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人は生きている訳ですし、生きようとしなければ死んでしまうでしょう。

しかしそれとは別に 生かされてる とよく言いますね。

その生かしてるものは何でしょうか?人を生かしてるものは一つではないかもしれませんが

人を生かしてるもの 力は何でしょうか?

A 回答 (10件)

#8です



もう一つの視点から「全体」という意味について記しておきます。

エントロピーの概念を引き合いに出されてこられたので話しやすいですが、#8にて記述させていただいた「境界」という概念自体も重要だと思っております。

人間に限らず、あらゆる生命体は、たとえば細胞というレベルで考えるなら、細胞膜という境界を持っています。
その境界を介して内部と外部とが相互にやり取りを行うことで、生きています。栄養やエネルギーや老廃物等が境界を介して出入りすることで、生きています。
境界があまりにも強固で、あらゆるものの出入りが遮断されたなら、細胞は死んでしまいます。
かといって境界があまりにも弱く、スカスカだったら、中で使うはずだった栄養が漏れ出したり、外に排出したはずの老廃物や毒が簡単に入り込んで来たりして、死んでしまいます。

このことは、細胞レベルのみならず、人間という個体レベルでも、また、社会的な集団レベルや国家といったレベルでも、地球といったレベルでも成り立つことです。

金魚や熱帯魚を飼っておられる方であれば、生かし続けるための維持が大変なことを知っています。水槽という境界の内部環境を維持し続けるためには、水槽の外部との適度のやり取りが必要です。エサを投入すれば、水質が悪くなり、適度な水替えが必要です。

内部と外部との間で適度なやり取りを介在する境界が維持され続けること。そうして、内部で「生きようと」しつづけていること、さらに外部で「老廃物」等が浄化され、栄養が枯渇しないような循環が形成されていること。そういったことがスムーズに行われるような適度の温度・水分が維持され続けていること。

#8での「全体」は、そういった、内部と外部と境界を含む「全体」という意味です。

境界がなくなり、内部と外部との区別がつかなくなった状態は、完全な死と同等になるでしょう。まさにエントロピー的な死に該当します。
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この回答へのお礼

解決しました

成る程 境界の意味がよく分かりました。自分と自分以外に境界があるわけですねえ。

その全体が自分を生かしていると言うのは、細胞の例でよくわかります。

その境界がなくなったら 死んでしまう。成る程。これはお見逸れしました。

深い考察だと思います。どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/29 11:32

あなたの言うように、


生きようとしないと死んでしまいます。

この世で生きるには生存権が必要なんです。

生存権とはこの世で生きる権利です。

毎日世界中では何万人という人が亡くなっています。

そして新しい命が生まれています。

この物質界では物質は分子化すると、崩壊という過程に移ります。

そしてそれを繰り返しながら存在し続けます。

だから永遠に同一の物質というのはないんです。

逆を言うと
永遠に物質を存在させるためには
誕生と消滅を繰り返すということです。

それが宇宙の完璧なプログラムであり
人を生かすエネルギーなんです。
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この回答へのお礼

ありがとう

人を生かしてるもの と言うと誕生と消滅を繰り返す事に因るエネルギー?

人が死ぬのは動物だった頃に世代交代しないと進化することが出来なかったからで

死なない生物もいますねえ。永遠に物質を存在させるには生滅する量子のようにあるのだということでしょうか?

しかし恒星や惑星の物質は 例えば水素分子や鉄分子などは 数十億年存続していますねえ。

存在と存続の違いも考えなければなりません。しかし此処では「人を生かしているものは・・・」という問いなので

どうでしょうねえ。どうもありがとうございます。

お礼日時:2015/08/29 11:19

「生きている」と「生かされている」という概念を思い描くとき、「自分」と「自分以外の何か」を想定されているはずです。



そもそも、両者を分かつ境界はあるのでしょうか?
生まれる前や死んだ後にもそういった境界は存続し続けているのでしょうか?

そういった所に境界を見出す方の場合、「自分」と「自分以外の何か」という概念を想定されることでしょうし、「自分以外の何か」は、限定的に扱われるかもしれませんし、「自分以外の全て」と考える方もおられることでしょう。

また、少なくとも、生まれる前と死んだ後に境界を見出さない方の場合、「自分」と「自分以外の何か」とを区分することは、生死を越えた概念を扱う場合、無意味だと考えるかもしれません。そういった考えになった時、少なくとも誕生時、ないし自我という意識を自覚し始める時、「自分以外の何か」+「自分」=「全体・総体」にて「生かされている」と感じるかもしれません。すなわち、「自分自身を含めた全体」になるでしょう。

さらに、生きている間でも「境界」を見出さない方の場合、「生きている」とか「生かされている」といった概念すら持たず、バーチャルリアリティーの世界のように人をあやめるのをなんとも思わないのかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとう

ひとつの答えが、生かされていると思うとき 生かしているものは「自分自身を含めた全体」と言う事ですね。

或いは「生きてる」とか「生かされてる」という概念もなく、バーチャルの様に人を殺すことを何とも思わない

そういう人もいるかも知れない。と言う事でしょうか。

自分を生かしているのは 自分自身も含めての全てという考えですねえ。しかし我々は老いて死にます。

戦争等 人を殺す勢力もあります。全てに生かされてるといっても エントロピーがどんどん減って行かないと

全てが私を生かしてるかどうかは分からないですねえ

どうもありがとうございます。

お礼日時:2015/08/25 14:46

相手(周りの友人や家族、ご先祖様など、貴方を支えている人)だと思います。



私の考えですが、”生かされている”とは相手(友人、家族、ご先祖様など貴方を支えている人)に”生きろ”と貴方が言われているのだと思います。
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この回答へのお礼

助かりました

人間は励まし合わないと生きていけない時もありますねえ

人が居てくれるから生きていける というのはありますねえ。

自然の中で一人だったら コンクリートジャングルで一人だったら 生きていけないかもしれません

生きてる意味がわからなくなるでしょうね

これはどうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/21 15:21

「生かされてる」


→親はもちろん、いろんな人のおかげで生かしてもらっています。
または自然の仕組みのおかげで生きてもいますね。
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この回答へのお礼

助かりました

それが実感かもしれませんね。親や人々に生かされて 自然、大自然に生み出されたのですね。

勿論自然の中に生き、生かされています。

どうも大変ありがとうごいます。

お礼日時:2015/08/19 21:07

(生き物として内包している)活力


(もちつもたれつの)    真心
(より良い未知を求める)  好奇心

こんなものが人を生かしているんじゃないかと思います。
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この回答へのお礼

Thank you

いい感じですねえ。そういうものに生かされてるんでしょうねえ。

活力 真心 好奇心 に生かされ 活かされ 今の人類があるわけですね

なるほど どうもありがとうございます。

お礼日時:2015/08/18 22:21

それは生まれつきの宿命の中に有る、ある種の神的存在が


生かしていますね。
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この回答へのお礼

Thank you

ある種の神的存在。魂でしょうか?宇宙の摂理でしょうか?

神と呼んでいる 人間を生かす力があるように思います

太陽エネルギーとか(太陽神)循環とか引力とか。

どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/18 20:31

我々を形づくる物質に、「目的」はありません。


しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。
「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。
(あなたが死にたいと思っても、死ねばそのような形質は遺伝せず、やはり全体は「生きよう」とする)

一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。
生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。

「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。

であるならば、人は無意識(死)による幸・不幸0の状態から、認識の発達に応じて充足量の増大(認識の深まりによる精神的豊かさ×認識的社会性の発達による物質的豊かさ)を目指して生きているのであり、大事なのは意志の充足=社会生命的自覚化=愛による自律的社会行動です(お金をもらうためにイヤイヤ働くのではなく)。

しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう?
人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。
原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。

お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。
本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。
要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、死による幸・不幸±0の状態からプラスを目指して生きていたはずが、いつの間にか苦痛(マイナス)から逃げる事による、かろうじて±0に近づく死人に等しい生に堕してしまっているのです。
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この回答へのお礼

助かりました

成る程。 音読しました。やっと分かりました。ご高説は全くご尤もです。確かにそうですねえ

残念ながらこの結論に「人を生かしているものは何か」と言うと 何か死にたくないから生きているという感じなので。

ちょっと寂しいですねえ。愛のために働いている人は減ったように思います。おっしゃる通りです。

全くです。どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/29 11:33

キリスト教では神です。



道教では道です。

ワタシに言わせれば、ただの錯覚です。

人間は、生きていることに何らかの意味とか意義とか
を求めているのです。

だから、偶然が重なっただけの事象に、ことさら
特別な意味を見いだそうとしたりするのです。

その結果の一つが、生かされているという錯覚です。
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この回答へのお礼

ありがとう

生かされているのは錯覚ですか。なりほど。自力本願というか。

神とか道とかいうものは錯覚なのですね。

私は神とか道は宇宙にはなくて人間の中に在る様に思いますが

どうもありがとうございます。

お礼日時:2015/08/18 20:29

生きるために必要なものを辿って行くと最終的に行き着くのは宇宙です。


宇宙がすべての源ですよ。
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この回答へのお礼

Thank you

宇宙と言えば 全てですから。すべての源ですおよねえ。

でも宇宙は何時か崩壊して形もなくなるという人もいます 本当でしょうか?

どうもありがとうございます。

お礼日時:2015/08/18 20:25

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