アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

コミュ障な私は営業職に向いていると思いますか?コミュ障だから、営業職は絶対にできないと思っていました。
作家の森博嗣氏の「「やりがいのある仕事」という幻想」(朝日新書)という本に、「そのほか大半の普通の仕事というのは、自分がそれに向いているのかどうか、ほとんどわからないだろう。これは、スポーツや芸術関係の仕事に比べて、比較的「誰にでもできる」ものだからである。
同じ仕事の中にも、いろいろな作業がある。大きく分けると、自分で考えて工夫するような作業と、人と会ってその人との合意を得るような作業である。前者が得意か、後者が得意か、よく考えてほしいところだが、大学で指導教官をしていて、学生にこれを尋ねてデータを集めたところ、ほとんどの人が自分を見誤っている、と感じた。すなわち、考えて工夫することが得意で、人と話すのが苦手だ、と自覚している人の方がむしろ営業的な仕事に向いているし、また、人と話をすることが得意で、考えて工夫をするのは自分は駄目だ、という人の方が営業に向いていない。個人的な限られた範囲のデータだが、そういうことはよくわかった。
人と話をすることが好きだ、という人は、自分が話すことが楽しいと感じている。こういう人は、相手からは、よくしゃべる奴だと思われている場合が多い。一方、自分は思っていることをなかなか話せないという人は、相手に対して、よく話を聞いてくれる信頼できる人という印象を与えやすい。「人を騙すようなことはできない」という印象が、仕事ではプラスになる。営業の仕事で最も大切なのは、信頼を得ることであって、調子良くしゃべることではないからだ。
このように、自分で自分が何に向いているのか、ということはけっこう難しい判断なのである。人間は、自分を客観的に捉えることが不得意だ。仕事で発揮されるような能力の多くは、あくまでも外面的なことであって、内面的な性格はほとんど問題にならない。極端な話、「振り」ができるかどうかが大事な場面ばかりだ。
またこれとは逆に、もし内面的な誠実さが相手に伝われば、どんな「振り」よりもずっと効果がある。技巧的になんとかなるものが多いが、同時に、技巧的なものよりも素直さが一番の取り柄にもなる、ということか。時と場合によって、適正というのは、どちらに出るかわからないともいえる。
こんなふうだから、自分が向いているもの、というのは多くの若者には見極められないと思う。むしろ、一年しかつき合いのない指導教官の方が、精確にその個人の適正を見ているだろう。これは、大勢を客観的に観察しているためである。」という記述があります。会話が苦手な方が、営業に向いているのですか?もっとも、大学で受けさせられたR-CAPには「大学の職員や地方公務員が向いている」と書かれていましたが。

A 回答 (3件)

営業って、コミュニケーションじゃないですよ、あれは、コミュニケーションを犠牲にして、商品だけを、売る事に、思えます。

    • good
    • 0

まずは、参考にしている本を書いた方が



「何を言おうとしているのか?」

読み間違えないようにしましょう。

冒頭で言っていることは、

「スポーツや芸術は評価がハッキリしており、募集が少ないので、

 競争が激しく、同時にマスコミが周知するので厳しさが良く知られている。

 そのためここで自分が通用すると幻想を抱く人は少ない。

 しかし、他の仕事も同様にプロの仕事であるから、同じように競争があり、

 雇い主が正しく評価している。

 マスコミが取り上げないからと言って、

 自分が通用すると思い込んでいる若者が増えている。

 昔はそんな甘い考えを持っている人は殆どいなかった。」

と言っているんですよ。

人の習性として、頭脳労働を諦めた人は、折衝や交渉に出口を求めます。

そのため、自分が得意であると主張している心の背景には、

何らかの憧れがあり、憧れを諦めた経験がある。

上から順番に言えば、

他の人が出来ないことを考える仕事:研究者
考えて工夫をする仕事:技術者
人と話をして物を売る仕事:営業職
決められた作業をこなす仕事:作業者

このように並べられるはずです。

自分の将来のイメージが、憧れの妥協であるから、

「これ以上、希望を失いたくない。

 だから、私はコミュニケーション能力が高いんだ。

 そうでなければ、ああ、考えたくない。」

と言う人が、必死に自分はコミュニケーション能力があるとアピールしているんです。

そういう哀しい嘘を自分についたとしても、

他人を言い負かすことは出来ませんから、早く諦めた方がよいですよね?

と言う当たり前の話じゃないでしょうか。


つまり、

「考えて工夫をするのが得意と思っている人の殆どが、

 実際は、知識が豊富なのであり、考えて工夫をしているというレベルではない。

 しかし、そういう人は知識も豊富だから営業では重宝するだろう。

 人と話すのが得意としている人も、営業職が必要とするレベルに達していない。

 お客は専門的な技術を語る営業マンを欲しているからだ。

 話が上手であると言うだけでは、信頼を得られない。」

と言っているのだとわかりませんか?


以前、部下と面談をしていて、驚いたことがあります。

「やっぱり実力が大事なんですか?」

何を言っているのか?と呆けました。

この人は一生懸命、優秀な人の物真似をするんです。

他の人も彼を優秀だと思っていました。

上司になって困ったのは、評価する実績が殆ど無いんですね。

誰もが認めるような実力者向きの仕事を頼むと、上手い具合に他の人に押し付けます。

最初は気がつかなかったんですが、

「ああ、こいつは自分が分っていて、無理をしない生き方なんだ。」

と思いました。これはこれで感心したんです。

しかし、面談ではっきりしたのは、

「え、実力とかってあんまり関係ないですよね?

 大事なのは、コネですよ。」

と言う考え方だったのです。感心して損をしました。

「うーん。俺の機嫌をとってくれるなら、確かに良い評価をつけてもいいけど。

 それってつけるだけで、無駄だぞ。」

あんまり部下が子供っぽい考え方なので、

心配になりました。

これは、大分前のあるとき。

どうしても必要とおもい、本当はやってはいけないんですが、

ある指導をしました。

「よーし皆集まれ。

 皆の評価をつけるぞ、ほら。

 よし全員A(一番高い評価)だ。

 見たな、ではメールで送る。

 良かったな。」

本当に、全員から喝采が上がりました。

これには驚いて、哀しくなりました。

予想通り、すぐに担当している管理者の方が飛び込んできます。

「あ、すいません、ちょっと間違っておくりました。

 今から本当のおくります。」(私)

「ああ、そうだよね。気をつけてね。」(担当の管理者)

と言うやり取り。

評価と言うのは完全に実力主義です。

傍で見ている上司は指導者であって、一存で評価を捻じ曲げることは出来ません。

すぐ傍の上司がどう間違って評価しようと、別の管理者が訂正します。

どうにも出来ないんですよ。

つまり、私の部下の全員が、

私の機嫌をとっても、無駄だと知らなかったんですよ。

このあと諦めた部下が実力優先になりました。

異動した後もあちこちで評価されています。


そこで考えてみてください。

たった一人でも、実力を磨く方に時間を費やしている人がいたら?

他の皆がご機嫌を取る方を選びやすいわけです。

相対的に、この人だけが少しだけマシになります。

勿論、差としても僅かでしょう。


しかし、他の人よりは少しでもマシなほうが良いですから、

重要な仕事を任さざる終えなくなりますよね。

勿論、才能もなく、向いてもおらず、力不足かもしれません。

そうなりますと、失敗の責任を指導者が負います。

上司は、他の管理者の方に、

「最初から無理に思えてたけど、あえてやらせたのは何故?

 自分の指導力を見誤っていないか?

 管理者としての実力が足りてないんじゃないの?」

と言われますよね。

そこで、本気で育成しないといけません。

このときは上司が持つ全てのノウハウを吐き出して取り組みます。

嘘から出た真になるわけですね。




その少しだけ実力充当に時間をかけた人は、

このような力学の流れにのって、

上司の力の殆どを吸収してしまうんです。

上司の全てを吸収すると、希少な人材にはやがわりです。

次の上司のもとへと異動になります。

これがエリートコースと言うものの正体です。


実際のところ、

若者と言うのは、何に対しても向いていないんですよ。

学校の先生が研究してホンを書くほどのものじゃないです。


他の同期や同僚が、

実力以外のモノが決め手に成るのでは? と心配をしてしまい、

実力を磨く方に時間と意識を集中できていない。

そんな、中で一定期間、真面目に仕事に取り組み、

少しだけでも専門的な技術の向上を目指した。

こんな微妙な違いを上司が知っているんです。

これだけが鍵なんです。

今の実力が人より1%高いとしましょう。

この1%を評価されて、永遠のゴールへ到着するわけじゃ在りません。

また、凄い実力が今必要と言うわけでもありません。

会社や上司にとって、その人が一番マシであり、

仕方なく指導する対象であった。

そういう状況を作り出すことがポイントなんです。


会社の上司と言うのは、お母さんや先生が子供に教えるよりも、

教え方が上手なんですよ。

元は、有名大学を卒業した人たちなんでしょう?

義務教育、高校では、学年トップや学区トップであった人が沢山います。

少女マンガに出てくる秀才とか天才より、頭が良いわけですよ。

「どうすると短期間で実力が身につくのか?」

これらを本能的に捉えた、効率化の権現であるはず。

マスコミで報道されないだけであり、スポーツで言うところプロですよ。



それが現物で傍にいるんです。

この人達が、過去に自分の人生で大学受験を目指したときと同じ、

本気モードで、自分を指導してくれるんです。

一瞬で実力者になるのが当たり前でしょう?

スイスイと他の人より出来ることが増えます。

こうなれば、その仕事が自分に向いていると錯覚するでしょう。

これで人生が変わるんであって、自分で変えるんではありません。


私が驚いたのは、これらを知らずして、

上司にアピールをしていた部下がいたからです。

アピールでおしまい。

その後の指導の部分は意味が分からず、無駄だと思っていたようです。

「ええ? 実力とか必要なんですか?」

(おいおい漫画じゃあるまいし、

 正直者が馬鹿を見るとか、本気で思ってたんじゃないだろうなあ。)

と思いますよね。

私の上司に、この話しをしたとき、彼は最初は信じませんでした。

しかし、

彼も色々と思い当たると納得し、

哀しそうに笑い、最後は本当に笑っていました。

確かに、これ以上ないくらいの寓話です。


●この様な勘違いをしている人が増えていませんでしょうか?


大学であれば、そこに立って教えている先生は、

文字通り世界一の人物なんです。それを意識して接しているでしょうか?

その人を目の前にして、力を吸収しようとせず、

「自分は考えて工夫をすることが得意です。」

と言えば、

「で、君は世界ランキングで何位なんだい?」

と聞かれますよ。

こうした面白い話を、本に書いてみたかっただけじゃないでしょうか?


押してもだめなら引いてみる・・・、みたいに、

「営業が苦手だと思っていると、実は営業に向いていた。」

みたいな漫画のような話じゃないです。

そういう考え方をする若者が増えているという皮肉でしょう。


若者の全てが、自分をワンランク上において幻想しており、

そのせいで、チャンスにめぐり合っても、適切な行動が出来ない。

そういう面白い話が原因でも、人生の軌道を狂わすには足る。

という話です。



あなたが、コミュニケーションで悩み、改善を試みたとしましょう。

自分は足りているとして、教えを請わない人や同期でたくさんいれば、

それで勝ちなんですよ。

向いているものを探すのではなく、こういう状況を探しましょう。

これまでの同期や仲間で自慢しあっていたものは、ゴミ箱に捨てて問題ありません。


以上、ご参考に成れば。
    • good
    • 1

営業というのは自社商品を現時点で不要だと思っている相手に買いたいと思わせるのが職務ですから、ある程度図太さがないと難しいです。


その点接客業は客のニーズを満たすことが職務ですので、接客する側の個性は必要とされません。
私は長年企業のカスタマーサポートセンターで働いてきましたが、自分は話好きだと主張する担当者ほど長続きしませんでした。
客は応対する担当者と触れ合いたくて電話をかけてきたののではありません。
購入した商品に対する苦情や修理の依頼を迅速に対応するには、傾聴力と判断力が重要なのです。
このように与えられた職務によって必要なコミュニケーション能力が違ってくることを念頭に置いて職種に的を絞って下さい。
最後にあなたは大学の職員や地方公務員が向いているとのこと。
最近の大学は休校期間を利用して一般人に対する様々な講座を提案しています。
私も今年の夏に孫と一緒に大学で化学の実験を行いました。
このように現代の大学職員にはマーケティング力が求められています。
この職務に必要なコミュニケーション能力とはどんなものでしょうか。
考えてみて下さい。
また地方公務員は担当する部署によって色んな能力が必要となってきます。
接客業のように顧客満足度を満たすホスピタリティ精神も重要でしょう。
または押しの強さや説得力が必要にもなってきます。

結局どんな職種でもコミュニケーションは必要ですが、やっていく内にスキルは身についてくるものです。
最近の若者は自己主張することがコミュニケーションだと思っている節がありますが、決してそうではないことを知っておく必要がありますよ。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!