アメリカで出版されている英語の本の中に、"When the student is ready, the teacher will appear." という禅の格言だという引用があります(Wayne Dyer, _Real Magic_, 1992, p.15)。大まかな意味は、学ぶほうが準備ができたときには自然と教えるべき人が現れる(準備ができていないときに何を教えようとしても無駄だし、学ぶ準備ができたときにはいろんなものや人が師匠になるのだ)というようなことのようです(私の理解では)。

この格言のようなもの、日本語で見た記憶がありません。もし本当に禅から出たものならば日本語の出典があるはずだと思いますが、いかがでしょうか。ご存知の方や、心当たりのある方は教えてください。

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A 回答 (2件)

禅ではなくて孔子の言葉なので外してるかもしれませんが、


"When the student is ready, the teacher will appear."
という文を見てまずぱっと思い出したのは「論語」のこの一節です。

「子いわく、これを如何せん、これを如何せんと言わざる者は、われこれを如何ともすることなきのみ」(衛霊公第十五、394節)
(どうしたらいいだろう、どうしたらいいだろう、と言わない者は、私はどうすることもできないのだ)

またこんな言葉もあります。

「子いわく、憤せざれば啓せず。ヒせざれば発せず」(述而第七、156節)
(やる気がおきなければ教えてやらない。言いたいことが言えなくて口がもごもごするくらいでなければ、導いてはやらない)

どちらも、学ぶ者に相応の意志と心がまえがなければ、師はそれを教化することはできない、という思想に貫かれています。
"When the student is ready, the teacher will appear." とはちょっと違うかなあ…。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。非常に参考になります。

お礼日時:2001/07/01 09:30

質問のタイトルを見ての直感ですが、自分の拙い経験に照らすと、


「こちらの学ぶ姿勢や準備が整うと、自然と必要な出会いが得られる。」
ということのように思います。

bosatuさんの解釈とおなじですね。禅の知識がないので回答になっていなくてすみません。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。意味についてはこれが紹介されている本に書いてあるので問題ありません。そうではなく、この格言の日本語バージョン(オリジナルバージョン)を知りたいのです。よろしくお願いします。

お礼日時:2001/06/17 20:40

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QAfternoon Teaの店員さんみたいなナチュラル系ファッションは・・・

こんばんは。
最近、ナチュラル系のファッションを目指しているのですが、
情報が足りなくて困っています;;
目標としているのはAfternoon Tea Roomの店員さんのような
大人っぽいナチュラル系のファッションなのですが、
あんな風になるには、どこのブランドの服が良いのでしょうか・・・?

Afternoon Teaで働いている方はもちろん、
ナチュラル系ファッションが好きな方、
ブランドや雑誌名などどんなことでも構いませんので、
ぜひ教えていただきたいです。
よろしくお願いします(´u`*))

Aベストアンサー

ショップでしたら、スタジオクリップあたりはどうでしょう。
http://www.studio-clip.co.jp/
ナチュラルでやわらかい感じです。

無印良品もナチュラル系のものが多い(ガーゼ素材、リネンなど)ので、うまく組み合わせるといいのではないでしょうか?

アフタヌーンティーは、ショップで服売ってるので、店員さんはそれを着てる可能性も高いですね。

あと、フェリシモ(通販)のサニークラウズあたりもナチュラル系のファッションを多く取り扱っていますよ。
http://www.felissimo.co.jp/sunnyclouds/

参考までに^^

QThere Is No Way To Happiness, Happiness Is The Way

仏陀の名言≪There Is No Way To Happiness, Happiness Is The Way≫

は日本語ではどういう意味なのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

幸せへ到達する道はない。
幸せであること、つまり幸せであると自覚すること、そして幸せを見つけ出し選び取ることが幸せの道そのものなのである。

と解釈しました。

幸せとは心の状態です。
いつでも自分自身の心の内面で作り出すことが出来ます。
幸せへの道があると思うのは、自分の外部に幸せがある・・と錯覚している状態です。
幸せは求めるものでは無く、自分の心の内面で作り出すものです。

Qfor the past two weeks

for two weeksとfor the past two weeksの違いはなんですか?
例文は
I've been on a diet for the past two weeks.

Aベストアンサー

 I've been on diet for two weeks.だと、とにかく過去に2週間ダイエットしたことがあり(もうとっくにやめたかもしれない)、その結果が何等かの形で現在に影響しているニュアンスです(痩せたとか)。
 I've been on a diet for the past two weeks. だと、この2週間というものダイエットしていた、という今日を起点とした過去2週間ということです。

QSo this is Christmas,戦争のない世界について

クリスマスが近づくと、毎年、平和について考えてしまいます。
今年は例年になく厳しい状態が続くようですが。

ところで、戦争のない世界を多くの人は望んでいますが、その根拠としてはどのようなことがあるのか、私自身も、戦争のない世界を望んでいるのですが、ひょっとすると、戦争のない世界などは、過去に存在しなかったし、今後も存在しない、ということが証明可能かもしれません。
戦争のない世界を信仰として望むことを否定するのではなく、学、あるいは哲学として、存在しないし、今後も存在しないものについて考えることは、まったくの徒労になってしまいます。

そこで、戦争のない世界について、哲学的考察は可能なのでしょうか。
まずは、
1)戦争を現象学的に還元して、人間本性から起因しているもので、戦争はなくならない。という仮説について吟味してください。
2)1)の結果に関わらず、戦争のない世界について、哲学的な考察は有益なのでしょうか。
ひとつは、戦争のない世界はいかにして可能か。
もうひとつは、戦争がなくならないのならば、その悲惨をやわらげる方法を考えることは哲学か。
さらに、戦争がなくなるのかなくならないのかは解らない、それに関して何が語りえるのか。

3)これは、関心のある方だけご回答下さい。
ありもしないものについて考えることは、そもそも哲学なのでしょうか。
つまり、哲学の限界について、皆様のお考えをお聞かせ下さい。

質問を読んでいただき有難うございます。
こんな感謝の意思表示が許されるのかどうか分かりませんが、
お楽しみ下さい

クリスマスが近づくと、毎年、平和について考えてしまいます。
今年は例年になく厳しい状態が続くようですが。

ところで、戦争のない世界を多くの人は望んでいますが、その根拠としてはどのようなことがあるのか、私自身も、戦争のない世界を望んでいるのですが、ひょっとすると、戦争のない世界などは、過去に存在しなかったし、今後も存在しない、ということが証明可能かもしれません。
戦争のない世界を信仰として望むことを否定するのではなく、学、あるいは哲学として、存在しないし、今後も存在しない...続きを読む

Aベストアンサー

<<私が、価値判断と言う言葉を拡張したのは、私たちの内にある、判断の中で、無意識的・前意識的に分析すること、つまり、具体例をあげたように、無意味な音の連続から、意味のある音を区別する過程を、無意識的に行っていた、極端に表現すれば、認識自体が価値判断に値する。と言う、これは私の考えですが、このような考えを説明するために、あれこれ書いた次第です。>>

『六根と情報との接触によって生まれる「識」と苦・楽・不苦不楽に分類する「受」。「価値判断・自分勝手な尺度」のトッピング。』

あるいは感情まで(ここまでは入らないかな?)。

の性質を分類わけすることが出来ない。
全て同時に起こる。

同時に起こるので、この領域には何も出来ない。

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あと無意識があると。

ここは集中力と落ち着き、洞察力を高め感覚観察をする必要がありますね。僕は「滑らかな一定のスローモーションの体の動きの感覚を実況中継する」という方法でチャレンジしているところです。



<<この事は、質問の内容からは少し外れますが、この誤解・相違は、言葉上の瑣末な問題なのか、それとも、仔細な事ながら、重要な事柄なのかは、私にはよく判らないところです。>>

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<<「認識=価値判断(広い意味)=ありのままのデーターの『編集』」と言う構造は、私にとっては背骨に当たります。これなくして私はありえません。>>

僕の考え方は「認識=六根とそれぞれの対象の接触によって生まれるもの」「その認識に良い感じ・どってことない・嫌な感じの分類過程」があって、その次に「~べき」という「価値判断・尺度」が入りそれを繁栄させ感情が出ると思ってます。

そして「私」(変わらない私・アートマン・魂といいましょうか)は無いのだろうな。というのが今の私の憶測です。「私」という錯覚があるから「~べき」となるのだろうと。

<<とはいえ、10年後、私が当時間違っていた、と告白する日が来ないと断言するわけではありませんが、その時、私は、今の私ではないのでしょう。>>

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お釈迦様や能力あるお坊様方は、「生きるとは?生命とは?」という根本的な問題について、「理性的論理的に実証的」に語っています。頭で解るが、実感としてわからないことも確かめる方法も教えてくれます。

化学式と実験手引きが載っている「参考書」のような感覚があります。

当時のいろいろな考え方についても、「ここが間違ってますよ」と多く論破なされているように感じます。現在ある論も大抵はこの中に入っているように感じますね。

(当時の厳密で複雑wな論理のインドの哲学が相手ですからね。その相手も言葉だけ聴くと「何じゃそりゃ。バカなの?」と捨ててしまうようなものもよくよく見れば結構深く考えられているものが多くあまりバカには出来ないのですが(矛盾点はあるもののw))

昔、ある信仰を重視する宗教の学者陣が相手の宗教を潰す目的で研究し穴を見つけそこを足がかりに改宗させるということがなっされていたようです。

その方々が、お釈迦様の教え(パーリ語の仏典)にチャレンジしたが逆に自分の信仰の矛盾を見せられ、、無理だったようで、その中でも逃げずに挑戦した方々が、仏教の研究に専念したそうです。その方々の研究の成果のおかげで仏教を学ぶ私達はいろいろな恩恵を受けています。

この方々のように見解に執着せず、柔軟に保ち「理性」を重要視し、いつでも捨てられるように精進いたしましょう。


生命の全ての誤解が解けますように。
では幸福であれノシ

<<私が、価値判断と言う言葉を拡張したのは、私たちの内にある、判断の中で、無意識的・前意識的に分析すること、つまり、具体例をあげたように、無意味な音の連続から、意味のある音を区別する過程を、無意識的に行っていた、極端に表現すれば、認識自体が価値判断に値する。と言う、これは私の考えですが、このような考えを説明するために、あれこれ書いた次第です。>>

『六根と情報との接触によって生まれる「識」と苦・楽・不苦不楽に分類する「受」。「価値判断・自分勝手な尺度」のトッピング。』

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Qteaについて

”tea”という単語は、英語で紅茶の意味だけなのでしょうか?

これから紅茶とコーヒーについてのレポートを英語にて書こうと思っているんですが、総称でtea cultureと言っていいのでしょうか?

それともtea & coffee culture にしたほうが良いでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

私見ですが、
tea & coffee culture
のほうがいいと思います。
論文では、そのテーマを明確にすることが
第一義ですから。

teaの語源であるteは、
そもそもオランダ経由で伝来したものです。

「茶」という言葉自体は、
茶の葉以外の植物の葉や果実などを用いた飲み物をも
そのように称すことがあります。
ヨーロッパでも、当初はteaは
紅茶だけでなく緑茶や抹茶などもそのように称していました。
(その後、彼らの好みで紅茶だけを指すようになりましたが)

また、大航海時代最盛期に南米から
ヨーロッパにcoffeeが入ってきたと思われがちですが、
ヨーロッパではcoffeeの歴史はteaより古いんです。

確かにteaには
コーヒー・ココアなど、
「あったかい飲み物」をさすこともありますが、
同じくらいの頻度で
[アルコール」とか「マリXXナ」も指します。

学問的なテーマを明確にするうえでは、
tea & coffee culture
のほうがいいと思います。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6

私見ですが、
tea & coffee culture
のほうがいいと思います。
論文では、そのテーマを明確にすることが
第一義ですから。

teaの語源であるteは、
そもそもオランダ経由で伝来したものです。

「茶」という言葉自体は、
茶の葉以外の植物の葉や果実などを用いた飲み物をも
そのように称すことがあります。
ヨーロッパでも、当初はteaは
紅茶だけでなく緑茶や抹茶などもそのように称していました。
(その後、彼らの好みで紅茶だけを指すようになりましたが)

また、大航海時代最盛期に南米か...続きを読む

Q英語の冠詞a,theの概念にお強い方

こんにちは。英語初心者です。aとtheの付け方も分かりません。

Wikipediaにおける、冠詞の説明が難しくて困っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%81%AE%E5%86%A0%E8%A9%9E

そもそも、可算名詞、不可算名詞の概念が分かりません。「数えられないもの」など存在しないからです。水でさえ汲めば数えられます。

私は色々あってこう考えました。


「具体的な「存在物」はthe(定冠詞)をつけて、どれでもいいという「概念」にはa(不定冠詞)をつけて、では冠詞の付かないものは何なのかというと、実現化不可能な「究極の概念」(例えば円のような)である。」

しかし、これは間違いのようです。

上の理屈に従えば、
Eat the rice.は「その飯を食べろ」
Eat a rice.は「飯を食べろ」
Eat rice.は「実現不可能な完璧な飯を食べろ」=「観念の上でそうしろ」=「真似をしてそう観念していることを示せ」

となってしまいます。

実際には、
Eat rice.で「飯を食べろ」という意味らしいです。
Eat a rice.だと変になってしまう(予想では「米粒1個を食べろ」となる)みたいなのです。


実践的な解説は数多く聞きましたが、あまり概念を把握し切れていないので、応用に結びつきません。

西洋人は一体何を考えて冠詞を使っているのでしょうか。そこには何らかの概念があると思うのです。人間が本当にあのWikiに書いてあるような、難解なルールを考えて冠詞をつけるつけないと判断しているのでしょうか?

可算不可算の概念、冠詞の概念を教えて下さい。

ルールなど無い、全ての名詞に慣習があるというのなら、現地に居ない私にはつかみどころがなく、もう冠詞を使用することが出来なくなってしまいます。

こんにちは。英語初心者です。aとtheの付け方も分かりません。

Wikipediaにおける、冠詞の説明が難しくて困っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%81%AE%E5%86%A0%E8%A9%9E

そもそも、可算名詞、不可算名詞の概念が分かりません。「数えられないもの」など存在しないからです。水でさえ汲めば数えられます。

私は色々あってこう考えました。


「具体的な「存在物」はthe(定冠詞)をつけて、どれでもいいという「概念」にはa(不定冠詞)をつけて、では冠詞の付かないものは何なの...続きを読む

Aベストアンサー

>可算不可算の概念、冠詞の概念を教えて下さい。
>ルールなど無い、全ての名詞に慣習があるというのなら、現地に居ない私にはつかみどころがなく、もう冠詞を使用することが出来なくなってしまいます。

⇒可算不可算の概念について
質問者様の“「数えられないもの」など存在しない”というご指摘は、例えば「物理学の中」ではそのとおりです。けれども、「英語での表現というレベル」では、「数えられないもの」があって、それを不可算名詞と呼ぶわけです。

英語では、「液体や粉など」を表わすものが不可算名詞です。そして、この場合、「それを入れる容器などで数える」わけですね。例えば、a cup of coffee, two cups of coffee...のように。

⇒冠詞の概念について
ごくごく大雑把に分けると、冠詞は「指示方法」と「指示範囲」という2つの基準で、定冠詞・不定冠詞を使い分けます。

A.指示方法の違いによる使い分け
「特定のもの・既知のもの」を表わす語には定冠詞をつける: the sun、 the man (I met yesterday)。ただし、極めて明確に限定されているが、人名などの固有名詞には冠詞をつけない。

「不特定のもの・未知のもの」を表わす語には不定冠詞をつける: a star、 Yesterday I met a strange man...。ただし、話者には分かっていても、相手が知らない場合を含む。

B.指示範囲の違いによる使い分け
国民・階級・種族などの「全体を表わす場合」には定冠詞をつける: The Spanish are very fond of soccer. ただし、man, womanなどは例外扱い( Man is mortal.)。

「部分を表わす場合」には不定冠詞をつける: There is a stature in the park. Give me a cup of coffee.
ただし、「質のみ」を表わす場合は、通常無冠詞: I'm at home.(「在宅」している)。Is there any fish that doesn't live in water?(「水中に」住まない魚)。

注: 以上は、あくまでも「基本原理的」な理解を目指した説明です。ごく簡単な区分なので、これだけでカバーできない部分も多々ありますし、最初にもお断わりしたとおり、例外もたくさんあり得ることをご了解ください。

>可算不可算の概念、冠詞の概念を教えて下さい。
>ルールなど無い、全ての名詞に慣習があるというのなら、現地に居ない私にはつかみどころがなく、もう冠詞を使用することが出来なくなってしまいます。

⇒可算不可算の概念について
質問者様の“「数えられないもの」など存在しない”というご指摘は、例えば「物理学の中」ではそのとおりです。けれども、「英語での表現というレベル」では、「数えられないもの」があって、それを不可算名詞と呼ぶわけです。

英語では、「液体や粉など」を表わすものが不可算名詞...続きを読む

QRAG FAIRのアルバムAIRのtea time loverの歌詞教えて

RAG FAIRのアルバムAIRのtea time loverの歌詞教えてください。

Aベストアンサー

確かここに載せたらいけなかったような気がするので、アドバイスだけしておきます。
3月にRAG FAIR『AIR』のスコア本が出るので、それを見てもらったらわかるかと思います。

Q人間の三大欲は食欲,睡眠欲,性欲ってこれら3つとも

人間の三大欲は食欲,睡眠欲,性欲ってこれら3つとも欲じゃなくて無くてはならないものですよね。

なぜこれらがなければ死んでしまって人間が絶滅してしまうのになぜ欲って言うんでしょう?

生理的,生物的に絶対必要不可欠なものですよね。
こんな生理的,生物的に絶対必要なものを欲というのはおかしくないですか?

なぜ欲と言われるようになったのでしょう。
必然性があり,私にはぜんぜん欲とは違うと思いました。

誰がこれら3つを人間の三大欲と間違った考えを日本人に植えつけたのでしょう。

Aベストアンサー

性欲は違いますね。なくても死にませんから。

前回答者さんがおっしゃるように排泄欲。

社会的に孤立したら生きていけないという意味での社会帰属欲をおまけします。

QBURTONのバインディングが取り付けられる板

BURTONは他のブランドとの相性が悪いですが、BURTONのバインディングはどのメーカーの板でも取り付けられるのでしょうか?教えてください。

Aベストアンサー

BURTONはネジ穴のレイアウトが3Dですが、
4×4のディスクも付属していますので、それがあれば他メーカーの板には取り付け可能です。
無ければディスクだけ購入できたと思います。
逆はほぼ無理なんですよね。
BURTONの板にはBURTONのバインディング以外付かないと思ってたほうがいいです。

Q唯○論を教えて下さい。唯心論,唯物論,唯識論…他にありますか?

この他にこの唯○論の○にあてはまる言葉があったら教えて下さい。あと私が思いついたのは、養老孟司の唯脳論です。

パロディ的な面白い言葉もあった気がしますが、思い出せません。おふざけな言葉でもいいので教えて下さい。哲学や思想には、他に唯○論がありますか?

Aベストアンサー

唯理論(理性論、合理主義:真の認識は、
    経験から独立した確実な理性的な、
    数学をモデルにしたような根本原理)

というのもあります。
今調べて知ったのですけどね。

唯霊論とか唯金論、とかあっても良さそうです。

唯不倫…。あるにはあるようです。


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