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人間に限らず まず第一の価値は「存在すること」だと思います

存在しない事には価値も何も話になりません

この世は活力ある安定調和を目指して存在をせめぎ合っているのです

しかし人間は頭で進化しますから 生存競争をする必要はないと思います

死は動物としてとして進化するために世代交代の為に必要だったのです

どうでしょうか 間違っているでしょうか?

A 回答 (15件中1~10件)

分かり難いご質問ですが、私なりに解釈してみれば、動物は肉体がすべてだけれど、人間は精神面が(すべてではなくても)重要である。

つまり肉体を否定して、精神的存在である人間は、生死に執着せず死なねばならないときは死ぬと割り切って生きればよい、ということでしょうか。
生物の進化が遺伝子(ゲノム)によってなされてきたのに対して、人間の文化的進化因子をミームと呼んで区別する考え方があります。貴方の考えはこれに近いのかもしれません。
人間は文化的存在であると同時に、他の生き物と同様な肉体的存在でもアリますから、やはり肉体の生存理由、将来における肉体の進化ということも無視出来ないと思います。
ただ、死の近い人間、死が怖い人間にとっては救いに通じる思想だと思います。

ご参考まで。
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この回答へのお礼

確かに人間の体は動物だし 人間は命が無ければ存在できません

テレビに喩えれば テレビの本体が体で物質的なものですが

テレビを見るのはテレビの放映内容です 幾ら受信機があっても放映がなければ意味がありません

放送が見聞きできない壊れたテレビなら テレビとも言えないと思います

人間も意識や精神がなかったら人間とは言えないかもしれません

生命があって人間存在があるのですが 人間存在こそが人間と呼ばれるものだと思います

回答どうもありがとうございます よろしくお願いします(^^)

お礼日時:2010/04/11 15:10

 こんにちは。



 ★ 人間に限らず まず第一の価値は「存在すること」だと思います
 ☆ のっけから 批判ですが そもそも初めに《価値》を出すから 話がややこしくなるのです。いやしくも《存在》に《価値》をからめて捉えようとするからです。

 だから
 ★ 活力ある安定調和 / せめぎ合い / 進化 / 生存競争
 ☆ というたぐいの主題がさらに絡まって来ます。現象としての問題が入って来ます。

 ○ ひとは そこにいるというだけで とうとい。
 ○ 存在は 無条件に とうといことである。
 ○ 植物人間と極悪人とふつうの人と 存在ということにおける限りでは 互いに何ら違いはない。
 ☆ といったふうに想定すればよろしい。

 悪をおこなった人間について その思惟における善(存在)の欠如としての〔へそ曲がりとしての〕自由意志 およびそれを実行したというその行為 これをめぐって 批判し嫌い憎み徹底的に〔それぞれ自己の内面において〕棄てるのです。存在は とうとい。その想定の意味で存在は 善である。

 ★ 人間に限らず
 ☆ という見方に反応しておきます。動物や生物の生命 としての存在 これをとうといとして守ろうというのは いかんせん このわたしたち人間なのです。人間中心の主義ではないでしょうが 人間を物指しとしてはいると思いますよ。
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 個人として考えてみても同様です。



 習慣としてやっていることは、確かに今の段階では、肉体を維持するためにやっているのでしょうね。

 よく考え、想い、確かめてみてください。

 想い、学びて 動かざればすなわち 虚し
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 斧時ということばを出されて、日本人の多くはあまり接していませんね。



 仰せのことはつまり同一性記憶みたいなもんで、西洋的インテリはカント的に先験的統覚などとことばが訳されています。
 インドのことでいえば、アートマ、パラアートマ、アートマン、パラアートマンっていうし、つまり普遍自己ですね。
 創造の意識のブラフマですよね。
 創造界のせめぎ合いについての見かたは、観察として一考のものです。
 どうぞ更なるご研究を期待しております。
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 そもそも、人間が存在しない状態など、あるのでしょうかね。



 過去はともかく、今と、これからにおいて。

>死は動物としてとして進化するために世代交代の為に必要だったのです

 ではこれ以上進化しない・したくないと思うなら必要ないですね。

 必要性がない という場合もそうかな?

この回答への補足

人間が存在しない状態 世界中にとなると人間発生前でなければなかったでしょうが

個人の問題として考えてれば 僕が首を吊って死ねば 僕は存在しなくなります

個人の人間が頑張って生きている 存在を守ろうと色んな事をやっています

考えて見て下さい 習慣的にやってる事や 働く事 生活することも生きるため 存在する為にやってるのです。

進化はいくらかはしていくでしょうけれど 私の言うのは生存競争までして進化しなくてもいい

と言うことです 普通の競争はいいいのです ただ弱肉強食のような生存競争はしなくてもいいと思います

精神で進化するのですから 命まで賭ける必要はないのです。

必要性がないということも同様のことと思います。

補足日時:2010/04/15 09:48
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 なるほど、そういう存在ね。

 
 ところで「なんとかアイデンティティと言う形で時間的にも同一なものと考える事ができますが
実際には考えも体調も同じである事は無いのです。」
 という文章の意味は噛み砕いてくれませんか? 
 理解できないのですが。

この回答への補足

つまり 人間は斧時人間と思う自分であっても 時間と共に違う存在だと言う事です

全く同じ自分じゃない 年も違う 考えも違う 体の成分も違う 同じと言うことはないのです

それでも今の自分と昨日の自分 数年前 数十年前の自分と同じ人間なのだと思うことが出来る

これがアイデンティティです。 自己同一性です。

虫の世界など世代交代は速く 実際に個体が入れ替わって行きながら種が存続します。

いずれにしても未来の存在に繋がるように行動しているから 存続できるのです。

進化論です。

補足日時:2010/04/14 21:50
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ANo.9のお礼のお言葉は、


【人間に限らず まず第一の価値は「存在すること」だと思います】がレトリック以上の機能と意味を持ち得ないという事に為りませんか?

死と生、存在ですか?これを対置してのご説明ですね。死を、存在でないものとして存在たる生から価値性を奪わないで、両者を相対的にしておりますね。
老子の空っぽだから器も存在する、という哲理を連想しながら。そして存在が価値ということ、行為などが目指されているという例証ですが、それが価値性の説明と根拠にはなりえないですね。

存在性ですか?その性って、本性とか本質とか言う意味ですか?存在ということの根本意味ですか?
そうなるとそういう根本性をWakeful意識で自己意識している意識の存在者っていうことですね。
それは意識内容を意識だと思う過去的錯覚者でなく現在者であるわけですね。
そういうWakeful意識の方は存在者ですね。
Wakeful意識ではそういう自己自覚ができていなければ、その方は夢の中を喘いでいるだけですね。
そういうWakeful意識は存在者ではないですね。存在物ですね。

この回答への補足

困りましたねえ 存在者とか存在物とかを区別してなんのですよねえ 根本的には

唯物論ではないのですが その延長として 性質としての精神を考えてるので

キリストの話が出たので死の事も書きましたが 死と言うものが存在するとは考えていません

ドーナツの穴のように無いのです。

存在することは大変なのことだと思います それまでの歴史 生命の歴史も人間存在の歴史もありますし

存在者?自身の存在する為の営為も大変な事でしょう。

生物の営みも 人間の営為も殆どが元々は存在する為にあること 

存在性とは存在する為に必要な性質であります どうか考えて見て下さい。

HPのイントロダクションや人間の運命についてを読めば分かり易いかもしれません。

補足日時:2010/04/14 16:50
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この回答へのお礼

参考に


存在するのは今です 次の瞬間に存在できるかどうかは分かりません

動物などは特にそうだし 人間でも交通事故や脳溢血などで人間存在が無くなるかもしれません

なんとかアイデンティティと言う形で時間的にも同一なものと考える事ができますが

実際には考えも体調も同じである事は無いのです。

その上で存在することが如何に大変な事か その為に我々が如何に注意を払い努力しているか

だから存在を追究すると書いたのです。

食事でも食べないとふらふらになって存在の危機を迎えます。

食べ物を探して求める事は 今のスーパーと昔の野山では随分違うのではないでしょうか?

存在は目指されることによって未来の存在が確保できるし 

永遠と言うのはけして宗教の言うものではなく

存在する為に有利な存続と言うことを何処までも追及していく先に見えるものです

存在は調和安定しているから存在できていますが 原子が不調和を起したら地球ごと吹っ飛びます

存在をせめぎ合ってる生命であり 人間ですが 競争も行過ぎると戦争になってしまいます。

生命としては38億年人間としても何百万年存在する為の営為を続けて来たのです

我々の存在は多くの犠牲の上に確率としては奇跡的に存在しているのです。

存在と言うものが価値で それを求めて来たと言うことがお分かりになるでしょうか?

お礼日時:2010/04/14 17:20

 EasterやResurrectionをどう解釈されるか存じませんが、十字架に架かることはそうするとあまり、いい事ではないのですね。


 そして事柄は違いますが、“武士道とは・・・と見つけたり”はどうなんでしょうね。
 存在しないっておっしゃるのは、非存在ってことですね。それとも無存在や不存在でしょうか?
 第一の価値って、“命あっての物種だ”と卑俗にいいますがそういうことでしょうか?
 人間に限らずって、おっしゃいますが、森羅万象、万物を仰せですか?
 いわゆる山河、海空。木石などはどうですか?
 それはあればいろいろ影響がありますからね、でも仰せの価値に関係ある価値ですか?
 その第一の価値ってなんですか。その存在の価値、存在価値って。
 無論、私の優秀な畏友たちで先に逝った多くの方より私はもう四半世紀以上も生存していて、当時の互いの議論も眺める事ができています。
 だからこれは生存している側の有利さです。
 でも彼らの心意気はまた別です。そのあたりは難しいですね。
 ご質問を何度読んでも、おぅそうだ。という気持ちがどうしても伝わらない。
 ご紹介のHPも内容が伝わらない。どうも種族の相違かも知れませんね。
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この回答へのお礼

十字架ですか イエスは命を失いましたが 聖書にあるように後世の人々の心に残って

まあ永遠の命のようなものを得たのかも知れませんねえ

しかしキリスト教国のアメリカがあんなに人を殺しては さぞイエスを信じる人たちも嘆いているでしょうねえ

僕はイエスには寿命を全うしてほしかったですねえ お釈迦様のように長生きしてほしかったです

生きることに価値を見出してほしかった 存在することに拘ってほしかった

でもあれがあの時代が要求したあり方 死に方だったのでしょうね 死と言うものも意味は在りますねえ

存在することが価値であると言うのは 基本的なものですが

存在しないものは 無いわけですから 価値も無いわけです

イエスも存在したから死にも価値があったといえます。イエスが存在しなかったら キリスト教を広める事も出来なかったでしょう

武士道は・・・死ぬ事と見つけたり?でしょうか 存在があるから死に意味が出来ます。

ドーナツも本体があるから穴に意味があるのです。

命在っての物種と言うのも その通りですねえ。命が存在してなかったら 人間存在もありません

命と人間存在は違いますが 密接すぎるほど共存しています。

存在が価値と言うのは 人間を考えて下さってもお分かりになるかと思います。

いろんな事をしていますが 多くは自分の存在や 愛するものの存在や 未来に実現する存在の為に

考え調べ行為してると思います。食べる事歩く事 働く事 情報を得ること 衣食住 運転 芸術等など

多くは存在の為です 如何に存在するかをせめぎ合っています。

動植物の生存競争もそうですし 物質も如何に存在するかという変化をします

ちょっと体調が悪いのであまり説明できませんが

存在性と言う言葉を理解されたら 分かって来ると思いますので よろしくお願いします<m(__)m>

お礼日時:2010/04/13 22:51

生存欲のことでしょうか、「生きたい・死にたくない」という強烈な価値があることによってエゴが強まり、生命間で軋轢が生まれ諸問題がおもってくるのだと僕は思いますよ。



参考になれば幸いです

~生きとしいけるもが幸せでありますように~
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 つまりです。

ANo.4で頂いたご補足は私の、補足をお願いした事項、項目を直接に対象として、お補足になられていると解釈できるものは分ります。
 しかし、必ずしも私のお願いした項目に対して、直接にお補足されているように理解できないのです。 つまり補足願いの項目との関連性がつかないのです。
 存在、意志、進化そして、価値。このタームは私もある程度課題にしてきておりますので、何か投稿できればいいなと、存じております。
 お役に立つかどうかは絶対的な自信はありませんが。
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