言葉にできないことって、なんだと思いますか?
また、まだ言葉として概念化していないことに現在挑んでいるものは何だと思いますか?
最近、構築されつつある新たな言葉や概念など、
みなさんの専門領域のもの、マイナーなものでも構わないので、教えて欲しいです。
もちろん、言葉にできないので、ここにそれをダイレクトに書き込むことは
大変難しいのですが、駆使できる言葉を駆使して、輪郭だけでも
浮き上がらせることはできないだろうかと、
言葉の限界に挑むつもりで質問させていただきました。
限界に挑んでるなと私が感じるものでいま思いつく例は、
・老子のTAOの考え
・芥川龍之介の人間失格にでてくる、人間の心の有様の表現
・新たなオノマトペによるロボットの開発
これくらいです、、、。
みなさんの考えを教えていただけると嬉しいです。
No.2
- 回答日時:
失格だったのは太宰竜之介さんだったかな、っと冗句を言ったところで。
自然発生的なものでなく、前持っってのシナリオがあるものに関して人間が頭で作ったことって底が浅い。だから、曖昧さなしに表現が可能です。私は大分昔、コンピュータのプログラムのソフトウェアの講習を受けて、目から鱗が落ちたことがあります。生身の講師の簡単な説明が終わった後、テレビのビデオでソフトウェアの講義に移ったのです。そしたら、とても解り易くて飽きずにビデオを見ることができました。
んで、そのとき何か変だと思ったのです。テレビの教育放送を何度も聞いたことがありますが、国語でも科学でも何でも、何かつまらない。とても飽きずに見ていられなかったのです。なのに、何故このソフトウエアの講義は飽きずに見ていられたのか。その理由が判ったのです。ソフトウエアの規則って人間が作ったのですよね。それも、コンピュータと言う超単純な論理で動く機械を動かすために。だから、ビデオの中で話している人は自分で何を言っているか、曖昧さなしに完全に解っている。曖昧さがあるとこの超単純なコンピュータが動きませんから。だから、講師が自分で何を言っているのか曖昧さなしに完全に解っていることを話すときには、聞いている方も何の負担もなくすんなり頭に入ってくる。だから言っている事が解るので面白い。
ところが、国語でも科学でも社会でも倫理学や哲学でも、先生は自分で何を言っているのか解って話している人はいない。そんなもの解ってしまったら、その学問は終わりだ。そんなもの一所懸命やる人なんかいなくなってしまう。でも、その先生方は、自分でも解らないながら、だから言葉にできないながら、自分の興味をもっていること、まだ未完だた自分が解り始めたと直感的に考えていることが、曖昧な形ではあるがこれは正しい言う直感や強い思い入れがある。
さあ、自分でも何を言っているか解らないが、それが重要だと思っていることを何とか相手に伝えたい。そのとき貴方ならどうしますか。大事だと思っていることを言うときは目がギラギラ光り出し、大声を出し、両手を大きく動かし、唾をまき散らし、黒板に殴り書きをしたものを叩き出し、、、と、そんな形で、相手に何とか自分の興奮を伝えようとしませんか?そう、そんな思いを伝えたいときには、ショッキングピンクやショッキング紫色したオーラをギタギタさせながら捲し立てるようになる。その唾を浴びながら目の前で聞いている人は、その迫力に魅了され、なんかこの辺りに大変重要なことがあるんじゃないか、何とか解りたい、ってな具合になるんじゃないかしら。だから、聞いていて面白い。
ところが、そんなオーラはテレビ画面にしてしまうと全て遮られてしまう。だから、先生が解っていないことを何のオーラもなく聞いていたんじゃ、何もこちらに伝わって来ないので、飽きるのも当たり前だ。
このように、人間がはっきりした目的を持って自分たちの頭で作り上げてきた超単純な事象は例外であり、ほとんどあらゆる学問の場合、その学問で見出そうとすることを理解し自分の言葉にするためには、ただ単にそれに付いて書かれた書物を勉強したり、ビデオなどの講義を聴いたりしただけでは不可能です。石に齧り付き血の涙を流しながらそのことについて考えてきた人から、直接その人の唾を浴びギタギタしたオーラを体で感じながら学んでいかない限り、その真髄は解りません。
ご回答ありがとうございます。文章に迫ってくるものがあり、心に響きました。たしかにそうですね。わからないから続けられる、わかったらそこでお終い。だから学問は学問として成立し続けるのでしょうね。生身の人間と機械の根本的な違いですね。あと、失格は太宰さんでしたwあほですみません。
No.5
- 回答日時:
おじさんです。
言葉に出来ないというよりも、表現しにくいものは”感性”でしょうね。
人々それぞれの感性の違い、これを言葉にするのはかなり難しいです。
No.7
- 回答日時:
いくつか不明な点についてお聞きしますが、回答者からの「質問」は規則違反だと思いますので、これは無視していただいても構いません。
感情は言葉にできないが、「言葉にできない」という風にすでに言葉になっている。とはどういう意味でしょうか?
「感情は言葉に出来ない」ではなく、「言葉にできない(ならない)」感情=「状況」がある、ということではないのでしょうか?
ヴィトゲンシュタインが、「語りえぬことについては沈黙しなければならない」といった、その「沈黙」のあとに来るのは、
ゲーテの言う「限りない喜びの中にも、果てしのない悲しみの最中にも、我々は芸術を必要とする」といった状態ではないでしょうか?
言葉に出来る範囲を超えて、感情は存在し、それは言語化不能な故に、「芸術を必要とする」のではないでしょうか?
ですから
>あるいは絵や音楽といった、言葉なしで魅せる分野も、
言葉によって構築されてきたし、絵は絵なりの言葉としても成り立っています。
と、いわれるような
「音楽や絵画」が「言葉」である、という意味がよく分かりません。
「言葉の限界」というものが確かにあって、そこから先がアートの領分であると考えるのは、あまりにもナイーヴに過ぎるでしょうか?
ご意見ありがとうございます。
ウィトゲンシュタインに関しては返す言葉もありません。ゲーテはあまりわかってないので勉強してみます!
とりいそぎわたしの考えです↓
やはり、芸術も言葉だと思います。言葉も芸術というべきでしょうか。
例えば、「言葉にできないから絵を描いた」という表現は、厳密にはおかしいと思います。
「言葉にするより手っ取り早いから絵を描いた」
「まだこの感覚の言葉はこの世にないから絵を描いて新たな言葉をつくるために絵を描いた」
なら理解できます。
数学では数字が言語であるように、絵は絵自体が言語です。
ex)駅までの道のりを伝えたいとき、言葉でも説明できるけど、絵の方がわかりやすい場合がある。逆に、絵よりも言葉で説明した方がわかりやすい場合もある。
X(駅)までどう導くかの表現手段という意味では、言葉も絵も、表現がちがうだけで、同じ働きをしている。
また、もしXまでの道のりを全く言葉にできないのであれば、絵も全く描けない。なんとなく覚えていれば、言葉でもなんとなくの説明しかできないし、絵でもなんとなくの絵しか描けない。
このように、言葉と絵は常に切り離せないものです。サルには絵が描けないし、、
言葉も絵も音楽も、Xに近づく挑戦という意味では同じです。言葉よりも絵の方が、よりXを導きやすそうだから絵を描くという優先順位の問題です。絵の言葉、詩のようなものでしょうね。
ですので
「言葉の限界」というものが確かにあって、そこから先がアートの領分である
というよりは、
言葉よりもアートの方が限界領分に近づきやすい場合、人はアートを必要とする
ではないでしょうか?
まとまってなくてすみません。。
間違ってればもしよければご指摘お願いします(>_<)
No.8
- 回答日時:
ゲーテの言葉を身近な例で示せば、例えば、フランク・シナトラの歌う、
" Too marvelous for words"
- You're much too much, and just too "very, very"
To ever be in Webster's Dictionary. -
『キミはあまりにあまりに素晴らしい!かつてウェブスターの辞書の中にあったどの言葉よりも。』
- And so I'm borrowing a love song from the birds
To tell you that you're marvelous - too marvelous for words. -
『だからぼくは小鳥の歌う恋の歌を借りてくる。言葉にできないきみの素晴らしさを伝えるために』
ご回答ありがとうごさいます。素敵な歌ですね(^_^) へんにあれこれ言葉を探して愛を語るより、言葉にできないから歌を借りよう ロマンチックだと思いました。
No.9
- 回答日時:
こんばんは。
お返事をありがとうございます。お礼を読んで、「言葉」というものを広義の「表現(的語彙)」という意味で使われているのかな、という印象を受けました。或いは比喩的な表現として。
「ターナーの絵も一つの言語だ」「モーツァルトのシンフォニーも素晴らしく優美な言語である」云々と、比喩的、象徴的に使うことは出来るでしょう。
またターナーの絵やモーツァルトの音楽を「言葉によって」「解説」「批評」することも可能です。「スコア」=(譜面)も広義の言語と言えるでしょう。けれども厳密な意味では、「抽象化された概念」である「言語」「譜面」と「一回性」をその特徴とするアートとではその存在の在り方がそもそも違うのではないでしょうか。
まあこれが真実だとかこれが正しいと言い張るつもりはありません。アート・ムーブメントでも、例えば「古典主義」と「ロマン主義」では、背景になる思想・哲学がことなるように、最終的には人それぞれの考え方に従えばいいと思います。
ただ、ゲーテの言わんとしているのは、人間という存在で言語化できる領域は限られている、それ以上の「個別の」「今この瞬間の喜び」や「この胸を抉られるような哀しみ」といったものは「普遍的な概念では到底表現することができない。」だからこそ、非言語的な表現=アートや音楽が必要なのだと言っているのだろうと思います。
また「駅までの道のりを説明する」場合の「口で説明する」か「地図で説明するか」ですが、「地図」は道筋=「空間」を抽象化したもので、いってみれば「幾何学」と同じものです。それに対して、ターナーやコンスタブルの風景画は、あるいは抽象絵画であっても、それは「抽象化されたもの」とは言えません。エモーショナルな地図とか、静謐な地図というのはあまりないでしょう?(地図が)下手とかうまいとかは、抽象化することの得手不得手です。一般に女性が地図を読むのが苦手だと言われるのは、地図というものが抽象化された空間であって、それを理解するのは主に左脳の領域だから、と言われています。(わたしはあなたの性別を知りませんし、いちがいに女性=抽象化が苦手とも言えないでしょうけれど、それでも男性の脳、と女性の脳ではまったく同じではないでしょう)
>言葉も絵も音楽も、Xに近づく挑戦という意味では同じです。言葉よりも絵の方が、よりXを導きやすそうだから絵を描くという優先順位の問題です。絵の言葉、詩のようなものでしょうね。
つまり「何か表現したい事」が先にあって、それをより有効に表現する手段が後に選択される、ということですか?
しかしゴッホにとっては見上げた星空は即ち「絵」であり、マーラーにとって、苦悩は正に歌曲「私はこの世に捨てられて」だし、
ベートーベンにとって、苦悩も歓喜も音楽以外の選択はなかったのではないか?というのがわたしの意見です。
それが「ターナーを観る」「バッハを聴く」という表現になるのだと思います。「ターナー(の絵を)観る)」「バッハ(の音楽を)聴く」ではなく。
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味覚や触覚、感情などは、言葉で全てを表現することはできません。
しかし「言葉にできない」という表現で、実はすでに言葉になっているし、
わたしたちは互いの言葉の輪郭をとらえながら、相手の感情を察することができます。
あるいは絵や音楽といった、言葉なしで魅せる分野も、
言葉によって構築されてきたし、絵は絵なりの言葉としても成り立っています。
上記のようなものを抜きにして、言葉にできないこと お待ちしてます。