お茶が入りました。コーヒーブレイクにようこそ。
われら日本人は 外国語に熟達する事例(人数またその深さ)が少ないと言われる。
いわゆる教養ある話し手が自分の母語として通じているのと同じくらいにその外国
語を習得したという事例(人数)が少ないと思われるのは われわれの母語たる日
本語についてよく知らないことから来るのではないか?
これが 問いです。
知っていれば外国語を覚えるのにも役に立つような文法を知らない。
動詞の活用がどのようにして成り立っているのか。これが あいまいである。また
は ほとんど知らない。
終止形とは どういう法( mood )なのか。つまり 話し手のどういう気分や心つ
もりで言い出されている活用形なのか。これを知らない。文がその形で終わるから
終止形だというのみ。
ならば 命令形だって 文を終止させているのではないか。
そしてこの場合は はっきりと《主観の要望〔としての命令〕》の気分(= mood :
つまり命令法)で言っている〔から 命令法に活用したと言う〕。
未然形が 不定詞に当てはまる不定法( infinitive mood )だと知れば ただちに
世界標準に立てる。《未だ然らざるかたち(状態)にその動詞を置く気分》という
のは まだその活用を決めていない(定まらず)のだから 不定法なのである。
そのあと
行か(不定法)-ない(否定法)( do not go ) だとか
行か-む(意志法( will go);推量法) あるいは
行か-ば(仮定条件法)( if he go, )
だとかに活用するのだ。
文法だけに限らないであろうが たぶんこのような視点(それが おそらく哲学)と
してのグローバル化が必要なのではないか。
そうすれば われら日本人は ふつうにまじめでそれなりに優秀なのだから うんと
ほかの言葉の習得は早いはずだ。
と ふと思ったので問うてみます。どんなもんでしょう。
No.12ベストアンサー
- 回答日時:
一服頂戴。
外国語の習得が出来なかった身としては、耳の痛い話です。小中高と国語が低空飛行だった理由と、外国語の赤点の理由とが繋がっていたのですね。せめて高校生の頃に聞かされていたらよかったのに。古典の授業の文法を右から左と流す、英語の文法も耳に残らない、それらはそういうことだったのですね。現に自分が使っている言葉を、文法的に捉え直すという作業をしない所為だったのですね。
怠け者だったとかの個人的素質は措いて、文法の方に問題はないでしょうか。そう言うと大それた話ですが。文法だとして登場する言葉、「未然形」など、分からない言葉でてくる。加えて仰るように、「文がその形で終わるから 終止形だというのみ。」国語の授業で登場する文法は、分かりきったことか、暗記事項の羅列しか出てこなかった、という記憶しかない。教師の資質ではなく、文法の教授体系に「分かっているはずのこと」が多く繰り込まれすぎている。どこがどうだとは言い得ませんが、そんな気がします。遡れば、現の日本語文法体系そのもの(どんな研究が幾種類あるかも知りません)が、日本語の構造にマッチしたモノとして構成されていない、と怠けていた言い訳が思い浮かぶ。
「われわれの母語たる日本語についてよく知らない」、私個人はそうだろうと思います。私個人は分かっていない。が、日本人は、と言うならば、自分の言葉を自分で知らないはずはない、と円環のような反発が還ってくるでしょう。そこには課題意識が要ります。外国語の習得というのは、当たり障りのないところです。別なところにも課題は沢山転がっています。たとえば、言葉の意味はそれが発された「場」に規定されます。西田幾多郎が、場所の論理だとして論じているその言葉は、大先生の言葉を必死に聞き取ろうとする弟子たちには通じるのでしょうが、門外漢には意味不明だ。独り言としか見えない。つまり、言葉が「場」に規定されるということを論じるのでさえ、仲良しクラブで通じる言葉でしか論じられない。それで西洋式ではない日本語の論理を作った?それって、その輪に入らない者は日本人じゃないってことか。そういえば、排外的空気が広がっていますね、近頃。
怠け者のボヤキも、お茶も、この辺で。
★ せめて高校生の頃に聞かされていたらよかったのに。古典の授業の
文法を右から左と流す、英語の文法も耳に残らない、それらはそういう
ことだったのですね。現に自分が使っている言葉を、文法的に捉え直す
という作業をしない所為だったのですね。
☆ おお! もういっぺん おおおおおお!
手前味噌になりますが いやしくも日英どちらも(あるいは ほかのも
含めていづれも)人間の言語であるというからには 互いに共通の要素
要因があると思って理解しようとしても おかしくありません。
従来ややもすると 日本語は世界の中でもきわめて特殊な成り立ちの言
語であって 国語学とほかの言語の言語学とは違っていてよいのだとい
った見解が 定説のごとくに見なされていました。
国語を日本語と言いかえる少数派が出たときから 相対性原理が稼働し
始めました。
ただし 例の《生成文法》なる一派では まだ埒があきませんでした。
おおむね大野晋がやったのです。ほんの少し視点を変えれば・あるいは
補えば 世界における普遍的な言語学が――しかもその形成に むしろ
確かに特殊性を持つ日本語(&朝鮮語)の分析をつうじて―― かたち
を現わそうとしています。
万が一私見に間違いがあるとしても この新路線に大筋ではまづあやま
ちはありません。
そういう見方を共有できたのが なつかしいおーるど_しょうさんでし
たのも 何かの縁ではないかとは思いました。
ご回答を たいへんありがとうございます。
残ったスペースで突拍子もない新説(珍説?)をご披露してみます。
・ na な(名):もの・こと一般のしるし
> na-ru なる(名-る=成る):ものごとがそのようにあたらしく現
われる。
> na-su なす(名-す=成す):ものごとを一般に人がそのようにお
こなう
・ na な(音) / 〔 na-i > nä >〕 ne ね(音):聴覚対象一般のしるし
> na-ru なる(音-る=鳴る):その音が立つ・現われる・聞こえる
> na-ku なく(音-く=鳴く・泣く):その音・声を出す( / k / は
移動・過程の相をおびる)
・・・
No.11
- 回答日時:
日本語を知らなすぎるから外国語を習得できないのではないかという問いであってますかね?
後半は難しくてよく分からなかったのですが、とりあえずコメントします
外国語を習得しにくいのは単純に必要性が低いと言うのが一つ
資産的にも優位な日本人はほぼいつもお客の位置に立つことになるので日本語が通じるケースが多いため、そもそも覚える気がない
その為、専門的、スラングなどの言葉の情報事態に触れる機会が少なすぎる気がします
二つ目に接続詞等を重視しすぎるために文法のならびの違いから分からなくなって挫折するケースが多い気がします
会話なんて極端に言えば名詞、動詞、修飾さえあれば会話は出来る
だけど、考えて接続詞を入れないと行けないと思うから最初の一歩が踏み出せない
出来ないと思い込んでしまう
何となく話をしていれば徐々にまともな文法は身に付くと思いますがそこまでに至らないのはそういう文法を重視しすぎるために生まれることなのではないかと思います
あとは、音数に違和感があるのが原因かと
日本語は接続を含めて5、7音前後になるリズムが多い気がします
俳句など、音数を重視する文化もあることからこの辺の基盤も影響あるのかもと思います
ご回答をありがとうございます。
★ 日本語を知らなすぎるから外国語を習得できないのではないか
という問いであってますかね?
☆ えっとですね。正直に申せば その中で習得を《一流の使い手
に成る》場合にしぼってはいます。
☆☆(趣旨説明欄) いわゆる教養ある話し手が自分の母語として
通じているのと同じくらいにその外国語を習得したという事例
☆ ではあります。
★ 二つ目に接続詞等を重視しすぎるために文法のならびの違いか
ら分からなくなって挫折するケースが多い気がします
☆ この点は よく指摘なさったと思います。ただし わたしの見
たところでは:
★ だけど、考えて接続詞を入れないと行けないと思うから最初の
一歩が踏み出せない / 出来ないと思い込んでしまう
☆ という場合 たぶんその接続詞は 入れないでよいことが多い
のではないかと思ったりします。文例につまりますが。
★ 何となく話をしていれば徐々にまともな文法は身に付くと思い
ますがそこまでに至らないのはそういう文法を重視しすぎるために
生まれることなのではないかと思います
☆ これは 実際においてそうだろうとわたしも思います。
という意味は 日本語のほうの文法を知らなすぎるのではないかと
いう反対側の問題があるかも知れないと言おうとしていますが。
★ あとは、音数に違和感があるのが原因かと
☆ 音節ないし拍(モーラ)の問題ですね。あるいは 長母音と短
母音の区別など。
つまり:
★ 日本語は接続を含めて5、7音前後になるリズムが多い気がしま
す
☆ といったことは あまり気がつかないで済ましているかも知れ
ず しかもなかなか馴染めないのかも分かりません。
もっとも 二十歳ちょっとまでの若い時に習えば まあまあ柔軟性
を発揮できるかとは思いますが。
じゅうぶんにたのしいお話をなさってもらったと思います。
これまでのみなさんとの会話でなお心残りなのは やはり日本語の
文法観ですね。
動態用言(動詞)の法活用でたとえば 《終止形》などというのは
いただけません。国語学者にがんばっていただかないとと思ってい
ます。
No.10
- 回答日時:
文章術などを紹介するサイトなどをのぞけばすぐわかりますが、日本には、「思ったように書くべし」という信仰があります。
レトリックが軽んじられている傾向があると言ったほうがいいでしょう。ゆえに、文法の文法化が遅れている。
――いや、これはすこし言いすぎかもしれません。あるいは、こう言うべきでしょうか。
日本語文法が周知されずに上の信仰が重要視されている、と。(素読教育はやっぱり正しかった!)
ただ考えてもらいたいのは、日本語という言語が外国語との交流がまだ盛んではない、ということなのです。まだ始まったばかりといったところでしょう。ゲルマン語を親として持つ英語とラテン語を源流とするヨーロッパ圏の言語は、かなり早い段階で大規模な混淆が開始されています。文法などが似通ってくる可能性も十二分にありえますし、実際のところ、それはおおかた事実なのでしょう
ところが日本の場合、源流となった言語は、中国のものともちがうし、ラテン語のものともちがう。聞くところによると、インドのある地域で話されていたものとよく似通っているとありますが、その言語も、世界言語とひたしく交流した経歴はないようです。ゆえに、ラテン語などの影響を受けたとは言えないでしょう。
このことから、日本語というものは、文法以前に、ほかの言語との折り合いがそもそも悪い、ということが言えます。フランシスコ・ザビエルなどが有名ですね、日本語はじつに難解で、覚えるのはタイヘンだ、と言ったのは。
しかしこれはけっして、日本語そのものが難しいのではなく、日本語という文の運び方、理路の立て方が、じつに独特というだけのはなしであります。であるからして、文法が周知徹底されたところで、相手に伝えたい意味内容があったとしても、まず浮かんでくるのは日本語。――それを頭のなかで、外国語へ変換するという作業が当然生まれてきますが、その途中で、日本語の理論と外国語の理論とのあいだに大きな齟齬が生まれるのです。いくら日本語に習熟したところで、日本語が底にある以上は、世界に通用するものとはならないでしょう。
そうして、グローバル化といちがいに言いますが、どの国にも、その国における民族性やお国柄というものがあります。もし英語をぺらぺら話したければ、日本の中ばかりにいないで、英語(をつかう方)のものの見方や考え方をまず学んだ方がいいでしょう。かわいい子に旅をさせよ、ではないですが、英語を使うたくば渡米しろ、ということです。言語を学ぶには海を超える必要があります。
むろん、日本語に習熟した人は言語そのものに興味がありますから、英語やその他の言語にも当然興味はあるでしょう。そういう意味では、習熟者の上達は、すこぶる早いでしょうね。
ご回答をありがとうございます。
★ いくら日本語に習熟したところで、日本語が底にある以上
は、世界に通用するものとはならないでしょう。
☆ のっけから反発するようなコメントになりますが ここは
考えてみれば どの言語であっても同じ条件なのだと思うので
す。
あぁ。そしてそのことは 次の評言に明らかでしたね。
★ むろん、日本語に習熟した人は言語そのものに興味があ
りますから、英語やその他の言語にも当然興味はあるでしょう。
そういう意味では、習熟者の上達は、すこぶる早いでしょうね。
☆ おそらく あらゆる言語に共通の――あるいは 言葉その
ものの生成をめぐる――普遍理論が見つかればよいわけです。
そうすれば どの言語も互いに対等に相手を認識し得て その
ぶん 互いに変な遠慮やぎゃくに図々しさ(いや 開放性)の
問題を超えて やはり対等に意志疎通をおこなうための素地が
つくられる。
つまり
★ 日本語という文の運び方、理路の立て方が、じつに独特と
いうだけのはなしであります。
☆ と説明されて来ましたし いまでもおよそ定説であると思
われるのですが もし・ひょっとして あらゆる言語に通用す
る言語類型が 理論的に見出されたならば 言葉に対するわれ
われの態度や感覚は かなり変わったものに・つまり自由で柔
軟性に富んだものに成っていくでしょう。
とは 考えています。さて いかにの内容は 乞うご期待にな
るのかも分かりません。
この質問に何かそういったお話が飛び込んで来るかも分からな
いですし。
No.9
- 回答日時:
No.7です。
「☆ そうなのかも知れませんが こう考えてみられてはどうでしょう。 つまり その《思考の形式が固定してしまっている / 柔軟性がない》こと
は 何か別の理由や事情があるのではないか? と」
→そうでしょうね。
「すなわち 例のクウキ教です。知らず知らず何かと あたらしいことをやろうとしたり 違ったことを考えてみようとしたりするとそれを妨げるような――しかも クウキとしての――圧力を感じるということ」
→そうでしょうね。
「日本人にも 独創性は潜在しているはずですよ。社会に目に見えない網が張られている・・・んでしょうか。その網に手や足がすぐさま引っかかってしまう。だけの問題であるかも分かりませんから」
→それでは結局、独創性がないのと同じなのです。
思っても云わない、思っていても行動しない。それでは結局何にもならないのです。
★ ~~~~~~~~~~
→それでは結局、独創性がないのと同じなのです。
思っても云わない、思っていても行動しない。それでは結局何にも
ならないのです。
~~~~~~
☆ そのとおりです。そのとおりですが 未来志向で行きましょう。
なかなかむつかしいですよ。
わたしも いまでこそ ここかしこで言いたい放題というまでに言
いたいことを言っていますが それも クウキ論や日本教の理論を
得てからの話でした。
ただ 反発することとしての自由な発言を試みても なかなかあと
が続かない。《日本および日本人》の理論を――しかも 世界のほ
かの社会にも通用する内容において――持った上ででないと 輪が
広がらない。
ともかく一筋縄では行かない大きな問題でしょう。
わたしも OKWave とこことで十年ほどやって来ましたが いまだ
に インタスサノヲイズム(アマテラス公民たるお二階さんたちよ
一階の市民社会に大政奉還せよ運動)は根付きません。
気長にまいりましょう。
ご回答をありがとうございます。
No.7
- 回答日時:
「われら日本人は ふつうにまじめでそれなりに優秀なのだから うんとほかの言葉の習得は早いはずだ」
→私は日本人を”ふつうにまじめでそれなりに優秀なのだから”とは思わないです。
といいますのは、一般に日本人はまじめですが思考が固定的過ぎます。
つまり、柔軟な発想ができないのです。
ですから、ご質問にあることをあまり重要だとは思えないのです。
ふむふむ。まづは ご回答をありがとうございます。
★ といいますのは、一般に日本人はまじめですが思考が固定的過ぎます。
つまり、柔軟な発想ができないのです。
☆ そうなのかも知れませんが こう考えてみられてはどうでしょう。
つまり その《思考の形式が固定してしまっている / 柔軟性がない》こと
は 何か別の理由や事情があるのではないか? と。
すなわち 例のクウキ教です。
知らず知らず何かと あたらしいことをやろうとしたり 違ったことを考
えてみようとしたりするとそれを妨げるような――しかも クウキとして
の――圧力を感じるということ。
日本人にも 独創性は潜在しているはずですよ。
社会に目に見えない網が張られている・・・んでしょうか。その網に手や
足がすぐさま引っかかってしまう。だけの問題であるかも分かりませんか
ら。
No.6
- 回答日時:
私も日本人は言葉を知らないと言おう。
そこら辺のきちがいはしゃべっているけれど、字句の意味を使わないので
何をしゃべっているのかがわからない。
きちがいは得意になっているけれど、字句のとおりにしゃべらないので、
何を言っているのかがわからない。
あるきちがいは日本の言葉は美しいと述べているが、きちがいに日本の言葉が美しいとはわからない。
きちがいはわからない。
ちょっと言葉が過ぎるのでは?
どんな言葉を使ってもかまいませんが その議論についての根拠や理由
あるいは具体的な例証を示すということ。
これがないと ただただ何を言っているか分からないような街頭演説に
過ぎなくなります。
ご回答をありがとうございます。
No.5
- 回答日時:
文法など知らなくても、拾得できますよ。
母語がその典型です。
外国語が不得意、といわれるのは、欧米に
比較しての話でしょう。
英語、ドイツ語、フランス語などは、同じ
語系に属しますので、習得が容易です。
日本語とは語系が異なるので、日本人には
拾得が苦手なだけです。
中国語なら、日本人の方が欧米人より
習得が容易です。
さほど取り立てて論じるほどの問題ではない。でしょうか。
まぁ 反証は持ち合わせていますが 取りあえずは カフェ
での会話をたのしみましょう。
と思いましたが 一点触れます。
外国の人たちに 日本語をおしえるとき まだまだその言葉
の成り立ちだとか言語の構造として 外国の人たちにも通用
する説明――広い意味での文法――が決してじゅうぶん出来
ているとは言えない。
ハ格とガ格の問題がいちばんの課題だと思われます。
趣旨説明では 動詞の活用の仕組みの場合を示しました。こ
れなどは ただただ鵜呑みしてまなぶことしか ほとんどや
っていない。などなど。
★ 日本語とは語系が異なるので、日本人には
拾得が苦手なだけです。
☆ つまり 言語家族(語族)の違いにもかかわらず じん
るいのすべての言語にわたって普遍的な広義の文法を知るこ
とが出来れば かなりおもしろいことになるはずです。
そういった方向を思っています。
ご回答をありがとうございます。
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