電子書籍の厳選無料作品が豊富!

JR武蔵野線は、昭和40(1965)年に認可された貨物専用線として着工し、昭和48(1973)年に開通したと認識しています。ところが、ある小説では戦時中に軍用目的で既に計画はあって南武線に接続する付近はすでにできあがっていた、といっています。本当でしょうか。あるいは、小説だからいわゆるフィクションなのでしょうか。ご存じの方教えてください。

A 回答 (3件)

>南武線に接続する付近はすでにできあがっていた


かつて、国分寺-北府中-東京競馬場前・下河原貨物駅間に「下河原線」という路線があり、武蔵野線の北府中-府中本町間は一部この線の路盤を転用して建設されているので、その事でしょうか。
下河原線自体は多摩川で採取した砂利の運搬目的で建設されてますが、多摩川の洪水で休止したのを陸軍工兵隊が修復し軍用鉄道として借り上げたそうですし、北府中駅に隣接して東芝の工場(今でも電気機関車などを製造している)がありますから、軍事目的もあったかも知れません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%B2%B3 …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど、そうでしたか。ちっとも知らなかった。多分その鉄道線路の事かと思います。貴重なデータを有り難うございました。

お礼日時:2015/10/15 21:58

計画自体は、1927(昭和3)年の、鉄道敷設法に取り入れられた計画線。


山手貨物線の代替のための「東京外環貨物線」(貨物専用線)として計画され、第二次世界大戦等もあり一旦、計画は凍結。
戦後、山手貨物線の貨物列車本数の増加、都心を危険物搭載のタンク車を通る事の危険回避から、1964年に日本鉄道建設公団(鉄建公団)によって大都市交通線(D線)として工事が着工されたものです。
当初は、貨物専用線として建設されたが、沿線にも開発の波が押し寄せ旅客線としても活用されるに至ります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

やはり戦前から計画はあったのですね。新規に計画されたものと思っていました。有り難うございました。

お礼日時:2015/10/15 22:04

Wikipediaの「武蔵野線」の解説記事が参考になります。



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5 …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有り難うございました。参考にさせて頂きました。

お礼日時:2015/10/15 22:05

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!