準・究極の選択

なおもこの問い求めをすすめます。

赦さない あるいは 赦してはいけない と言おうとするのではありません。
 
赦すことができない つまり人間は その能力を持ち合わせていない。ので
はないでしょうか。
 
あるいは もしこういう言葉を用いるとすれば 赦す権利も資格も ない。の
ではないでしょうか。

自分のあやまちについては 容易に自分自身を赦している。
内に省み 負い目を負ったかたちにもなる。でも 自分をゆるしている。

あやまちに対しては 原状復帰をもとめるのみである。
おまけとしては ≪更生せい。せんと承知せんぞ≫と言ってやるくらいである。
怒ってもよいし 怒っているから このようにする。ことになる。
怒りにおいてこそ 人格(自由意志のもとに成る実存)が発揮される。


いろんな角度から 自由なご見解をお寄せください。

A 回答 (3件)

人の過ち、という定義があやふやですが、その過ちが自分の知らない所で起きている、もしくは、自分に関係あったとしても些細なこと、であれば許せるでしょうね。


しかし、親族を殺されたとなると許せないでしょうね。

人間は未熟な生き物。
自分の大切な物を壊されたり、大切な者を殺されたりすれば、普通は許しません。
つまり、その能力は無いと考えます。
許さないから人間、とも考えられます。

テロはたぶん、無くならないよ。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ・・・些細なこと、であれば許せるでしょうね。
しかし、親族を殺されたとなると許せないでしょうね。
☆ という考え方が 現在 一般的なものとわたしも考えます。

そこのところを いや 違うのではないか? と じつは問う
ています。

まづ ゆるせない事例として≪親族をころされた≫ことについて
その被害をこうむらなった原状を回復せよという――この場合
は じっさいには亡くなった人を再生することは出来ないこと
ですが それに相当するところの――つぐないを成せ。そして
また 更生しないのなら 承知しないぞというところまでの主
張 これは 自然でふつうのことだと考えます。

そのふつうの主張が通らないなら ≪ゆるせない≫のでしょう。

でも ここで問うているのは そういう≪許す・許さない≫では
なく あやまちというものについて相手を赦さない――つまり
何らかの報復が成されたり・もしくはその存在が存続しなくな
ったりしない限り 腹の虫がおさまらないというように赦さな
い――という事態を問題にしています。

そういう意味での≪赦す・赦さない≫ということは 人間の能力
には そもそも ない。――というひとつの命題をめぐってで
す。

★ ~~~~~~~
自分の大切な物を壊されたり、大切な者を殺されたりすれば、
普通は許しません。
つまり、その能力は無いと考えます。
許さないから人間、とも考えられます。
~~~~~~~
☆ つまり このご意見では ≪ゆるす・ゆるさない≫という能
力がわれわれ人間には ある。とおっしゃっているものと思い
ます。

許さないで大目に見るという≪能力≫はない。――つまり ≪赦
す・赦さない≫の能力は ある。
――というご見解だと受け留めました。

お礼日時:2016/07/03 23:39

原爆投下を「あやまち」と考えているのは日本人だけで、


アメリカ人は、戦争を早く終わらせ犠牲者を少なくするために
必要な行為であって「あやまち」と考えてないので謝罪しません。

狼を改良した動物を、日本では犬と呼びアメリカではドッグと言います。
どちらかが正しいということはなく、正しい呼び方があるわけでもありません。
「あやまち」という概念は、呼び方に過ぎません。

「人間があやまちだと考える行為」は存在します。でもそれは、頭の中に
「あやまち」というイメージを持っている人が、ある行為にそれを当てはめた
だけです。その行為に「あやまち」という性質があるわけではありません。
原爆投下に「あやまち」という性質があるなら、すべての人が「あやまち」と
思えるはずです。
原爆投下は「あやまち」だというのは、地球は丸いというような「事実」
ではないのです。

イメージは幻であり存在しません。イメージとして存在するが実在しないと
言った方がわかりやすいでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 原爆投下を「あやまち」と考えているのは日本人だけで、
アメリカ人は、戦争を早く終わらせ犠牲者を少なくするために
必要な行為であって「あやまち」と考えてないので謝罪しませ
ん。
☆ そうでしょうか。

まづ ここでヒロシマとナガサキの惨禍について≪赦せない≫と
か≪謝罪せよ≫とかと言っているのではないということ これを
確認してください。

ですが この場合の原爆投下は 非戦闘員の生命財産の無差別
の破壊行為です。これを あやまちではないと言う人がいると
は思えません。

強いてアメリカ側に立って言えば 双方の犠牲者が原爆による
被害者以上になるような事態を避けるために≪あやまち≫をも手
段として使った。――というようなことなのでしょう。

そして この質問は その行為の是非や当否を議論するための
ものではありません。
ただ≪あやまち≫の事例として ヒロシマを出したのみです。

★ 「人間があやまちだと考える行為」は存在します。
☆ ただこのことを確認するために 例示しただけのものです。

★ でもそれは、頭の中に「あやまち」というイメージを持っ
ている人が、ある行為にそれを当てはめただけです。
☆ そうでしょうか。≪非戦闘員の生命財産に対する無差別な
破壊行為≫は ≪イメージ≫なのでしょうか?

お礼日時:2016/07/03 23:20

もっと突き詰めて言えば、「あやまち」というものは


存在していません。
その行為を「あやまち」だと考えている人が、そう名付けている
だけです。その行為に「あやまち」という性質はありません。
存在しないものを、赦すとか赦さないと考えることは無意味です

でも現実生活で、そんなことを言ったり実践しては生きにくくなります。
本当は「あやまち」は存在しないと頭の片隅で考えているだけにして、
実際には「あやまち」が存在していると思っているフリをして生きていく、
それを社会生活と言います
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ もっと突き詰めて言えば、「あやまち」というものは存在して
いません。
☆ どういうことでしょう?

★ その行為を「あやまち」だと考えている人が、そう名付けてい
るだけです。
☆ ううーん。そうでしょうか。原爆慰霊碑には

 「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」

と刻まれています。ふつう一般に人びとにおいて≪過ち≫だと考え
ているのでしょうし だからそう名づけていましょうし しかも
そう名づけたことは ≪事実≫であり存在していると捉えている。
――のではないでしょうか?

ただし このあやまちを人間が赦す・赦さないを――議論するこ
とはあっても――なお問題にして ≪いや 赦さないのだ≫という
一方的な判断を推し出すというのは 行き過ぎなのではないか?
――と問うています。

お礼日時:2016/07/03 22:24

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