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日産は、様々な理由から、1990年代には、経営危機に陥っていましたが、なぜ同じくの経営危機に陥っていたマツダと違って、
この危機的状況を立て直すための量販車種を開発・市場投入しなかったのですか?教えて下さい。

A 回答 (4件)

旧・財閥(芙蓉グループ)の一員で、組織的にもギッチギチだった。


稟議書の表紙に「お上」と付けて提出していたとか。

固定費カットのため「大量リストラ」や「工場閉鎖」など
ドラスティックな再編が必須だったが、
腹を括って「苦楽を共にした仲間や部下をバッサバッサと解雇」する
嫌われ者役になる人物が居なかった。

海外から来た赤の他人(カルロス・ゴーン)なら同情は皆無。
「そんな工場、そんなに従業員は要らない」とズバンッと切り捨てた訳です。

当時、日産は「倒産の憂き目に会うような財務状況」でしたが、
自衛隊に納入するミサイルなども生産していたので、
そう易々と潰す訳には行かない事情がありました。

国防に重要なミサイルを造る企業を海外に売り渡しても良いのか?
という議論もありましたが、
ルノーは、相当良い条件で日産株を手に入れたし
日産株を売る時もウハウハになれる契約内容で今日に至っています。

>量販車種を開発・市場投入
 日産に限らず、全てのメーカーが現在もそれを目論んでいるのだが、
 日産とマツダとでは「企業規模」が違い過ぎる。
 年間販売台数1万台の新型車、、、
 マツダなら「ヒット車」だが、日産では「販売不振車」。
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当時の日産は今のシャープよりひどい状態でしたよ。


財閥系企業であるにもかかわらず、系列銀行から
「支援できない。」と絶縁状をたたきつけられたのですから
事実上倒産していました。
そんなところに更に投資などしようモノなら、その日に完全倒産しちゃいます。
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>この危機的状況を立て直すための量販車種を開発・市場投入しなかったのですか?



・・・・投入した結果が、あのザマでした。要するに社運をかけたクルマがどれもパッとしなかったってことで、ルノーに身売りした時点では、当時社内で進んでいた全ての新型車開発が一旦凍結されてもおかしくない様な終末的状況でした。

 当時の日産は、あのまま借金の引受先が見つからなければ『不渡りを出して倒産』と言われていました。ゴーン氏の社長就任前後には、会社の先行きに見切りを付けた研究者や設計・実験エンジニアが、開発本部の所在が近いいすゞ自動車や三菱ふそう、同じ関東に開発拠点を持つホンダや日野自動車に大量に流出したほどです。(まるで沈没する船から大量のネズミが脱出する様に・・・ワタシは当時某自動車メーカーの研究部門にいたのですが、ある時いきなり日産の開発エンジニアが大量に転職して来てビックリしました。その後の日産の奇跡的復活劇の基礎となった、ゴーン氏本人による『死のコストカット』の粛清が吹き荒れる真っ只中での話です。)
 製造業では、どんなに経営が厳しい状況にあろうとも、エンジニアを減らし開発力を弱体化しては絶対にいけません。(開発の縮小は、次に売る商品の開発を断念したことを意味します。次に売る商品が無ければ工場を稼働させることも出来ず、多くの社員の仕事が無くなり、何もしないまま赤字が累積して倒産まっしぐら、です。)
 あの時まさしく日産は、文字通り『瀕死』だったと思います。

 マツダが度重なる経営危機を乗り越えて来たのは、最初の危機でフォードの『ヒモ付き』になったから、に過ぎません。日産では、このフォードに相当する会社がなかなか見つからなかったということです。
 今日マツダが独立企業として存続しているのは、勿論マツダ本体の努力もあるでしょうが、フォードが勝手に『虫の息』になり、大量に保有していたマツダ株を一気に手放した事が大きかったでしょう。

 またマツダの経営危機は、そもそも日産とは比べるべくもない、ということがあります。
 最初の危機は初代SA型RX-7のヒットで乗り切り(元々経営危機の元凶だったロータリーエンジンによる一発逆転でした)、ロータリーが行き詰まりだした頃に初代FFファミリアの空前の大ヒット、ロータリーもレシプロもなくクルマそのものが売れなかった時代に初代デミオの登場でそれぞれ乗り切りましたが、逆に言いますと、マツダとは1車型当っただけでクビの皮がつながる程度の規模の会社だということです。かつてトヨタと熾烈なシェア争いを繰り広げていた『世界規模の巨大企業』日産ほどの会社となると、1車型や2車型『危機的状況を立て直すための量販車種を開発・市場投入』したところで焼け石に水だった、ということです。
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当時のニッサンはバブル崩壊による急激な販売の減少・経営環境の悪化と、残っていた借金が重すぎたので、多少車が売れるくらいでは到底やっていける状態ではなかったのです。


(有利子負債が2兆円ほどありました)
そのため、不要部門や遊んでいる工場の切り離し・売却等でのスリム化を含めた抜本的な経営改革が必要だったのですね。
一応、エルグランドやキューブなんかは当時屋台骨を支える車種として持て囃されましたが。

マツダの場合は2000年代以降は粗方フォードとの資本提携による経営改善に目処が付いた段階でありましたから、とりあえず経営は楽ではなくても売れる車種が出ればなんとかなる、という状態だったのですね。
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