正月早々、良いテレビ番組を見つけました。「奇跡のレッスン」というタイトルで、一流のスペシャリストが子供達を一週間教育するというコーチングの番組です。
私が見たのはバスケットボールの回でして、「運命は自分でコントロールするんだ」という様な言葉がコーチの口から出ていました。カッコええなぁ、、俺もこんなコーチ受けたかったなぁ、などと思いながら見ました。自信のなかった子供達の表情が明るく変わって行くのが印象的でした。他の回の紹介では、「自分で見つけた答えは一生忘れない」→(子供が自分で答えを見つけるのを待つ)とか、「出る杭は下から押し上げる」と言うのもありました。
当方、いつもこのサイトで回答者の皆様にお声かけていただき、「レッスン」を受けている身ではありますが、あらためて尋ねたいと思います。

良いコーチ、先生に巡り会えた方もそうで無い方もいると思いますが、自分が諭された言葉や、自分なら子供達にこう語る、という言葉を選んで、ご回答頂けると嬉しいです。

質問者からの補足コメント

  • そんな大した大人に離れていません→そんな大した大人にはなれていません

    誤字修正です。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/03 16:25
  • 先祖の話、早速アマゾンでポチりました^^v
    読んでみますね。

    No.20の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/05 01:01
  • 一応、齟齬があるとよくないと思い、冒頭の1〜4についてお答えします。
    1.そういう場合もあるかも知れない事を考慮するが、私自身はそういう事は思っていない。
    2.これは1.に同じ。
    3.良い教師はやる気を引き出すと思っているので、そう思っています。
    4.始め、大体の事は自分でやれないが、できる様になると信じて精進すれば、大体の事はやれるようになる。多くの人から、或いは自分よりも劣った人からも学びは得られる。この様な考え、スタンスです。進度やスピードはまちまちで、一を覚えて十を知る事もあれば、十を教わりニしかものにできない事もある。

    No.30の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/07 01:26
  • 皆様へ。
    この質問は、スレッドが更に伸びないかぎり、来週いっぱいで締め切らせていただこうと思います。どうぞよろしくお願いします。

      補足日時:2016/01/07 22:03
  • 女王先生ですか^^; 
    一話だけではなんとも言えませんが、、、歪な教師だとは思います。生徒を締め付けるタイプのようで、あまりいいとは思えませんでした。このような教師が居て良いのか悪いのか、、現実には変人教師というのは居ますから、それこそサイコロさんの言う距離感でもって対処するのが良いのかなと思います。

    No.64の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/13 01:23
  • ウィトゲンシュタイン関連のご投稿を少しですが咀嚼しました。現代哲学における身体の肯定的な捉え方と、行為へのパースペクティブというものに着目しました。この度の質問は、スポーツのエキスパートが子供達のコーチをするという番組についてでして、身体の捉え方とパースペクティブという観点から繋がりそうかな?と思いましたが如何でしょう。もうちょっとウィトゲンシュタイン関連の方も読み直してみますね。

    No.75の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/15 14:44
  • サイコロさん、どの職業が偉いとか、そんな話をお礼欄に書いてしまいましたが、流石にそれは無いかと思い直しました。スルーしてください。サイコロさんを侮る様な事を言ってしまいました。

    No.78の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/15 16:00
  • #96の投稿が、残念ながら息をしておりません。
    その全文を保存しておりますが、短い補足のスペースですのでそれを全て掲載することは出来ませんし、運営の方針も尊重したく思いますので、宛先のない短いコメントをして彼が存在したことを記録したいと思います。
    #96に記された内容は、現代教育のあり方と、素敵な歌と、空想の酒席でした。
    褒めることについて生徒が天狗になって後、人ん話をきかなくなり伸びなくなるというVTRの件ですが、私は、出来るから褒めるのではなく、出来ないから褒める、ってのが褒めるタイミングだと思うんです(マグジーもそうしてた)。凹んでいる子のモチベーションや自信を回復してやる効果が得られます。
    カントアイさんと猪突さんの酒席ですか。座を同じくすれば異なる意見もいい肴にきっとなると思います^^あほなも同席させていただければ、そこでもあほなことを言いますよ(笑)。

      補足日時:2016/01/17 22:13
  • すみません。今読んだGOOからのメールに、今回は削除理由が明記されていました。理由は、個人情報だということです。おそらく、他の方のブログのURLを転載したことが引っかかったのだと思われます。

    No.99の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/17 23:33
  • えー、ついに2月になりましたね^_^
    月日の経つのは早いです。
    投稿も落ち着いてきたので、そろそろ閉める準備に入ろうかと思います。
    私の感想としましては、多くの方のお話を聞いて、自分自身を振り返るに、友達には恵まれたが、教師には恵まれなかったのかなという事があるも、教師の像というものをこのQAを通じていろんな角度から知ることができ、視野を広げることができました。皆様ありがとうございます。

    BAの選定に数日をかけますので、皆さんから頂いた回答を楽しみながら振り返りつつ、これかなー、というものをBAとしたいと思います。

    ながらくこのQAにお付き合い、盛り上げてくださり、重ねて御礼申し上げます。
    m(._.)m

      補足日時:2016/02/01 17:36

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A 回答 (142件中1~10件)

とても沢山あったはずなのです。

その時、その環境、その心境に応じた言葉だからこそ、心の琴戦に響いたといった記憶のみがあります。多くは今から思えば、陳腐な名言とか諺とかです。

たとえば、高校の国語のテキストにて、大岡昇平の「野火」の冒頭だったかに、「たとひわれ死の影の谷を歩むとも(ダビデ、詩篇23:4)」が記載されていて、音読時に、いたく感銘を受けたことを覚えています。この言葉が残っているのは、私のプロフィールを含め、書き残しているからに他なりません。

ポジティブな性格とネガティブな性格と、記憶に関連する研究が多くなされているようですが、比較的、ネガティブな言葉が多く記憶に残っていて、ポジティブに影響を受けた言葉の記憶が少ないのは、多くのポジティブな記憶以上に、ネガティブな記憶が衝撃的な事柄だったからかもしれません。
また、「大人」という年齢に達してから随分経ちますが、こちらが意図して子供達にかける言葉の多くは「???」といったレベルでスルーされることが多いのも事実です。逆に、それほど意図していない状況で、思わずかけた言葉が記憶に残っていると言われたこともあります。

・・・と、古い記録を探っていたら、下記のような記述(日記の断片)がでてきました。非常に青臭いところがありますが「ゆとり教育前」の、いわゆる受験戦争時代をかいくぐって生きていた時代の言葉達です。回答とは程遠い言葉達ですが、何がしかの参考になるかもしれないので載せておきます(ネット上、未公開のものでした)。

当時、ネガティブな記憶が大量に蓄積された脳裏に、一言のポジティブな滴下は、どのような言葉であれ、砂漠のオアシスのように感じられたのかもしれません。
それゆえ、すぐに吸収され、跡形もなく、すぐに蒸発してしまったのかもしれません。
いずれにしても記憶の彼方です。直接お役に立てないで申し訳ございません。

===>>> 以下、個人的な日記からの転記
971208
大人になるとは、純粋な心を失うことであると、誰かが言ったように記憶している。
全てを理想的に解決する手だてを失い、妥協に基づく協調がなされるとき、人は解決の糸口として、互いに受け容れ合うことを学ぶ。
あらゆる物事を、順次、俯瞰的に受け容れざるを得ないとき、人は、いわゆる大人になってゆく。
失うべくして失っていく、個人の過去の遺産とともに、心の偽足も引きちぎられ、萎縮していく。
果たして、いわゆる大人になったものが、心の底から他人に同情などするであろうか。
現実の酷さを隠して、偽りを知りつつ大人は、純粋であろうはずの子供に、「人類は自由、平等、博愛」などと、教え続ける。生存競争のなんたるかを教えようともせず、自然に学ぶであろうことを期待しながら。
あらゆる生活共同体単位で、様々な生存競争が繰り広げられる。それは、緩やかな締め付けが始まったときから、急激に沸騰し始める。しわ寄せは弱者に向かうが、表向き救済されることが暗黙裏に認められている集団に対しては、大声を上げるものは少ない。
様々な知能レベルの策略が、マス・メディアを搾取する。きれい事は大衆受けし、真相は忌み嫌われる。大衆による合意が全てであり、それ以外の何ものも正義足り得ない。神は、その神を信ずる大衆による正義を立法化する手段に過ぎず、信仰の拠り所は教義に存在する。いかなる試みがなされようとも、個々の人の心に基づいて、あらゆることが理解され、感じとられる以上、神は人の心すら越えることができずにいる。形而上学的な全ては、思考の断片すら存在しない場合、全く存在しない。人の理解を超えたものを、人が理解できるわけが無く、人の理解の範囲でのみ、そのものをとらえることが出来るだけである。

980512
子供は、自らなし得る限りの力を使って精一杯生きているというのに、大人は当事者足り得ず、彼らが未だ経験することのない、未来の時間に話をすり替えてしまう。
底辺をレベルアップする事で均質化しつつある義務教育は、ゆとりを求めようとしても不可能なカリキュラムを子供たちに押しつけることとなる。
新たな技術、情報があふれ返る時代に、生きるために、過去に得られた知識以上に学習しなければならない彼らにとって、限られた時間のなかでは、もはや一時の休息すら、落ちこぼれの原因と化す。
自己の経験談:「人生について、将来について、悩む時間すら惜しいと考える時期があった」

980814
過去の上に立ち,現在を見据え,時の流れを見極めて,未来を掴まん。(中学生時代)
常識としてもっと大切なことがあるにも関わらず,一つのことが大切だと強調しすぎると,強調され過ぎたもののみ意識してしまい,本来重要なものの理を見失ってしまうことがある。これは,実体験の乏しい学生において強く見られる傾向のものである。
私は,学生時代に,あまりにも過去という対象物にのめり込みすぎた。今は,現在と,少しの未来にのめり込んでいる。老いたときには,さらに深い未来にのめり込むことだろう。

990309
私は,今,旅立とうと決心している。
幼い頃から見続けていた,夢の正体を今,ようやく分かり始めたような気がする。あの,どうしようもない不安感の原因が何であるのか。
自分の行動範囲を元にして作り出した,架空の町の中で逃げまどい,それ以上の空間には決して到達することの無かった夢。
夢の世界での様々な制約は,住み慣れた町への心の束縛がもたらしていた。
一度,壮大な旅をする必要を感じている。

あらゆる人は,不完全なまま,完全を目視し,安定と繁栄を願望しつつ,存続していく。いずれ,全てが破壊され,消失していくことをしりつつ,生きていくために,努力し続ける。

991105
私は,集団の中で,生活することになれていないのだろう。父が言っていたように。
真理(と思われる)の言葉が,頭をかすめ続けるのに,いざ,言葉として残そうとすると,あっという間に消え去ってしまう。いつものごとくに。
おそらく,書き残す必要がないか,書き残すにはまだ未熟な思考なのだろう。
<<<===
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この回答へのお礼

とてもプライベートな言説を記載していただきありがとうございます。
98年、99年ごろ、私は高校生でした。
高校の頃は、もっぱら詩を書いていました。ロマンにひたって、世界を素晴らしいものだと捉えていた頃です。ただ、その世界には大人の社会は含まれていなかったのですが。
それがネガティブだったかポジティブだったかといえば、閉じているという意味でネガティブであり、世界が好きだったという意味ではポジティブだったと思います。そのポジティブが昂じて、高校の終わる頃にバックパック一つで世界を少し旅行しましたが、その、ネガティブ(逃避)でもありポジティブ(出立)でもあった旅行が、思春期を終わらしたのではないかと自分では思っています。

人の心に何時、内面と外面が生じたのか私はわかりませんが、その狭間で悩み、また遊んだ思春期の頃が、後々の人生に大きく影響したのは、多くの人に同じことが言えると思います。

子どもたちに掛ける言葉で、不意について出た言葉の方が印象に残っているというのは、きっとそのとおりなのだと思います。いい言葉を言おうと画策したりするのは、ちょっと違うかなと。

お礼日時:2016/01/03 15:31

プロフィールの記載がまづかつたのですが、2月末まではここを利用します。



>そう思えばこうしてこのタイミングで話できるのも、小さな縁なのかな。

おつしやるとほりと存じます。

>トラック野郎さんも、また何時か戻って来ると良いですね。

cyototuさんとさいころさんの復帰だけで充分です。ときどき閲覧はいたしますので、みなさまのご活躍を期待してをります。登録不要のブログには顔を出すかもしれません。物理学における「ふるまひ」の意味や、蛇行運転の原因など、長年の疑問がとけました。科学の進歩はすばらしいものです。

>退会は残念ですが、できれば元気でいられることを願っています。

残念ながら、元気でゐると思ひます。Q&Aサイトの通報マニアの人は、はりあひがなくなるかもしれません。これまで私が好き勝手な投稿ができたのも、kanto-iさんたちの正統的な回答があつたおかげだと思つてをります。コピーの件は詳細の説明がいただけないのでコメント不能です。申し訳ございません。文章を拝見したかぎりでは、コピーができないくらゐのことで追及するのはイヂメのやうに感じられます。コピーが大切な仕事だとおつしやるなら、1回説明しただけで終りといふのは理不尽です。繰返しを惜しむ、この発想こそがまさしく「ゆとり教育」にほかなりません。どこの話なのか存じませんが、従業員が気の毒に思へました。

>確かに自立型で仕事できない方もいるのかもしれません。

正社員としては一般に不適格です。「犬などの躾でよくあることです」との御指摘がありますが、相手が人間だと思ふから腹が立つのであつて、犬だ、ミヂンコだ、屑だ、などとわりきつてゐれば、それなりに対応できるものです。こんなことを書くと、求道派のあほなさんに叱られますね。豚がいちばんです。

>ビールを飲んで運転されたら、洒落になりません

先日スキーバスの事故が報道されましたが、そんなことが起きる下地はいくらでもあります。私はぶん殴つたことはありませんが、ひつぱたくぐらゐはします。いちばん汚いのは、「ビールを飲んで運転」する者ではなく、きれいごとを言ふだけで責任をとらない者だとおもひます。

>一つは短期記憶用の場所で、もう一つは長期記憶用の場所です。

御説明をありがたうございます。「短期習得、短期忘却」などと言はれますが、時間と手間をかけたものは、永く覚えてゐられるものです。iacta-alea-estさんは外国語の教育をなさつてゐるやうですが、先日私の質問におもしろい回答をもらひました。(回答番号4)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/9162749.html
「鞭で打って覚えさせるのには理由があります。痛みを伴う時の記憶は脳に深く刻まれるのです。僕も眠気覚ましも兼ねて、手の甲をシャーペンの先で突いたりしています。忍者か何かを記憶するときは、刃物でどの部位かは忘れましたが体の一部を刺していたようです。」
中世の古典語教育では、文法の先生が生徒を鞭で打つてゐたさうです。そこまでして教へる必要はないと思ひますが、どうしても習得させようとすれば、そのくらゐのことはしなければならないのでせう。

>運転手が手積み手降ろしができないのを

これも結構むづかしいのです。私よりも「ビールを飲んで運転」する者のほうが上手です。さまざまな形状の荷物を四角いパレットの上に積むのですが、ほとんど無意識のうちに美しい立方体を作りあげます。まさに芸術作品です。さきほど人間だと思つてはいけない、と書きましたが、本能によつて巣作りをする動物と同じです。私などは考へに考へぬいて積上げ、最後にラップを巻きつけても荷崩れします。
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この回答へのお礼

2月末ですか^_^少しですが延びて良かったです。

私は相手を豚やミジンコの様には思わないですが、自分も豚やミジンコの様に思われたく無い、のです。ですから、まぁ、自然な事といいますか、私の心がけが大したものと言うのではありませんf^_^;)逆に自身に残る動物的な部分を隠すコンプレックスであるかもしれません。

猪突さんのブログをご覧になるのであれば、もしかしたら、そこで鉢合わせるかもしれませんね。どういう形であれ、またお話できる機会があれば楽しいですね^_^

プラポチさんの人柄に、ここを通して僅かなりに触れさせていただき、何というか、まぁ、純粋に楽しかったです、プラポチさんとのお話は。異なる見解なのに、全然嫌じゃありませんでした。

2月末まで、どうぞよろしくお願いしますね。

お礼日時:2016/01/29 23:08

プラポチさんへ



私も数年前に、退会はしなかったが、教えて!gooを退学した経験があります。ブログに移ってしまったので、そっちに専念しようと思っていたからです。でも数年経って、木造100年でえくや、巫女弟子お姉や、雨合羽お姉や、サイコロさんが懐かしくなって、また、ここに戻って来たのです。トラック野郎さんも、また何時か戻って来ると良いですね。

Have a nice life!
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この回答へのお礼

皆さん、色々の遍歴があるのですね^_^
そう思えばこうしてこのタイミングで話できるのも、小さな縁なのかな。

お礼日時:2016/01/29 16:55

プラポチさんへ



いろいろお世話になりました。
退会は残念ですが、できれば元気でいられることを願っています。

気に入らないとは思いますが、私と似ているところも多く感じ
自己卑下されますが勉強家で努力家で、ずっと尊敬していました。

プラポチさんの言うベルトコンベアー方式に気がついたのは最近で
確か7〜8年ほど前だと思います。

ずっと以前から知ってあるなら、まだ私が気がついていないことが
あるだろうと思い、今回が最後の機会かもしれないので
聴かせていただきたくお尋ねしました。

お陰様で、いろいろと勉強になりました。
ありがとうございました。
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この回答へのお礼

プラポチさんが居なくなるのは残念ですが、人が循環していくのはこのQAサイトでも社会でも同じ事ですね。また、このサイトに、暖かな風を運んでくれる方が現れることを願っています。

お礼日時:2016/01/28 20:52

>ゆとり教育では、問題が起きるとすぐに全体会議にするのだそうです。



たまたま,ゆとり世代全盛期の真っただ中に育った若いもんが私の所に来ていたので、全体会議について聞いてみましたら、その最盛期あたが全体会議のはしりで、それからゆとり教育衰退期に向って、それとは反比例するように全体会議が盛り上がって来たそうです。特に、小学校での全体会議が印象に残っているそうです。
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プラポチさんへのお返事で場所をお借りします。



>さいころさんの主張なさるベルトコンベヤー方式が具体的にどのやうなものなのかがわからず私論を述べたのですが、大きく違つてゐたら申し訳ございません。

 いや、プラポチさん、大変深めていただいたと思っております。感謝感激、雨霰。結局、話としては、現場によって違うということを理解致しました。他のKanto-iさんとのやり取りも拝見していて思いましたが、確かに自立型で仕事できない方もいるのかもしれません。指示待ち人間。彼らに聞いて見たことがありますが、メンタリティは次の通りだそうです。
 ・自分は無力な存在だと思っている。
 ・他人から指示されたことを実行する分には、問題が起きた時に自分のせいではないと言える。
 ・萎縮している。混乱して分けがわからない。
 ・不満があるが、敢えて言わない。
 
 自由を与えて信任し、失敗しても良いから自由にやらせておけば、いずれ、健全な自発性を備えた人が育つと思いたいところです。しかしそれは中々、難しいことです。これは二つの理由がありそうです。

 まずゆとり教育でうまくいかないことが明らかになってしまいました。私にしてみると、ゆとり教育の人は、どこかで成熟しているが、どこかで大変未熟です。私は全員にインタヴューできたわけではないのですし、教育学は門外漢で事実としては語れませんが、2タイプの人を育てると理解しています。ゆとり教育では、問題が起きるとすぐに全体会議にするのだそうです。この結果、
 1. 全体会議にされるのが恐ろしくて、萎縮した子供が育つ。とにかく人当たりはいいが、自分の意見をいわない。いえない。
   →これが指示待ち人間になりやすい。ある一定の水準の人は使いやすい。しかし脆い。
 2.全体会議を牛耳れるくらいに発言力の強い子供が育つ。しかしこれはお山の大将で、全くの世間知らず。
   →これは指示を待たず、話も聞かず、無意味に場をかき乱す。問題児。これも脆い。

 1はいつの時代にもおります。しかし2のタイプをうまく導けないのは、「ゆとり教育」の問題点でしょう。犬などの躾でよくあることですが、敢えて不得意なことを何度もやらせることで、慢心を抑制するということがあるそうです。そしてさらに大きな問題は、2が1にマウンティングすることで、さらに萎縮させてしまう可能性があるということです。私の悩みの種です。

 次に理想的な自由を与えるなど、そうそう出来るものではありませんね。大学院である程度人が変わると申したのは、大学院になると教員が「あたり」の場合、ものすごく大きな自由を確保してくれるからです。しかしこれは大学だからで、仕事ではないから可能なんでしょう。ビールを飲んで運転されたら、洒落になりません。当人が学会発表で失敗しても、それはもう一回、やり直すことが出来ます。

 それと退会なさるとのことで、ここで前にあった言語の問いについてお答えさせてください。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9148528.html
No18について。
>>言語を使用する脳の部位は二つあって......不正確です。>先ほど飲んだばかりです。おもしろさうな内容に思へるのですけれど、論旨が把握できませんでした。よろしければ具体的に御説明くだされば助かります。もう一杯飲めばわかるかもしれません。

 私が20年くらい前にテレビのドキュメンタリーで見た範囲の知識ですが、脳には二つの記憶を貯める場所があるのだとか。一つは短期記憶用の場所で、もう一つは長期記憶用の場所です。脳の部位の名称も説明されていたはずですが、うろ覚えで間違うと良くないので、曖昧にさせてください(書籍を探せば分かりそうですが、ちょっと手元にないので)。外国語学習者は最初、短期記憶用の場所を使うそうです。しかしそのうち、長期記憶用のところに記憶が行くのだそうです。こうならば、ペラペラと話せます。ここまでがドキュメンタリーの内容です。しかし私は自分に照らして分かったのですが、ペラペラ話すと、自分で自分の間違いをチェックできなくなります。これは私個人の経験に過ぎませんが、イタリア人たちがペラペラと話す割に間違いが多いことを考えると、割と真実ではないかと思っております。脳の内奥に入ると、自己批判が適切に出来なくなるのかもしれません。あとで冷汗を流しております。

 駄文が長くなって申し訳ないですが、お仕事の進展を願っております。
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この回答へのお礼

どうぞお使い下さい^_^

ゆとり、、、ここでも出ましたか。ゆとり世代はゆとりと言われることに劣等感を抱いてる様な節も見聞きしますが、ゆとり教育その内容を把握していない私には、ゆとり世代の知人、友人を見てその功罪を判断するしかありません。その分では、私自身は、大きな違和感は持ち得なかったのですが、これだけ多数の方が言われるのだから、やはり事実として問題があるのでしょう。理想が先走った結果の弊害が。

猪突さんが文化として自然発生的に培われた教育についても言及されていましたが、その様な安定仕様のものに注目するのは結構合理的かなとも思えます。一方で、変化の早い現代、社会モデルの話も出ましたが、やはり変わってく部分も必要かなとも思いますし、難しいですね。

言語と脳のお話、横で聞かせていただきました^_^

お礼日時:2016/01/28 03:21

>転んで顔擦りむいて、起き上がったら笑っている、それくらいになればあほの称号を認めます!



何度も死にかけて、笑ってるのでは足りませんか?(笑)
話しは沢山あるので、いつかお会いした時にでも(^ ^)
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この回答へのお礼

おおw
それは十分過ぎですねf^_^;)恐れ入ります。
お会いできる縁があれば、是非お話お聞かせください^_^楽しみにしています。

お礼日時:2016/01/28 01:34

あほなさん、こちらこそありがとうございます。



どんなに社会的に低いと見られようが、駄目だと思われようが
それぞれがそれぞれに、誰でも頑張って生きていると思うんですよね。

それぞれが、どこか愛すべき人だと思えます。

人は弱い。
そして強い。

人間は、いつか本当の意味で支え合うことができると思うのです。

私は、人が持つ可能性を信じ続けて
縁がある場合、微力でも進み続けますよ(^ ^)
誰に綺麗ごとと罵られようともね。

ただ私が、そういう道を選びたいだけです。
それで十分な人生だと思っています。

人を愛するのは、辞めない。
その決意だけですね。

私も十分にあほですねwww
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この回答へのお礼

いやいや、ニュートラルさんにも申しましたが、あほの称号は簡単には認められないのです^_^
まず天然であること。あほな行為や言動が何故か結果オーライ、ハッピーに結びつくこと、皆から下に見られている様で、実は尊重されていることなどなど、挙げればチェック項目は沢山あるのです。
しかしカントアイさんの、この浮世、一途にきらめくものを模索し生きようとする姿勢はあほにも通じるところがあります。ですので、準あほ、という称号で妥協しませんか?^_^
転んで顔擦りむいて、起き上がったら笑っている、それくらいになればあほの称号を認めます!

いつもご回答ありがとうです。

お礼日時:2016/01/28 00:15

#135関連で



ご返答ありがとうございます。

残念ながら、私の職場ではありません。
そして、私の問題でもありません。
尚且つ、どうでもよくないようです。

以前も書きましたが、運転手が手積み手降ろしができないのを
覚えることができないレベルですね。

指示される側は必然性は、理解されております。

複数の当事者から、長い話しを聴いたことをずっとなぞっていました。
8年ほど前から疑問が出て、近年顕著だからです。

書きながら反芻していたら、だんだん明確になってきました。
ベルトコンベアは、おそらく無いですね。

後は当事者に話しをじっくり聴けば、おそらく分かるでしょう。
ありがとうございました。
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この回答へのお礼

ありがとう

人に話をする事で整理され、見えてくる事ってありますね^_^
特にこういうところでは、完璧な話方をしなければならないなどという事はありません。難しい事は此処では要求しないので、皆さん思い思いに語っていただければと思っています。そんな風なのに、貴重な意見を沢山聞くことができました。ちょっとした自伝なども聞く事ができ、質問者としては大満足です。QAサイトでこれ程たくさんのご意見を頂けたのは私は初めての事です。それだけこの問いが、多くの人の心に響くものを含んでいたのだと私は思います。始めは中学生くらいの頃を思い出していただき、どんな回答が頂けるのかと待っていましたが、子供の事よりも大人の教育について語る方も多く、予想以上に話が広がりまして、私のキャパもオーバーしましたが、様々な世界を垣間見る事ができました。
質問して良かったと思っています。

お礼日時:2016/01/27 22:57

回答番号19,26,45,48,64,88,97,129,132のplapotiです。

これが10件目の怪答です。

>プラポチさんはちゃんとした人だと思います。

コピー機が使へません。メモは取つてもしよつちゆう失くします。ちなみに携帯電話は最も機能の少ない機種を持つてゐて、電話することと時刻を見ること以外は使用できません。kanto-iさんから見れば、「三歩歩いたら忘れる」「多くの不幸を感じる人達を周りに作り出し」「働く実績が作れない」のが私です。

kanto-iさんの職場の詳細がわかりませんので、憶測で語るしかないのですが、メモとかコピーとかは、どうでもいいことではないのですか。ふだんの投稿を拝見してをりましても、全体を見るのではなく、細かな部分にこだはりすぎのやうな印象を受けます。社長をなさつてゐるのですか。管理する側は、決断をし、責任をとることが仕事だと思ひます。小さなことに過剰反応してゐたら、従業員が萎縮します。

私は決りきつた事務作業はパソコンまかせです。毎日同じ操作をするものはプログラミングして自動処理できるやうにしておきます。職場では、コピー、ファックス、電卓などを廃止しよう、と主張してゐます。手書き、手計算、手作業は不要です。トラック運転手にとつての仕事は荷物を動かすことなので、それ以外のことには基本的に目が向きません。手積み、手卸し。

指示する側の欠陥としてしばしば見られるのは、自分が判つてゐることを、簡単に相手におしつけてしまふことです。書類のコピーにしても、指示者はその手順の必然性が理解できてゐるから当然のことと思へるのですが、指示される側はそのやうな背景がわからずに手順だけを教へられますから、覚えるのは困難です。「2度目のコピーも、同じと言っても途中で止まっている。最初から説明してやらせる。できても、3度目では止まる。」このやうな状況になるのは、むしろ必然に思へます。私なら確実にさうなります。だからこそ多くの「慣れ」が必要です。

>ここでいう学ぶべき人間の型というのは、どんなもんだろうと言うのは、まだ論ずる余地があるように思います。

はい、さうですね。
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この回答へのお礼

10件ですか。いつもユーモアを交えた話で堅苦しくなく、質問者はじめ楽しみにしておられる方もきっと多い事でしょう。沢山のご回答、ありがとうございますm(__)m

それにしても、プログラミングが出来てコピー機が使えないとか、面白い事をおっしゃる^_^

人間の型については、いろんな人生の波にもまれて形成されるものであり、あるべき型はこうだからこうと覚え込ませようとしても、筋書き通りにはいかないだろうなと思います。この場合の型とは、あくまで参考程度にすべきなのか、それとも履修すべきなのか。田畑や林と同じく、人間にも手入れが必要だとどこかで聞きましたが、そう言うものかと納得している自分もいるなかで、個性とは何かとか、そもそも人格ってなによ、と言った問いも再浮上して来ております。しかしそういった言葉にとらわれず、自由に考察できるようになりたいなあ。

お礼日時:2016/01/27 20:50

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☆チャンスは誰にでもやって来る。ただそれを、掴めるかどうかである。

☆金を失う事は小さく、名誉を失う事は大きい。勇気を失う事は、全てを失う事。

☆神は、試練を乗り越えられない者に、試練は与えない。

☆成功とは、失敗から失敗へと、情熱を失わずに進む事である。

☆敗北、即ち失敗は、私達人間にとって、大きく成長する為の源である。

☆我々にとって、重要なものは、覚悟である。覚悟は偉大な決断であり、覚悟をした人間は、不安を持つ事は無くなるのだ。

☆昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実である。

☆寒さに震えている者ほど、太陽の温かさを感じる。

☆人生の悩みをくぐった者ほど、生命の尊さを知る。

〜元気をくれる言葉達〜

※もし良ければ皆さんからも募集します。

☆チャンスに出会わない人間は一人もいない。それをチャンスに出来なかっただけである。

☆力強さとは、使命感を持つ事から生まれる。

☆昨日までの幾つもの悲しみは、今日への道標である。

☆苦しみは、確かに、厳しい試練だ。しかし、私達の人格を養いもする。

☆最大の名誉とは、決して倒れない事ではない。何度も倒れては、起き上がる事である。

☆辛いとか悲しいとか沢山あるけれど、それはきっと、喜びと背中合わせだ。

☆悲しみとは、時に...続きを読む

Aベストアンサー

★遠くへ行ったからといって何かあるわけじゃない。
  遠くへ行っておけば良かったと悔やまずに済むだけだ。

★この世界の真の孤独は、人に認められない事ではなく、
    なぜここに居るかが解らない事である。

★信じる事では救われない。目をつぶる事で救われるのは、心の弱さだけだ。
   科学とは、信じない事によって進歩し、信じる事で完成する。 

★99のウソを見破るために1つの真実を疑ってしまうなら、
  たとえ100回だまされようと明日の真実を信じたい。

★私を必要としないものを、私は必要としない。

★夢は見るだけのものじゃない。
  まして与えられるものや、待つだけのものじゃない。
       越えてゆくこと、それが夢なんだ。

★遠くまで飛べる翼が、強い翼とは限らない。

★たとえ人に勝つ為であっても、自分に嘘をついたら
  それは自分を見失う事であり(緩慢な自殺)、
     人生に於ける真の敗北である。

★充分に組織化の発達した社会に於いて、最も少なく取り
 最も多く与えようとする時、最も多くの人が最も多く得る事ができる。 
    これは、奪い合う為の如何なる経済理論にも優先する。
(全ての人が全ての人の幸福の為に生きる時、人の喜びは自らの喜び
 となり、物理的状況の如何によらず、全ての人が完全な充足を得る。
   これは、自己中心的な如何なる社会思想をも超越する)

★小さな心ならすぐに充たせる。
 しかし、大きな心を育てた中で、できる限りのことを目指す方が、
  その達成度にかかわらず、より大きな幸福感を可能にする。

★人は、解りにくい真実よりも、解り易いウソを選ぶ。
   そして、それこそが存在(不確定的有限性)の起源である。

★孤独から逃げる事によっては、真の何物も得られない。
  宇宙は自己の認識の内にのみその実体を持つ以上、
   自分しかいない事は、本質的に何一つ欠けていないのだ。

★人は皆んな翼を背負って歩き続ける、
   道の果てに空に届くことを信じて。
       人は、心に翼を持つ鳥なのだ
  (物は肉体を縛るけど、心は全てを超えてゆく。
           しかし、目を閉ざせば空は見えない)

★遠くへ行ったからといって何かあるわけじゃない。
  遠くへ行っておけば良かったと悔やまずに済むだけだ。

★この世界の真の孤独は、人に認められない事ではなく、
    なぜここに居るかが解らない事である。

★信じる事では救われない。目をつぶる事で救われるのは、心の弱さだけだ。
   科学とは、信じない事によって進歩し、信じる事で完成する。 

★99のウソを見破るために1つの真実を疑ってしまうなら、
  たとえ100回だまされようと明日の真実を信じたい。

★私を必要としないものを、私は必...続きを読む

Q【人間には自分の中にいるもう1人の自分の存在に気付いている人もいる】自分で自問自答するのは、自分の中

【人間には自分の中にいるもう1人の自分の存在に気付いている人もいる】自分で自問自答するのは、自分の中にもう1人の自分という意識があるからで多重人格者は障害ではなく普通のことである。

多くの人は自分自身にもう1人の意思が存在し、ときどき自分で聞いて葛藤している自分の中にある2つの人格に対話させて答えを導き出す行動を取っている。

このとき対話している副自分は誰ですか?

どこから発生して生まれているか教えてください。

Aベストアンサー

宇宙は1つです。
「自分」が肉体(宇宙の中の一部)を意味するなら、
「自分(肉体に付属した意識)の中のもう1人の自分」
という言明は意味を持つが(存在と相対する意識)、
宇宙とは意識の内にしか根拠を持たない(宇宙=意識)
ならば、多重性は存在しない。
あるいは異なる時点の認識可能性の時系列化(=記憶)
という非本質(多重人格)に基づいて、意識は生じて
いる。

Q言葉は自分をはかる?

 たとえば「空は青い」という言葉の意義が知解できるとする。その上で、「で、それがなんなの」という意味反応が自分の中にあるとする。それを知ることが、言葉で自分を測るということ。 時には、「そうだ、そう思う」という意味反応。同じ言葉のものさしがちがった計測値を示す。
 意義のレベルでの理解は、感覚的反応がほとんどない。意味のレベルでは「腑に落ちた」ような感覚がある。字義どうりの「空」「青」とは別の意味として「腑に落ちている」場合もある。それは回想を生じさせいるのかもしれない、そしてて、意識は流れていく。

 他人のことはよく分からないが、自分のことについては、偽りのない生の反応が感じられるから、まあまあ、測れると思う。
 そして、どういう意味反応をする者に、自分はなろうとするかを図ることができるようになると思う。

「言葉は自分をはかる」と、あなたは思いますか?

Aベストアンサー

「空は青い」
について、意義または意味について
「それがなんなの」or「そうだ、そう思う」
という可能性。

ご回答者様の場合

>意義のレベルでの理解は、感覚的反応がほとんどない。
>意味のレベルでは「腑に落ちた」ような感覚がある。

ということですね。
でも私は意義のほうが腑に落ちた、という感じがします(=感覚)。

辞書の定義とは別にし、「意義」について、私の定義では本質という意味にとらえています。または追求、専門的な領域で用いられる対象。
一方「意味」は一般的に用いられるとき、便宜上のため、軽くあしらわれるものの対象。
意味はおっしゃるような「意識上に流されていく」ようなイメージです。
「>字義」は一般的用語となる前に、まず事実を説明するためにある言葉=字=道具の意です。

私が「腑に落ちる」ときは「意義」を感じた時です。
それは私は理屈っぽいので、理論や本質(のようなもの)を説くことば(考え)に出会うとき、腑に落ちて気持ちいいのです。

>「言葉は自分をはかる」と、あなたは思いますか?

思います。主体的に言葉でコントロール可能なものもあるし(言葉に対する言葉)、ご回答者様のおっしゃるように翻弄される場合もあります。
人生を通し、身をもって「言霊」とは真実だと感じてもいます。これは重要なことです。

潜在意識、脳は「主語を感じない」と言われます。
私はこれが言霊の正体だと思うのです。

言葉は人の意識、心、すなわち人生を左右します。
心を生かし、また、殺します。ですが、言葉そのものに罪はありません。それを使う人の意識の問題です。その意味で「言葉は人(自分)をはかる」とは思いません。
人をはかる言葉でしたら、その言葉を選択する意識の問題です。


>「空は青い」という言葉の意義が知解

ここでひとつ質問なのですが、「空は青い」という「事実」は知解できるものなのですか?
知解は『知識の力で悟ること。』ですよね。
「考え」は知識の力で得、またそこから派生するものですが、「空が青い」という変えようがない「事実」は知解できるものなのでしょうか?

「空は青い」
について、意義または意味について
「それがなんなの」or「そうだ、そう思う」
という可能性。

ご回答者様の場合

>意義のレベルでの理解は、感覚的反応がほとんどない。
>意味のレベルでは「腑に落ちた」ような感覚がある。

ということですね。
でも私は意義のほうが腑に落ちた、という感じがします(=感覚)。

辞書の定義とは別にし、「意義」について、私の定義では本質という意味にとらえています。または追求、専門的な領域で用いられる対象。
一方「意味」は一般的に用いられるとき、便...続きを読む

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それは、花だからでしょ。
沢山の雑草というか、ただの草のなかに花が一つあれば目立つし美しくもあるけど、たくさんの花の中に雑草が一つあっても何の意味もないし、気づきもしないから表現するに値しないってことじゃないかな。

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