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江戸時代の価格決定についてお尋ねします。
米などの相場が存在しない工業製品などの価格はどのように決まっていたのでしょうか。
一応、原価に利益を加算した、あるいは、市場で価格が決まっていたのではないか、と仮説は立ててみたのですが、どのように調べたらいいのかもわかりません。

漠然とした質問で申し訳ありませんが、お知恵を拝借したいです。

A 回答 (1件)

米に相場があるとしても、単純ではないように思います。

産地、経路、取引の日、取引メンバーは単純ではなく、米だって品質はあるし、、、、
魚でも相場があるとしても、単純ではないように思います。以下同じ。
瀬戸物、陶器類は、一種の工業製品ですが、工芸品とか趣味やデザインもあるし、庶民が日用品として使用するものも、相場はあってなきが如しではないでしょうか。 10器、100器、5皿、50皿で取引するときの勢いもあるのではないかと思います。
「一応、原価に利益を加算した、あるいは、市場で価格が決まっていた」という言葉が、価格決定メカニズムを何か具体的に示したものとは考えられないです。
醤油や酒でも、反物などでも、「一応、原価に利益を加算した、あるいは、市場で価格が決まっていた」という言葉で説明して、個々の商品の何か具体的な取引価格の説明になるのか、疑問に思います。 小売でも、卸売りでも、仲買でも、個々の取引ごとに相対で取引価格を決めていて、それはその取引関係者の胸算段ではないかと思います。 個々に商品一つの価格を明示して販売していることが少ないのではないかと思います。 相手ごと価格を決めたり、取引全体でまとめ価格を決定したり、割り引いたり、また、月末晦日の〆で精算したりするし、現在の店頭価格のようなモノはなかったのではないでしょうか。
一六文の蕎というのもあったでしょうが、蕎麦屋だって様々な価格をつけていて、どうにも価格の決定メカニズムの説明は難しいと思います。
では相場がなかったのか、あったと思います。それは、きっと販売店の胸算用のなかにあり、ひいき筋は、だいたいの価格を予想していたのでしょう。個々の商品の個々の価格ではないはずです。
営業している側には継続する事業を想定した取引があるから、店の全体のコストと総取引量からするだいたいの見当はあったと思います。しかし、個々の商品の仕入れコスト、損耗コストなどの視点で個々の商品の販売価格を決めていたとは思えません。
醤油や酒、木材、紙、陶器、反物でも、商売感覚での価値感が重視されていたとは思いますが、個々の商品ごとの原価にどんな利益を加算したのが販売価格、あるいは、市場の個々の商品の需要供給のバランスで決まるマーケット価格というのは、考えにくいと思います。
平成の現代で、私が経営者になって工業的に新タイプの玩具(青年層向け)を開発生産し、販売開始するときに、1台当たりの原価の推定は販売量に大きく依存します。目標販売数量とは異なる、このくらいは半年で売れるかなの数量の1/8は当座生産し、市場に出すでしょう。このとき販売価格設定はどうしましょう。原価をどう見ましょう。新タイプ玩具ですから、売れるかどうかはわからないし、既存玩具の価格をどう参考にするのかも難しいです。
江戸時代は、幕藩体制で、市場が区切られ、自由販売も難しいです。 ネットで公開されている価格情報もないです。 新規に酒造や醤油醸造を開始したとき、新規に窯元になったとき、店の全体のコストと期待総取引量からするだいたいの見当・目算はあったのでしょうが、単品生産ではないので、個々のグレードの値決めは、経営者の心づもりしかないのでしょう。 購入者はその販売者の値決めをどう値切るかという交渉で、取引ごとの相対で勢いで値決めをしていて、オープンマーケット市場価格というのはないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

とても丁寧な説明をありがとうございました!

お礼日時:2015/07/29 07:15

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