで、回答のカラーが決まります。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。それもそうですね。

お礼日時:2015/01/04 18:48

国家や地方自治体に雇われて給料もらうしか生きてゆく能力が無い自分を知っているけど、あたかも自由人として生きてゆける自分が存在するという妄想を持っているので、自由人としての権利を主張して見たりする。



自由人としては喰ってゆけない(=税金で雇われるしか手が無い)自分を自覚する事から教育者として真実の教育が可能となると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
国から給料をもらっているんですからねえ。

お礼日時:2015/01/04 18:17

どう思うかですか…。



国旗国歌はヤダ、でもクビもヤダ、ヤダヤダヤダヤダヤダ!
でも自分には権利があるもん! ボク悪くないもん、悪いのはアイツだもん! ふんっ!

って駄々こねてるガキにしか見えません。
反抗期真っ盛りの自分の黒歴史を見せつけられてるようで恥ずかしくなります。

国旗や国歌に敬意を払うのはマナーです。たとえどんな国のものであってもです。
歴史的背景や内容を考えれば、日本の国旗や国歌を悪しざまに見るのは考えが浅いと言わざるを得ません。
思想の自由みたいのはありますが、それを表現するにあたりTPOをわきまえる必要があります。公の場や職場に個人的なポリシーを持ち込み騒ぎを起こすのは社会人としてあるまじき行為です。
教師は生徒の規範とならねばならない立場なのに権利とワガママを履き違えて駄々をこねるなど論外です。

もう子供じゃないんだから、仕事は仕事と割りきらなきゃ。
むやみに歴史あるものを否定したりアウトロー気取ったり、そういうのは卒業しないと。

卒業といえば、来年の卒業式の時にもまたこういう騒ぎおこるんですかね…。
若者の門出の場に、ただ20年以上生きてただけのガキが駄々こねる醜い光景が展開されるのでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/04 18:10

> 皆様ならどう思われますか?



基本的には、「権利」と表裏関係にある「義務(責任)」とセットで考慮される問題です。
また個々に「どう思う?」と言うよりは、最高裁を含め多数の判例がありますので、「我が国ではこうである」と言う結論もある話ですよ。

まず「国家斉唱,起立」の命令は、最高裁判例で「内心の自由に反しない」と判断が得られています。
一方では、懲罰としての「解雇」はやり過ぎと言う判例もあります。

すなわち、「国家斉唱,起立」は正当な命令なので、その命令に違反すれば、就業規則や服務規程等により、違反者が懲罰対象になることも妥当となりますが、その懲罰は「解雇未満で考慮しないさい」と言うことですね。

ただ解雇権の行使はやり過ぎとしても、解雇未満の懲戒権の行使は容認されるし、職位上位者側には指揮命令権,人事権,査定権なども付与されており、問題教師に対し、たとえば出世させないとか、余り昇給しないとか、あるいは左遷するなど、報復や対抗の措置がありますので・・・。

従い、徹底的に争えば、不起立教師側に勝ち目が無いと言いますか、それなりの不遇は覚悟せねばならないことは、避けられない事実,現実とは言えるでしょう。

尚、不起立の教員側が、職業選択の自由を持ち出すと、やや話がこじれます。
選択は自由ですが、職場は自由空間ではありませんので。
それどころか統制された組織ですから、労働契約上、学校長などに指揮命令権があり、教員側はその命令に従う義務を負っています。

「その義務を果たしたくなければ、自由に職業選択権を行使すれば良い」と言うのは妥当な提案ですが、しかし職業選択の自由を楯に、一般義務を回避し得ると発想するのは、理屈が成立しません。

法的にも現実的にも、「内心は自由」ですが、言論などの「表現」は、厳密には自由ではありません。
言論するのは自由ですが、悪意や差別などを表現してしまうと、名誉毀損などになる可能性もあるワケで、すなわち「表現の責任」も負うことになりますので。

本来は、内心の自由を表現する場合、それなりの「覚悟」などは必要ではないですかね?
逆に、義務を果たさず責任も負わず、内心の自由を表現する権利のみを行使,主張した人格は、社会的には余り評価されないと言う話かと思います。

極論すれば、買い物や飲食して、「思想,良心の自由により、私はお金を払いません!」なんてコトを言えば、誰にも相手にされないどころか、下手すりゃ警察に突き出されます。
国歌斉唱の拒否や不起立は、思想的な要素を含むので、それに比べりゃ多少はカッコ良くは見えますが、本質的には、さほど大差は無いと思いますよ。

私塾であれば教師を選べますが、義務教育などはそうは行きません。
公正さや中立性を欠いた偏った思想で、「内心の自由」で権利行使したり、曲解した職業選択の自由を主張する様な教師は、解雇は出来ないまでも、少なくとも「教育現場からは排除する」と言う措置は、私は健全だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
確かに解雇は行き過ぎだと思います。しかし、共産主義者でさえ、
資本主義の国にいたらフツーにお金を出して物を買いますよね。

お礼日時:2015/01/04 19:11

その教師が国公立の学校に勤務しているのであれば、雇用主が国旗・国歌を定めている国なのだからそもそも就職先を間違えたとしか言えないでしょう。



今の国旗・国歌を否定するのであれば、その思想信条にあう私立の教師になるべきです。

そうすれば内心の自由も職業選択の自由も侵される事はありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/04 18:50

戦争で負けた侵略行為をしてデスティニーに持ち込む混ざると起こる現象ですかね。

デスティニーだけは避けたいものですが、出来てしまうとどこかが仕掛けてきますから先住民の試練と思い対応するしかありません。何処の国でも起こることです。諦め対応するしかありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/04 18:50

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