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No.1ベストアンサー
- 回答日時:
中世と近世の関所はまったく性格の違うものです。
室町時代の関所は、もっぱら私的・公的な権力者(前者は幕府や公家、後者は荘園領主や地方豪族など)が交通の要地に置いて通行税を徴収するために設けたものです。
つまり権力者のお金もうけの算段だったのですね。
日野富子が京都・七口の関の関銭を内裏修復の名目で集め、実際には私費を肥やすのに流用した話は有名です。
これらの私利のために乱立された関は交通や物流をさまたげ、民衆の生活や経済をいちじるしく圧迫したので、打ち壊しの恰好の標的になりました。
これに対し江戸時代の関は「入り鉄砲に出女」の言葉に象徴されるように、
・江戸に武力を寄せつけないこと
・参勤交代の武家の子女を江戸から出さないこと
をもっぱらの目的に設置されました。
だから特に守りの厳しかった関は江戸を囲む天然の要害の地、すなわち箱根・新居・碓氷・小仏など(今でも高速道路や鉄道の長いトンネルで有名ですね)を固め、容易に江戸に攻め込まれないよう、巨大な防衛線として機能していたのです。
宿題にするなら、より詳しいことは百科事典などの項目を参照したほうがいいでしょう。
とくに吉川弘文館の国史大辞典がおすすめ。
No.2
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