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周囲で、まだ若いのに病気などで
亡くなってしまう方を何人か見ていて、そして
ついに父も夏に末期がんが分かり
先が短いと言われ、やっと退職して
孫(私の息子)も生まれてこれからゆっくりと
いうところになぜ、という無念さで
一杯です。
自分のことを振り返り、いつ死んでしまうか
分からないのに、ダイエットのために
甘いものや美味しいものを我慢する時が
あったり欲しいものも何のためか分からない
貯金のために我慢してみたりというような
日常よくあるささいなことがばからしく
なって来ました。
4、50歳で癌などにかかって死んでしまうなら
あと何年生きられるのだろうと思うと
日常生活で色々な事を我慢したりするのが
もったいなく体型など気にせず美味しいもの
を好きなだけ食べようとかお金は今使って
欲しいものを買って楽しもうとか
そんな気持ちになってきています。
こういう考えはやはり自暴自棄の範疇
になってしまうのでしょうか。
こんな考えどう思われますか。

A 回答 (12件中1~10件)

こんにちは。

二児を持つ主婦です。

自暴自棄とは思いません。
やりたいことは”やれる範囲で”やる分にはいいじゃないですか。
私も我慢はしてませんよ。
食べたいものがあったらお金とそれを買いに行く時間が許せば買います。
ただ、自分でそれが『贅沢』と思ったらやりません。
我慢というより考えを改めます。
年間計画をたてて必要なお金は月換算して毎月積み立てています。計画性のない貯金は今は余裕がないのでしたくても出来ませんf(^^;)
ホントに”できる範囲””わかってる範囲”でやってます。
ある本を読んで「必要なお金はちゃんと残るようになってる」と聞いて、実際そうだと実感することがあるので金銭的なことでは将来の心配はしてません。

一昨年父の13回忌を行いました。私が結婚する前に末期がんで亡くなりました。私は現在二児の母となってます。一人娘である私の花嫁姿も見れず孫の顔も見れませんでした。兄は未婚です。子どもたちを連れて実家に帰るたび「父が生きていたら可愛がってくれたろうな~」って思います。時々子どもたちの後ろに父がいるような気がしています。
chieriusさんのお父さんは可愛い娘(貴方)の花嫁姿を見れて孫の誕生も見届けられたんじゃないですか。
会社もおそらく定年を迎えて退職されたんですよね。
お父さんの人生は充実していたんだと思います。
お父さん自身も”やるべきことはやった”と思ってますよ。
ただこの先はこの世に残る家族への心配です。
貴方がこの先充実した人生を送ることがお父さんへの孝行だと思いますよ。
お互い家族を悲しませない程度に人生を楽しみましょうよ。

なんだか質問の趣旨に沿ってないかな?
役に立てなかったらごめんなさい。
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この回答へのお礼

>お父さん自身も”やるべきことはやった”と思ってま すよ。
 
そうでしょうか、そうだといいのですが。そして
私自身もそう思いながら最期を迎えられたら
いいなと思います。
子供を産んでからこれで望むことはないと
思うことも時々ありますが、やっぱり
自分自身のいろんな欲が出るときも多々あります。
ご回答有難うございました。

お礼日時:2004/12/24 09:47

#8です。

お節介ですが補足させてください。

>もし将来私が同じく癌になり息子たちが今の私のように
悲しんだとしても「私がいなくても立派に元気に
生きなさい」と思うと思います。

私もそう思うと思います。
でも、その前に
『母親がいなくても立派に元気に生きていく術』
を子どもが身につけている必要があります。

そのために私たち保護者がいるんじゃないでしょうか。
貴方のこれからすべきこと、見えてきませんか?

余計なことかもしれませんが、参考にしていただければ幸いです
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質問者様は、お父上の末期癌の宣告で動揺されているのですね。

御自分にも幼いお子様がいるのでしょ。同じ思いをさせてもかまわないのですか?
 私は、うつ病です、そして、糖尿病です。
いつも心の中に自殺願望をかかえて生活しています。そして、糖尿病のため食べたいものも制限された食餌療法を続けています。恐ろしい合併症にならないように延命の努力です。矛盾だらけです。
 でも、我慢すれば鋳きられるのに、両親より息子達より妻より先に死ぬ事は、我慢する事より辛い事のように思えます。
 立場を変えて考えれば、自暴自棄になることの空しさを実感できるのではないでしょうか
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この回答へのお礼

すみません、質問の書き方が悪かったみたいです。
体を壊すほど食べようとしているわけではありません。
日常で、例えばこっちのチョコケーキのほうが
美味しそうだけどこっちのシュークリームのほうが
カロリーが半分だからこっち食べよう、とか
そういう我慢のことです。
父のことはとても悲しいです、でも決して
暴飲暴食をした結果の病気ではないので
もし将来私が同じく癌になり息子たちが今の私のように
悲しんだとしても「私がいなくても立派に元気に
生きなさい」と思うと思います。
私も父が心配しないように適度な自己管理と
今の楽しみのバランスを取りながら生活したいと
皆様からのご回答を読んで思いました。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/24 18:08

私も我慢大嫌いです。


おいしいもの食べるの大好きです。
欲しいもの我慢しません。

でもどうやったら快適に過ごせるかはない頭ふりしぼって一生懸命考えます。
我慢はなるべくしないように努力?工夫かな・・・してます。自分にとって何が快適か、より快適に楽しくいられるように試行錯誤しているところ。

それで癌になったら、残りの人生どうやって美味しく生きるか考えるのかなー。なってみないとわかんないですね。
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この回答へのお礼

一番自分が快適な方法を考えれば
いいのですよね、
将来や今の安心と「たった今」の
楽しみと計りにかけながら..
ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/24 09:39

いつ死ぬか分からないからこそ、好きに思うとうりに生きるのです。


例えばダイエットの為に我慢するのは、健康じゃなければ自分の好きなように生きられないからするので、それは無駄な我慢じゃない。
お金が無いと好きに生きられなくなるので貯金をする。
自分が気持ちよく自由自在に生きる為にする事は、それを我慢とは言わないと思います。
確かにどうせ死ぬのだから、生まれる必要ないのかもしれないけど、生まれちゃったから生きるしかない。
この世でいろんな体験をする。
で、その都度考える。考えながら生きていく。
たぶん食べたいだけ食べて肥満になり、病気になり、
金使いたいだけ使って、無くなったらサラ金借りたり、人殺してまでも金を欲しがる人生って想像しただけで破滅です。
そんな人生嫌だから自分をコントロールするのです。
母が破滅したら子供が不幸になるしね。
私もいつも思いますよ。
いくら食べても太らない人。ほんと羨ましい~
使っても使ってもお金ある人。
でも一番大切なのは、無駄な我慢をしないで自由に自分を表現して、死ぬ時に「私の人生内容たっぷりだったなあ」っていきたいですね。
あなたは今新しい生命(息子さん)をこの世に出現させたのですよね。
凄い事ですよ。
それに人間の原点からこれからずーと見れるんですもの。偉大な事です。
小さな子供が笑っただけで皆を幸せにしてくれるんですから、生命って凄いんです。
たぶん子供の健康第一に考えると思うのです。
いくら子供がチョコレート好きだからとしても、与えるだけ与えるなんてしないはずだし、母も子の為にも健康でいようと思うものです。
たぶん私達人間は、生きている間は幸せになる為に本能的に、そっち方向に動く知恵を持っているのかもしれませんねえ。
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この回答へのお礼

>無駄な我慢をしないで自由に自分を表現して、死ぬ時 に「私の人生内容たっぷりだったなあ」

すごく理想的な生き方です、そういう風に
生きたいです!
確かに息子二人授かってもう望むものはなしと
思うことは時々ありますが...
ご回答有難うございました。

お礼日時:2004/12/24 09:43

>こういう考えはやはり自暴自棄の範疇


>こんな考えどう思われますか。

ワタシ個人としてはよろしいんじゃないかと思いますよ。
自暴自棄に走ると言うのも。

所詮、人は生まれたときから、「死ぬ」ことだけは確定しているんです。
ソレをいつとは本人は知らないだけ。

しかし、明日か、3年後か、30年後かは判らない。
ソレを、知ったところでどうですか?

よく「死者の怨念が・・」とか言って、tvの番組で盛り上げていますよね。
あれ、死体のない地面はドコにもない。
それなら、ドコでもたたるのです。
番組としたら、面白いのでしょう。

今、生きてる。
ソレだけが一番確かなこと。
明日のこと、3年後のこと、30年後のこと、何も100%確定したことはありません。

交通事故死数も年間3万人だそうです。(コレだって、確か24時間以内での数です)

数の上では、「予定」されているんです。
だって、来年から車が全廃されるわけでも、
全国の道路状況が激変するわけでも、過労のドライバーの
雇用条件が格段に良くなるわけでもない。

「3万本」のはずれくじ、来年は誰が引くのでしょうか?

自暴自棄になるなら、ソレも自分の人生です。
足元には
大昔からの先輩方の「死体」が沢山埋まってるし、
どちらにしても100年後は、あなたも「死人」の
仲間入りでしょう。
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この回答へのお礼

今生きていること、それが一番確かなこと。
100年後は私も死んでいる。
どちらも読んでなんだか少し安心する
言葉でした。
いつ死ぬか分からないから迷って
悩みながら生きていくのでしょうね。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/24 09:36

こんにちは。



後先の心配と今現在の欲望のバランスのとり方は人それぞれの自由です。各自がそれを決める権利を持ちつつ、当然ながら何がどうなっても自分で責任を負う義務があります。権利と義務のセットです。

自暴自棄の判断基準は人によって違います。ほかの誰かから見れば、今の貴方の考えは自暴自棄に相当すると判断されるかもしれませんが、別の誰かから見れば、とても慎重で後先のことを考えすぎているように映るかもしれません。

私個人が持つ基準では、今の貴方は自暴自棄とは違うと思います。貴方のお考えは、後先のことを考慮しない代わりに今を楽しもうと言う考え方です。自暴自棄とは、後先のことだけでなく、今現在のことについても何も考えずに行動することだと私は考えています。

とはいっても、私の場合は少しは後先のことを考えています。食事にも多少の気は使いますし、貯金もしていますし保険にも加入しています。後のことを考えておかなければ、成人病にもなるでしょうし、生活資金が底をついて途方に暮れることにもなるでしょう。親や配偶者、子供の生活を支えることが出来ずに情けない思いもするでしょう。

ただし、常に健康第一で美味しいものを全く食べなかったり、遊びや付き合いでの出費を完全にゼロにして貯金ばかりしていては、息が詰まります。たまには記憶が無くなるまで飲むこともありますし、貯金をはたいて遊びまわったりもします。

大切なのはバランスです。
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この回答へのお礼

やっぱりバランスなんですよね。
そのバランスのとり方が
難しいです。
早死にしたらもったいないと
今だけ考えて生きていたら
長生きした時後悔することも
分かりますし、でも時には二人の子を
授かったことでもう欲しいものは
ないなと満足した気になったり
...難しいですね。

お礼日時:2004/12/24 09:33

 森鴎外も死ぬ時「バカバカシイ」と言ったというのを読んだ記憶がありますが、おそらく人が生きているということはばかばかしいことなのかもしれません。

しかしはじめからばかばかしいといっていたのでは何もはじまりませんから、一応生きていることをばかばかしいことではないということを前提にしましょうというのが暗黙の社会的了解なのではないでしょうか。おそらくこの前提には何も根拠はないと思います。だから誰かがばかばかしいと思ったらそれはそれでもっともなことなのではないでしょうか?誰も反対する根拠をもっていないはずです。根拠はないが自分はこれを大切にしたいというのがそれこそ大切なことなのではないでしょうか。これが自由の本当の意味ということだと思います。そしてこれは自暴自棄とは正反対の状態であることも想像できるように思います。的外れな考えかもしれませんが参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
生きていることがばかばかしいと言うより
やりたいことしたいこと、例えば
海外で旅行してみたいところが一杯あるから
今それを我慢して貯金するより毎年毎年いろんなところに行って楽しみたいとか、病気になったら
あまりものも食べられなくなるから
今ちょっと体型が崩れてもおいしそうな
ケーキ食べたいなというような感じです。

お礼日時:2004/12/24 09:27

>>甘いものや美味しいものを我慢する時が


  あったり欲しいものも何のためか分からない
  貯金のために我慢してみたりというような
  日常よくあるささいなことがばからしくなって来ました。

これは、確かに、馬鹿らしいと思います。

なんでかというと「欲」に躍らされているに過ぎないからです。
愛欲や、憎悪と言った好き嫌い、分別を「患い(わずらい)の心=煩悩」と言います。

良い人生の為に我慢しているつもりでも、
実は、ただ煩悩に躍らされているだけなんです。
妄想に執着しているだけなんです。


本当の幸福というのは、この煩悩に踊らされない安定した平穏な心<平常心>を養うことなんです。

仏教で「涅槃」というのは、本来、あの世のことでは無く、このやすらぎの心を獲得する為の実践を言います。平常心を獲得する為の実践行為が「涅槃」なんです。

平常心があれば、妄想に躍らされることもないですし、流行の商品に執着することも無くなりますし、外見に執着することも、貧富の差に劣等感を感じることも無くなりますし、老化に怯えることも、果ては生命に対する執着も無くなってしまうんです。(感情が無くなるわけではありません)


そうすると本当に心が穏やかになって、平穏になって、物事を正しく見聞き出来て、気持ち良く楽しく過ごせるんです。 たとえ一文無しでも、病床にあっても、心は平穏無事で、何物をも恐れることのない境地になれるというのが、本来の仏教なんです。
(本来の仏教は、詐欺師や、葬式屋では無いんです)


http://security.okweb.jp/kotaeru.php3?q=1130493
こちらの5と、そのリンク先の瞑想法をやってみてください。

ヴィパッサナー瞑想とも四念住、四念処とも、マインド・フルネスとも言われていて、坐禅の原型に当たる2500年以上に渡って伝わるお釈迦さまの心を育てる瞑想法です。

好き嫌いの判断、扁桃体の興奮を監視するつもりでやってみてください。
http://www.ktv.co.jp/ARUARU/search/arukeiutu/kei …
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
煩悩に惑わされず安らぎを
得ることに満足できたら
とても幸せだと思います、
綺麗なものを見て心が躍り
外見も綺麗にしようと
化粧などをして楽しんだりすることも
今私にはとっても楽しいことです。
でも余命いくらも残されていない
状況ではそんなことにはもう
執着もないしどうでもいい、
それこそ心の安らぎが
一番必要なものだと思います。
だから欲に惑わされて楽しむことも
生きている証といってはやはり
おかしいでしょうか?
とんちんかんな考えでしたら
すみません。
有難うございました。

お礼日時:2004/12/24 09:18

最近暴食がたたって成人病気味になっている者です。



(楽しみの範囲の)ある程度の美食や浪費はかまわないと思いますが、何事も行き過ぎるのは良くありません。

例えば糖尿病などは、合併症として視力の低下(悪くすれば失明)、手足の末梢部分の麻痺などもあるようですので、辛い死に方をしたくないのであれば、つつましく生きるのがオススメです。

健康で生きられるのは何よりも幸せだという事に、まだ気づかれていないのだと思います。
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この回答へのお礼

健康に生きられれば何よりも幸せだということ、
父が病気になる前には全く気づかなかったこと
です。糖尿病になるまで食べようと思いません、
ただ今は服などを綺麗に着ておしゃれして
出かけたりそんなことのために
ダイエットしたりするのに夢中でした、が
やっぱり健康で生きていられてこその
人生、でも生きているからこそ楽しみたい
そのバランスが分からなくて..
ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/24 09:09

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