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ピアッツァはいすゞがSUVを除く乗用車の自社開発及び生産を1993年にやめたら、ジェミニやアスカと共にOEMに切り替えたらよかったと思って、ホンダから、インテグラのOEMに切り替えて、で後から日産からシルビアのOEMに切り替えたら(両方ともジウジアーロデザインで開発にはいすゞから社員が派遣されている)いいと思いましたが、どう思いますか?

A 回答 (3件)

>どう思いますか?


 不得意分野からは撤退して正解。
 いすずは「トラック」を清算、販売すれば良いと思います。
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おクルマの研究者で、ISZが乗用車を作っていた最後の10年ほど、ISZでハンドリング絡みの研究・開発をやっていましたが。



>ホンダから、インテグラのOEMに切り替えて、で後から日産からシルビアのOEMに切り替えたら(両方ともジウジアーロデザインで開発にはいすゞから社員が派遣されている)

・・・何スかそれ。どこの情報ですか?そんな事実は全くありません、っと全力で否定しておきます。
 ISZは乗用車の種類が少なく、実際に乗用車のサスが設計出来るスタッフは限られています。当時のシャシ設計部のサス設計グループは課長さん以下全員の顔と名前が思い出せますが、誰も社外に派遣されていたことなどなく、皆さん藤沢工場の古く汚い設計室で、ひどい雨漏りと淀んだカビ臭い空気に耐えながら、『乗用車開発の休止』が発表されたあの朝まで、ひたすら次期ジェミニを設計してましたよ。
 またジウジアーロ氏は、JR(初代ピアッツァ)デザイン後にISZとケンカ別れして、日本のメーカーでは富士重ベッタリになりました。(ISZとケンカ別れした状況も知ってますが・・・それは御質問とは関係ないので書きませんが・・・・当時スバルでサス設計を担当していた友人が、『なんかジウジアーロがウチに来てISZの悪口を言いまくってるぞ』っとワザワザ電話で知らせて来ました。ジウジアーロ、なんてケツの穴が小さい野郎だ!(~_~メ))

 っと自動車史の訂正をしておいて、では回答です。

>どう思いますか?

 政治的なアレコレは置いといて、そういう話があったら面白かったかもしれませんし、そもそもロータス絡みでスープラを供給してもらえなかったのか?などというヒトもISZ社内にはいましたよ。(スープラの前身、セリカXXのサスチューンはロータスでしたし、またトヨタはロータスに部品を供給していました。FFエランのテールランプはハチロク用そのものでしたし、マークⅡ用の等速ジョイントによりエクラは特殊なリヤサスをダブルウィッシュボンにグレードアップ出来、エクセルにモデルチェンジしました。一方、ISZのハンドリング研究がロータスと強い協力関係にあったのは有名ですね。またジェミニの4XE1型エンジンは、並み居る高性能4気筒のコンペを勝ち抜き、FFエランに採用されたばかりでした。)

 或いはいっそ、ロータスのクルマをOEM供給してもらおう、などと日本自動車史始まって以来のステキなことを言い出すヤツもいましたが・・・・そう言えばピアッツァのハンドリング・バイ・ロータスは、『プアマンズ・エクセル』(=ビンボー人のロータス・エクセル)などと呼ばれてたっけ・・・・トヨタの部品をフンダンに使ってコストダウンを図ったエクセル自体、『ビンボー人向けロータス』だったんですけどねぇ・・・ワタシ個人としては、エクセルがピアッツァとして販売されたら(ISZで働いて貰ったおカネをつぎ込んで)間違いなく購入し、そして今でも乗っていたでしょう。

 さてホンダ車の場合では。
 ピアッツァの市場は、クルマをよく知らない若い衆にも理解出来る底の浅いハンドリングと安っぽい内装のインテグラよりも、ハンドリングに明らかにカネがかかっているプレリュードの方が近いでしょう。またニッサンからOEMが受けられたとしても、完全にお子様向けのS13や180SXよりも、『実はおっさん向け』のZでしょうね。(今だから言ってもヨイでしょうが・・・・最終型ピアッツァJT221型の後継車では、リヤシートにヒトが座れない低いクーペボディに2.5リットルV6DOHCエンジンを積む計画がありました。ほとんどFFのフェアレディZって感じで、それならZ32型の2by2でもよかった様な気も。)
 う~ん、やはりエクセルだったら、ピアッツァの強力な後継車になったでしょうね。要するに完全な他力本願ですが、エクセルの外観やサスチューンなどを藤沢工場で『ISZらしく』手直しして販売していたら、ISZはハンドリングで日本一のメーカーになっていたでしょう。惜しい、とても惜しい、まぁISZ社員が喜ぶだけですけどね。

>どう思いますか?

 結局、貴殿が今更考えるまでもなく、当時から理想論だけは色々とあって、全て政治的な問題で到底実現し得なかったワケです。(ドマーニジェミニが社用車として来た日、早速みんなで試乗して~当時は藤沢工場内にテストコースがありました~ISZの量産開発の連中が愕然としていたのを覚えています。『なんで、この程度のガラクタしか作れないメーカーのクルマが売れて、オレ達は乗用車開発を断念しなければならないのか?』っと。まぁ確かにドマーニは、直進性、ハンドリング、乗心地等全てに於いてジェミニよりあからさまに劣っていましたが、いやそれは、要するにオマエらがハンドリングにカネをかけ過ぎるから儲からないってことだろが、などと、常日頃考えていた事はとても言い出せませんでした。おかげでハンドリング専門の研究者たるワシにも仕事があったワケだし。)

 しかしホンダのヤツら、ふざけやがって。ISZは960(ビッグホーン)の最上級グレードであるロータスバージョンをホンダに差し出し、対するホンダからの供給はドマーニと(ユーロRを含まない)アコードだけとは。(当初はシビックやアコードの全グレードが対象になっていたのが、ホンダ系販売店からモーレツな反対にあい、売れそうもない中間グレードばかりが供給される事になったと聞きました。この提携により、当時社員の通勤車にホンダ車全車種が解禁となり、社員の間でインテグラのRの購入が流行りましたが、しかしホンダの販売会社から『Rは儲けが少ない上に他でも売れていてタマ不足なので、もっと低グレードを買ってくれ』と要求され、Rだけは通勤車として認めない、っと言う措置まで取られました。なんて連中だ、ISZ社員だって立派な顧客だろうが。明らかに奢り高ぶったホンダのクソ販売会社の連中は、解散して露頭に迷ってくれねぇかな、などとマジで思いましたよ。)
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ピアッツアはスペシャリティカーなので OEMで出すのは向いていないでしょう


特に当時はエンスーというか車好きというか・・・その辺のこだわりのある人の割合はずっと多かったので安易なバッジエンジニアリングはマイナスになったと思います。

当時のいすゞの営業力からトラックつながりの実用車ユーザーのサポート、ということでセダン関係はOEMで継続となったのですが・・・それ以上は無理だったのでしょう
個人的にもそのへんのカリスマはどっかいっちゃってたと思います。
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