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脳死について、どう考えるか?


 脳死は、目覚める見込みがないため理論上は人の死と考えられるかもしれない。しかし、人の感情的に脳死を人の死と割りきるのは難しいのではないだろうか。よって、脳死と関係が深い臓器移植について慎重になるべきだ。
 私が実際に脳死した家族を見たとき、理論上は死んでいると考えても感情がついていかなかった。脳死は脳以外は正常に動いている。そのため体温があり汗をかいたり、爪などが伸びたりする。そういった状態を見ても、ただ寝ているようにしか見えず死んでいるとは認めにくかったのだ。
 このように、死んでいると認めにくい患者の家族がいるため、臓器移植には慎重になるべきだ。そのようなときに、臓器移植を考えることはできないだろう。実際、私もそのようなときには臓器移植のことは考えられなかった。患者の家族が、どう感じているかということを、よく観察し臓器移植について持ち出さなければならない。
 医療の現場では、理論だけを尊重するのではなく患者やその家族の考えも尊重するべきだ。患者やその家族には、脳死を人の死と考えられない人もいる。そのような人々がいるにも関わらず脳死を人の死と認めてしまっては、そのような人々を無視することになってしまう。よって、脳死を人の死と認めてはならない。

A 回答 (3件)

結論を


>脳死を人の死と認めてはならない。
にするのであれば、いっそ現行の法律上
「脳死は人の死でないが、脳死体からの臓器摘出は許される」と
なってしまっている、無茶苦茶な現行の法体系を批判してみてはいかがでしょうか。
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原文を参考に、より短く、筋を通してみました。

ご参考までに。

 脳死は、目覚め回復する見込みがないため人の死と考えることができる。
しかし、脳死を人の死と単純に割りきるのは感情的に難しいのではないだろうか。
よって、脳死者からの臓器移植については慎重になるべきである。

 私が実際に脳死した患者を見た例では、家族は患者が実質的には死んでいると
理解しても感情がついていかなかった。脳死では、脳以外は正常に動いている。そのため体には温もりがあり、汗をかいたり、爪などが伸びたりする。そういった状態を
見ると、ただ寝ているようにしか見えず、死んでいるとは認め難いのだ。

 脳死者が死んでいると認めたくないのは家族の感情としては当然のことなので、
脳死者からの臓器移植には慎重になるべきである。それを考えなければならない
時には、患者の家族が、どう感じているかということを、注意深く観察し話を
持ち出さなければならない。

 その際に、医療の現場では、死の定義だけによるのではなく、患者やその家族の考えを尊重するべきである。患者の家族には、脳死を人の死と認められない人もいる。そのような人々がいるにも関わらず脳死を人の死と一方的に定義し話しかける
ことは、そのような人々の感情を無視することになってしまう。よって、感情問題を解決しない限り脳死を人の死と単純に認めてはならない。
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脳死は、目覚める見込みがないため理論上は人の死と考えられるかもしれない。

しかし、人間の感情として、脳死を人の死と簡単に割りきるのは難しいのではないだろうか。よって、脳死により実現可能となる臓器移植についても慎重になるべきだと思う。
 私は、実際に脳死状態の患者さんのお世話をしたことがある。その方のご家族にとって、理論上は死んでいると考えてはみても、感情がついていっていないのが良くわかった。脳死とは、脳以外は正常に動いている状態だ。そのため体温があり汗もかけば、爪などが伸びたりもする。そういった状態を見るにつけ、ただ寝ているようにしか見えず死んでいるとは認めにくかったのだ。
 このように、死んでいるとは認めづらい患者さんのご家族の心情に思いを致せば、臓器移植には慎重になるべきだ。そのような状態で臓器移植を考えることは、なかなか難しいことだろうと思う。実際、私もそのときに臓器移植のことは考えられなかった。臓器移植についての話を持ち出すのであれば、患者さんのご家族が、どう感じているかということを、よく観察してからでなければならない。
 医療の現場では、理論だけを尊重するのではなく、患者さんやそのご家族の考えも尊重するべきだ。患者さんやそのご家族には、脳死を人の死と考えられない人もいる。そのような人々がいるにも関わらず脳死を人の死と一方的に認めてしまっては、そのような人々の気持ちを無視することになってしまう。よって、脳死を人の死と認めるか否かは、慎重に検討される必要がある。
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