正月早々、良いテレビ番組を見つけました。「奇跡のレッスン」というタイトルで、一流のスペシャリストが子供達を一週間教育するというコーチングの番組です。
私が見たのはバスケットボールの回でして、「運命は自分でコントロールするんだ」という様な言葉がコーチの口から出ていました。カッコええなぁ、、俺もこんなコーチ受けたかったなぁ、などと思いながら見ました。自信のなかった子供達の表情が明るく変わって行くのが印象的でした。他の回の紹介では、「自分で見つけた答えは一生忘れない」→(子供が自分で答えを見つけるのを待つ)とか、「出る杭は下から押し上げる」と言うのもありました。
当方、いつもこのサイトで回答者の皆様にお声かけていただき、「レッスン」を受けている身ではありますが、あらためて尋ねたいと思います。

良いコーチ、先生に巡り会えた方もそうで無い方もいると思いますが、自分が諭された言葉や、自分なら子供達にこう語る、という言葉を選んで、ご回答頂けると嬉しいです。

質問者からの補足コメント

  • そんな大した大人に離れていません→そんな大した大人にはなれていません

    誤字修正です。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/03 16:25
  • 先祖の話、早速アマゾンでポチりました^^v
    読んでみますね。

    No.20の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/05 01:01
  • 一応、齟齬があるとよくないと思い、冒頭の1〜4についてお答えします。
    1.そういう場合もあるかも知れない事を考慮するが、私自身はそういう事は思っていない。
    2.これは1.に同じ。
    3.良い教師はやる気を引き出すと思っているので、そう思っています。
    4.始め、大体の事は自分でやれないが、できる様になると信じて精進すれば、大体の事はやれるようになる。多くの人から、或いは自分よりも劣った人からも学びは得られる。この様な考え、スタンスです。進度やスピードはまちまちで、一を覚えて十を知る事もあれば、十を教わりニしかものにできない事もある。

    No.30の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/07 01:26
  • 皆様へ。
    この質問は、スレッドが更に伸びないかぎり、来週いっぱいで締め切らせていただこうと思います。どうぞよろしくお願いします。

      補足日時:2016/01/07 22:03
  • 女王先生ですか^^; 
    一話だけではなんとも言えませんが、、、歪な教師だとは思います。生徒を締め付けるタイプのようで、あまりいいとは思えませんでした。このような教師が居て良いのか悪いのか、、現実には変人教師というのは居ますから、それこそサイコロさんの言う距離感でもって対処するのが良いのかなと思います。

    No.64の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/13 01:23
  • ウィトゲンシュタイン関連のご投稿を少しですが咀嚼しました。現代哲学における身体の肯定的な捉え方と、行為へのパースペクティブというものに着目しました。この度の質問は、スポーツのエキスパートが子供達のコーチをするという番組についてでして、身体の捉え方とパースペクティブという観点から繋がりそうかな?と思いましたが如何でしょう。もうちょっとウィトゲンシュタイン関連の方も読み直してみますね。

    No.75の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/15 14:44
  • サイコロさん、どの職業が偉いとか、そんな話をお礼欄に書いてしまいましたが、流石にそれは無いかと思い直しました。スルーしてください。サイコロさんを侮る様な事を言ってしまいました。

    No.78の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/15 16:00
  • #96の投稿が、残念ながら息をしておりません。
    その全文を保存しておりますが、短い補足のスペースですのでそれを全て掲載することは出来ませんし、運営の方針も尊重したく思いますので、宛先のない短いコメントをして彼が存在したことを記録したいと思います。
    #96に記された内容は、現代教育のあり方と、素敵な歌と、空想の酒席でした。
    褒めることについて生徒が天狗になって後、人ん話をきかなくなり伸びなくなるというVTRの件ですが、私は、出来るから褒めるのではなく、出来ないから褒める、ってのが褒めるタイミングだと思うんです(マグジーもそうしてた)。凹んでいる子のモチベーションや自信を回復してやる効果が得られます。
    カントアイさんと猪突さんの酒席ですか。座を同じくすれば異なる意見もいい肴にきっとなると思います^^あほなも同席させていただければ、そこでもあほなことを言いますよ(笑)。

      補足日時:2016/01/17 22:13
  • すみません。今読んだGOOからのメールに、今回は削除理由が明記されていました。理由は、個人情報だということです。おそらく、他の方のブログのURLを転載したことが引っかかったのだと思われます。

    No.99の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/17 23:33
  • えー、ついに2月になりましたね^_^
    月日の経つのは早いです。
    投稿も落ち着いてきたので、そろそろ閉める準備に入ろうかと思います。
    私の感想としましては、多くの方のお話を聞いて、自分自身を振り返るに、友達には恵まれたが、教師には恵まれなかったのかなという事があるも、教師の像というものをこのQAを通じていろんな角度から知ることができ、視野を広げることができました。皆様ありがとうございます。

    BAの選定に数日をかけますので、皆さんから頂いた回答を楽しみながら振り返りつつ、これかなー、というものをBAとしたいと思います。

    ながらくこのQAにお付き合い、盛り上げてくださり、重ねて御礼申し上げます。
    m(._.)m

      補足日時:2016/02/01 17:36

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A 回答 (142件中1~10件)

とても沢山あったはずなのです。

その時、その環境、その心境に応じた言葉だからこそ、心の琴戦に響いたといった記憶のみがあります。多くは今から思えば、陳腐な名言とか諺とかです。

たとえば、高校の国語のテキストにて、大岡昇平の「野火」の冒頭だったかに、「たとひわれ死の影の谷を歩むとも(ダビデ、詩篇23:4)」が記載されていて、音読時に、いたく感銘を受けたことを覚えています。この言葉が残っているのは、私のプロフィールを含め、書き残しているからに他なりません。

ポジティブな性格とネガティブな性格と、記憶に関連する研究が多くなされているようですが、比較的、ネガティブな言葉が多く記憶に残っていて、ポジティブに影響を受けた言葉の記憶が少ないのは、多くのポジティブな記憶以上に、ネガティブな記憶が衝撃的な事柄だったからかもしれません。
また、「大人」という年齢に達してから随分経ちますが、こちらが意図して子供達にかける言葉の多くは「???」といったレベルでスルーされることが多いのも事実です。逆に、それほど意図していない状況で、思わずかけた言葉が記憶に残っていると言われたこともあります。

・・・と、古い記録を探っていたら、下記のような記述(日記の断片)がでてきました。非常に青臭いところがありますが「ゆとり教育前」の、いわゆる受験戦争時代をかいくぐって生きていた時代の言葉達です。回答とは程遠い言葉達ですが、何がしかの参考になるかもしれないので載せておきます(ネット上、未公開のものでした)。

当時、ネガティブな記憶が大量に蓄積された脳裏に、一言のポジティブな滴下は、どのような言葉であれ、砂漠のオアシスのように感じられたのかもしれません。
それゆえ、すぐに吸収され、跡形もなく、すぐに蒸発してしまったのかもしれません。
いずれにしても記憶の彼方です。直接お役に立てないで申し訳ございません。

===>>> 以下、個人的な日記からの転記
971208
大人になるとは、純粋な心を失うことであると、誰かが言ったように記憶している。
全てを理想的に解決する手だてを失い、妥協に基づく協調がなされるとき、人は解決の糸口として、互いに受け容れ合うことを学ぶ。
あらゆる物事を、順次、俯瞰的に受け容れざるを得ないとき、人は、いわゆる大人になってゆく。
失うべくして失っていく、個人の過去の遺産とともに、心の偽足も引きちぎられ、萎縮していく。
果たして、いわゆる大人になったものが、心の底から他人に同情などするであろうか。
現実の酷さを隠して、偽りを知りつつ大人は、純粋であろうはずの子供に、「人類は自由、平等、博愛」などと、教え続ける。生存競争のなんたるかを教えようともせず、自然に学ぶであろうことを期待しながら。
あらゆる生活共同体単位で、様々な生存競争が繰り広げられる。それは、緩やかな締め付けが始まったときから、急激に沸騰し始める。しわ寄せは弱者に向かうが、表向き救済されることが暗黙裏に認められている集団に対しては、大声を上げるものは少ない。
様々な知能レベルの策略が、マス・メディアを搾取する。きれい事は大衆受けし、真相は忌み嫌われる。大衆による合意が全てであり、それ以外の何ものも正義足り得ない。神は、その神を信ずる大衆による正義を立法化する手段に過ぎず、信仰の拠り所は教義に存在する。いかなる試みがなされようとも、個々の人の心に基づいて、あらゆることが理解され、感じとられる以上、神は人の心すら越えることができずにいる。形而上学的な全ては、思考の断片すら存在しない場合、全く存在しない。人の理解を超えたものを、人が理解できるわけが無く、人の理解の範囲でのみ、そのものをとらえることが出来るだけである。

980512
子供は、自らなし得る限りの力を使って精一杯生きているというのに、大人は当事者足り得ず、彼らが未だ経験することのない、未来の時間に話をすり替えてしまう。
底辺をレベルアップする事で均質化しつつある義務教育は、ゆとりを求めようとしても不可能なカリキュラムを子供たちに押しつけることとなる。
新たな技術、情報があふれ返る時代に、生きるために、過去に得られた知識以上に学習しなければならない彼らにとって、限られた時間のなかでは、もはや一時の休息すら、落ちこぼれの原因と化す。
自己の経験談:「人生について、将来について、悩む時間すら惜しいと考える時期があった」

980814
過去の上に立ち,現在を見据え,時の流れを見極めて,未来を掴まん。(中学生時代)
常識としてもっと大切なことがあるにも関わらず,一つのことが大切だと強調しすぎると,強調され過ぎたもののみ意識してしまい,本来重要なものの理を見失ってしまうことがある。これは,実体験の乏しい学生において強く見られる傾向のものである。
私は,学生時代に,あまりにも過去という対象物にのめり込みすぎた。今は,現在と,少しの未来にのめり込んでいる。老いたときには,さらに深い未来にのめり込むことだろう。

990309
私は,今,旅立とうと決心している。
幼い頃から見続けていた,夢の正体を今,ようやく分かり始めたような気がする。あの,どうしようもない不安感の原因が何であるのか。
自分の行動範囲を元にして作り出した,架空の町の中で逃げまどい,それ以上の空間には決して到達することの無かった夢。
夢の世界での様々な制約は,住み慣れた町への心の束縛がもたらしていた。
一度,壮大な旅をする必要を感じている。

あらゆる人は,不完全なまま,完全を目視し,安定と繁栄を願望しつつ,存続していく。いずれ,全てが破壊され,消失していくことをしりつつ,生きていくために,努力し続ける。

991105
私は,集団の中で,生活することになれていないのだろう。父が言っていたように。
真理(と思われる)の言葉が,頭をかすめ続けるのに,いざ,言葉として残そうとすると,あっという間に消え去ってしまう。いつものごとくに。
おそらく,書き残す必要がないか,書き残すにはまだ未熟な思考なのだろう。
<<<===
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この回答へのお礼

とてもプライベートな言説を記載していただきありがとうございます。
98年、99年ごろ、私は高校生でした。
高校の頃は、もっぱら詩を書いていました。ロマンにひたって、世界を素晴らしいものだと捉えていた頃です。ただ、その世界には大人の社会は含まれていなかったのですが。
それがネガティブだったかポジティブだったかといえば、閉じているという意味でネガティブであり、世界が好きだったという意味ではポジティブだったと思います。そのポジティブが昂じて、高校の終わる頃にバックパック一つで世界を少し旅行しましたが、その、ネガティブ(逃避)でもありポジティブ(出立)でもあった旅行が、思春期を終わらしたのではないかと自分では思っています。

人の心に何時、内面と外面が生じたのか私はわかりませんが、その狭間で悩み、また遊んだ思春期の頃が、後々の人生に大きく影響したのは、多くの人に同じことが言えると思います。

子どもたちに掛ける言葉で、不意について出た言葉の方が印象に残っているというのは、きっとそのとおりなのだと思います。いい言葉を言おうと画策したりするのは、ちょっと違うかなと。

お礼日時:2016/01/03 15:31

プロフィールの記載がまづかつたのですが、2月末まではここを利用します。



>そう思えばこうしてこのタイミングで話できるのも、小さな縁なのかな。

おつしやるとほりと存じます。

>トラック野郎さんも、また何時か戻って来ると良いですね。

cyototuさんとさいころさんの復帰だけで充分です。ときどき閲覧はいたしますので、みなさまのご活躍を期待してをります。登録不要のブログには顔を出すかもしれません。物理学における「ふるまひ」の意味や、蛇行運転の原因など、長年の疑問がとけました。科学の進歩はすばらしいものです。

>退会は残念ですが、できれば元気でいられることを願っています。

残念ながら、元気でゐると思ひます。Q&Aサイトの通報マニアの人は、はりあひがなくなるかもしれません。これまで私が好き勝手な投稿ができたのも、kanto-iさんたちの正統的な回答があつたおかげだと思つてをります。コピーの件は詳細の説明がいただけないのでコメント不能です。申し訳ございません。文章を拝見したかぎりでは、コピーができないくらゐのことで追及するのはイヂメのやうに感じられます。コピーが大切な仕事だとおつしやるなら、1回説明しただけで終りといふのは理不尽です。繰返しを惜しむ、この発想こそがまさしく「ゆとり教育」にほかなりません。どこの話なのか存じませんが、従業員が気の毒に思へました。

>確かに自立型で仕事できない方もいるのかもしれません。

正社員としては一般に不適格です。「犬などの躾でよくあることです」との御指摘がありますが、相手が人間だと思ふから腹が立つのであつて、犬だ、ミヂンコだ、屑だ、などとわりきつてゐれば、それなりに対応できるものです。こんなことを書くと、求道派のあほなさんに叱られますね。豚がいちばんです。

>ビールを飲んで運転されたら、洒落になりません

先日スキーバスの事故が報道されましたが、そんなことが起きる下地はいくらでもあります。私はぶん殴つたことはありませんが、ひつぱたくぐらゐはします。いちばん汚いのは、「ビールを飲んで運転」する者ではなく、きれいごとを言ふだけで責任をとらない者だとおもひます。

>一つは短期記憶用の場所で、もう一つは長期記憶用の場所です。

御説明をありがたうございます。「短期習得、短期忘却」などと言はれますが、時間と手間をかけたものは、永く覚えてゐられるものです。iacta-alea-estさんは外国語の教育をなさつてゐるやうですが、先日私の質問におもしろい回答をもらひました。(回答番号4)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/9162749.html
「鞭で打って覚えさせるのには理由があります。痛みを伴う時の記憶は脳に深く刻まれるのです。僕も眠気覚ましも兼ねて、手の甲をシャーペンの先で突いたりしています。忍者か何かを記憶するときは、刃物でどの部位かは忘れましたが体の一部を刺していたようです。」
中世の古典語教育では、文法の先生が生徒を鞭で打つてゐたさうです。そこまでして教へる必要はないと思ひますが、どうしても習得させようとすれば、そのくらゐのことはしなければならないのでせう。

>運転手が手積み手降ろしができないのを

これも結構むづかしいのです。私よりも「ビールを飲んで運転」する者のほうが上手です。さまざまな形状の荷物を四角いパレットの上に積むのですが、ほとんど無意識のうちに美しい立方体を作りあげます。まさに芸術作品です。さきほど人間だと思つてはいけない、と書きましたが、本能によつて巣作りをする動物と同じです。私などは考へに考へぬいて積上げ、最後にラップを巻きつけても荷崩れします。
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この回答へのお礼

2月末ですか^_^少しですが延びて良かったです。

私は相手を豚やミジンコの様には思わないですが、自分も豚やミジンコの様に思われたく無い、のです。ですから、まぁ、自然な事といいますか、私の心がけが大したものと言うのではありませんf^_^;)逆に自身に残る動物的な部分を隠すコンプレックスであるかもしれません。

猪突さんのブログをご覧になるのであれば、もしかしたら、そこで鉢合わせるかもしれませんね。どういう形であれ、またお話できる機会があれば楽しいですね^_^

プラポチさんの人柄に、ここを通して僅かなりに触れさせていただき、何というか、まぁ、純粋に楽しかったです、プラポチさんとのお話は。異なる見解なのに、全然嫌じゃありませんでした。

2月末まで、どうぞよろしくお願いしますね。

お礼日時:2016/01/29 23:08

プラポチさんへ



私も数年前に、退会はしなかったが、教えて!gooを退学した経験があります。ブログに移ってしまったので、そっちに専念しようと思っていたからです。でも数年経って、木造100年でえくや、巫女弟子お姉や、雨合羽お姉や、サイコロさんが懐かしくなって、また、ここに戻って来たのです。トラック野郎さんも、また何時か戻って来ると良いですね。

Have a nice life!
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この回答へのお礼

皆さん、色々の遍歴があるのですね^_^
そう思えばこうしてこのタイミングで話できるのも、小さな縁なのかな。

お礼日時:2016/01/29 16:55

プラポチさんへ



いろいろお世話になりました。
退会は残念ですが、できれば元気でいられることを願っています。

気に入らないとは思いますが、私と似ているところも多く感じ
自己卑下されますが勉強家で努力家で、ずっと尊敬していました。

プラポチさんの言うベルトコンベアー方式に気がついたのは最近で
確か7〜8年ほど前だと思います。

ずっと以前から知ってあるなら、まだ私が気がついていないことが
あるだろうと思い、今回が最後の機会かもしれないので
聴かせていただきたくお尋ねしました。

お陰様で、いろいろと勉強になりました。
ありがとうございました。
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この回答へのお礼

プラポチさんが居なくなるのは残念ですが、人が循環していくのはこのQAサイトでも社会でも同じ事ですね。また、このサイトに、暖かな風を運んでくれる方が現れることを願っています。

お礼日時:2016/01/28 20:52

>ゆとり教育では、問題が起きるとすぐに全体会議にするのだそうです。



たまたま,ゆとり世代全盛期の真っただ中に育った若いもんが私の所に来ていたので、全体会議について聞いてみましたら、その最盛期あたが全体会議のはしりで、それからゆとり教育衰退期に向って、それとは反比例するように全体会議が盛り上がって来たそうです。特に、小学校での全体会議が印象に残っているそうです。
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プラポチさんへのお返事で場所をお借りします。



>さいころさんの主張なさるベルトコンベヤー方式が具体的にどのやうなものなのかがわからず私論を述べたのですが、大きく違つてゐたら申し訳ございません。

 いや、プラポチさん、大変深めていただいたと思っております。感謝感激、雨霰。結局、話としては、現場によって違うということを理解致しました。他のKanto-iさんとのやり取りも拝見していて思いましたが、確かに自立型で仕事できない方もいるのかもしれません。指示待ち人間。彼らに聞いて見たことがありますが、メンタリティは次の通りだそうです。
 ・自分は無力な存在だと思っている。
 ・他人から指示されたことを実行する分には、問題が起きた時に自分のせいではないと言える。
 ・萎縮している。混乱して分けがわからない。
 ・不満があるが、敢えて言わない。
 
 自由を与えて信任し、失敗しても良いから自由にやらせておけば、いずれ、健全な自発性を備えた人が育つと思いたいところです。しかしそれは中々、難しいことです。これは二つの理由がありそうです。

 まずゆとり教育でうまくいかないことが明らかになってしまいました。私にしてみると、ゆとり教育の人は、どこかで成熟しているが、どこかで大変未熟です。私は全員にインタヴューできたわけではないのですし、教育学は門外漢で事実としては語れませんが、2タイプの人を育てると理解しています。ゆとり教育では、問題が起きるとすぐに全体会議にするのだそうです。この結果、
 1. 全体会議にされるのが恐ろしくて、萎縮した子供が育つ。とにかく人当たりはいいが、自分の意見をいわない。いえない。
   →これが指示待ち人間になりやすい。ある一定の水準の人は使いやすい。しかし脆い。
 2.全体会議を牛耳れるくらいに発言力の強い子供が育つ。しかしこれはお山の大将で、全くの世間知らず。
   →これは指示を待たず、話も聞かず、無意味に場をかき乱す。問題児。これも脆い。

 1はいつの時代にもおります。しかし2のタイプをうまく導けないのは、「ゆとり教育」の問題点でしょう。犬などの躾でよくあることですが、敢えて不得意なことを何度もやらせることで、慢心を抑制するということがあるそうです。そしてさらに大きな問題は、2が1にマウンティングすることで、さらに萎縮させてしまう可能性があるということです。私の悩みの種です。

 次に理想的な自由を与えるなど、そうそう出来るものではありませんね。大学院である程度人が変わると申したのは、大学院になると教員が「あたり」の場合、ものすごく大きな自由を確保してくれるからです。しかしこれは大学だからで、仕事ではないから可能なんでしょう。ビールを飲んで運転されたら、洒落になりません。当人が学会発表で失敗しても、それはもう一回、やり直すことが出来ます。

 それと退会なさるとのことで、ここで前にあった言語の問いについてお答えさせてください。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9148528.html
No18について。
>>言語を使用する脳の部位は二つあって......不正確です。>先ほど飲んだばかりです。おもしろさうな内容に思へるのですけれど、論旨が把握できませんでした。よろしければ具体的に御説明くだされば助かります。もう一杯飲めばわかるかもしれません。

 私が20年くらい前にテレビのドキュメンタリーで見た範囲の知識ですが、脳には二つの記憶を貯める場所があるのだとか。一つは短期記憶用の場所で、もう一つは長期記憶用の場所です。脳の部位の名称も説明されていたはずですが、うろ覚えで間違うと良くないので、曖昧にさせてください(書籍を探せば分かりそうですが、ちょっと手元にないので)。外国語学習者は最初、短期記憶用の場所を使うそうです。しかしそのうち、長期記憶用のところに記憶が行くのだそうです。こうならば、ペラペラと話せます。ここまでがドキュメンタリーの内容です。しかし私は自分に照らして分かったのですが、ペラペラ話すと、自分で自分の間違いをチェックできなくなります。これは私個人の経験に過ぎませんが、イタリア人たちがペラペラと話す割に間違いが多いことを考えると、割と真実ではないかと思っております。脳の内奥に入ると、自己批判が適切に出来なくなるのかもしれません。あとで冷汗を流しております。

 駄文が長くなって申し訳ないですが、お仕事の進展を願っております。
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この回答へのお礼

どうぞお使い下さい^_^

ゆとり、、、ここでも出ましたか。ゆとり世代はゆとりと言われることに劣等感を抱いてる様な節も見聞きしますが、ゆとり教育その内容を把握していない私には、ゆとり世代の知人、友人を見てその功罪を判断するしかありません。その分では、私自身は、大きな違和感は持ち得なかったのですが、これだけ多数の方が言われるのだから、やはり事実として問題があるのでしょう。理想が先走った結果の弊害が。

猪突さんが文化として自然発生的に培われた教育についても言及されていましたが、その様な安定仕様のものに注目するのは結構合理的かなとも思えます。一方で、変化の早い現代、社会モデルの話も出ましたが、やはり変わってく部分も必要かなとも思いますし、難しいですね。

言語と脳のお話、横で聞かせていただきました^_^

お礼日時:2016/01/28 03:21

>転んで顔擦りむいて、起き上がったら笑っている、それくらいになればあほの称号を認めます!



何度も死にかけて、笑ってるのでは足りませんか?(笑)
話しは沢山あるので、いつかお会いした時にでも(^ ^)
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この回答へのお礼

おおw
それは十分過ぎですねf^_^;)恐れ入ります。
お会いできる縁があれば、是非お話お聞かせください^_^楽しみにしています。

お礼日時:2016/01/28 01:34

あほなさん、こちらこそありがとうございます。



どんなに社会的に低いと見られようが、駄目だと思われようが
それぞれがそれぞれに、誰でも頑張って生きていると思うんですよね。

それぞれが、どこか愛すべき人だと思えます。

人は弱い。
そして強い。

人間は、いつか本当の意味で支え合うことができると思うのです。

私は、人が持つ可能性を信じ続けて
縁がある場合、微力でも進み続けますよ(^ ^)
誰に綺麗ごとと罵られようともね。

ただ私が、そういう道を選びたいだけです。
それで十分な人生だと思っています。

人を愛するのは、辞めない。
その決意だけですね。

私も十分にあほですねwww
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この回答へのお礼

いやいや、ニュートラルさんにも申しましたが、あほの称号は簡単には認められないのです^_^
まず天然であること。あほな行為や言動が何故か結果オーライ、ハッピーに結びつくこと、皆から下に見られている様で、実は尊重されていることなどなど、挙げればチェック項目は沢山あるのです。
しかしカントアイさんの、この浮世、一途にきらめくものを模索し生きようとする姿勢はあほにも通じるところがあります。ですので、準あほ、という称号で妥協しませんか?^_^
転んで顔擦りむいて、起き上がったら笑っている、それくらいになればあほの称号を認めます!

いつもご回答ありがとうです。

お礼日時:2016/01/28 00:15

#135関連で



ご返答ありがとうございます。

残念ながら、私の職場ではありません。
そして、私の問題でもありません。
尚且つ、どうでもよくないようです。

以前も書きましたが、運転手が手積み手降ろしができないのを
覚えることができないレベルですね。

指示される側は必然性は、理解されております。

複数の当事者から、長い話しを聴いたことをずっとなぞっていました。
8年ほど前から疑問が出て、近年顕著だからです。

書きながら反芻していたら、だんだん明確になってきました。
ベルトコンベアは、おそらく無いですね。

後は当事者に話しをじっくり聴けば、おそらく分かるでしょう。
ありがとうございました。
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この回答へのお礼

ありがとう

人に話をする事で整理され、見えてくる事ってありますね^_^
特にこういうところでは、完璧な話方をしなければならないなどという事はありません。難しい事は此処では要求しないので、皆さん思い思いに語っていただければと思っています。そんな風なのに、貴重な意見を沢山聞くことができました。ちょっとした自伝なども聞く事ができ、質問者としては大満足です。QAサイトでこれ程たくさんのご意見を頂けたのは私は初めての事です。それだけこの問いが、多くの人の心に響くものを含んでいたのだと私は思います。始めは中学生くらいの頃を思い出していただき、どんな回答が頂けるのかと待っていましたが、子供の事よりも大人の教育について語る方も多く、予想以上に話が広がりまして、私のキャパもオーバーしましたが、様々な世界を垣間見る事ができました。
質問して良かったと思っています。

お礼日時:2016/01/27 22:57

回答番号19,26,45,48,64,88,97,129,132のplapotiです。

これが10件目の怪答です。

>プラポチさんはちゃんとした人だと思います。

コピー機が使へません。メモは取つてもしよつちゆう失くします。ちなみに携帯電話は最も機能の少ない機種を持つてゐて、電話することと時刻を見ること以外は使用できません。kanto-iさんから見れば、「三歩歩いたら忘れる」「多くの不幸を感じる人達を周りに作り出し」「働く実績が作れない」のが私です。

kanto-iさんの職場の詳細がわかりませんので、憶測で語るしかないのですが、メモとかコピーとかは、どうでもいいことではないのですか。ふだんの投稿を拝見してをりましても、全体を見るのではなく、細かな部分にこだはりすぎのやうな印象を受けます。社長をなさつてゐるのですか。管理する側は、決断をし、責任をとることが仕事だと思ひます。小さなことに過剰反応してゐたら、従業員が萎縮します。

私は決りきつた事務作業はパソコンまかせです。毎日同じ操作をするものはプログラミングして自動処理できるやうにしておきます。職場では、コピー、ファックス、電卓などを廃止しよう、と主張してゐます。手書き、手計算、手作業は不要です。トラック運転手にとつての仕事は荷物を動かすことなので、それ以外のことには基本的に目が向きません。手積み、手卸し。

指示する側の欠陥としてしばしば見られるのは、自分が判つてゐることを、簡単に相手におしつけてしまふことです。書類のコピーにしても、指示者はその手順の必然性が理解できてゐるから当然のことと思へるのですが、指示される側はそのやうな背景がわからずに手順だけを教へられますから、覚えるのは困難です。「2度目のコピーも、同じと言っても途中で止まっている。最初から説明してやらせる。できても、3度目では止まる。」このやうな状況になるのは、むしろ必然に思へます。私なら確実にさうなります。だからこそ多くの「慣れ」が必要です。

>ここでいう学ぶべき人間の型というのは、どんなもんだろうと言うのは、まだ論ずる余地があるように思います。

はい、さうですね。
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この回答へのお礼

10件ですか。いつもユーモアを交えた話で堅苦しくなく、質問者はじめ楽しみにしておられる方もきっと多い事でしょう。沢山のご回答、ありがとうございますm(__)m

それにしても、プログラミングが出来てコピー機が使えないとか、面白い事をおっしゃる^_^

人間の型については、いろんな人生の波にもまれて形成されるものであり、あるべき型はこうだからこうと覚え込ませようとしても、筋書き通りにはいかないだろうなと思います。この場合の型とは、あくまで参考程度にすべきなのか、それとも履修すべきなのか。田畑や林と同じく、人間にも手入れが必要だとどこかで聞きましたが、そう言うものかと納得している自分もいるなかで、個性とは何かとか、そもそも人格ってなによ、と言った問いも再浮上して来ております。しかしそういった言葉にとらわれず、自由に考察できるようになりたいなあ。

お礼日時:2016/01/27 20:50

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と言う人を見かけます。
私もそうでした。

でも、諸悪の根源は国民一人一人じゃないですかね。

くだらないバラエティーばかりやってるのは、私達がそれを受け入れているから。ただ単に視聴率が稼げるから。
政治とは関係無いニュースや偏向報道をするのは、私達がそれを許しているから。

なんかこう、責任全てをマスコミに押し付ける今のネットの雰囲気が、少し気味悪いというかなんというか。
違いますかね。

Aベストアンサー

国民一人一人の責任があるのは事実です。
質のよい政治番組やニュースを作っても視聴率がなかなかとれないとしたら、国民一人一人の民度が下がっているからだと思います。

しかし、マスコミのレベルが低下しているのも事実だと思います。
例えば、フジテレビについては株式の30%を韓国系企業に買収されており、韓国に対して政治的に厳しい報道や発言をしずいらい状況にあります。

ちなみに、テレビ局や航空会社の株は外国企業の保有率を20%以内にとどめるように規定されています。株を外国企業に独占され、言うことを聞かなくてはならない状況になれば国内に多大な影響が出るためです。
フジテレビはおそらく知らないうちに韓国系企業にどんどん買収されてしまったんだと思います。

また、国会議事堂内には朝日新聞や読売新聞など、いわゆるメジャーな新聞や報道機関だけが入れる部屋があります。
彼らはその部屋で優先的に国会や政治執行部の情報を流してもらえるのです。
これを廃止しようと動いていたのが自民党で、その後政権をとった民主党は継続しようとしています。
そのためか、大手マスコミは民主党擁護に偏った報道をしたともいわれています。

このようにマスコミの裏に利権やお金が絡んで、事実上言論の自由が制限されていることは多々あります。
本来のマスコミ、ジャーナリズムは利権や金が絡もうが、真実を暴いて伝えることに全力を賭けるべきだと思います。
今のマスコミに欠けているのは一言でいうとジャーナリズム魂でしょうか。
メディアによる報道は、受け取る側を知らず知らずのうちに洗脳していることがあるので、国民がマスコミの影響を受けて偏った思想になっていることは事実です。
しかし、だからこそ受け取る側の国民は報道の裏まで読んで正しい判断ができるように努力する必要があります。

マスコミも国民もどっちもどっちじゃないかと思います。
民主国家の日本は国民全員に選挙権が与えられていて、国民一人一人がその重さを知るべきです。
国民が不勉強で間違った指導者を選挙に勝たせてしまうことがあれば、国家そのものが揺らいでしまいます。
話がそれますが、ヒトラーが選出される前のドイツは完全な民主国家で、ヒトラーのカリスマ性に扇動された国民がヒトラーという独裁者を選挙で選んでしまっています。ドイツ国民一人一人の誤った判断により、ヒトラーという独裁者は誕生してしまったのです。
民主国家で生きているということは、国民一人一人が正しい判断をできるようにちゃんと勉強しなければいけないということなんですよね。

国民一人一人の責任があるのは事実です。
質のよい政治番組やニュースを作っても視聴率がなかなかとれないとしたら、国民一人一人の民度が下がっているからだと思います。

しかし、マスコミのレベルが低下しているのも事実だと思います。
例えば、フジテレビについては株式の30%を韓国系企業に買収されており、韓国に対して政治的に厳しい報道や発言をしずいらい状況にあります。

ちなみに、テレビ局や航空会社の株は外国企業の保有率を20%以内にとどめるように規定されています。株を外国企業に独占され、言...続きを読む

Q是枝裕和監督の映画「ワンダフルライフ」について

「星になった少年」でおなじみの是枝裕和監督が5年ほど前に監督された作品の「ワンダフルライフ」について質問させていただきました。
「星になった少年」を見たことがきっかけで今回「ワンダフルライフ」も妹に連れられて途中までビデオで見たのですが、いまいち私には話が深くて理解するのが難しく、途中で見るのをやめてしまいました。
どなたか「ワンダフルライフ」を見たことのある方、映画を見た感想を教えていただけないでしょうか?
また、わかりやすく解説なんかもしていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

あの映画は半分はドキュメンタリーのようなものだと思います。語られる「思い出」の中には、出演した方々の本物の「思い出」がかなり入っているらしいですし。

あれは死後の世界ですよね。一生を終えた人たちが、自分の生きてきた中での一番の「思い出」を語り、それを映画に撮って上映することで、その「思い出」だけを持って成仏する。
わたしは、一つ一つの「思い出」を聞くだけでも興味深かったし、映画を撮影するシーンでは、題材となった「思い出」と「映画を撮ること」に対しての愛情を感じました。
自分自身が天国にまで持って行けるような「思い出」って何だろう?と思いながら見るのがいいかも知れません。

あと、「ワンダフルライフ」は是枝監督自身によるノベライズがありますので、それを読めば多少は補完になるかも知れません。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150306117/250-0439742-0170618

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150306117/250-0439742-0170618

あの映画は半分はドキュメンタリーのようなものだと思います。語られる「思い出」の中には、出演した方々の本物の「思い出」がかなり入っているらしいですし。

あれは死後の世界ですよね。一生を終えた人たちが、自分の生きてきた中での一番の「思い出」を語り、それを映画に撮って上映することで、その「思い出」だけを持って成仏する。
わたしは、一つ一つの「思い出」を聞くだけでも興味深かったし、映画を撮影するシーンでは、題材となった「思い出」と「映画を撮ること」に対しての愛情を感じました。
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Q日蓮の竜の口の奇跡は史実ですか

日蓮が竜の口で斬首されそうになった時、光り物がやってきて斬首を免れたとと聞きましたが、この出来事は史実ですか?
史実だとしたならば、どの書に書かれているのでしょうか。
光り物とは「雷」みたいなものですか?

Aベストアンサー

No.1さんの回答にある箇所は、竜の口の後日、相模の国・依知にある本間殿の屋敷での出来事です。

その、少し前の段に、「江のしまのかたより月のごとく、ひかりたる物まり(鞠)のやゆにて辰巳のかたより戌亥のかたへ、ひかりわたる。十二日の夜のあけくれ人の面もみへざりしが物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ。」という文があり、これこそがご質問の文面です。

私も残念ながら、日蓮大聖人、御執筆の文面にしかそれを知る事は出来ません。
当時の鎌倉では、災害の発生件数も多かった事から、唯の雷(落雷)とも考えにくいものがあります。
ただ、いづれにせよ、平左尉門頼綱の企てた暗殺が失敗に終わり、結果的には佐渡への流罪となりますが、極寒の佐渡の地で新たなる強信の信徒が現れ、必死になって日蓮大聖人をお守りし、初めて御本尊を顕され、無事赦免に名なり鎌倉へ戻られます。その事自体が、奇跡に近い事なのだと思います。

そして、日蓮大聖人が確立された「法」そのものが、現代まで途切れることなく続き、全世界200カ国近くへ、そのままの形で流布されているのも、奇跡的な事でしょう。

No.1さんの回答にある箇所は、竜の口の後日、相模の国・依知にある本間殿の屋敷での出来事です。

その、少し前の段に、「江のしまのかたより月のごとく、ひかりたる物まり(鞠)のやゆにて辰巳のかたより戌亥のかたへ、ひかりわたる。十二日の夜のあけくれ人の面もみへざりしが物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ。」という文があり、これこそがご質問の文面です。

私も残念ながら、日蓮大聖人、御執筆の文面にしかそれを知る事は出来ません。
当時の鎌倉では、災害の発生件数も多かった事から、唯...続きを読む

Q奇跡の起こし方

奇跡とは普通ではありえないような事ですが、奇跡って起こそうと思って起こせるものではないと思いますが例えば宝くじを当てて貧乏から大金持ちになるような奇跡はまさしく運頼みなんで努力でどうすることも出来ない奇跡ですが、一方子供の頃から勉強出来なく馬鹿にされていた人間が凄まじい努力をして弁護士になるような奇跡は努力しだいで起こせる奇跡ですよね。こう考えると強い意志と並外れた努力で起こせる奇跡もあると思いますがあなたの思う奇跡の起こし方って何だと思いますか?私は今ある事情で奇跡を起こしたいのです!もちろん努力によって起こせる奇跡の部類です。
くだらない質問で恐縮なんですがぜひ教えて頂けないでしょうか。
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

努力の末の奇跡・・奇跡ではなくたまものですよね。

100歩譲って、質問者さんがこれを奇跡と定義するとしたらということで書きます。

今ある事情、環境で奇跡を起こしたいということですよね。
奇跡という限りは確実に起こる事はないわけです。
つまり努力して起こそうと思っても起きない場合の方が
確率としては高いということですよね。
あなたの希望を拝見するとどうしても起こしたいわけで
起きることが前提となっていますからどこか矛盾します。
しかし、どうしても起こしたいのですから
起こさなければなりません。

ところで質問は起こし方を聞いているんですよね?
では、どうするか。

答えは何事も絶対にあきらめないということだと思います。

100あるピンチ、あるいは希望、あきらめたら100がすべて災難に、希望は絶望に変わります。

しかし、絶対にあきらめなければそれぞれがうまくいく可能性をもちます。あくまで可能性ですから
ダメかもしれません。しかしいくつかは成功する可能性が高くなります。99はそのまま失敗するかもしれませんがひとつはうまくいく可能性があります。

例えば、
10対0で9回の裏2アウト、バッター1割2分の打者、
あきらめればバット振らないんですからそこで絶対に負けます。
ところがあきらめなければ、100同じ状況で迎えたなら
99は負けるかもしれませんが1つ勝つこともあるかもしれません。あるいは10勝てるかもしれません。
だから野球でもサッカーでも最後まであきらめるな!といわれるんです。我々が見ていて、もう負けなのになにムキになって打ってんだよ!と思いますが、もしかしたら・・・
があるからあきらめずに頑張るわけです。

ということで、あなたのいう現状でなにか努力して奇跡を起こす起こし方というのは
「何事も絶対にあきらめない!」
の一言に尽きると思います。

あなたのいうところの奇跡を起こしたすべての人は努力し、途中であきらなかった人です。

いずれにしましてもお話の内容からお若いかたかと存じます。
どんな事情で奇跡を起こしたいのか知りませんが
是非起こせるよう努力し絶対にあきらめずに頑張ってください。

ただし良心に基づいて行ってくださいね。
核爆弾はねかしたってそれは奇跡ではありませんよ。

努力の末の奇跡・・奇跡ではなくたまものですよね。

100歩譲って、質問者さんがこれを奇跡と定義するとしたらということで書きます。

今ある事情、環境で奇跡を起こしたいということですよね。
奇跡という限りは確実に起こる事はないわけです。
つまり努力して起こそうと思っても起きない場合の方が
確率としては高いということですよね。
あなたの希望を拝見するとどうしても起こしたいわけで
起きることが前提となっていますからどこか矛盾します。
しかし、どうしても起こしたいのですから
起...続きを読む

Q人間として生まれる事は奇跡か必然か。

疑問がふたつあります。疑問の文には番号が①と②がふってあります。

私は金持ちではない普通の家に生まれました。何故なら金持ちの人ではない人が圧倒的に多くこの世で溢れているからです。(どこから金持ちと定義するかによりますし、日本人は世界的に金持ちで日本に生まれただけでも奇跡なのかもしれませんが。)

金持ちが少ないから普通の人間として生まれる確率が高い。


人は宇宙に限りあるけど膨大の数の原子から成り立っている。多数ある原子の中の少数がうまく結びついた結果原子の塊である人が存在しています。その原子の構成の違いで個人個人が独立していてそれぞれ違う。

いいかえれば、金持ちな人である原子の塊(人)は少ないから、普通の人間としてうまれた。そう考えたとした場合、
人間と同じ原子で出来ていてちゃんと意志や意識(クオリア)のある人間以外の動物(犬 猫 羊等)に何故生まれなかったのか?
人間よりもはるかに数が多いです。確率的に人として生まれる確率はめちゃくちゃ低いです。私は宝くじ当選等の非常に低い確率の奇跡は起きた時はまずありませんが、人として生まれた奇跡だけが起きるのが不思議です。

①人として生まれるのは奇跡ではないとする内容の話はありますか?「我思うゆえに我あり」など「何故私なのか」等の有名なもの以外のあまり知られていないものでお願いします。

おまけに私の親が互いに別の人と結婚していたら私の脳の構造とは違った人が生まれるため存在していない。(しかし宇宙が無限に存在していて分岐を繰り返して総理大臣になっている私もいれば砂漠で放浪している私もいるという平行宇宙のSFの世界観で捉えた場合、私が存在する事は必然ですが。)

人以外の猫や犬がロボットと同じ無感情(魂がない)なら人として生まれるのが必然といえますが猫や犬が魂がないようには思えないです。アリとかはロボットと同じでただ動いているだけで魂がないといわれて納得はいきます。

人間も他の動物も感情を司ったり意識を司る機能がしっかりついていて人間と同じ原子から出来ていて人間だけが特別ではないです。

そして昔からこれからも意識を司る機能の脳はたくさん生まれては死んでいく。でも、無数ある脳のうちのひとつとして収縮されて私は存在しています。

②確率的に一番高い事柄に事は決まりやすいですが、人以外のクオリアをもった生き物はたくさんいるのに何故奇跡的に人のクオリアとして自分は生まれたのか。それとも人として生まれる事は必然なのか




どういった因果関係で私の脳に私が選ばれたか分かっていないと思いますがそういう事についての話を聞きたいです。





ちょっと変な個人的な仮説を立てさせてもらいます。電子の二十スリット実験等から、宇宙は無限にあり、分岐を繰り返していてひょっとすると分岐が多く存在するもの(人間)に意識が選択されやすいのかと思いました。

全ての自分や人や全ての事柄が平行宇宙で存在するとしたら、観測した時に状態が決まるとしたら、徳川家康が天下統一したのを教科書を開いて初めて学んだとしたら、もし教科書を開くタイミングを一秒でも遅らせたら別の人が天下統一をしている。

観測していない事に関しては分からないだけでなく、形而上学的にも過去は決まっていない。人間の観測と物質の相互作用により成り立っていて、何故私は私なのかという疑問自体が実はナ

疑問がふたつあります。疑問の文には番号が①と②がふってあります。

私は金持ちではない普通の家に生まれました。何故なら金持ちの人ではない人が圧倒的に多くこの世で溢れているからです。(どこから金持ちと定義するかによりますし、日本人は世界的に金持ちで日本に生まれただけでも奇跡なのかもしれませんが。)

金持ちが少ないから普通の人間として生まれる確率が高い。


人は宇宙に限りあるけど膨大の数の原子から成り立っている。多数ある原子の中の少数がうまく結びついた結果原子の塊である人が...続きを読む

Aベストアンサー

「あなた」の誕生は、ビッグバン以来138億年の物質進化、地球
誕生以来50億年の化学進化、生命発生以来40億年の生物進化の
“先端”に過ぎません(人生数十年の産物ではありません)。
その自己誕生のプロセスは、138億年の時間の流れ=138億光年
の空間の広がり、その進化のプロセスの“自己”の内なる階層現象性
(個体(認識体)>細胞>分子>原子>素粒子>クォーク>超弦(量子
定常波))として射影しています。

そうした環境性は、無=不確定性無限の潜在的認識可能性(c=光速
=現在)からの過去(超光速=記憶=時間軸)と未来(光速下=予測
=空間軸)の相補的対発生、即ち自我成立のための必要として仮想的
(階層現象表面的非光速性として)に派生しているに過ぎないのです。

実は、相対性理論にしても、量子論にしても、認識体との相対によっ
てしか存在は無い、という帰結を潜在的に持っています。
客観的時空や絶対的存在というのはない、というものです。
認識性を除外した存在は、無=無限不確定性になります。
その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動(プランク定数hの収束の
時系列化=物体収縮=宇宙膨張)を想定すれば、相対的に無の風は
光になり、認識体はその光の向うに、自我仮説の補完としての時空
仮説=宇宙を認識するという訳です。

「あなた」の誕生は、ビッグバン以来138億年の物質進化、地球
誕生以来50億年の化学進化、生命発生以来40億年の生物進化の
“先端”に過ぎません(人生数十年の産物ではありません)。
その自己誕生のプロセスは、138億年の時間の流れ=138億光年
の空間の広がり、その進化のプロセスの“自己”の内なる階層現象性
(個体(認識体)>細胞>分子>原子>素粒子>クォーク>超弦(量子
定常波))として射影しています。

そうした環境性は、無=不確定性無限の潜在的認識可能性(c=光速
=現在)からの過去(...続きを読む

Q奇跡的って何ですかい?

奇跡的って何ですかい?

地球上に人類が出現したことって奇跡的ですか?
では、地球上にゴキブリやジフテリア菌が出現したことも奇跡的ですか?

1億の精子のなかで精子Aが受精に成功したことは奇跡的ですか?
その事実、精子Bや精子Cにとっても奇跡的ですか?

今、この地上のある場所に私が座ってPCに質問を打ち込んでいるのは奇跡的ですか?
じゃあ、今、あの火星の北緯35度、東経20度に転がっているあの岩石が、北緯30度、東経40度の場所では無い事実は奇跡的ですか?

どうも、奇跡的ってのは、「確率が少ないことが起きました」ってだけじゃないですよね。
本当の奇跡的、すなわち誰から見ても奇跡的ってのはあるんでしょうか?

哲学、または屁理屈のカテゴリーでお願いします。

Aベストアンサー

戦国時代の末期から江戸にかけて日本にキリスト教が入り込んで来た時に、キリスト教の強引な布教を憂いた曹洞宗の僧侶鈴木正三は『破切支丹』という大変格調が高く優れた書物を執筆してキリスト教の教義を理論的に批判しました。確か、その中で「程度の低い宗教ほど、やたらと魔術だ魔法だと、うさん臭いことを言い立てて、人の歓心を取ろうとするものだ。そんなことで騙されるのは、無教養な年寄りや子供だけだ。だから、禅ではそんな嘘や誤摩化しはしない。ところで、キリスト教では奇跡と呼ばれる魔法や魔術が多すぎる」と言う趣旨のことが書いてあったと記憶しております。だから、奇跡的とは、魔法みたいだと言うことと同義語ということですね。

質問者さんは、今後奇跡という言葉に出くわしたら、その言葉を魔法や魔術と理解すれば、色々なことが見えてくるのではないでしょうか。

Q聖書の奇跡は物語か?嘘なのか?宇宙人の仕業か?

キリスト教の聖書も良い事書いてると思うのですが

あまりに物語性が多く 奇跡など字義通りにはにわかに信じがたい。

いや人間によってできる技ではない と思われます。

クリスチャンはどう思っているのでしょうか?

信じがたい事を信じるのが信仰なのでしょうか?

あの当時なら死人を蘇らせたり生まれつきの病人を治したり出来るのは

人間ではなく宇宙人の仕業としか思えない。

天使とか聖霊とかは宇宙人の事か?

喩えを使って話すというが死んで3日後に復活すると言うのはどういう喩えか?

死んで復活するはずがない。

イエスは時代の筋書き通りに行い、実際に殺されたが

死なないで生きて愛の新約を説く指導者となるべきだったと思えてならない。

神の正体 奇跡の実態は何か? ただの作り話か それとも信仰の試みか?

Aベストアンサー

クリスチャンというくくりはあまりにも幅広すぎますが
なかにはいまだにダーウィンの進化論を真剣に否定している宗派もあります。
キリスト教だけではなく、ユダヤ教、イスラム教など他の宗教も学んでみて下さい。
宗教というものの善と悪がよく見えてくると思います。

Q奇跡がおきますよーに。奇跡をおこせ。奇跡はおきる。奇跡は必ずおきる!!英語で何といいますか?

奇跡がおきますよーに。
奇跡をおこせ。
奇跡はおきる。
奇跡は必ずおきる!!
英語で何といいますか?
母親が病気になってしまい…

Aベストアンサー

I want a miracle.
Make a miracle occur
A miracle has happened.
A miracle invariably happens.
What’s this called in English?
My mother has gotten sick,

Qカトリック 奇跡について

カトリックにおいての「奇跡」を具体的に説明があるサイトはありますか?

なるべくイエスとその弟子たちの行った「奇跡」についての説明がいいですが、参考になそうであればそのほかもよろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちはです。

検索ワード: イエス 奇跡
あるいは、
検索ワード: イエスの奇跡
で検索すると、イエスの奇跡に関して記されているサイトが、たくさん出てきますよ。

少し調べたところですと、
http://ebible.web.fc2.com/kiseki02.htm
に、イエスの起こした奇跡が列挙されています。
ただ、新約聖書における出典先が記されていないので、不便といえば、不便ですかね。

マルコによる福音書における《癒し》について限れば、
http://www.ozawa-katsuhiko.com/08jesus/jesus_text/jesus05.html
に、説明と出典先が記されています。
このホームページを開いている人は、岐阜大学・名誉教授ということですから、比較的中立的のようですし、信用がおけるのではないでしょうか。


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