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私の両親は10年前に離婚し、父親は去年亡くなりました。

両親の性格は細かくは述べませんが、どちらとも人として大きな欠陥がありました。
嫌いになるとかの次元ではなく、こんな人のDNAが自分の中に入っていると思うだけで
嫌悪するぐらいひどい人間です。割れ鍋に綴じ蓋という言葉がありますが、
やはり夫婦は同じような人間性同士がくっつくんだと実感しました。

母とは絶縁とはいかないまでも、連絡をとらなければならない用事がなければ絶対に連絡しません。

父親が亡くなった時は全く悲しみはありませんでした。むしろホッとしました。
絶対に介護などしたくなかったからです。

母に関しても死んで欲しいとは思いません。しかし亡くなっても父親同様悲しみはないでしょう。

同じように両親のどちらかが亡くなって悲しいといった感情がなかった方いますか?

A 回答 (8件)

別にあなたが両親の事をどう思おうと、あなたの自由だし、


それに共感する人を募ろうというあなたの考えが良くわかりません。

まったく両親を知らない天涯孤独の人も世間には大勢いることだし、
既に他界してたら、誰も何とも思わないでしょう。

それでもなお、あなたがこうした質問を掲げるのは、
あなた自身、結局、両親が死んでさみしいと素直に自分の気持ちを認められない
自分がいるからなんじゃないでしょうか?

さみしかったら、さみしい
辛かったら、辛い、
父親が憎かった、でも、やっぱり死なれてみると、案外、ぽっかり心に穴が開くもんだと
感じたっていいんじゃないでしょうか?

まぁ、何を、どう思うと、あなたの心の中のことであって、
誰も何もあなたを非難も、批評もしませんが?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。さみしい、悲しいといった感情は全くありません。両親の性格が遺伝しているのかどうかの自分自身の疑問から質問しました。親の死を悲しまないという事が公序良俗に反するものなのかを問いかけたまでです。もし反しているのであれば私自身の性格の欠落でしょうし、反することではないのであれば自分の気持ちに素直に生きるだけです。ただ反しているからといって無理に感情を変える気持ちも全くありませんが。

お礼日時:2015/07/16 23:03

両親の離婚状態が長かった為に、最後は自宅に引き取り、介護をしました。


老人ホームから緊急で、入院しましたが病院で1週間後の朝早く亡くなりましたが、前日に遅くまで視ていました。
特に寂しい事は無いですが、仏祀りはきっちりとしています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。父の葬儀、初盆、法事等はきちんとおこなっていますので、あとはそこに気持ちが入っていないというだけです。私には到底介護はできなかったと思います。母の時も介護がないよう祈りたいです。

お礼日時:2015/07/17 08:36

一般的な両親の元で育った人には到底理解できないですから、わざわざ人に言わないだけで、そんな方も割といらっしゃいますよ、わたくしの周りには。

腐れ親なんて、いくらでも居ますからね。

あいつらのDNAを引いていると思うとぞっとするんだと、一生結婚しない・もししたとしても子どもなんか作らない・と誓っている人も多く知っています。

それを、良いの悪いのと申すつもりはありません。それほどイヤな思いをされたのだろうと思いますし。

ただ、それを悲観的にならず、いじけたりせず、ささやかでも自分の幸せを追い求め、日々をハッピーに暮らして欲しいと、いつも願っています。人は誰でも幸せになる権利があるのですから。

DNAに打ち勝つことは無理かもしれません。でも『トンビが鷹を産む』ことだってありますからね。『カエルの子はカエル』ばかりとは限りません。『どうせ自分は』と自分を否定せずに、『あんなDNAだけど、絶対ああはならないぞ』とそっちにエネルギーを燃やして頂きたいと思います。

それから、これは余談です。親のDNAがイヤだと思うアナタは誰に似たのか。隔世遺伝かもしれませんよ…。親子より隔世遺伝の方が強い…?と思う今日この頃です。Aタイプ世代→Bタイプ世代→Aタイプ世代。AとBの人間のタイプがかけ離れていると、それぞれの親子関係は苦労するように最近思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。小さなころから両親を反面教師にして育ってきました。自分なりに善悪の判断を決めて、正しく育ってきたと思っています。兄が一人いるのですが、完全に両親のハイブリッドとして育ちました。私は決してああならないと自分に言い聞かせています。この先も強い信念でDNAに抗い続けたいと思います。

お礼日時:2015/07/17 08:34

自分ではなくて夫ですが、父親が亡くなっても驚くほど変化がありませんでした。


義父は脳梗塞に倒れて2年の闘病の後に亡くなりました。
危篤の知らせを受けて飛行機を使って半日かかる実家に(というか病院に)戻りました。
もう意識がなくて息が絶えるのを待つ状態が二日続きました。
すると夫は仕事があるからと帰宅してしまったのです。
急変があれば報せてくれと言って。
報せたって飛行機ですから間に合うわけがありません。
案の定、再び帰省するために空港へ向かう途中で義父は亡くなりました。
最後まで意識が戻らなかったので、ただ同じように寝ている義父と再会しただけでした。

夫と父親の関係は良いとも悪いとも言えないものでした。
決して犬猿の仲ではありませんでしたが郷里を出て20年という月日が経っており、家族という感覚は希薄でした。
夫の幼い頃は単身赴任ばかりで関わりも薄い父親だったようです。
それでも実の父親なんだから少しは悲しんだり寂しがったりすると思ったのですが。
葬儀や事務的な手続きを済ませると何もなかったように日常に戻りました。
以前と同じように仕事をし、食べたり笑ったりしていました。

あまりに素っ気無いので「お父さん亡くなって寂しくないの?」と聞きました。
本心では悲しんでるのかも知れないと思ったのです。
「全然。あとは四十九日やら墓のことやらが煩わしいだけだよ」って。
とにかく仕事が立て込んでいたので時間を取られることがなくなってホッとしたという感じでした。
夫は別に冷血漢ではありません。家族を大切にしてくれる人です。
でも親への情は薄いようです。
まあ、わかる気はするんですけどね。

夫は父親に対して嫌悪のような感情もありませんでした。
親愛の情にしろ嫌悪にしろ、そうした強い感情がないのだなと思いました。
でも立派な墓を建てて法事もきちんとしました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。私も父の時は孤独死だったので警察の事情聴取など様々なことが2日間のうちに起きたので、それを無事にこなすことで精いっぱいでした。ただやはり今も一切感情はありません。悲しさも憎しみもなく、思い出にふけることもありません。正直大好きな芸能人が亡くなった時の方が気持ちがありました。親兄弟は自分では選べません。私にとって両親はその程度の存在だと割り切っておこうと思います。

お礼日時:2015/07/17 08:42

(^o^)/ 私です。


だいたい幼少からの暴力、暴言
でキレてしまい、
『今は無理。堪えるしかない。
  しかし、大きくなったら殺す』
で生きてましたから。

逆に、慰めてくれた母親のときは
ショックでした。しかも交通事故。
突然だったので。

だから死ぬ前までに、たくさん
いいことをして、悲しがる人を
たくさん作ることです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。葬儀の時にどれだけの人が泣いてくれるかでその人の生前の人間性がわかるといいますものね。人に恨まれず、迷惑をかけずに生きていきたいです。

お礼日時:2015/07/17 08:37

父の葬儀の後、私は「今までお疲れ!」と自分を労いました。


そして父の遺影に向かって「ようやくお父さんも楽になれたね」と言葉を掛けました。
両親との間には本当に色々あったのですが、今ではあの人達は自分を守るためにああするしかなかったのだろうと思っています。
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>両親の性格が遺伝しているのかどうかの自分自身の疑問から質問しました。

親の死を悲しまないという事が公序良俗に反するものなのかを問いかけたまでです。
>反することではないのであれば自分の気持ちに素直に生きるだけです。ただ反しているからといって無理に感情を変える気持ちも全くありませんが

矛盾しています。

自由に生きたいといいながら、そのくせ、公序良俗などと体裁や世間体を気にする。

自分の心を縛っているのは、あなた自身なんじゃないでしょうか?

誰もあなたの性格を縛ってるわけでも、遺伝しているわけでもない。

あなたのように親に嫌悪感や憎悪を持つ人達はよくこう言います。
「親のせいでこんな性格になったんだ」と

確かに、赤ん坊の頃から親の行動や言動を見たり、教えられたりすれば
三つ子の魂百までということわざ通り、似てはきます。

嫌でも、自分の中に親の面影はあることに気づくこともある。
虐待された子供が大きくなって親になり、つい我が子を虐待してしまうといった連鎖は
そうした親から教えられた知識や経験を学習することによってその子育てを真似てしまうからです。

でも、人間は全員、生まれてから性格を形成していき、変化もしていくわけです。
それが成長というものです。

あなたの心の中でいつまでも親の遺伝だとか、性格の欠如、親への憎悪感が消えない、
何らかの恨みつらみが残るというのなら、それは他人に対して問題なのではなく、
あなた自身の心が安住しているわけではない。
あなた自身が、さみしい心を持ち、不自由であるということです。

愛のない心ほど悲しいものはない、とわたしは思います。
それが悪いともいいともわたしは言いません。

なぜなら、それがあなたの選んだ生き方だし、誰も何も言いませんし、「言えません」から。

善悪と同じです。
あなたが悪=憎悪、無関心、冷徹な道を選んだのなら、それはあなたの生き方です。
誰のせいでもなければ、親のせいでもない。
あなたの自己責任でそういう生き方を選択したのだという事だけです。

ですが、親がどんなにひどい親でも、人間の中には愛の生き方を選ぶ人もいる。
親の生き方ややり方を寛容的に受け止めて、許し、
それとは真逆の、人を愛することを喜びとする人もいる。

わたしの考えからすれば、後者の方がはるかに自由で幸せそうに思います
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。私の考えとは異なりますね。親兄弟は自分で選べません。親が子に向ける愛情は当然です。自分たちの意思で作ったからです。しかし子が親に向ける愛情は子の自由です。今回こちらのサイトで質問した理由は体裁を気にしたものではありません。素朴な疑問からです。私が特別な考えなのか、それとも違うのか?よって特別であっても全く気にしません。そもそも両親を嫌悪しても恨みはありません。育ててもらっているからです。今でも僅かながらですが、仕送りもしています。しかし亡くなっても悲しまないだけです。

お礼日時:2015/07/18 21:11

>そもそも両親を嫌悪しても恨みはありません。

育ててもらっているからです。今でも僅かながらですが、仕送りもしています。しかし亡くなっても悲しまないだけです。

だから、素直に自分の感情を認められない人だと最初に申し上げたじゃありませんか。

あなたが両親を嫌悪も恨みもないのなら、そもそもこんな質問を掲げて
同病相哀れむ仲間は募らないし、親の死=育ててもらったという親の死に喜びや嫌な安堵感があることが
公序良俗に反するのかという不安な気持ちは生まれない。

何らかの嫌悪や憎悪があるからこそ、育ててもらったという恩義や感謝よりも
~をしてもらえなかった、与えてもらえなかったという怒りが先に来る。

ところが、その怒りを口にしたら世間体は悪いという知識だけはある。
だからこそ、公序良俗と言う、社会的に自分をどう評価されるのかだけは気になるからこそ、
自分の本音は隠して、わずかながら仕送りをし、口先だけ「育ててもらったから別に恨んでない」と世間に向かって
自分の本音を虚飾する、見栄を張る。

でも、正直なところ、ものすごく恨んでるからこそ、自分の心の奥底の憎悪や怒りが気になるのです。
その自分の本音がばれたら、親の死をむしろホッとし、喜んでる自分が世間から非難されまいか、ってことが
あなたを落ち着かなくさせる

世間の評価がどうであれ、自分の憎悪や嫌悪と言った醜い部分を自分なりに素直に認め、
そこから大人として成長し、
自分の心を自分なりに美しく浄化できた人は、
そもそもあなたのような質問はしないし、もはや親との確執について
忘れてしまえる。

お互い憎み合い、喧嘩しあっても、その相手が消え去っていったことに
自分の人生におけるある別れにさみしさは感じ、それも一つの思い出として
そっと心にしまっておける。
ものすごく辛い悲しい親との思い出であっても、それはそれとして「誰と共有せずとも」
自分の人生の一部分として肯定的に受け止めることだってできる


それは親と自分は別の、違う人格だと認識しているからこそ、
親との距離間を改めて感じるってことです。

でも、あなたにそれがないとしたら、あなたはいまだ、親と自分は一心同体、どこか同じ人格だと
思っているんじゃないでしょうか。
自分が生きているからこそ、別に相手が死んでもその距離間は感じない。
親が自分であり、自分が親だという同化的な感覚が残っているんじゃないでしょうか

つまり、簡単に言うと、親離れができていないからこそ、
あなたは何も感じないんじゃないでしょうか?
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この回答へのお礼

やはり論点がずれています。確かに文章だけだとこちらの真意は伝わらないとおもいます。こういったサイトの利点は不特定多数の人間に意見を尋ねることができることです。私が公序良俗に反する気持ちを持っているからこそ、そうではないと人に言ってもらい、慰めてもらいたいと思われているのでしょうが、私が知りたいのは純粋にこの感情が特別なのか一般的なのかどうかです。私は自分の事が大好きでし、揺るがない自信を持っています。もし特別な感情であれば、むしろ自分が特別な思考の持ち主なんだと自覚するだけです。私のポリシーは法に触れず、人に迷惑をかけなければ問題ないです。よって今回の質問で仮に私の考え方に問題があると指摘されたとしても、全く気にしません。ただ不特定多数の考えを興味本位で聞いてみたかったからです。このサイトはそのためのツールとして適しています。sofialondonさんのおっしゃっていることもわかります。文章だけだとたぶんこういう風に思われるんだと思います。これがネット上での文章だけのやり取りの問題なんでしょうね。

お礼日時:2015/07/18 23:52

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