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私は今、仕事と家事育児をしている主婦なのですが、なかなか自分の時間がとれなかったりして、イライラしてしまうことがあります。
家事をしている時も、子供が邪魔をするので、なかなか片付かず、それすらもイライラしてしまったり...。
台所の洗い物とか溜まっているのを見ると、溜息をつきたくなるときもありました。

そんな時、友達に
「台所に行く用事が会った時に、お皿一枚だけ洗ってくればいいのよ。
 全部やろうとすると、子供に邪魔されたとき、負担に感じるでしょ?
 一枚だけでいいんだ、これはついで! って思うと気が楽になるよ。」
と助言され、実行してみることにしました。

すると『一枚だけでいいか』という気分で行くと、自然と全部洗っていたり、全部洗えなくて、子供に呼ばれた時も「こっちがついでだったから、今はいいか。」と思えるようになり、随分、気持ちが楽になりました。

同じことをしても、なんでも、気の持ち方一つで変わるんだな...と思い、他のことでも、そういったことはないかな?と考えている最中です。

そこで、質問なのですが、皆様が「こういうふうに考えるようになって、自分は変わったな、楽な気持ちになれたな。」というようなことがあったら、教えていただきたいのです。
些細なことでも構いませんので、教えていただければ幸いです。
宜しくお願い致します。

A 回答 (19件中1~10件)

私は会社での事ですが、


仕事をしている時によくイライラしていました。
 
どう考えても自分でやった方が早いコピーやFAX、書類の出しっ放しやコピー用紙の空にしたまま、誰も出ようとしない業者や来客の対応などなど。
『なぜ自分でやらないのか』、『なぜ私が・・・』と。
その時の自分の顔、少々怖い顔でした。
やはり気をつけていても顔にでますね(笑)

でも、思ったのです。
どうせやらなければならない事ならば、イライラするだけ損だという事に。

それならと思い、
『私がする事によってみんなが気持ち良く働いている』と思うことにしましたらイライラもなくなりました。

仕事だけではなく、どんな事も考え方1つで全然違いますね。
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この回答へのお礼

petankoさん、ご回答有難う御座います。
『なぜ自分でやらないのか』、『なぜ私が・・・』と思うことは私にもありますね。
特に今は、仕事や育児以外でも、地区や保育所の役員をやっているので、色んなことで、自分のところにお鉢が回ってくるような気がしています。(^^;)

『私がする事によってみんなが気持ち良く働いている』そういう風に考えるのってとても大切なことですね!
凄く、素敵な考えかただなぁと感じたので、昨日、ご回答を拝見した後、早速、実行してみました。(^^)
実は、昨日、お隣のおばあちゃんが永眠されたので、役員の仕事が急に入って、アセアセしていたのですが、自分から積極的に係わって、お手伝いをしたところ「キビキビ動いてくれて、助かったよ!有難う!」と声をかけられました。
ちょっとした気持ちの切り替えで、こんな言葉が聞けて、自分を認めてもらったようで、嬉しくなりました。

これからも、こういう気持ちで自分と向き合いたいと思います!
大変、参考になりました。ご回答、有難う御座いました。
(2004/6/15 05:57)

お礼日時:2004/06/15 05:58

 こんにちは♪ yasupuuさん。

(^。^)
 私もそうですが、yasupuuさんも性急(せっかち)なのでしょうか(笑)。

 私はさすがに男ですからyasupuuさんのような状況でイライラすることはありませんが、車やバイクを運転していてついイライラしてしまうことがあります(笑)。

 で、そういう時どういうふうにそのイラツキを発散させるかと言えば、気持ちを運転から切り離すんです。すなわち周りの風景を観察する。建物を、看板を、空を、人を・・・ そうすると私の場合は一挙にイラツキが解消され、ウソのように心の霧(?…笑)が晴れていきます。渋滞に巻き込まれても「本」を読んでりゃ少しもイライラしたりしません(笑)。

>家事をしている時も、子供が邪魔をするので、なかなか片付かず、それすらもイライラしてしまったり...。
台所の洗い物とか溜まっているのを見ると、溜息をつきたくなるときもありました。

 主婦の方というのは多かれ少なかれそういう状況の中でストレスを溜めていくもののようですね。ある程度止むを得ない「職業病」なのかもしれませんネ(笑)。

 それを承知の上で敢えて申し上げるのですが、そのすべてを「楽しむ心」を持つのです。
 先ずは「子供が家事を邪魔するのは当たり前だ」と認識を改める(笑)。そして邪魔する子供と楽しくコミュニケーションを取ろうとする心積もりを持つ。思えばそれは子供たちが幼いとき限定の「母子の触れ合い」なんですね。そこに自ら飛び込んでいく気持ちを持つことが何よりも大切だと思うのです。「そこで貴重な時間を奪われる」と思うかもしれませんが、そうすることによって奪い取られる時間がどれほどのものか、一度計算なさってみるとよいかもしれませんね。意外なぐらい少なかったりするものです(笑)。

 「不快だと思う時間は長く感じ、楽しいと思う時間は短く感じる」(by ma-chan)のです(笑)。その意味でもまず「物事すべてを楽しむ心」を持つことです。「イライラ」とする時点で物事はすべて「悪循環」を始めるのです。

 「気の持ち様で自分が変わったと思ったことがあったら教えてください」というご質問ですが、私に言わせるなら「気の持ちようで自分のすべてが変わってしまう」のですね、まさしく。 自分の気持ちを変えるのは「自分の気持ちの持ち方」以外にはないのです。その意味ではyasupuuさんのお友達のアドバイスは実に的を射たものだと思います。(^。^)

>同じことをしても、なんでも、気の持ち方一つで変わるんだな...と思い、他のことでも、そういったことはないかな?と考えている最中です。

 他のことでもすべておんなじです(笑)。繰り返しになりますが、自分の周りで生起するすべてのことを「楽しむ心」を持とうと心がけてみてください。確かに慣れるまでは時間が多少かかってしまうかもしれません。しかしこうした心構えもすべては「慣れ」です。慣れてくるようになると、意識せずとも心が自動的に「楽しむ心」へswitch onとなります。

 しかし、だからと言って「楽しむこと」と「子供をしつけること」とは分けて考えなきゃダメですよ(笑)。子供がすることを受け入れて楽しむことと「子供のしつけ」はまったく別問題です。叱るべきところはしっかり叱る。一緒に楽しむべき時間は大いに楽しむ。このけじめと柔軟な臨機応変さを失えば「しつけ」が崩壊してしまいますからね(笑)。しかしその「しつけ」もイライラする心で行ってはいけません。「イライラ」が子供に伝わって子供を必要以上に不安にしたり神経質な子にしてしまう恐れがあるからです。

 イライラの原因はすべて「心がひとつのことに囚われているところ」から生じます。「執着」から離れてしまえば心は「平安」を取り戻せます。「お母さんのにこやかな表情」は子供の心を育てます。今の子育ての時間はもう二度と戻ってきません。子育てを「しなければならない」という思いから子育てを「させていただいている」という思いに切り替えるなら、気持ちは随分楽になるのではないでしょうか。自分の気持ちを追い詰めて(「しなければならない」の心)の子育ては大変ですからね。それよりも「この子達がいて私がいるんだ」(「させていただいている」の心」)の思いで育児をしていく方がどんなにか楽しいことでしょう。

 「常にリラックス」「心の切り替え」「執着心の解放」・・・ここに「お母さん本来の優しい笑顔」が復活します。まだまだ暫くはお子さんたちに手がかかるでしょうが、二度と来ない貴重な時間。どうか「すべてのこと」「あらゆる時間」を楽しみながら、今のかけがえのない「時間」をお過ごしくださいますよう・・・
 
 それではまた何処かでお会いしましょう。
 (^-^)ノ~~マタネー☆
 
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この回答へのお礼

masatoshi-mさん、ご回答、有難う御座います。
お礼が遅くなって申し訳ありませんでした。
私は自分のことをせっかちだと思ったことはないのですが、人からは、そう言われます。(笑)

車の運転で、イライラすることは私にもありますね。
目の前に教習車がいたりすると「うわー!走るシケインが!!」とか、叫んでいます。(笑)
私は一つのことを集中してやるタイプなので、他所に目を向けるというのがなかなか出来ないのですが、気持ちを切り離すという考え方は面白いと思いました。
(でも、運転中に本を読むのは出来ません。(^^ゞ いくら渋滞でも...(^^;))

「楽しむ心」大切なことで、難しいような...そんな気がします。
家事をしていても、一人で集中してやると、そんなに苦ではないのですが、邪魔されると、もうアウトです。(^^;)
私の場合はmasatoshi-mさんの仰るように「子供が家事を邪魔するのは当たり前だ」と思うことから始めるのがいいのかもしれませんね。
子供が一人の時は、遊びながら、家事をすることも出来たのですが(一緒に洗濯や掃除、洗い物、料理などしていました)二人になった時、自分のリズムが狂ってきてしまったのかもしれません。
「子供とのふれあいを大切にしながら、自分も成長しよう」といったところでしょうか?(^^)

「しつけ」に関しては、「自分なりにそれなりに...」と思っているので、それで、イライラすることはないのですが、そういえば、たまに自分のイライラを撒き散らしてしまう時もあります。
そんな時は後から、反省して子供に謝るのですが。(^^;)
なかなか、行動と感情が上手くかみ合い時は困りますね...。
しかし「させていただいてる」と思うのは私には難しいかも?です。(^^;)
(と思ってしまうのがいけないのか...)
「してあげてる」「しなければ」という気持ちがあるわけではないのですが、「子供と一緒に」というのが自分には一番しっくりくるようです。

ご回答より、アドバイスのほうが多くて、ちょっと、お礼の仕方に迷ってしまって、失礼な文章がありましたら、お許し下さい。
気持ちの切り替えが大切だな、と改めて思えたご回答でした。
大変参考になりました。ご回答、有難う御座いました。
(2004/6/24 04:44)

お礼日時:2004/06/24 04:43

#17です。


いろいろ思い出したので…3こほど。

ある人が、
「いつか幸せになれる、誰かが幸せにしてくれる…という人が いるけれど、
わたしはそうは思わない..

幸せは、ほんと、そこらじゅうに落ちてるのに、拾わない人がなんとも多いのがもったいない.
いくら拾ってもただなんだから、拾った方が得.よ。
しあわせは、あなたの心が感じる以外に 得る方法がない。」と。。。

ううーん、なるほど、でした。
やさしい旦那、かわいい子供、すごく恵まれた境遇なのに、
あれがない、これがない、だれだれがこうしてくれない、、、という悩みが、
尽きることはない人がいるのはなぜ、、、

一方、からだや、境遇が不自由だったり、する人が、
些細なこと、当たり前のことに 目を輝かせてることもある、
なぜ…と おもってたんです.そのなぞが解けました.

もうひとつは、、、
「選択権.」という概念です.
自分が選べる部分は、いくらでも改善できるけど、
自分に選択権がない範囲では、悩む必要がない、ということ.

子育てでも、選択、というのは便利で、「牛乳と、水とどっちがいい?」と
親が聞いた場合に、
子供が、どっちもいや、アイス欲しい、といっても、泣いても、駄々こねても、ダメなんです.
子供が選べるのは 親が提示した二つのうち ひとつだから、
あなたにその選択権はない.ときっぱり断ります.

障害や病気も、自分で すきでそうなるわけではないので、
そこを差別したりはおかしいし、「普通だったらよかった.」という悩みは、
もう、選べない部分でのことなので、悩んでも、良くならない以上、悩む必要なし、と思います.

大人でも、上司が(義家族が、、、両親が、、、子供が、、、etc)OOでむかつく.
という悩みがあるのを見ることがありますが、
上司の人となりや態度まで、自分が手を出せる領域ではない(自分に、選択できない部分.)、の一言で終わるなあ。。。と。だいぶ悩みが減りました.

三つ目は…
手は二つ、と言う言葉です.
ある人が お子さん二人お持ちなんだけど、
すごく子供ずきで、うちのこまで かわいがってくれたので、
もう一人産まないの?たくさんいたほうが楽しいと思わない?
と聞いたときの返事です.
私には、手が二つで、すでに二人の子供がいるから、いいの.
といわれました.

ちょっとうまくいえないんですが、仕事も、家事も、子供も、旦那も、友達も、。。。
全部大事なんだけど、大事なものが おおければ多いほうが幸せ、とも限らなくて、

自分の力におおじた数の、もってるものを大事にするのって、
たくさん のものを得るよか 大事だな、と思った言葉でした.

特に自分は、要領もよくないし、体力もあるほうじゃないし、
あれもこれも欲しい、で 結局もちきれずに おぼれるんじゃなく、
二本の手で持てるだけの物を大事に…とおもうのでした。

たいりょく、あふれる愛情、気力があれば、、その人は たくさんもてばいいと思うし…

二度にわたって、おじゃましました.
ご質問のおかげで、いちにち、いろんな人や言葉を思い出せ、たのしかったです。
ほかのご回答にも、はっとしたり、ほほえましく思ったり、うなづいたり…

皆様のお幸せをお祈りしつつ.
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この回答へのお礼

96148さん、ご丁寧なご回答を2度も有難う御座います。
お礼が遅くなって申し訳ありませんでした。

「どーせ死ぬんだから...」と思ったことは私にもあります。
10代の頃は私もそんなことを考えていました。
でも、生きていくのも限りある時間の中でのことなのですよね。
「何でも味わい尽くしたい」というのは、言われてみれば、その通りで...。(^-^)
知らないことが沢山あるのも、もったいない気がしますね。

「頭の中は自由」というのは北朝鮮の脱北者がテレビの中で言っていた言葉を思い出しました。
自分の行動が思い通りに行かず、制限があったとしても、考えること、思うことまでは制限されませんね。
その考えをいい方向に回していければいいのですね。

> いつか幸せになれる、誰かが幸せにしてくれる…

こんな他力本願の考えにはなりたくないですね。(^^;)
「自分で幸せを拾う」というのは、確かにその通りだと思います。
たまに、子供が自分では思いつかないようなことを言う時があります。
そんな時、ハッとして、自分の視野の狭さに気が付くときがあります。
もっと、自分の目で色々な幸せを探して見つけるのも大事なことですね。

「選択権」というのは、面白い考え方だな、と思いました。
確かに、他の選択肢がない場合は他のことを考えても仕方ないですよね。

「手は二つ」これは自分もよく言います。(^^)
うちの子供は二人なのですが、二人とも手を繋がないと、寝れない子達なので、いつも両手を繋いで寝ています。
そんな時「ああ、私の手は2本あって良かった。」とよく思います。
自分の器を感じる言葉ですね。
その器に合わせた幸せを感じることが大切ですね。

私も他の方のご回答を拝見させていただいて、笑ったり、うなったり、頷いたり、楽しい時間を過ごしております。
時には「人の意見を聞き入れる耳」というのも、大切なことなのでしょうね。

大変参考になりました。
沢山綴って下さって、有難う御座いました。
(2004/6/24 04:18)

お礼日時:2004/06/24 04:18

どーせ死ぬんだから、何をしてもむなしい.


いつか死ぬんなら、早く死んだ方がまし.
と わたしは思っていたのですが、

どうせ 死んでなくなっちゃうんだから、ということは、
折角生まれてきて 一回きりなんだから、嫌なこと、いいこと、何でも味わい尽くしたい.
まだまだ、自分がしらないことがあって、しらないまましぬのはおしい.

という人がいて、
へえっ、そうかなあ。すごい無理してんじゃないの?と思って、その人にくっついてたら、
すごく楽だった…

あと、別の人で、
頭の中だけは、自分の自由なんだよ.
といった人がいて、
それ以来、人に仕切られたり、ペースが乱されても、
はっきり断ったり、してもいいんだなーとおもうようになりました.
嫌な言葉をもらっても、それで自分の頭まで支配されなくて忘れちゃぉ、とか.

人の言葉って、自分では思いつかないことを言うので面白い…
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こんにちは!



#15さんの回答に、共感しました・・(^^)
私もそういう考えになりつつあります。歳のせい?!(笑)
さて、私の回答ですが・・・
「自分を好きになる」ことです。

おっしゃる通り、これがなかなか難しいんですけどね。
(お礼、拝見しました)

うぬぼれてみるんです。
例えば、料理して、それが美味しかったとき、私は
「こんなにおいしい料理が作れる私は天才!」と、つくづく思うのですが(笑)
そう考えたら、さらに料理が楽しくなります。

質問者さんだったら
「仕事と家事と育児で忙しいのに、ダンナにも
優しくしてあげられる私って、何てステキな女性(はーと)」とか、

「仕事も育児もこなす忙しい私って、なんてカッコいいんだろう!」
って思ってみてはいかが?
(実際にカッコいいと思います、そういう女性)
それだけで、取り組み方が違ってきそうです。

私もどちらかというと、自己評価の低い人間で
自分のことが好きじゃない時期もありました。
実は、この「うぬぼれ作戦」のヒントをくれたのは、恋人でした。
彼を見ていると「なんて傲慢で思いあがったヤツだろう」と
笑えてしまうくらいなんですが、そのくらい、自分が好きだと
ラクだろうな~と思ったんです。

実際に自分に自信がある人って、すごく魅力的ですよね。
いいところのない人っていないんだから
それに自分で気づいてあげるかどうかだと思うんです。

「あはは!それってバカみたいじゃない~」って思われます・・?
・・・ならば私の恋人のように、他人には謙遜ばかりで
決して知られずに、一人でうぬぼれるという方法もあります。
黙っていれば、分かりません(笑)
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この回答へのお礼

kyo-syaさん、こんにちは。ご回答、有難う御座います。
『自分を好きになる』うわ~(>_<) これは私にとって難しいです。(^^;)
「自分が必要とされている」「自分を好いてくれる人がいる」というのが、私を私でいさせてくれる大きな自信に繋がらせてくれているのですが、「自身を好きになる」というのは、大切なことで、難しいことですね。

料理にしても、子供から「かあかあ(お母さん)のごはん、美味しい!」と言われると、物凄く嬉しくて、また作ろう!と思うのですが、そこから、さらにステップアップして「おほほ♪そーだろ、そーだろ♪かーちゃんの料理が一番だろ~!」と自信を持てれば、自分が好きになれるのかもしれませんね。

子供を保育所に通わせているせいか、周りが働くお母さん達ばかりなので、これが普通だと思っていましたが、そうやって頑張っている自分を認めてあげることも大切ですね。

kyo-syaさんの彼氏さんは、自信家なのですね。(^^)
そういえば、うちの主人もそうです...。(^^ゞ
傍から見てると、笑っちゃうくらい自信過剰なのですが、そういう身近な人をお手本にするといいかもしれませんね。
確かに、自信に溢れている主人はとても魅力的に映ります。

> 一人でうぬぼれるという方法もあります。
> 黙っていれば、分かりません(笑)

あははははは!!!爆笑してしまいました!
そうですね、まずは、そこからはじめてみたいと思えました。
kyo-syaさんのように、自分改革が出来るといいのですけど...。(^^)
大変参考になりました。ご回答、有難う御座いました。
(2004/6/20 06:55)

お礼日時:2004/06/20 06:54

ご近所のお手伝い、片づきましたでしょうか。

ご高齢とはいえ、親しかった方との別れは、やはり寂しいし、とても気の毒ですよね。
お察し致します。

さて、私の「気の持ち様で自分が変わったと思ったこと」ですが。
とても大ざっぱな表現で恐縮なのですが、”人に優しく、自分にも甘く”でいいじゃないかと思うようになったことです。

ずっと永い間、”人に優しく、自分に厳しく”と言い聞かせてきました(どの程度実践されていたかは疑問ですが・・^_^;)。
でも、ある年代を境に、気持ちの持ち方が変わって来たんです。
嫌な事を回避するということではないんです。明日出来ることであれば、何も今日しなくてもいいじゃない。
他の人に手伝ってもらってもいいじゃない。できる範囲で贅沢しても、楽してもいいじゃない・・・というように。

質問者さんのお友だちの言葉、>「全部やろうとすると、・・・負担に感じるでしょ」に通ずるものがあるのかもしれません。

たぶん、年齢がこんな気持ちに変えたのでしょうが、ずいぶん肩の荷が軽くなった気がします。
#2さんではないですが、自分がハッピーでないと、人には(心から優しくは)できないのかもしれませんね。

なお、私などへのコメントは気にしないで下さい。いつだって結構ですし、ほんの短くたっていいですよ~。
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この回答へのお礼

itabさん、ご回答、有難う御座います。
ご心配いただき、有難う御座います。
近所の手伝いは終わりました。(^^) こっちのほうは、もう大丈夫ですよ。

『人に優しく、自分にも甘く』
あはは♪と思わず、声を出して、笑ってしまいました。
時間や心にゆとりがないときほど、自分には厳しくしないと!と思っていたのですが、そんなふうに思えるようになれば、少し余裕を持って、自分と向き合えそうですね!
私、『今できることは今やろう!後でやろうと思うな!!』と書いて壁に貼ってあるのですが、それを消して書き直したくなりました。(笑)
確かに、自分で出来ることは限られているのに全部をやろうとすると、負担もかかりますよね。
そういう気持ちを持っていると、自然と心も穏やかになって体も動いてきそうです。(^-^)

> なお、私などへのコメントは気にしないで下さい。
> いつだって結構ですし、ほんの短くたっていいですよ~。

お気遣い有難う御座います。
でも、せっかく書いて下さったご回答を無下にするのは、私のポリシーに反しますので、普段通りに返答させていただきました。(^^ゞ

大変参考になりました。ご回答、有難う御座いました。
(2004/6/20 06:29)

お礼日時:2004/06/20 06:29

こんにちは。




いまこの瞬間を生きる人・生き物は、
みんな、いろんなことを行って、いろんなことに遇いながら、
それぞれの因果を経て、自身を愛しながら、
いまをきちんと生きることができているのではないかなとおもいます。
自分は、自分の因果を経て、いま存在している自分自身って、愛しいです。


人間は、想像力・理解力をとても複雑にもっているから、
ふとした流れのときに、心に負荷(イライラや怒り)がかかるときには、
「いまはその方向性の考え方や分量しか持ち合わしていないんだな」と、
おだやかに、落ち着いて、自分を愛してみると、
心の中に、いろんな容量が増えてきて、
いま現実に見えるものは、負荷がかかっているときとはかわって、新鮮に見えるし、
自分が必要として、必要としてくれる周囲のひととのコミュニケーションも
相乗的に充実できるとおもいます。
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この回答へのお礼

domaine-espoirさん、ご回答、有難う御座います。
お礼が遅くなって、申し訳ありませんでした。

えぇっと、ちょっと私の頭が悪いのか、理解に苦しんだ点があるので、失礼なお礼になってしまったら、お許し下さい。
つまりこういうことでしょうか?
「今をきちんと生きている自分を愛しく思う」「心穏やかに自分を愛する」という考えを持ったことが、domaine-espoirさんにとって、自分が変われたということでしょうか?

私の今の一番の悩みというのは、他者との関係ではなく、「やらなければいけないことが片付かない」ということなので、どうもそっちのほうに、負荷がかかっているような気がしています。
その中で精一杯やろうとするのに、上手くいかないので、イライラするのですよね...。
でも、それでも、自分では一生懸命やっているわけだし、全部が片付かなくても、一生懸命やっている自分を認めてあげれば、「自分を愛しい」と思えるのかもしれませんね。

私は自己評価がとても低いので「自分を認める」というのが大切なのかも?と思えるようなご回答でした。
参考にさせていただきます。ご回答、有難う御座いました。
(2004/6/20 06:13)

お礼日時:2004/06/20 06:13

#5です。


度々すみません。

yasupuuさんは偉いなあ・・・・と思いました。
人から言われた意見を受け入れ、すぐ実行出来るなんて。
人の意見ってなかなか受け入れられなかったりしますよね。

『ありがとう』という言葉、すごいですよね。
たった一言で嬉しい気持ちになってしまいますよね。

以前私も、その事に気づき、『ありがとう』を心がけました。今では自然に言えるようになりました。
相手を決して喜ばせる為ではなく、私を思ってしてくれた事への感謝を込めて。

きっと、夫婦、恋人、友人、親子、どんな関係にも必要な事なのだと思います。
やってくれるのが当たり前と思わないように。
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この回答へのお礼

petankoさん、再度のご回答、有難う御座います。
お礼が遅くなって、申し訳ありませんでした。

私は残念ながら、人の意見をすぐに受け入れられるような出来た人間ではないので(^^;)petankoさんに「偉い」なんて仰っていただけて、しどろもどろしている自分がいるのですが、とりあえずは「何でもやってみよう!」タイプの人間なのかもしれません。
今までのご回答を拝見させていただいて、「いつもこう思って動けたら」と無理矢理言い聞かせながら、動いていた部分もありました。
最初から、すんなりと受け入れられればいいのですが。(^^;)
ただ、やっぱり、嫌々動いている自分とは違った面白い感情の変化があり、このまま続けていけて、いつか自分改革が出来ればいいな、とのんびりした気分で動いています。

「ありがとう」の言葉の威力は本当に凄いもので...。
次に何かをする時のパワーになりますね!
この間、PCの回りが汚れていたので、ピカピカに磨いておいたら、久々に帰ってきた主人が驚いて「綺麗にしてくれて、有難う!」と言葉をかけてくれました。
私も「毎日、お仕事ご苦労様、いつも感謝してるよ。」と言ったら、主人は照れくさそうに頷いただけでしたが、こういう言葉の掛け合いが、大切なことなのですよね。

「やってくれるのが当たり前と思わない」ということを改めて実感したような気分です。
この気持ちを持ち続けて、自分も周りの人たちも大切にしていきたいです。
2度もご回答を有難う御座いました。
(2004/6/19 00:05)

お礼日時:2004/06/19 00:06

ちょっと違いますが



いじめられたとき。
自殺し同級生の事思うと。
自分は大したこといわれてない!行け!と言う気分になり
なんでもできました・・・・
もちろん恐ろしき報復も

するとお門違いかもしれませんが強くなったような気がします。
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この回答へのお礼

nini86さん、ご回答、有難う御座います。
お礼が遅くなって、申し訳ありませんでした。

私もいじめられた経験がありますので、なんとなくわかりますよ。
「自分が死んでも、周りは喜ぶだけかも。」
なんてことを考えると、「死ぬ気でやれば、なんだって出来る」と思いますね。
今の私には「死ぬ気のやる気」が欠けていたのかも...。

そんな気持ちで、いつも自分を奮い立たせれば、強くなれるような気がしますね。
ちょっと、びっくりなご回答でしたが、昔を思い出して、なんだか勇気が出てきたような気分です。
(報復はちょっと、怖いかも?ですが(^^;))
参考になりました。ご回答、有難う御座いました。
(2004/6/18 23:53)

お礼日時:2004/06/18 23:53

こんにちは。



自分は、なにかちょっと嫌なことがあると、
戦争のことを考えます。

たとえば、広島の原爆で命を奪われた人、
最愛の人と別れて、特攻隊で逝った人、
防空壕の中で、おびえる親子、など。

そんな断片をふっと想像すると、
自分の今の悩みや、問題なんて些細な
平和な上でのささいないざこざに思えます。

あるいは、宇宙にいったライカ犬のことを
思ったりもします。

あと、ここ数年は、地下鉄サリン事件で
人生を狂わされてしまった、奪われてしまった
多くの人々のことを、考えたりもします。

生きている時間っておもったよりも
短くて貴重な、愛しいものだと思うので
自分をきちんと、愛して、できれば、数少ない自分の
友達や、かけがえの無い人達を
もっと知って、お互いに理解しあって、
高めあえたらいいなと、おもいます。

わりと、こういう風に考え出してからは、
怒りの感情ってなくなりました。

大事なのは、そっち(負、悪、汚、非)
じゃなくって、こっち(プラス、真摯、
クリーン、存在するということ)なんだなって。

参考URL:http://irukaweb.com/nonkees/sputnik-dog.htm
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この回答へのお礼

tipsさん、ご回答、有難う御座います。
お礼が遅くなって、申し訳ありませんでした。

戦争のことや、ライカ犬、サリン事件のことを思うと胸が痛みますね。
今の自分は、そういう状況に思いをめぐらす、余裕もなかったんだな~と改めて思い返しています。

> 生きている時間っておもったよりも
> 短くて貴重な、愛しいものだと思うので

確かにその通りなのかもしれませんね。
仕事や育児に追われて、あっという間に一日が過ぎ去ってしまうように感じる今日この頃ですが、子供の成長もあっという間だし、時間をもっと大切にしていきたいですね。
私は自分自身のことは、あまり好きではないほうなので、「自分を愛する」ということに凄く抵抗があるのですが(^^;)その根本的部分から考え直さないと、他の人のことまで考える余裕も生まれてこないというものですね。

マイナスのことを考える前に、まずプラスのことを考える。
とても大切なことですね。
なるべくそのように、考えられるよう、自分をプラス思考の人間にしていきたいです。
大変、参考になりました。ご回答、有難う御座いました。
(2004/6/18 23:47)

お礼日時:2004/06/18 23:47

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