電子書籍の厳選無料作品が豊富!

真理を求めるに 故人の書いた書物を研究するのが哲学のスタイルですが

真理は目の前の現実の中にあるのであって ハイデッカーやサルトルを研究しても

真理は見つからないのではないでしょうか?

A 回答 (14件中11~14件)

その通りですが、現実の外側にあります。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

うーん・・・

現実の外側とは、何処を言っているのでしょうか?

矢張り現実を感知する手前の世界を言っているのでしょうか?

お礼日時:2016/06/16 09:49

過去(記憶(時間の流れ)=超光速)と未来(予測(空間の広がり)=光速下)が、現在(感受表面での量子相互作用=光速)から相補分化している事において、その非光速性が、原理的に超弦(量子定常波)=光速に還元されるものを、階層現象表面的に(いい加減に)捉える事で派生している虚構なのだ。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

虚構ですか。そうですね。でも虚構があるなら真実もあるのかもしれませんね。

お礼日時:2016/06/16 19:25

「哲学」は、思考する形式そのものですから、先人の書物を研究する事は「哲学」では無くて、哲学に関する「文献学」もしくは、哲学に関する「歴史学」=「哲学史学」だと思います。


では、先人の「哲学」を学ぶことにどんな意味があるかと言えば、その哲学形式に対する、反駁や批判を知ることによって、問題自体がどこまで明確化されたかを知ることに意味があります。
「真理」なる物が有るか、無いかもわからないわけですから、見つからないないから、先人の「哲学」を知る必要が無いとも言えないんじゃないでしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

うーん・・・

真理を知ることは出来ないでしょうから、真理があるかないかも分からないでしょうね。

それと先人の哲学云々と関係があるのでしょうか?

真理がなければ先人の哲学を 何の為に読むのか?文学的に読むということでしょうか?

お礼日時:2016/06/16 09:40

現実の≪外≫とは何か?



そんなものはあるんですか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

現実の中 という言葉はそう厳密に書いたのではないですが

我々にとって現実は感覚器官を使って見る 少し遠い存在。唯心論になると現実は精神の方が現実となります。

それに対してその現実の中にある真実に対して「現実の外」と言うものがあるならば

その手の届かない現実の手前にある 我々の精神の世界、思いの世界、観念の世界が現実の外と言えるかとお思います。

お礼日時:2016/06/16 09:36

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!