これを間違いだとするサイトが結構あるようですが、その理由を見ると、明らかな勘違いがあるようです。
たとえば、ある質問で紹介されている以下2つのサイト。
≪最近多い誤用敬語≫http://keigo.livedoor.biz/archives/292251.html
【「いただく」は自分の行為に対して使う謙譲語なので、本来は相手の行為には使いません。】だそうですが、そもそも「ご来店いただく」は相手の行為ではない、ということを理解していません。
「来店」は相手の行為ですが、その「来店」という相手の行為を「いただく」のは自分の行為であり、謙譲語を使うのが当然なんですけどね。敬語に対する理解不足なのでしょう。
≪言ってはいけない日本語≫https://books.google.co.jp/books?id=q05RlG5NHjsC …
【「いただく」も「くださる」も相手の行為に対する尊敬語だと勘違いしている人が多い】と書かれていますが、勘違いしているのは、むしろ著者のほうでしょう。理由は1と同じですので繰り返しませんが。
ただ、これら2つのサイトは、「本日はご来店いただきましてありがとうございます」に関して、「あきらかな間違いではありません」「あきらかな間違いではない」と明言しています。
ところが、これらのサイトを参考にしつつも、「間違いだ」と主張する方も中にはおられるようです。
「好ましくない」と言いたいなら、個人的趣味の問題として理解できますが、「間違い」かどうか、という問題とは分けて考える必要があるんですけどね。
それはさておきますが、間違いだ、あるいは好ましくないとする理由として、「相手が来店したという行為ではなく相手が来店した事実に対して礼を言っているから」と述べる方もあるようです。
たしかに、「相手が来店した という事実」を「わたしがいただいたこと(そうした状況になっていること)」に対して「ありがとうございます」とお礼を言っているわけで、こうした構図は一応理解しておられるようです。
しかし、この構図が間違いだ(好ましくない)とするなら、次の例文についてはどう解釈なさっているんですかね。
前置きが長くなり恐縮ですが、質問は次のとおりです。
【質問】
『こんなにたくさんお菓子をいただきましてありがとうございます。』
これは、「相手がくれた」という行為ではなく、「相手がくれたもの」に対してお礼を言っている構図ですが、これは間違った、あるいは好ましくない表現なのでしょうか。
『こんなにたくさんお菓子をくださいましてありがとうございます。』
『こんなにたくさんお菓子をくださりありがとうございます。』
のように言い換えるのが正しい、あるいは好ましいのでしょうか。
自分がもらったたくさんの「お菓子そのもの」に対して感謝したければ、「いただきまして(いただき)ありがとうございます」と言えば良いし、「お菓子をくれたという相手の行為」に感謝したければ、「くださいまして(くださり)ありがとうございます」と言えば良い。
どちらが正しいとか間違っている(好ましいとか好ましくない)とかいう問題ではない。
このように思うのですが、みなさんのご見解をお聞かせください。
No.21
- 回答日時:
§御利用いただく」のように、相手側と自分側が一緒になった表現なので、その構図に気づきづらい、という意見
→気付きづらい→理解しにくい→伝わらない。 敬語は、正しく伝わってこそ、威力を発揮します。
§すでに何度も申し上げているので繰り返しませんが、接続助詞「て」や動詞連用形の用法を無意識的に理解して使っている人がほとんどだと思いますけどね。
→助詞の「て」を使った用法は、ここにはあてはまりません。本来敬語は、主部と述部が一致します。
「してもらってありがとう」の不自然さを助詞でかたづけることはできません。
自分のしてもらったことを、ありがとうに直接投げかけている。不自然すぎます。
§肝心なのは、シチュエーション次第で省略しても、「息子の店に」という意図を表わすことはできる、という点です。
→シチュエーションがそろわなければ表すことができない→賭け、運任せですか。それだけのことで、省略せずにすむ理由にはなりません。
「ご来店いただきありがとうございます。」が、いざ助詞をつけようとすると、わからなくなるといっています。
すなわち、「ご来店くださりありがとうございます。」が適切です。
§見るのは相手の行為であるから「拝見」という謙譲語1は使えない、ということに気づかない方も中にはおられる、というだけの話でしょうね。
→あの、あなたのおっしゃるW視点論のように自分の行為にしたのですが、なぜ「いただく」の謙譲語だけが相手の行為を自分の行為にすることができるのでしょうか。不思議です。
「拝見いただき、ありがとうございます。」、拝見してもらったことに礼をいっていますよ。これ、正しいですよね。この点を詳しく説明してください。
§「~していただく」「お(ご)~いただく」という表現自体がすべて間違いと言うのは間違いだ、と言っているだけです。
→すべてが間違いとはいっていません。適したところ以外に使われているのが間違いといっています。
最近あったのが、道を尋ねたら「右へ曲がっていただいて、そのあと左に曲がってください。」
右へ曲がるのが自分で、左に曲がるのが相手。意味不明。お礼を言う気持ちが薄れます。
ご回答ありがとうございます。
>→気付きづらい→理解しにくい→伝わらない。 敬語は、正しく伝わってこそ、威力を発揮します。
:
「ご来店いただきありがとうございます」の意味が正しく理解できない、とお感じになるのであれば、それは仕方ありませんね。
感覚の相違ですので止むを得ない。
大半の人には正しく伝わっているようですが。
>本来敬語は、主部と述部が一致します。
:
誰が決めたんですか?
>「してもらってありがとう」の不自然さを助詞でかたづけることはできません。
自分のしてもらったことを、ありがとうに直接投げかけている。不自然すぎます。
:
そういうご見解であることはわかりました。
どのようなお考えを持つのも個人の自由です。
わたしは、そうは思わない、ということです。
根拠は今さら言わなくてもお分かりでしょうから繰り返しません。
>→シチュエーションがそろわなければ表すことができない→賭け、運任せですか。
:
つける必要があるシチュエーションでは付ければ良いだけの話。
「わたしの店に」といちいち言わなくても良いので、「ご来店いただきありがとうございます。」と言うだけです。
必要があるときには、「息子の店に、ご来店いただきありがとうございます。」と言えば良い。「いただく」か「くださる」か、という問題とは何の関係もないことです。
>「拝見いただき、ありがとうございます。」、拝見してもらったことに礼をいっていますよ。これ、正しいですよね。この点を詳しく説明してください。
:
この原型は、「見ていただき、ありがとうございます。」ですよね。
「(あなたが)見ること」を「(私が)もらう」という状況が成立したことに対して、ありがとう、と言っている構図です。
つまり、「見る」はあなたの動作なのですから、「拝見する」という謙譲語1は使えません。
>→すべてが間違いとはいっていません。適したところ以外に使われているのが間違いといっています。
:
それなら、何も問題ないですよ。
>道を尋ねたら「右へ曲がっていただいて、そのあと左に曲がってください。」
右へ曲がるのが自分で、左に曲がるのが相手。意味不明。お礼を言う気持ちが薄れます。
:
『右へ曲がるのが自分』←これが間違い。
「右へ曲がってもらうのが自分」です。
因みに、これが間違いなら、どのように表現すれば良いの?
No.20
- 回答日時:
はじめに
敬語というのは、相手に敬意を表すことを正しく伝えるものだと思います。
せっかく、正しいと思って使った敬語も、相手がおかしいと思えば、不快な気分になるでしょう。これは、伝わっていないことになります。
私は、それが気になります。
敬語の指針で、「ご利用いただきありがとうございます。」を、やや理解されにくい敬語としています。理解されにくいような敬語を使って、相手が理解しやすくなるとは思えません。相手がどう受け取るかを考えると、不快にさせないように使わなくなるでしょう。
相手を敬うために、謙譲表現にして視点の違いをつくり、「いただく」を使ってまとめる。
そういう観点で、この文に「いただく」を使っている人はまだいいのですが、そういう人は少なく、「言いやすいから」「みんなが使っているから」「尊敬語としてくださるの代わりで使っている」であると思われます。
そして、「してもらって、ありがとう」という、自分で自分に礼をいうことに、おかしさを感じる人はたくさんいるでしょう。
さて、
「くださいまして」は、相手がくれた時点までに限定した謝意で、「いただきまして」は、相手がくれて、さらに、それを自分が受け取った時点まで、すべて包括した状況に対して謝意を述べているということですが、この解釈は間違っています。
なぜかというと、「くださいまして」が受け取った時点のことを表していないことになると、「くださらない」ことになります。受け取ってはじめて、くださったことになるのです。
したがって、「くださいまして」は冷静な表現「いただきまして」感情のこもった表現とは、言えません。
「いだだきまして」は、言葉の性質上、頼んで受け取る(もらう)ことになります。逆に「くれる」は頼まなくても自然にくれることになります。
依頼したことで義務(要請の結果)のようにもらうよりも、自然にくれたほうが与えられる恩恵が大きいのは明白です。
それでは、例文を出してみましょう。わかりやすいようにスペースをとりました。添付の図解もあります。
① A(エース)に お菓子を 買ってきて もらって ありがとう。
② Aが お菓子を 買ってきて くれて ありがとう。
①は、Aにお菓子を買ってきてと頼んだことで、感謝を述べるとなり、
②はAが自分のためにお菓子を買ってきた。私は感謝を述べるになります。
このことから、①の文は不自然ですね。
さらに、
「Aに」を省略して、
「お菓子を買ってきてもらってありがとう」であると、恩恵の謝意を誰に向けたらいいのか分かりません。「くれて」にすれば、相手の行為を言っているので聞き手(相手)です。「Aが」を省略することができます。「相手がくれる」だからです。
残念ですが、「(息子の店に)ご来店いただきまして~」は、「来店いただく」の行為をした人を限定するときは、「息子の店に」を省略することはできません。
助詞が省略されてしまっているこのような文があるため、痛恨のミスをしてしまいます。
「先生がこのことを教えていただいた。」
この文は、先生が他の誰かに教えを受けたことになります。
「教えていただきありがとう」という表現で、行為者を限定するためには、「先生に」を省略することはできません。
文化庁のサイトにも、こう記されています。
以下引用です。
これらの内容を述べるのに,次のように述べるのは不適切です。
・先生が(は)指導していただいた/御指導いただいた。
確かに「先生が指導する」という内容であるため,上記のような述べ方をしたくなる心理が働くところではありますが,上の文全体の動詞「いただく」は「もらう,受ける」意味ですから,指導を受ける側「私」を主語として述べ,「先生」の後には「に」を付けなければならないことになります。「私」が表現されない場合でも,この事情は変わりません。「先生が(は)指導していただいた/御指導いただいた。」と述べれば,「先生」が別の人物(例えば「先生の恩師」)の指導を受けたことになってしまいます。 以上
また、「ご覧くださり、ありがとうございます。」という文を、二面性を持って書きかえるとすると、「拝見いただき、ありがとうございます。」が正しいことになります。
これが正しいとなると、尊敬語と謙譲語を使い分ける必要もなくなるし、どの場合にどちらを使うかもわからなくなってしまいます。
自分の行為をへりくだって相手を立てる言い方は、自分の行為の範囲内に納めるべきものです。
このように、相手を中心にして敬う敬語が、自分中心にどんどん変わっていく傾向は、いただけません。
追記
私は「いただく」が嫌いなわけではありません。どことなく謙虚な感じも漂うこのおことば、使わなくてもいいところまで使ってしまっては言葉の価値が下がると思います。
添付の図解の挿絵は、お菓子の高級カステラのつもりで書きましたが、そこまではいけませんでした。
失礼いたしました。
ご回答ありがとうございます。
1.
>やや理解されにくい敬語
:
ではなく、正確には、
・ 「利用する」のは相手側や第三者、 「御利用いただく」のは自分側,という点がやや理解されにくい敬語
と書かれていますね。
「御利用」⇒相手側
「いただく」⇒自分側
という簡単な構図であるにも拘わらず、「御利用いただく」のように、相手側と自分側が一緒になった表現なので、その構図に気づきづらい、という意味です。
2.
>「してもらって、ありがとう」という、自分で自分に礼をいうことに、おかしさを感じる人はたくさんいるでしょう。
:
すでに何度も申し上げているので繰り返しませんが、接続助詞「て」や動詞連用形の用法を無意識的に理解して使っている人がほとんどだと思いますけどね。
3.
>「いだだきまして」は、言葉の性質上、頼んで受け取る(もらう)ことになります。
:
たしかに、そういう意味で使う場合もあります。
重要なのは、そうでない場合にも使う、ということでしょうね。
4.
>残念ですが、「(息子の店に)ご来店いただきまして~」は、「来店いただく」の行為をした人を限定するときは、「息子の店に」を省略することはできません。
:
残念ですが、「(息子の店に)ご来店くださいまして~」も、「来店くださる」の行為をした人を限定するときは、「息子の店に」を省略することはできません。
この記述は、「いただく」か「くださる」かの論点とは何の関係もありません。
肝心なのは、シチュエーション次第で省略しても、「息子の店に」という意図を表わすことはできる、という点です。
5.
>「ご覧くださり、ありがとうございます。」という文を、二面性を持って書きかえるとすると、「拝見いただき、ありがとうございます。」が正しいことになります。
:
見るのは相手の行為であるから「拝見」という謙譲語1は使えない、ということに気づかない方も中にはおられる、というだけの話でしょうね。
6.
>使わなくてもいいところまで使ってしまっては言葉の価値が下がると思います。
:
全く同感ですよ。
どんな言葉に対しても言えることですけどね。
だからといって、「~していただく」「お(ご)~いただく」という表現自体がすべて間違いと言うのは間違いだ、と言っているだけです。
長崎カステラ、そういえば最近あまり食べてませんなあ・・。
No.18
- 回答日時:
No.14でコメントした者です。
>失礼しました。
>ガ格二格の明記・不明記が、関係してくるわけではありませんよね?
>という意味での確認でした。
申し訳ない。
これも「確認」の意図が不明です。
当方は一貫して「ガ格二格が明記されていない場合に限り」両方の言い方ができる、と書いているつもりです。
それが両方の言い方ができる「条件」と考えています。そんなにわかりづらいのでしょうか。
条件はほかにもあるのかもしれませんが、そういうアプローチをしている文献が見当たらないで、詳しいことはわかりません。「たった2つしかないのか」とか筋違いのホニャララをつけられても答えようがありません。
元の質問をしていたエイケスさんの論調がNo.12で大きく変わった気がします。しかし「私の説明が足りずに私の考えが伝わらなかったことが原因であるのに、失礼な態度をとり申し訳ございません」が何を指しているのか、当方にはサッパリわかりません。
どなたかおわかりの方はいませんか。
元の質問やこの質問で取り上げられているサイトが、書籍のパクリとしか思えないことに関しても、意見のあるかたはいませんかね。
ご回答ありがとうございます。
#3での、
>『こんなにたくさんお菓子をいただきましてありがとうございます。』
これも前回書いたのとほぼ同様(重言?)だと思います。
「もらいまして」にはしにくい(この場合はXではないでしょう。理由は後述)。
ニ格(カラ格のほうが自然に感じる場合もあります)とガ格が明言されていないからOKなのでは。この場合、ニ格もガ格もない方がずっと自然に感じます。
:
という記述が尾を引いているようです。
『こんなにたくさんお菓子をいただきましてありがとうございます。』が OK なのは、
『ニ格(カラ格のほうが自然に感じる場合もあります)とガ格が明言されていないから』だ、とおっしゃっているように捉えたので、そういう意味ではありませんよね?という確認をさせていただいた次第。
> 当方は一貫して「ガ格二格が明記されていない場合に限り」両方の言い方ができる、と書いているつもりです。
それが両方の言い方ができる「条件」と考えています。
:
ひとつのご見解として伺っていましたが、せっかくですから、少し踏み込んでみたいと思います。
あくまで(というか例によって)わたしの感覚としてですが、「伊達様ガ」と明記した時点で主格が確定してしまうわけですから、「いただく」を使えなくなる(両方の言い方ができなくなる)のは当然のように思ってしまうんですよね。
ですので、そのことをもって『両方の言い方ができる「条件」』になるという論理は、どうもしっくりこない。
つまり、
・こんなにたくさんお菓子を伊達様ガ{○ください/Xいただき}ましてありがとうございます。
・こんなにたくさんお菓子を(○ください/○いただき)ましてありがとうございます。
の両者を比較する意味がよくわからない、ということになるでしょうか。
>「ガ格二格が明記されていない場合に限り」両方の言い方ができる、
:
というのは、
「ガ格二格が明記された場合」一方の言い方しかできなくなる、という(当然の)ことをおっしゃっているにすぎないように思うわけです。
No.17
- 回答日時:
自分の事を含めてですが、大山鳴動ネズミ一匹かな。
敬語(尊敬語、謙譲語)、普通に表現するときに使う言葉と置き換えることが可能な言葉。
いただく、普通の表現は?、もらう。
食べ物をもらう→食べ物をいただく、食事をもらう→食事をいただく(食事=食べる事)、握手してもらう→握手していただく、・・・・。
ご来店いただく、大和言葉なら、店に来てもらう→店に来ていただく。
漢文である熟語、来店→店に来ること(こと、で「店に来る」を名詞化=来店)。
従って、来店もらって、では無く来店してもらって→来店していただき。
来店=店に来ること、店に来ることをしてもらって?、熟語ではないので名詞化の「こと」を省略すれば、店に来るをしてもらって、「くる」と「する(して)」が重複します、来店に「来る」が有るため「して」は省略、もらってをいただくに置き換え→来店いただき。
代金を払ってもらう、運転してもらう、朝起こしてもらう、肩を叩いてもらう、風呂を沸かしてもらう・・・・・、極普通に使っている言葉です。
目上の人等にしてもらった時は、「もらう」が敬語の謙譲語「いただく」に置き換えられるだけです
結論 「もらう」の敬語が(謙譲語)「いただく」です。
「もらう」は物を貰うも、何かをさせて貰うも、何かをして貰うも、全く同じであり、敬語を使う必要が有るときはすべて謙譲語「いただく」になります。
自身への教訓、熟語は所詮漢文、日本語(大和言葉?)に置き換えて考える。
※ 来店するのは神様で有る客の行動だから尊敬語・・・・と言うなら「来店」を尊敬語の「○○」にする必要が有りますが、来店は複合語のため適当な尊敬語が無いのかも、やむを得ません、丁寧語の「ご」を付けて誤魔化して?います。
店に来ていただき、を尊敬語を使って?、店においでいただき、店におこしいただき、いとやんごとなきあたりだと、店に御幸(行幸)?いただき・・・まさか。
ご回答ありがとうございます。
>自分の事を含めてですが、大山鳴動ネズミ一匹かな。
:
大体の事柄においては、わかってしまえば簡単なこと、というパターンは良くあります。
しかし、根拠に納得しない限り本当の理解にはつながりませんから。そこまでたどりつく過程が大事なんでしょうね。
>来店は複合語のため適当な尊敬語が無いのかも、やむを得ません、丁寧語の「ご」を付けて誤魔化して?います。
店に来ていただき、を尊敬語を使って?、店においでいただき、店におこしいただき、いとやんごとなきあたりだと、店に御幸(行幸)?いただき
:
敬語には特殊形と一般形がありますが、来店に特殊形はないようです。
・おいでになる
・お越しになる
などは尊敬語(来る・行く などの)の特殊形。
・いただく
は謙譲語1の一般形。
といった按配。
No.16
- 回答日時:
No.4です。
私はこの「本日はご来店いただきましてありがとうございます。」のような言い方を否定しているものではありません。
言いたかったのは、「敬語の指針」が簡潔な説明を必要としたために、
『【解説1】「御利用いただく」は謙譲語Ⅰ,「御利用くださる」は尊敬語である。』
と断言したため、「利用する人」(お客)に「謙譲語を使うのは不適当である」と読者に思わせてしまったと言っているだけです。
「謙譲語」であれば「御利用」などのことばは不要で、「利用していただいて」だけでよかったはずです。なぜ、「御利用」のような尊敬語が必要だったのか、『菊池康人「敬語」(講談社学術文庫)p.215』を引用してその間の事情が分かるようにしておきます。
(以下、引用)
補助動詞の場合の敬語の種類を改めて確認しておこう。「……ていただく」「お/ご~いただく」のほうは、文全体の主語(「私」)を低め、他の人物(「Aさん」)を高めるので、謙譲語である。ただし、とくに「お/ご~になっていただく」については、正確にいえば、このうち「お/ご~になって」の部分は尊敬語(その意味上の主語を高める)、「いただく」の部分が謙譲語ということになる。「お/ご~いただく」はそれをいわば端折った形なので、細かくいえば、このうち「お/ご~」の部分は尊敬語、「いただく」の部分が謙譲語だというべきである(「……ていただく」も、厳密には「いただく」の部分だけが謙譲語である)が、普通、そこまで厳密には言っていない。一方、「……てくださる」「お/ご~(になって)くださる」のほうは、文全体の主語(「くださる」の主語)も、……や~(右例なら「書く」)の意味上の主語も同じ人物(「Aさん」)で、これを高める尊敬語である(一九九頁では、枠内に敬語の種類を書き添えながら、十分説明を行わなかったので、今補った次第である)。
以上のように「……てくださる」「お/ご~くださる」と「……ていただく」「お/ご~いただく」とは、助詞の使い方や敬語の種類が違うが、一言で言えば、主語が違うのである。これに伴って、どちらの視点から見るかという違いもあるし、助詞の違い・種類の違いも、要するに主語が違うことの帰結である。さらに簡単にいえば、要は「くれる」と「もらう」の違いなのである。
(引用終わり)
菊池氏も「普通、そこまで厳密には言っていない。」といってしまったことで、さきほど言ったような誤解が生まれた可能性があると、指摘しただけです。
ご回答ありがとうございます。
> 私はこの「本日はご来店いただきましてありがとうございます。」のような言い方を否定しているものではありません。
:
はい、それは存じ上げております。
【こうした勘違いが実際多いわけですが、】と述べた箇所については、OKAT さん以外の(件のサイト主のような)人々を指してます。
> 菊池氏も「普通、そこまで厳密には言っていない。」といってしまったことで、さきほど言ったような誤解が生まれた可能性があると、指摘しただけです。
:
はい、わかりました。
#4で述べられたことに関して、少し追加の感想を述べてみます。
>これを読めば
「謙譲語」だから、少なくとも自分側の動作につくもので、相手側の動作につけてはいけない考えるのは、あり得ることです。
:
「ご利用いただく」の「いただく」が謙譲語であることを理由にするなら、本来「相手側の動作に 【 使ってはいけない 】 」と考えるべきですよね。
そうすれば、「(ご利用)いただく」のは私の動作ですから使って良いことが一目瞭然です。
それを、「相手側の動作に 【 つけてはいけない 】 」のように考えてしまうと、相手の動作は「ご来店」ですから、それに「いただく」をつけて「ご来店いただく」としてはいけない、という勘違いが発生する結果につながる。
つまり、謙譲語1の用法を正確に把握していないことから発生する勘違いという可能性もあるような気がしますね。
これなら、件のサイト主の方にもわかってもらえそうでしょうか。
>これがまとめて「謙譲語」と言われると、「尊敬語」を内包した「謙譲語」という特殊なものを考えざるを得ないことになります。
:
この点についてなんですが、これは「いただく」という言葉の意味からすれば、むしろ自然であり、「特殊」という印象は、特に持ってないんですよね、わたしの場合。
つまり、「いただく(もらう)」の対象となるのは常に相手や第三者、あるいは、それに所属する物事にならざるを得ないわけですから尊敬語が使われるのは当然、といった感覚。というか、「いただく」と組み合わせれば、結果的に尊敬語になる、といった感じでしょうか。
「動詞+補助動詞」の場合、補助動詞が優先的意味を持つことになるわけですから、当然、補助動詞の主格が「動詞+補助動詞」の主格になる。
というアプローチで納得している次第。
No.15
- 回答日時:
いただく、単なる謙譲語?、それとも特別の意味がある?。
例 何かを購入、①料金は○○さんに支払っていただいた。
②料金は○○さんが支払ってくださった。
②は尊敬語?を使用して表現、①は申し訳ない、と謝意を感じます。
社会的地位、その他で見て、指示する立場と指示を受けて動く立場が逆転したような場合に使うように思います。
(本来なら逆なんだが)私めのために・・・してくれた(してもらった)、おそれ多くも感謝いたします。
これが、いただく?、かなりこじつけたかな。
でも、自身が使う場面を思い浮かべると、ただの媚ではなく、大げさに言えば、おそれ多いことですと、ありがとう感謝します、の気持ちがあったように思います。
・・・という結果をいただく。
・・・が熟語その他体言なら・・・・、用言の場合はどうかなとかなり疑問を持っていました。
ご回答ありがとうございます。
>(本来なら逆なんだが)私めのために・・・してくれた(してもらった)、おそれ多くも感謝いたします。
これが、いただく?
:
そうですね。
>(本来なら逆なんだが)
:
という箇所を除いては、そのご理解で問題ないと思います。
<敬語の指針>17ページにも以下の記述があります。
【補足: いただく 】
「いただく」は,上に述べたとおり,謙譲語Ⅰであるが,謙譲語Ⅰの基本的な働きに加えて,恩恵を受けるという意味も併せて表す。例えば 「先生に指導していただく」 「先生に御指導いただく 」は,それが有り難いことである,という表現の仕方になる。
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/so …
>でも、自身が使う場面を思い浮かべると、ただの媚ではなく、大げさに言えば、おそれ多いことですと、ありがとう感謝します、の気持ちがあったように思います。
:
こちらが妥当なご見解になるかと思います。
No.14
- 回答日時:
No.9でコメントした者です。
>『こんなにたくさんお菓子をくださいましてありがとうございます。』
>『こんなにたくさんお菓子をいただきましてありがとうございます。』
>どちらも可能、ということで良いのですよね。
申し訳ない。「確認」の意図がわかりません。
当方はそんなわかりづらい書き方をしているつもりはありません。一貫して「どちらも可能」と書いているはずです。誤解されるような書き方をしていたら、お詫び申し上げます。
結論がハッキリしていることでグチャグチャ考えるのは、もうやめようと思ったのですが……。
理論的な説明をするためのヒントになる気がして……。
おそらく、問題は2つあります。
1)「来店してもらう」がXなのだから「来店していただく」もXなのでは
2)「いただ」と「ありがとう」の接続が気になる人には気になる
●「ありがとう」か「すみません」か
No.7の鉄やかんさんのコメントに意表をつかれました。
>「いただきまして」と来たら、「すみません」と続くのが、私の感覚です。
そういう感じ方もあるんですね。この例文の場合は、そのほうがよい気もします。
これも例文しだいでしょうね。
席を譲っていただいて{ありがとうございます/すみません}。
↑なら、「ありがとうございます」ではないでしょうか。
何かをしてもらったら(いただいたら)、「すいません」ではなく「ありがとう」と言うべき、というのは世間の風潮の気もします。
席を譲ってくださってありがとうございます。
も当然おかしくありませんが、個人的には使わない気がします。このあたりの使い分けに関しては、専門家の見解も紹介しました。当方はあの解説ではピンと来ません。
●いっそ2文にしてしまえ
新しい年度の挨拶文と考えてください。
1)昨年もたくさんのお客さまガご来店くださいました。まことにありがとうございます。
2)昨年もたくさんのお客さまニご来店いただきました。まことにありがとうございます。
このように2文にしてあれば、1)2)ともに自然でしょう。気になる人は人は気になるのでしょうか。
1文に戻します。
1)-2昨年もたくさんのお客さまガご来店くださり(まして)、まことにありがとうございます。
2)-2昨年もたくさんのお客さまニご来店いただき(まして)、まことにありがとうございます。
個人的には何も問題を感じませんが、気になる人は人は気になるのでしょうか。
ご回答ありがとうございます。
> 「確認」の意図がわかりません。
>一貫して「どちらも可能」と書いているはずです。
:
失礼しました。
ガ格二格の明記・不明記が、関係してくるわけではありませんよね?
という意味での確認でした。
わたしがご投稿の内容を把握しきれていなかったのだと思います。
> おそらく、問題は2つあります。
1)「来店してもらう」がXなのだから「来店していただく」もXなのでは
2)「いただ」と「ありがとう」の接続が気になる人には気になる
:
同感です。
1)「来店してもらう」がXの理由に関しては、前回拙質問の#11お礼欄でも触れましたが、
(ア)こうした【構造的には】上位の謝意であるにも拘わらず、「ありがとう」という上から目線の表現と組み合わせてしまっている。
同様に、
(イ)こうした【構造的には】上位の謝意であるにも拘わらず、「もらって」という非敬語を使っている。(つまり、意図との解離が生じている)
といった辺りが理由になるかと思っている次第。
つまり、「来店していただく」が×になる根拠にはならない、ということですが。
2)の理由に関しては、接続助詞「て」の用法の問題ではないかと思っています。
一 ④ 並列・添加・対比などを表す。 「つよく-,やさしく-,ほんとにすてきよ」 「重要にし-,かつ緊急を要する議案」
http://www.excite.co.jp/world/j_dictionary/ITEM- …
特に、今回の場合は、【添加】の用法になりますかね。
「あなたの来店」という行為をわたしがもらった。そのことに関して「ありがとうございます」という声明を添加している構図。
と捉えてみると、件のサイト主にも納得してもらえそうな気がするのですが。
>1)昨年もたくさんのお客さまガご来店くださいました。まことにありがとうございます。
2)昨年もたくさんのお客さまニご来店いただきました。まことにありがとうございます。
このように2文にしてあれば、1)2)ともに自然でしょう。
:
これまた同感ですね。
No.13
- 回答日時:
お店に来ていただき・・・・。
くだんの質問者は当然ダメでしょう、でもあなたの見解はどうかと聞きたいです。
ご来店いただき・・・、は私もありと思っています。
ご回答ありがとうございます。
わたしは当然アリですよ。
<敬語の指針>27ページにある [ 謙譲語1の一般形 ] に、素直に同意しています。
・お(ご)……する。
・お(ご)……申し上げる 。
・……ていただく。
・お(ご)……いただく
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/so …
これに則れば、たとえば、
・来店いただき
・ご来店していただき
などは不可であることが明白です。
No.12
- 回答日時:
私の説明が足りずに私の考えが伝わらなかったことが原因であるのに、失礼な態度をとり申し訳ございません。
と同時に、私の考えをご理解いただいたことは、ありがたくてとてもうれしいです。
ちょうどこの文に同じ使い方をしている文がでてきました。
詫びを言う(詫びる)行為は、自分の行為のことで相手に言うことなので、つじつまが合い文としてもまとまりがよいです。
「いただいてすみません。」「もらってすみません。」は適切です。
「いただいて」「もらって」の中の「て」の用法は、接続助詞の「て」ではなくて、動詞の活用形のて形ですね。
「あなたの来店」という行為をわたしがもらったという構図ですが、もらうという行為にすると、「あなた」限定と伝えることは、難しいです。
その行為をした人が、「あなた」ではなくても、他の誰かでもこの構図は成り立ちます。
「お菓子」にしても、「あなた」にもらった「お菓子」でなくても、他の誰かからもらったお菓子でもいいことになってしまいます。「誰からもらったお菓子のことで礼を言って
いるんだ。」ということになる可能性があります。
「くれて」にすると、お菓子をもらった相手は、「あなた」しかいないということになります。
お中元に関しても、「先日はお中元をくださいまして、どうもありがとうございます。」
は、自然と思います。
普段は、「お中元、ありがとうございます。」と言っています。「くださいまして」を使うと相手にすごく感謝している感じがするので、普段の日常にも使っていきたいと思います。
ただ、「くださり」「くださって」が言いにくいので、困ったものです。「ください」はすんなり言いやすいのに「くださり」などになると、なぜ言いにくいのだろうか。
慣れなのか。
早口言葉風に、「くださり」を連続していうより、「ください」を連続で言うほうが楽ですね。
ご回答ありがとうございます。
>「いただいて」「もらって」の中の「て」の用法は、接続助詞の「て」ではなくて、動詞の活用形のて形ですね。
:
品詞分解しますと、
「いただい」(「いただく」の連用形)+接続助詞「て」
となるはずですから、「添加」という用法があるという点は変わらないと思います。
ここをご理解いただけると、一気にご納得いただけると思うのですけどねえ。
「て」は、#14さんご指摘のように、また、前回ご質問の#22で【来店するというあなたの動作を、私がもらいました。ありがとう。】という構図をお示ししましたように、2文を接続する助詞と捉えるとわかりやすいでしょう。
つまり、「○○を(して)もらってありがとう」ではなく、「○○を(して)もらいましたね・・・ありがとう」といったニュアンスです。
あるいは、「○○を(して)もらって、ありがとうと言いたい気持ちでいっぱいです」の省略形と考えても良いと思います。
どちらにしても重要なのは、
「あなたがくれた行為自体」に「ありがとう」と言っているのではなく、
「あなたがくれた行為の結果を私がもらうことができている状況」に「ありがとう」と言いたい意図を表わしている、という点です。
接続助詞「て」や動詞連用形の [ 添加用法 ] が、それを可能にしているわけです。
ちょっと横道に逸れますが、たとえば、「が」という接続助詞がありますね。
よく使われるのは逆接用法でしょう。
「いつもどおり学校へ行ったが祭日で休みだった」
のような使い方。
仮に、この用法だけより知らないと、
「次の議題ですが、英国の EU 離脱について話し合いたいと思います」
のような文は(逆接ではないので)違和感を覚えることでしょう。
この場合は、むろん、ご承知のとおり、
二ー① 前置き・補足的説明などを後に結びつける。 「次に予算の件です-,重要なので今日中に決めてください」 「御存じのことと思います-,一応説明します」
という用法です。
http://www.excite.co.jp/world/j_dictionary/ITEM- …
補足欄へ続きます。
No.11
- 回答日時:
すみません、No.10の訂正です。
「お菓子いただき有り難く思います。」「お菓子いただき感謝しています。」は、自分の行為であっても、後ろも自分のことを言っているので、つじつまが合って正しいです。
ご回答ありがとうございます。
もう夜も遅いので次回で結構ですから、#5で述べた、次の記述に関しては、どう思いましたか?
教えてください。
当分開けてるので急がなくても大丈夫。
連用形には、「一旦文を中止して次の動作へつなげる」という用法があります。
接続助詞「て」は、大辞林の次の語釈が、たぶん、わかりやすいかもしれません。
一 ④ 並列・添加・対比などを表す。 「つよく-,やさしく-,ほんとにすてきよ」 「重要にし-,かつ緊急を要する議案」
http://www.excite.co.jp/world/j_dictionary/ITEM- …
特に、今回の場合は、【添加】の用法になりますかね。
いずれにせよ、「(声掛けの)対象」という用法だけとは限らない、という点が重要です。
「対象」という用法だけにこだわると、
「ご来店いただいてありがとうございます」は、たしかに不自然な印象を与えてしまいますね。自分がもらったことに対して、「うれしい」とか喜ぶのはわかるが、お礼を言うのはおかしい、という理屈。
しかし、上記辞書の語釈に則って解釈すれば以下のようになります。
「あなたの来店」という行為をわたしがもらった。そのことに関して「ありがとうございます」という声明を添加している構図。
全く問題ないでしょ?
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質問文の記述について、すこし補足修正いたします。
「相手が来店した という事実」を「わたしがいただいたこと(そうした状況になっていること)」に対して「ありがとうございます」とお礼を言っているわけで、
という箇所は、
「相手が来店した という結果」を「わたしがいただいたという状況になっていること」に対して「ありがとうございます」とお礼を言っているわけで、
のようにするほうが分かりやすいかもしれません。
紛れがないように少し修正します。
×
自分がもらったことに対して、「うれしい」とか喜ぶのはわかるが、お礼を言うのはおかしい、という理屈。
○
自分がもらったことに対して、「うれしい」とか喜ぶのはわかるが、そのことをお礼を言う対象とするのはおかしい。お礼を言う対象は、あくまで「相手がしてくれたこと」であるべき、という理屈。
#5さんへの補足です。
>そもそも、相手の行為をさしおいて、自分の行為にありがとうと言っているのが間違っていると言っているのです。
:
『こんなにたくさんお菓子をいただきましてありがとうございます。』という表現をあなたはお認めになったわけですが、この文は、
(「くれた」という)相手の行為をさしおいて、自分の(「いただいた」という)行為にありがとうと言っていることになります。
なぜ、こちら(だけ)は正しいのですか?
>●「ご来店いただきましてありがとうございます。」について。
「来てもらう」という言い方は、私の感覚では「呼ぶ」「呼び付ける」「呼び立てる」といった感じです。自分が相手に連絡して来るようにさせる行為。相手の自発ではなくこちらの働きかけによる。
例:「エアコンが壊れたので業者に来てもらった」「法事でお坊さんに来てもらう」
:
非常に興味深いご見解で、大変参考になりました。
たしかに、そうした要素を含んでいるかもしれませんね。
ただ、これは、単に解釈の問題ではないか、という気がします。
「来てください」と直接的に頼んだり呼びつけたりしたわけではありませんが、たとえば、「ぜひご来店ください」などの宣伝文句を日常的に使用しているはずで、つまり、常日頃から不特定多数の顧客に対して来店依頼をしていると解釈すれば、「こちらの働きかけによる」と言えそうな気もしますが、いかがでしょう。
#9さんへのお礼に関して修正と追加です。
[ 修正 ]
×
この場合の「ニ」は着点を意味する用法ですよね。
○
「いただき」の場合の「ニ」は着点を意味する用法ですよね。
[ 追加 ]
「くださり」の場合の「ニ」は動作の対象を表わす用法と思います。
なので、
・こんなにたくさんお菓子を子供たちニくださいましてありがとうございます。
は違和感が生じにくいのでしょう。
>「あなたの来店」という行為をわたしがもらったという構図ですが、もらうという行為にすると、「あなた」限定と伝えることは、難しいです。
その行為をした人が、「あなた」ではなくても、他の誰かでもこの構図は成り立ちます。
:
この論理は無理があると思いますねえ。
それを言うなら、「ご来店いただきましてありがとうございます」の場合でも、「あなた限定」でなくても使える。
これはなぜかと言うと、そもそも「くれる」は相手だけではなく「相手側(に属すると判断可能な人)」の動作に使い、「もらう」は自分だけではなく「自分側(に属すると判断可能な人)」に使う動詞だからです。
なので、
・「(あなたのお母さんが)ご来店くださいまして~」
・「(息子の店に)ご来店いただきまして~」
といった構図が可能になる。
ただ、来店している本人に言うわけで、「あなた限定」と捉えるのが一般的な会話でしょう。
下段へ続きます。
>普段は、「お中元、ありがとうございます。」と言っています。「くださいまして」を使うと相手にすごく感謝している感じがするので、普段の日常にも使っていきたいと思います。
:
「お中元を上げる」という相手の行為自体に対するお礼であり、あなたがもらったことに対する喜びや有り難さが希薄である。
相手は、このような印象を受けるはずです。
「くれた」のだから、礼儀として、その行為に対して一応謝意を述べているような印象を与えかねない、ということ。
「もらった時、わたしはとてもうれしかったですよ。ありがとう!」というニュアンスで、
「先日は、お中元をいただき、ありがとうございます。」とするほうが上位の謝意を表明することができます。
下段へ続きます。
つまるところ、「くださいまして」は、相手がくれた時点までに限定した謝意ですが、「いただきまして」は、相手がくれて、さらに、それをわたしが受け取った時点まで、すべて包括した状況に対して謝意を述べているわけです。
こうした構図を考えてみた場合、端的には、「くださいまして」は冷静な表現、「いただきまして」は感情のこもった表現と言えるかもしれません。
#9さんによると、「いただきまして」のほうが自然に感じる人が多いそうですが、こうした無意識的な理由が根拠として働いているのでしょう。
もらった瞬間の嬉しかった自分の気持ちを熱く伝えることを好む、といった感じですかね。
ただ、なんども申し上げていますが、あくまでシチュエーション次第です。
それぞれの場面(気分)に応じて使い分けていけば良いのであり、どちらかひとつに拘ると不自然な印象を与えてしまうことが必ずあると思いますよ。
上段、#12さんへの補足に誤植がありました。
訂正させてください。
×
それを言うなら、「ご来店いただきましてありがとうございます」の場合でも、「あなた限定」でなくても使える。
○
それを言うなら、「ご来店くださいましてありがとうございます」の場合でも、「あなた限定」でなくても使える。
>(2)相手への感謝ではない?
>(3)誰に話しかけている?
:
この辺りは、エイケスさんに極めて近い感覚をお持ちのようです。
>どれも感覚的な問題・感じ方の問題なので、文法的な誤りのような万人に共通する問題ではないですね。
:
この点をしっかり押さえていただいてるようですので、これ以上のことは申し上げることもなさそうです。