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 日清戦争時、日本の主力艦は巡洋艦が
最大でしたが、清国は戦艦2隻を保有していました。
ドイツ製でしたが、たしか定遠だったと思うのですが
主砲の一斉砲撃をした時、艦橋が崩落したそうです。

 大和は世界最大の46センチ砲を9門搭載していたものの
たいした砲戦もなく沈みましたが、その主砲は300発発射
すれば砲身の摩耗により交換しなければならなかったそうです。

 そんな大エネルギーを発生させる主砲の一斉砲撃を延々と
やっていたら大和自身がぶっ壊れてしまったのではないでしょうか。

 不沈艦として設計しても魚雷で沈められました。自艦が発生させる
衝撃に対して、何らかの対策は練っていたのでしょうか。


 
 

A 回答 (5件)

定遠と鎮遠は黄海海戦で文字通りにボコボコにされましたが、浮かび続けていました。

定遠と鎮遠にはシタデルという防御システムがあったのですが、それを打ち破ることはできなかったのです。そういう意味では、確かに不沈戦艦でした。ただし、海戦が終ったときに軍艦としての能力は失われていましたけどね。
三日三晩ボコボコ撃ち続けているわけじゃないんだから、想定している(日清・日露の両戦争で海戦あたりどのくらい弾数を使うかは十分な経験がありました)弾数が持てばいいのです。当然経年で老朽化してきてそのうち鉄が劣化してあまり派手にボコボコ撃てば本体にヒビが入ることも起こりうるわけですが、その頃には退役をするってわけですよ。

なお、魚雷に対する耐久力ですが、同型の武蔵はあのレイテ海戦で延べ20本の魚雷を喰らいました。おそらく軍艦史上で空前絶後の記録だと思います。沖縄作戦のときは米軍もレイテの戦訓をもとに片側(右舷だったかな?)からの攻撃に集中して確か9本の魚雷命中で沈没に至らせたと思います。
沖縄作戦のときは米軍の作戦勝ちという部分もありますから、レイテ海戦の武蔵から考えると大和型の喫水線下の耐久力は強靭だったと評価していいと思います。
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この回答へのお礼

 せっかくの世界最大の戦艦でも、沈めたらもったいないと
主要な戦闘に使わなかったのは、何のために建造したのか
また、無益な沖縄特攻であっさり沈めてしまったのは、全く
海軍首脳の無能ぶりをさらけ出していますね。

 大和ホテル、武蔵御殿と揶揄されるはずです。それに
輪をかけて超大和級戦艦を計画していたという、いったい
何をしたかったのでしょうね。空母信濃で国費をドブに
捨ててしまったのに。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/09 22:01

砲の寿命と言われるのは特定の命中率を維持出来ない


発射弾数の事です。46センチ砲では100~200発かも。
砲身は3重構造であり交換するのは最も内側の砲身。

交換用の内側砲身は在庫してあり焼きバメにより一体化。
垂直につり上げた外筒に内砲身を上から素早く挿入した。
命中率が問題なのは移動中の敵戦艦に当てるのだから当然。

自艦の衝撃どころか敵砲弾、すなわち自艦の砲弾直撃を
想定して設計された。悲しいかな火薬の衝撃波に手だてが無い。
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この回答へのお礼

狙っても当たらない砲弾も、内部の摩耗で
どこへ飛んでいくか分からない状態で命中弾に
なるやも知れず。
 
 回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/12 00:12

popps さん、こんにちは。



そんな大エネルギーを発生させる主砲の一斉砲撃を延々と
やっていたら大和自身がぶっ壊れてしまったのではないでしょうか。


実は戦前にこれについて重大な事件がありました。「友鶴事件」と「第四艦隊事件」です。これらは実戦部隊の重武装要求や軍縮条約における排水量制限を通した結果、トップヘビーや船体強度の不足が原因でした。
この後日本海軍の造船担当部門はいくらか安全志向の設計にしているのです。
大和が建造されたのは、軍縮条約明けであり、一応フリーハンドで設計できる時代でしたので、十分に考慮されていたと思います。

不沈艦として設計しても魚雷で沈められました。自艦が発生させる
衝撃に対して、何らかの対策は練っていたのでしょうか。

そんなことは当たり前です。沈まない船はないということですね。大和建造当時、魚雷がたくさん当たり、戦艦の船体に大きなダメージを与えるという研究はありませんでした。また航空機もそんなに危険な存在ではないと思われていました。

詳細は下記のURLを参照ください。
大和
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C_ …

大和型戦艦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C% …

第四艦隊事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E5%9B%9B% …

友鶴事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8B%E9%B6%B4% …
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この回答へのお礼

第四艦隊事件は、かなり昔、NHKの松平定知アナの
歴史番組で「海軍戦わずして敗る」というタイトルで
やっていました。

 まあ、日本海軍がでたらめに大戦艦を建造しない
でしょうが、戦艦陸奥の爆沈事故もありましたから
長く現役を続けていたら、大和とてどうだったか。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/10 23:14

#2です。



「艦隊現存主義(フリート・イズ・ビーイング)」というのですが、戦艦というのは一度沈んだら終わりなので、投入するのはものすごい勇気が要るのです。
第二次大戦で最も活躍した戦艦はイギリスのウォースパイトなのですが、この戦艦、第一次大戦のときの時代の「おばあちゃん戦艦」だったんです。おばあちゃんだから沈んでも惜しくない。だから危険な最前線にガンガン投入できたのです。イギリスは新鋭戦艦だったプリンス・オブ・ウェールズを対日戦に投入して、ご存じの通りに航空隊によって沈められてしまいました。イギリス軍はこれがあまりにショックで、その後対日戦にほとんど戦力を投入しなくなりました。
栄光ある大英帝国海軍も、最新鋭戦艦を投入するのは基本的に及び腰でした。アメリカ海軍は新鋭のサウスダコタを割とガンガン投入しましたが、あれは「アイオワ級を次から次へと作ってるから沈んでも大丈夫」というのがあったからです。お金持ちは余裕が違うのですな。

日本には大和型だけではなく、長門型、時代遅れになっていた伊勢型、扶桑型がありました。金剛型は戦艦というより巡洋戦艦といったほうが相応しいフネですが、速力があってしかもおばあちゃん戦艦だったので日本海軍も惜しみなく投入しました。
扶桑型はいくらなんでも速力が遅くて投入する場所がなく、伊勢型も時代遅れになっていて航空戦艦というわけのわからないことをして失敗したのもご存じのとおりです。

戦艦は乗組員が多く、大きいから燃料もバカ食いするんですね。1隻沈むと3000人くらいが一気に戦死しちゃうわけです。一応戦争を講和条約を締結して終結させることを考えたらさ、戦後にその分の遺族年金も払わないといけないわけでしょ?
例えば今海上自衛隊の最新鋭の護衛艦は見た目がどう見ても空母にしか見えない「いずも」というやつですが、もしこれを尖閣諸島に持っていって中国海軍と海戦になって万が一沈んじゃったら、建造費の借金だけまるまる残るわけですよ。質問者さんが提督だったらとてもとても投入できないでしょ?買ったばかりの新車をラリーレースに使えるかって話ですよ。

じゃあ最後にあんな無駄な使い方をしたのはなぜかというと、「一億総特攻といっているのに大和だけ残すってわけにはいかんだろ」という実に日本人的な話なわけですよ。会社が死ぬほど忙くてみんな深夜や泊りがけまでして仕事をしているのに、自分がインフルエンザにかかったら家でのんびり寝てられるのか、ってことです。
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この回答へのお礼

 う~む、中国が「遼寧」を失っても尖閣を自領にできれば
プラマイゼロかも知れませんが、日本が「いずも」を
失ってまで尖閣を死守してもマイナスだけですし、中国や
韓国に「ニッポン軍国主義の再来」などとまたしても攻撃(口撃)
のネタを与えるだけなので、「いずも」はもうモスボールでもして
温存しておいたほうがいいですね。再投入の時は国家存亡の時と
して。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/10 23:33

>そんな大エネルギーを発生させる主砲の一斉砲撃を延々とやっていたら大和自身がぶっ壊れてしまったのではないでしょうか。


 ⇒自艦が発生させる衝撃=主砲発射時の反動については、まず各砲の駐退機で吸収して和らげ、吸収できなかった分は船体そのもので受け止めるかたちです。
 大和の主砲の一斉発射時の衝撃は8000トン、その際には船体が1.7度ほど傾いたと聞いたことがありますが、まあ船体がぶっ壊れるほどのものでもなかったんでしょう。そもそも搭載弾薬は定数が各砲100発程度だったらしいので、延々と一斉砲撃すること自体が不可能です。
 ちなみに砲身の命数は200発だそうで。

>不沈艦として設計しても魚雷で沈められました。
 ⇒これ、自艦の対衝撃防御とは関係ないとは思うんですけれど、当時の戦艦の運用ってのは基本的には味方制空権下での行動が前提だったはずなので、さすがに直援機なしってのは想定外だったのではないですかね。
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この回答へのお礼

砲命300発は何かの本で読んだのですが200発が
正しいみたいです。スンマソ。

 航空魚雷で撃沈された戦艦は、停泊中の真珠湾攻撃を
除いて、作戦行動中の戦艦に限ればマレー沖海戦の英戦艦と
武蔵、大和だけですね。共に直援機の護衛なく丸腰では
いくら戦艦といえども航空機には太刀打ちできない時代に
なっていて、山本五十六の発案で、自軍の象徴戦艦が
海の藻屑になったのは皮肉としか言いようがありません。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/09 21:25

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