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とても死が怖いです。
人は、死んだら終わりか、死んで、終わりじゃないということは死後の世界や輪廻転生があり、永遠に存在する。のどちらかです。なぜこのようなどちらであっても最悪な結末なのでしょう。
永遠に存在するのはとても怖いです。
かといって、消えてしまうのもとても怖いです。この最悪などうしようもない事実にどこか救いはないのか。
このような事を考えていると、なぜ自分は存在してしまったのだろうと考えてしまいます。なぜ自我があるのだろう。なんのためにこの世界があるのだろう。と
だれか助けてください。

A 回答 (19件中11~19件)

日本語の使い方にやや問題があります。

《どちらであっても最悪》 最悪というのは、いくつかの状態があって、その中で一番悪いのが最悪です。 最悪のみがあるというのは、用語の使い方が間違っているか、ロジックが狂っています。 状態が一種しかない、同じ程度という場合には、良い、悪いもないのです。
自我はあるというよりは、獲得してしまうものです。 嫌ならば、自我を捨て去るか忘れるか自分を気にしない考えなければいいのです。
もしも《なんのためにこの世界があるのだろう。と》気になるなら、世界は自分のためにある、自分がなくなれば世界もなくなると思ってしまえば済むことです。
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生命の神秘のなか、人間もその中な小さな一つ、太古からの時間の流れに全てを任せ、今を生きませんか?


何んて考えて、現実逃避してる私です。
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その最悪の結末の想像からくる恐怖こそがあなたの「死」そのものです。


死というのは、生きている人の中にしか存在しません。あなたがそうやって作り出しているのがいわゆる「死」です。
かなり明晰に生きている裏返しです。

死で感じるこの完全な終焉と永遠の存在は同じこと。時間は宇宙で規則正しく脈打っているのではありません。
極端には、刹那の中に永遠があり、永遠は一瞬にすぎないのですが、人間が、自ら、その事象を一瞬と感じ、あるいは永遠としているのです。
時間の中に瞬間や永遠があるのではなくて、瞬間の中に、あるいは永遠の中に時間を認識してます。

そして自分が存在していることは、新鮮な驚きであって、その鮮やかさから反射した恐怖が死のイメージです。澄みきっていて鮮やかであればあるほど深い恐怖を感じるのではないでしょうか。

あとは、この世界が世界としてあるのは、自分の存在が基盤です。
世界の中に自分が生まれ落ちたのではなくて、自分の中に世界が生まれてきたというのが本当のところなんです。
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死ぬという現実より、どういう死にかたをするのかが怖いときあります。

。死ぬのはみーんな死ぬんですけど、死にかたは人それぞれですから。。
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死ぬのは、避けて通れない、


受け入れるしかないし、仮に君が不老不死になったら、逆に何故死ねないと悩むだろう
、自然の法則に従う、此処で哲学をだして回答求めても
どうしようも無い現実だから
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世界の中で、あなたは孤独に死にますか?


実は、世界はあなたが認識する事において存在するのです。
その意識=自分の外(宇宙)が真の自分であるという自覚(他我=愛)において、全ての人と意識(宇宙)は共有され、その愛によって永遠に続くのです。

量子論的世界像において、有限な存在性(=宇宙)は認識されることによって派生しています。
換言すれば、「自我仮説(心=時間の流れ=記憶)と時空仮説(存在=空間的広がり=予測)が、(不確定性原理の相補的不確定性を介して)相補分化している=全てはあなたが存在するための(物理的原理性にまで遡った)補完である」という事なのです。

「全ては、あなたが存在するための(物理的原理性にまで遡った)補完」なら、宇宙は自己の必要であり、完全に自由であって然るべきものにも思えます。
しかし、物にぶつかり、人と争うのはなぜかというと、その場合の自己は「物理的原理性にまで遡った」ものではなく、現象表面的&刹那的な「自己チュー」なものだからです。
いわば、「存在」とは自己矛盾であり、自己チューな意識に対する「規制」なのです。

そうした短絡的自己から、認識の深まりによって“環境”を自己として自覚化し、社会に対しては他我(愛=社会生命的自覚=自律的社会行動)において生きるなら、他人への信頼の限りにおいて、その意志は肉体的な有限(能力・寿命)を超え、永遠の未来や宇宙の果てにおける達成が予め達成感受され得るものとなり、完全なる自由と無限の幸福が約束されるのです。
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死は誰でも怖いです。


死んだ後はどうなるのか誰も判りませんからね。
人によってはあの世に行くと言うかも知れませんし、人によっては生まれ変わると言うかも知れません。
私の考え方は『死』とは細胞レベルも含めて全ての生命活動を終える事ですので『無』となる。
結局の所『死』は誰にでも必ず訪れますので、ジタバタしても仕方が有りません。
それよりは『今』を大事にした方が楽です。
何の為にこの世界があるのか等考えても仕方ないので、この世界にいるのならそれを精一杯浴びる事で過ごした方が楽。
死について物質的な説明以外に説明し誰もが理解納得するのは難しいでしょうし永遠の課題でもあるでしょうね。
だから考えてもしょうがない。
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死ぬと生まれる前の感覚になります


それだけです
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生きている方が怖いけどね。

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