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私が日本人だから
こんな考えが生まれてくるのかもしれません。

神を信じなければ戦争だって起らなかったかもしれないのに
どうして人は神を信じるのですか?

A 回答 (24件中21~24件)

あらがえない自然の力は


自分でコントロール出来ないですね。

だから、「神がいて試練を与えるのだ」というところから来てるんじゃないかと
考えたことがあります。
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この回答へのお礼

自然の力をなぜ、神の力だとか神からの試練だと考えたのでしょうか。
この世にコントロールできないモノはないという思い、もしくは、自然に対する恐怖から生まれたものでしょうか。
展開してすみません。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/10/05 20:41

子が自分の犯した罪を家庭環境や親の育て方のせいにするのと同じです。


自分が努力しないことを誰かのせいにして現実から逃げたいのです。

あるいは、世間に向かってまともに自分の意見を言えない弱虫が
神の言葉などと言って自分の考えを他人に押し付けようとします。
それが昂じると銃の乱射事件などになり、
さらに進めば戦争になることもあります。

「神を信じる」んじゃなくて「神を理由にしたい」んでしょう。
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この回答へのお礼

現実から逃げたいが故に神を作りあげたということでしょうか。
私も、自身の罪意識から解放されたいと願うとき、他のもののせいにして、考えてしまうことがあります。逃げですね。
そんなときの 他のもの が、神になってしまったんでしょうかね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/10/05 20:39

神を信じて宗教を信じる事でそれを信じあう者達同士で無条件に仲間が出来るかららしいです。


信じあう本人達は別に、仲間を増やすためと意識して宗教を信じていないと思いますが、孤立していたり、精神的に弱っていたり、小さい頃から宗教を信じないと家族や周りの人たちと仲間になれない場合、無意識に信じるように脳の仕組みはなっているみたいです。

人付き合いをしたいという欲は特別性があり、その欲のために合理的判断が出来なくなる事がよくあるようです。

何か不可解な現象があって、それを説明するには適当に神のせいにするって人もいると思いますが、その場合科学的説明がされるとそういう人は神のせいではなかったかと、納得します。

ですが宗教を信じる感じの人に神はいないって論破しようとしても自分の意見に味方してくれる屁理屈を並べるだけで、神がいないという可能性について考える事さえしないのです。

人付き合いをしたいという欲は強力で性格や感性も作り上げてしまいます。性格は行動を決める変わることのない原点ではなく、むしろ性格は人付き合いをしていくための道具であって、後、自分の甘えや自我を通すための手段であって、変えられるものだと思っています。アドラーの個人心理学でもそれは分かります。

人付き合いをしたいという欲がその人の感性を180度反対方向に捻じ曲げた、私の例をあげて見ます。

私が中学生の頃腰パンが流行っている時期でした。

腰パンを最初見た時、短足でとてもださい と思っていました。言葉に出来るかっこよい要素が何一つないのです。少しでもあれば、納得できますが、言葉に出来るかっこ悪い要素(短足 パンツ見えてて気持ち悪い)しかないのです。

しかし私の身の周りの仲間が皆腰パンにしていくようになり、かっこいい所あるのかなぁ・・・・と無意識にかっこいい要素を探していくようになりました。

結局言葉に出来るかっこいい所はなかったですが、腰パンを本心からかっこいいと思えるようになりました。かっこいいには種類がありますが、腰パンは腰パンだけのかっこよさを感じていました。腰パン自体をかっこいいと思えるようになったのです。

このように感性さえ捻じ曲げる程 人付き合いをしたいという欲は強力なのだと思います。この欲とどう上手く付き合っていくかで、その人の人生は大幅に違ったものになると私は思っています。
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この回答へのお礼

なるほど。原点は人付き合いをしたいという欲だ、ということですね。
たしかに、人付き合いにより性格や考え方がガラッと変わることがありますね。
人と何かを共有したり影響されたりすることでそのようなことが起こりますよね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/10/05 20:34

人間が自我をもつようになったから、自分の存在を認めてくれるものが必要になったのではないでしょうか? それが家族だったり、周りにいる人だったり、人を超えた存在(神)だったり…。


利害関係が対立すると武力にたより戦争になるので、宗教戦争以外は「神」を信じるかどうかは、ほとんど関係ないと思います。
神を信じている人の中には「絶対に戦争に手を貸さない」と強く思っている方がたくさんいます。
どうやったら理不尽な戦争を無くせるかは、人として生涯向かい合わなければいけない課題なのだと思います。
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この回答へのお礼

認めてほしいという思いは誰かしら持っていることと思います。
それを存在しえなかったはずの、見えないはずの神に頼ることになってしまったのはどういう経緯なのでしょうね、、、。

なるほど。神の存在が戦争の原因となるのは、確かに宗教戦争だけかもしれないです。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/10/05 15:23

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