【大喜利】【投稿~9/18】 おとぎ話『桃太郎』の知られざるエピソード

「品川のシーサイドを住む」という広告が目につきました。

~に住む なら分かるのですが、 ~を住む とはどういう意味でしょう。
誤植でしょうか。誤植でないとすると何を言いたいと思いますか。

「「~を住む」とは?」の質問画像

A 回答 (9件)

「品川のシーサイドを住まいにする」の間違い

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この回答へのお礼

文法的にはそのとおりだと思います。ありがとうございました

お礼日時:2016/06/29 16:21

既に何人もの方が回答されているように、誤植でも、語法を誤ったのでもないです。



キャッチコピーを考えるとしたら、「品川のシーサイドに住む」⇒「世界ブランドに進化する品川シーサイドに住む」⇒「世界ブランドへと進化する品川シーサイドに住む」⇒「世界ブランドへと進化する品川のシーサイドライフを満喫する」⇒「品川のシーサイドを住む」のように感覚を重視した表現を考えるのは、ありうる手でしょう。
http://sumai.tokyu-land.co.jp/residence/beautifu …
「「品川シーサイドに住む」というつまらないコピーは論外として、漫然と「美しい街を住む」というコピーよりも、「品川でシーサイドライフを満喫する」のようなコピーよりも、「品川のシーサイドを住む」というコピーがイイナァと私は感じます。

文法論議をするなら、
http://www.coelang.tufs.ac.jp/mt/ja/gmod/content …
「品川のシーサイド 住んでます」 も十分にあるコピーだと思います。
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この回答へのお礼

シーサイドに住むでは平凡で シー再度を住むなら斬新とは言えそうです。ありがとうございました

お礼日時:2016/06/29 16:20

肝心の答えを失念しました。


が、すでに答えは出ていますね、一言でいえば済みこなす。
そこに住むことに有意義なものを見出し、利用し、満足を感じ、使いこなし、より生活に充実感を持たせる。
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この回答へのお礼

積極的に住む という感じでしょうか ありがとうございました

お礼日時:2016/06/29 16:21

晩秋の京都を行く、晩秋の京都に歩く、オックスフォードに遊ぶ・・・・。


晩秋の京都に行く、晩秋の京都を歩く、オックスフォードで遊ぶ、これだとごく普通の表現ですね。
京都を行く、京都の雰囲気、風情その他を感じつつ、味わいながら・・行く(散策?)。
京都に歩く、上とほぼ同じだが、そんな状況である京都を歩く、結果当然それらを感じ楽しみ、京都を行くと同様の結果が得られる。
オックスフォードで、単にそこで遊んだ。
オックスフォードに、そこで勉強、いろいろ学んだ(遊ぶ、が遊学の意味になります)
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みなさんのおっしゃることに全く同感です。


特に#2さんの「住みこなす」というニュアンスが秀逸だと感じました。
[ 他動詞 ]
その動詞の表す動作や作用が直接他に働きかけたり、他をつくり出したりする働きとして成り立つもの。(大辞泉)
という意図を端的に表現していると思います。
自動詞の他動詞化 と言っても良いでしょうが、そのことによって顧客が積極的に(#4さんのお言葉を拝借すれば 主体的に)関わっているという自負心をくすぐる狙いがあった。
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この回答へのお礼

ただその場所にいるのではなく 積極的にその場に存在する という感じかもしれません。ありがとうございました

お礼日時:2016/06/29 16:22

誤植ではないでしょう



「〜に住む」ですと、これでいうと品川が主体ですが
「〜を住む」なら、住む人が主体になります

たとえば「リンゴを食べる」なら
「私が」が入っていなくても
「私がリンゴを食べる」というのと同じですね

いろいろある中から、世界ブランドへと進化する品川シーサイドに
私が住んでやるわけですね

自分が選んだ場所という文章になりますね
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この回答へのお礼

品川に住む でも 品川を住む でも主体は住む人ではないでしょうか。ありがとうございました

お礼日時:2016/06/29 16:19

おっしゃるとおり、「住む」は自動詞であるから、「を」という対格(直接目的語)を取りません。


 ところが、自動詞でありながら「京都を歩こう」「老後を生きる」などが「目を引く表現」として使われるようになりました。「安曇野を行く」「街道を行く」というシリーズもありました。

 この中で文法的に通じるのは、「を」が対格ではなく、「経過する場所」「離れる場所」を表す場合です。「道を歩く」「家を出る」などはいいのです。「橋をわたる」も「経過」でO.Kです。しかし、「橋を蹴る」は違います。他動詞とは対格に何らかの影響をあたえるものです。「橋」は「わたる」ものであるが、「蹴る」ものではありません。コンクリートの橋は蹴っても大した影響はなく、かえって足が痛かったり骨折するくらいです。しかし、結果は別にして意図的に蹴ったので他動詞の対象になったのです。

 最初にあげた「京都を歩く」「街道を行く」経過するという意味で間違いとは言えません。しかし、聞いた途端「これって正しい」と瞬間思わせるところに価値があるのです。「老後」とはどういうことなのでしょう。年取ってからの時代を無事に生きるというニュアンスがあり、まあ、何とか分かる気もします。「品川のシーサイドを住む」はほとんど弁護の余地はありません。しかし、キャッチコピーとしてのねらいは成功したようです。
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この回答へのお礼

人を生きる みたいに コピーとしては悪くない、とは思います。ありがとうございました

お礼日時:2016/06/29 16:17

斬新なキャッチコピーですね。


私が感じるのは、〜に住むだと、そこに憧れてようやく住めるのだという、住み手の立場の弱さを感じさせますが、〜を住むと言うと、住みこなすと言う、住み手側の征服欲のような住んであげる感が満足できるのではないか……なんて勝手な感想を持ちました。
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この回答へのお礼

斬新かもしれませんが、間違っていませんか。ありがとうございました

お礼日時:2016/06/29 16:16

目を引かすためにワザとしているのでは?

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この回答へのお礼

実際、目についてこうやって質問しているのですから、
狙いは的中しているのかもしれませんね。
ありがとうございました

お礼日時:2016/06/19 11:15

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